Session.18 つかの間の青春謳歌!
ポラリスの面々が練習に明け暮れているのを男子高校生がはたから聞いていた。
彼の名前は紀田照俊といった。
もうすぐ金手フェスが始まるので、彼らも気を抜いてはいられないのだろうと彼は思った。この学校からあのイベントに出場する者がいるということは、さしたる愛校心があるわけでもない照俊にとっても一種の特別感があった。
照俊もまた、音代とミューノイズの戦いを都市伝説として知っていた。寂乃がよく口にしていたことだが、まだ信憑性に乏しかった。
以前、誰か知らない女が学生のふりをして潜入していた、みたいな事件があったが、照俊はその真相を全く知らなかった。
ただ、どこかで誰かから聞いたことがある。六条調が、その戦いに関わっているらしいと。それをどこから聞いたかはよく覚えていないが、バンド仲間の倉香だったような気がする。
「調は、怖くないの?」
「怖くないって言えば嘘になる。でも……」
調は、意味深な言葉を発した。
「みんなのためなら戦う力が湧いてくるの。それがどうしてかは分からないんだけど……」
(すげえな)
それが、あの戦いのことなのかどうか照俊は知らなかった。
けれど調はそれを誇ることもなく、自然に語っていた。
実の所、このことについてはっきり確かめたいという気持ちになったのはここ数日のこと。
それまでは、むしろ律真の激しい指導の方が強烈な記憶として残っていたからだ。
「おい! 貸せ!! これはこうやって弾くんだ!」
「厳しいなぁ、律真は!」
鍵二の笑う姿があの二週間ほどの過酷なレッスンの中でささやかな救いだった。
だがその後遺症で、まだ楽器を見ることに疲れる。
二人が学校でのレッスンを終えてからという物、調たちはいよいよ練習のことに余念がなくなり、他の生徒とあまり言葉を交わさなくなった。
だが、誰から話せばいいだろうか。
倉香がもっとも何かを知ってそうな様子だった。
鼓は、気難しい表情を浮かべている。一番授業もまともに受けている様子だが、明らかに何かを抱えている。
以前、急に人が変わってギターを響かせていた有亜は、今ではまた元の地味な女の子に戻り、歌声を披露する時以外は基本的にほとんど口を開くこともない。
盤子は……顔からしてさすがに話しづらい。目を見せてくれないせいで何を考えているのかさっぱり分からない。というか、やばそう。
となるとやはり調が一番話しやすい、と照俊は思った。
女子とはあまり話さず、男子とばかり話している照俊にとっては女子に自分から話しかけるというのはなかなかない経験だった。だからこそ、何度もためらってしまった。
そして結局、調がようやく照俊に気づいて声をかけてくれたのだった。
「紀田くん?」
調が出て、照俊をまじまじと見つめた。
「さっきから部室の前を何回か通り過ぎてたみたいだけど、どうしたの?」
「そ、それは……」
「興味あるんだ? なら紀田くんにも私たちの演奏、聞いてほしいな」
「べ、別に」
紀田はそっぽを向いた。そして、唇をきゅっと結び、自責の念が叫ばせようになるのを抑えた。
(ああ、くそ、俺の方から話しかければよかった!)
「え~、興味ないなんてもったいないよ?」
「いや、興味ないわけじゃないんだけど、戦いって言ってたのが気になって」
それから目を丸くする調。
「もしかして紀田くんも知ってるの? あの都市伝説の話」
「ま、まあ。でも、本当な訳ないよな。そんな現実離れした話あるわけ……」
「そりゃそうだよ~」
笑顔になる調。
「楽器から火が出たり、冷気が出て物を凍らせるなんてこと、あるわけないもんね。そういうのが本当だと思ってたら、正気かどうか疑われちゃうよ」
(まるで見てきたような物言いだ) 照俊は思った。
「つい、二人の会話を聞いちゃってさ」
「倉香がそう言ってたような気がしたんだ。戦うのが怖くないのかって」
「……へえ」
突然、調の顔から笑顔が消えた。そして大人びた、憂えを含んだ顔になった。
苦悩をにじませた顔だ。まるで、何かと戦った後の顔に見えた。
いつも明るい感じの調が、こんな表情を浮かべるとは思いもしなかった照俊はぞくっとした。そして、こんなことを軽率に聞いてしまった自分を恥じた。
ただ、そのいつもと違う調の顔に、ふと得も言われぬ魅力を感じてしまったのも事実。
「えっと……俺、何か変なこと言ったっけ?」
「別に?」
すでに、調は元の普通の女子の顔に戻っていた。
今の顔は何だったのだろうか。まさかそういうことにあこがれている年頃だから、というわけでもないだろう。この少女は、そういうここではない何かへのあこがれを全て音楽に向けているのだ。
照俊はとっさの機転で、こうごまかした。
