Session.17 ハウリング・ディスコ
金手高校での激闘から数週間、音代たちが伝えてくる、市内におけるミューノイズの目撃情報は激減していた。
戦意がくじけたからか、あるいは新たに敵を作り出すために手間取っているからか。
律真は、雑多にアンプや楽譜が置かれた狭い部屋の中でじっと鍵二のことを考えていた。彼のことを考えれば、この狭く薄暗いおんぼろ小屋の生活などたいして気にならなかった。ずっと律真は他人などどうでもよかったが、鍵二だけには、人間であるかどうかを問わず魅了させられるのである。
いつも大人びているように見えて、時折見せるあどけない様子が、ふと律真の感情を刺激する。鍵二の体毛! 鍵二の目やに! 鍵二の手垢! そういう微細な部分が、鍵二の全体の複雑な身のこなしに連結していることに律真は興奮し、体の下から何かの欲望が湧くのを抑えられない。
そんな時に、木枝から連絡がかかってきた。
木枝は、金手高校での戦いが予想よりも重大な内容だったことを軸実の話で初めて知った。
「そはほんまか?」
木枝は、音の台の三階にあるカフェ『曽富良珈琲店』で軸実から校庭での戦いの一部始終を聞いた。
調が復活したことや、弦奈が加勢してくれたことについて、軸実は自分が観てきたかのように雄弁に語った。
「ほんま。調はんたちが力を合わせてミューノイズの頭目に打ち勝ったらしいねん。それも二人もや」
軸実は調たちの戦いを嬉々として語った。だが、実の所木枝は素直に喜べなかった。
「でもそらあいつらを本気にさせてまうやろ。金手フェスが近いっちゅうのに」
「せやけど、さすがにあそこまでやられたらさすがのミューノイズはんらもしばらくは懲りるやろ。ここ数日はか弱い方々しかおらへんようやし」
だがまだミューノイズについてはまだまだ謎が多かった。彼らの頭目がどれくらいいるかも分からない。彼らが替えの利く連中だとしたらどうする?
木枝は途方に暮れた気分だった。
「ミューノイズはより多くの音楽が流れている所に現れるからな。私たちがめっちゃ戦わなあかん。大体ここ一週間慧光区トンネルに巣食って居るミューノイズの討伐が」
「でも、そのために助っ人をよんどりますの。この手の戦いに手慣れとる方でいはるの……お後がよろしいようで」
果たして、二人が待っていた人物が来た。
「お~、来たか。律っち!」
律真は何とも得ない不快感に囚われた。会って間もない人間にそう馴れ馴れしく呼ばれるのは嫌いなのだ。実際に木枝は律真にとってかなり対応に困るタイプの人間だった。
「何だなんだ。お前らは俺に何をしてほしいんだ?」
「トンネルに出没するミューノイズを討伐しろだって!」
「俺は頼まれて人を助けるなんて嫌だね。都合の良い存在にされてたまるかよ」
「まあ、そんな苦手な顔をせんでくれはる? 私らが」
「いけずやわあ……」 にたにた笑う軸実。怒りが隠れているのは明白だった。
「鵜成と児玉を結ぶトンネルに関して変な噂が流れとるんよ。急激に無気力になるっちゅう話」
「都市伝説でそういうのがあるみたいだな?」
腕をすくめる木枝。
「都市伝説やあらへんて。ほんまにあれで音色を吸われた者が多くおりますねんて」
「なぜ俺がやらなきゃいけないんだ?」
「素早く移動できるのがおまへんさかいな。バイクによう乗れる人といえばちゅうことで律っちに来てもろたんよ」
木枝は律真を頼もしげに見た。
律真はふと、紐奈ならこういうことは簡単ではないかと思った。しかし、まだ音代になって間もないものにこれほど短い時間で討伐しろなどとは酷な話だ。
他人に手柄を握らせたくない律真には、嫌でもこの仕事を受けるしか道はなかった。
「あのミューノイズが姿を現すのは午後八時以降しかあらへんのや。頼むで」
「無理言うな!」
厳しい条件に、青ざめる律真。
しかし、彼には音代としての矜持があった。こう頼まれれば、断るわけにはいかなかった。
深夜の鵜成町側に、楽器を持った者たちが集結していた。
彼らはみな、PAでのライブのためにここに集まって来たとでも言いたげな様子だった。
トンネルの中はほのぐらい明かりで何とか内部が見える程度だったが、自動車の照明を反射して意外と天井が高いことは見て取れた。
律真は、約束通り現れた。そして闇夜の中、楽器を抱えたり、構えたりしている者たちの軽やかな身の動きですぐに彼らが音代であることを察した。
だが、それ以外の灯りもある。仕事のために往来する者たちの灯りだ。ここには日常と非日常が同時にある。今やこの街ではそれが普通なのだ。
律真は、あまり人と協力して何かをすることがまだまだ苦手だった。それでも、以前だったらこの仕事自体を引き受けてなどいなかったろう。調や鍵二たちと協力して戦うのを重ねるたびに、いつしか誰かと一緒にいること自体に免疫がついてきたらしい。
(やれやれ。俺もすっかり角が取れちまったらしい) 律真は、自分の変貌ぶりに驚いた。
音代たちの会話を聞いていると、金手高校での出来事のことがもうすぐに知れ渡っていたらしい。必ずしも厳密ではなく、奴らの幹部三人を撃退したとか、尾ひれをつけて流布されてはいたが、それでもかなり正確だ。六条調のことも知られているらしい。
花壇の淵に座り、琵琶の音を鳴らしていた少女が、律真の気配を察するやすぐに演奏をやめ、彼の元に近づく。
「こんなよさりに来てくれておおきに、律真はん」
「別に感謝されたくて来てやったわけじゃないぞ。俺の音色で調伏せさせるために来たんだ」
「おお~、威勢のええことで」
軸実はにたにた笑う。
「あのミューノイズはいかいお方のようでな、音響支援が必要になりますねん。おっ、どうやら来はったみたいやね」
助っ人だ。律真を強化し、守るためにここにいた。
サックスを抱えた音代。若い男だ。
「金笛伊吹です」
「何ができるんですか?」 律真は丁寧に尋ねた。
「防御です。それから回復もやります。私の音色で、律真さんがミューノイズに受けた傷を治療します」
(回復に防御か……鍵二に比べればできることは多いが、力は劣る感じか)
次にシックな色合いのコントラバスを抱いた音代。伊吹より年上で、下顎から白い髭を生やしている。
「大弓鳴我です」
伊吹がたたえて、
「この方はすごいですよ。何でも時間を操作する音色をお持ちだそうです」
鳴我。
「いや、僕もこの音色には正直慣れていないんです。こんな能力を発現するとは思いませんでしたから……ああ、私の音色は透明にする力があります」
「僕達が律真さんを支援します。どうかよろしくお願いします」
(いつの間にか音代もこんなに増えてきたんだな)
あまり、律真は素直に喜べなかった。
戦いが激しくなってきた、ということだから。
「あんたたちも、聞いたんですよね? 謎の声を」
「ええ。あの時はとても鳥肌が立ちました。今でも、まだあの声が脳内に響き渡っているような錯覚を覚えます」
だが、どうやら一部始終を聞かれていたらしい。少し歳を取った女性がジョギングの途中、律真たちに近づいて、尋ねてきた。
「あの……皆さん、あの『音代』なんですか?」
笑いを浮かべてしらを切る金笛伊吹。
「まさか、そんなわけないでしょう。僕達は路上ライブのために集まってきているだけですよ」
「でも、演奏して、何かと戦う方がいるとかなんとか……」
「僕達はそんなの信じてませんって」
いつしか、この街の人々は音代とミューノイズの戦いのことを、少しずつ信じるようになっていた。ミューノイズは写真や鏡には映らないため、その姿を撮影することはできないが、それでも目撃証言は日に日にSNSでも増えてきていた。
女性が怪訝な顔で立ち去るのを見ながら、冷や汗をかく木枝。
「危ない所やったな。うちらの活動がばれる所やったで」
「かまへんて。私らのことはじきに街のみんなが知るようなる。むしろもっと知ってもらった方が楽なくらいや」
腕時計を見て、時刻が迫りつつあることを知る律真。
「あと数十分だな。調律はできてるんだろうな」
依然として不敵な笑みを崩さない軸実。
「律真はんこそ、燃料は片道や困りますで」
(縁起でもないこと言うんじゃねえ!)
律真はバイクに乗った。
後部座席に軸実が載り、琵琶を構える。
木枝が笑って手を叩く。
「おー、ええやん。意外と似合っとる」
「一瞬で決めろって言ったんだからな。俺は全く演奏できないんだからやってくれないと困るぞ」
「あら、私の力量を甘く見ては困りまっせ?」
軸実の蠱惑的な眼差しが、律真にとってはうっとうしかった。
軸実とはまだ一回しか共に戦ったことがない。彼が強い音代であることは分かるが、あらゆる状況で臨機応変に戦えるかどうかはいまだに未知数だった。
バイクのエンジンを起動した。
ミューノイズの気配が一層強くなる。
「では、行きますよ」
大弓鳴我が弓を走らせる。
突然コントラバスの音色によって、二人の周囲に透明な膜が張られた。音代以外の人間には決して見えないようになった。
まだ車の通りは、かろうじてあった。だが、戦いを見られるのではと心配するには及ばない。
突然、時間がゆっくりになる。
「おいでなすって!」
「あいつか!」
二人は叫んだ。
軸実が琵琶を奏で始める。
――夜の街を忍びの者が駆けて行く。屋根瓦を軽く飛び越え、柱を滑るように降り、一体どこに向かうのか――
律真のバイクが急に軽くなった。
ミューノイズは蛇腹を伸ばして、律真と軸実に食いつこうとした。
もし食われれば、音色をそのまま吸い取られて人としての存在を失うに違いない。
(この野郎、俺を音色でどこに連れて行こうってんだ?)