「さっきの顔、結構いけてると思った」
調はにっと笑い、
「そう言われると嬉しいな! だったら早く私の演奏を聴いてよ。じゃなきゃ私がギターヒーローである意味がないじゃない」
急に照俊を部室に引きずり込み、椅子に座らせた。
「ちょっと、調?」 鼓が驚く。
調という人間はいつもそうだ。
調は口数が多いわけでもなければ少ないわけでもない。
友達の数にしたって普通という感じだ。
ただ、彼は明白な音楽への執着がある。音楽のことになると、彼は我を忘れて熱中してしまう。
そうでもなく、一日中ギターを背中に抱え、常に演奏ができるように心がけている。
自分自身のことを大事にしているように見えて、結局誰かのために行動している。
照俊は、調から聞いた言葉を何度も反芻させた。
照俊は友人の型貫切磋と会って、話した。
「調がそんなこと言ってたのか?」
「ああ。ひょっとしたら、あいつ、あの『音代』なのかもしれないぜ」
「まさか。この学校にそんな奴がいるとは思えないよ」
「いや。やっぱり本当かもしれない。実際、俺、あの戦いだったかもしれない事態に巻き込まれたことがあるんだ。俺の父さんや弟が急に無気力になることがあった。それまで音楽がすっかり聴けなくなっちまったし、すっかり手に職がつかなくなって、途方に暮れてたんだ」
「まじか?」
切磋は一切自分の見たものへの疑いを持たずに、すらすらと語り続ける。
「それである日、ジュークボックスで曲を聞いてたら、騒音みたいなのが聞こえてきて、それで窒息しそうになったんだ。でもその時……二胡を抱えた人が急に演奏を初めて、何かの影が俺をしめつけてるってわかったんだ。そしてその人が二胡の音色で影をやっつけてくれたんだよ。そして、みんな元通りになったんだ」
照俊はやはり、信じられなくなった。
「おいおい。お前こそ漫画の読みすぎじゃないのか」
「いや、本当だ。今でもあれが夢だったんじゃないかと思うことはあるんだが……」
照俊はいよいよポラリスの面々に、これが事実であるかどうか確かめずにはいられなくなった。
「でも、あれ以降みんなが元気を取り戻したのは事実なんだ。そして僕も前に比べるときちんと動けるようになったし」
それから、切磋の進路に話題が移る。
「切磋はまだ、悩んでんのか?」
「うん。そう簡単に答えの出る悩みじゃないしな」
相手はクラスメイトの桐谷切磋である。
切磋には明白な悩みがあった。すなわち、楽器制作という家業を継ぐかどうかに。そして彼もまた音代を都市伝説として知っている者だった。
切磋にとって、音代というのは単なるおとぎ話では片づけられない存在だった。
楽器を作ることは、戦うために楽器を用いる音代にとってはなくてはならない職だ。
どこか遠い国で、音楽のライブ会場が、その土地を奪還しようとするテロ組織の襲撃を受けたというニュースを聞いた時、切磋は衝撃を受けた。
武器がなければ音楽は守れない。
そして、音楽とは往々にして人間を非道なことに煽り立てることがあるし、そうでなくてもいつの間にか誰かの自由を抑圧している、という事実に、切磋はすっかり気をもんでしまった。
家を継ぐことが憂鬱な照俊にとって、このことは極めて重大な道だ。
「本当は役者になりたいんだけどな。なにせ演じるのが好きだから」
「じゃあさ、一緒に聞くことにしようぜ。相談しようよ」
照俊は切磋を連れて、あえて単刀直入に訊いてみることにした。
「調……まさかお前、本当に『音代』なのか?」
「んー、何か証拠あるの?」 頬杖をつく調。
調は、基本的に男子とは話さない。話しかけられるのを嫌がるわけでは別にないが、あまり異性に対する興味関心が薄いのだ。
鼓が肩をすくめている。
有亜や盤子がなにかをひそひそ話している。
紀田が自信なさげに、
「切磋が音代に助けられたって言うんだけど……」
切磋は、小さくうなずいた。
倉香は、ピンときたような表情になったが、また元の釈然としない顔に戻った。
「切磋くんも音代ってのを信じてるの?」
そう言われて、にわかに切磋が色めきたつ。
「信じざるを得ないさ。だって本当にあの影を見たんだよ。なんだかラッパみたいなのが管が頭についてて、指みたいにパイプが伸びてた。自分でも何言ってるかわからないけど……」
盤子と鼓は、目を見合わせた。そこに何の感情を隠しているのか、照俊はよく分からなかった。
照俊は微妙な空気になりつつあるのを何とか変えようとして、
「いや、そんなことじゃなくて。今後のことについて話したいことがあるんだ」
「はあ? 何で私たちが人生相談に乗らなきゃいけないわけ?」
鼓がいらだった。
「ただでさえ忙しいのに、わざわざ相談に乗る暇なんてある?」