律真は恐怖を覚えたが、軸実の飄々とした顔色を見るとそう震える姿を見せたくはなかった。
敵はひたすら獰猛なだけで頭が悪いと思っていたが、案外そうでもないと律真は気づきだした。
ミューノイズはハウリングをうまく使って反響させている。
音響効果によってその速度はゆっくりであるとはいえ、律真はそれを躱すのがやっとだった。
「軸実! 何とかならないか?」
「なんなりと!」
軸実は琵琶をかき鳴らし、冷気をあたりに展開した。
高熱をあたりに照射する調とはまさに対になる能力だ、と律真は思った。彼の音色は同時に床に薄氷を敷き詰め、バイクの機体が急に速度を上げる。
しかしそれは、律真のバランスを崩しはしない。むしろ律真にとってこの冷気は涼しい感じに思えたし、それがむしろより一層体を軽くし、より自由に身動きがとれるように仕向けてくれた。
「うらぁ!」
律真は思い切ってカーブし、バイクを壁に乗り上げる。
マシンが壁に対して垂直に走行したにも関わらず、律真も軸実も全く傾いたと感じなかった。
律真は、重力が移り、壁が地面になったような感覚で走行を続ける。
「おら、当ててみやがれ!」
律真は三回ほどうねりながらトンネルの地面から壁まで旋回した。そしてミューノイズのハウリングが、乱れ飛ぶように彼らの周囲に衝突し炸裂するがどれも命中しない。一般の人のバイクや車が
バイクの機体の急な回転に巻き込まれ、そしてトンネルの冷たい壁にぶつかり、軸実の音色がハウリングを起こす。
「向こうがハウリングならこっちもハウリングか……さしずめハウリング・ディスコか」
「あらあ、『奏で手の宴』とでも言うてくれはる?」
すぐ横を、ミューノイズの冷気がかすめる。しかし、二人の心の音色がシンクロし、律真と軸実は一切焦らなかった。二人は心の奥底で、一体として繋がっているのを感じた。言葉に出して言わなくても、きちんと相手の意図が理解できるのだ。
律真の意図する動きをきちんと軸実は理解して演奏することができたし、軸実の楽器の音色が最も効果を発揮する瞬間や状況を理解して律真は動くことはできた。
「鬼さん、こちら」 バイクの猛烈な震えにも関わらず、それに同調して軽やかな声で軸実は音色を弾き続けた。
――日輪が昇る。驚いた妖魔たちが岩の下や穴の奥へ逃げ出す。百鬼夜行はそろそろ終わりだ。
軸実の音色がバイクの前後にせりだす氷の盾を形成した。律真は、いよいよ敵にとどめを刺すべき時だと理解した。それからはすぐに、他の車両を避けながらまっすぐミューノイズへと機体を走らせる。そして、軸実の音色が次第に哀愁を帯びて行く。
――妖魔たちが去った後、冬の太陽は青白い。ただ、深い木々の下、誰も見てくれなくても、花はひたすら芽吹くのを待っている。
律真のバイクがミューノイズの頭を踏みつけ、さらにその背中の上を疾駆する。
バイクに敷き詰められた冷気に蹂躙され、敵はたちまち氷漬けになった。
さらに軸実が琵琶をチョイと鳴らすと、ミューノイズは砕けて粉々になった。
自分自身の音色を聞かせることができなかったのは心残りだったが、とりあえず当面の目標は果たすことができた。
「……おあとがよろしいようで」
つぶやく軸実。
融合しかけていた二人の音色が再び分離し、また律真の心の音色は元の状態に戻った。
急に、律真の呼吸が荒くなる。以前も鍵二とミューノイズの退治を行った際音色を通わせたことがあるが、その時の分離でも激しい疲労と虚脱感を覚えたものだ。
律真は、ふと物思いにふけった。
音代の性格と、その能力の間には何かしらの関係性があるのだろうか。
「あら、もうお疲れ?」 軸実はからかうように笑う。
「そりゃ、いきなり音色を引きはがされるんだぞ。慣れねえよ」
「あら~、私は木枝はんと一緒に何度も音色を通わせとるけど、そこまで疲れまへんがな」
「てめえら、本当に仲が良いんだな……」
律真のバイクが外に出ると、音代たちが、出迎えてくれた。
律真は、心配そうに言った。
「しかし、外の奴らに見えたろ?」
「彼らが音色を通して外から見えないようにしてくれはったさかいな」
伊吹の吹きならす音色が格子状に広がり、結界を張っているのが見えた。
トンネルの中を通り過ぎた一般人からすればただの演奏にしか見えていないに違いない。
「伊吹はん、おおきに!」 木枝が鳴我に。
「まさか、これくらいのこと、感謝にも及びません」
「金手フェスの警備ですよ。奴らは必ず襲いに来るでしょう。その時こそ私たちは本気を出さねばなりません」
「ええ、やったりますで」
彼らの喧騒をよそに、律真はふと物思いにふける。なぜ、ミューノイズは人を襲い続けるのか。
(音代の力は現実を変える力……奴らは現実を変えるだけの力が欲しいのか? それも音楽を通して?)