倉香が慌てる。 「ちょっと……そこまで言う必要ないんじゃない」
「うーん、私は知りたいかも。切磋くんは楽器職人の家じゃなかったっけ」
「ああ」
調は彼の悩みを聞いた。
「決められた道を進むのが嫌なんだ。決められた道の方が安定して稼げる」
調は微笑を浮かべた。しかし、人に内面をやすやすとは教えないアルカイック・スマイルだ。
「楽器ってのはね、同じ音色は二度と鳴らせないんだ」
照俊は、調の心の中を知りかねた。
「人生も似たことでさ、同じことは繰り返し起きない。どんなに精巧な道筋を作ろうとしても必ずその通りには行かないものだよ。だから、その道を進んだとしても、うまく行くとは限らない」
調はギターの表面を小さくいじりながら、
「だから、どっちに進んでも結局、安定した道じゃないのは同じだと思うんだ。だってこんな時代じゃない。険艱だよ、人生は」
「本当に調はその言葉が好きだよね……」 倉香が額をぬぐう。
調は今度は、嬉しさとか喜びを意味するちゃんとした微笑を浮かべる。
「かっこつけてるだけだよ。その先にあるのが何かが考えないようにしてるんだ。私たちは道なき道を進むことしかできないんだから」
鼓が言った。調のことを肯定せず、だが否定したくてもしきれないように眉をひそめて。
「調。今、あんたは一人の男の子の人生を左右するようなことを言ったよ」
「そっか。でも、私もいきなりこの道を選ばされたようなものだし、そこで安住することもできないんだから」
切磋は妙に頭の中の霧が晴れるのを感じた。
二人はしばらく無言で廊下を渡った。両者には、調の言葉がしばらく重くのしかかっていた。
人は、生まれる場所を選べない。
結局、時間に流され、ふき散らされるだけだということに。
ただ、それでも何も変えられないわけではない。
切磋は言った。
「やっぱり俺、家を継ごうかと思うんだ」
「まじで?」
「どうせどっちにしろちゃんとした道なんてありゃしないんだ。それに、音代たちが本当にいるとするなら……助けたい。力になりたい」
「つってもさ……いるって分かってるわけじゃないだろ?」
「そこから逸脱することも楽しめるようでなけりゃ、生きてるって言えないのかもしれない」
よくわかったような、よくわからないような。
切磋はこう言った。
「音楽だけじゃ世界は助けられないから。だから、少なくとも誰かのためになりたいと思っただけだよ。もちろんそれすらも、結局はどうにもならない可能性を分かった上でだよ」
後ろめたいな、と照俊。結局、何を選んでも何も変えられないということは絶対じゃないか。
それなのに切磋は、やけに爽やかだった。
照俊はそんな切磋の顔色をのぞきこみながら、自分自身のことに立ち返った。
切磋のように進路があるわけでもなく、調のように軸があるわけでもない。
(俺って、そう考えると何かがあるわけじゃないんだな……)
何かにすがって生きる、ということ自体が疎いものなのだ、ということに照俊はささやかな絶望を感じた。
だが、その絶望もすぐ淡く薄れて溶けてしまった。
高校を出て、大学に出て、いい会社に就くなどという人生の道はこの時代、すでに通用しないのだから。
「ありがとうな照俊、こんな悩みに付き合ってくれて」
切磋が肩を叩いて。
「いや、俺にとっても学ぶ所があったよ。生きていて自分の意志でどうにかなることなんて、ほとんどない。でもそれでも、誰かを変えるのは自分の意志なんだって」
二人の目の前を蛍が飛んだ。まだこの時間帯は蛍なんて光る頃じゃないだろうに、と照俊は不審に思った。
次の日の昼休み、調たちが特撮番組『夢幻戦隊ファントムファイブ』の話で盛り上がっていた。展開とか、俳優の演技のことを、まとまりのないままに話し合っていた。あまり仲が良くないと噂の鼓や有亜までもが、この話題で夢中になっていた。
再び、照俊には調たちのことがよく分からなくなった。だが、それでいい。
帰りの時、少しだけ寄り道していこうと思った。どうせ人生とは荒野を歩むことなのだから、少しくらい逸脱したって大したことはないじゃないか。
億束町まで歩くと、チェンバロの音が聞こえてきた。
音の元まで来ると、鍵二が演奏している姿。隣でコントラバスを鳴らしている人がいた。多くの客が集まっていた。
途中で、鍵二は何か口を開いていたが、何を言っているのか推測することはできなかった。
投銭が絶えず宙を舞い、歓声が響いた。ここは金手市。いつでも音楽の響きが絶えることはない。
しかし、いつでも、その音色を絶やそうとする連中が跋扈している。
そしてとりとめのない思索を続けた後、今週の金曜、鳧鐘町の奏麺を一人で食べに行こうと思った。これまでは友人を連れていたが、あえて違うことをしようと思った。




