Session.16 天の旋律、地の調べ
調たちとミューノイズは夜の校庭で対峙していた。
さまよえる旋律が宙を浮き、うるわしき狂騒がその隣で何かを抱え、並び立っている。
アコーディオンの蛇腹で腕や脚を構成した傀儡の胸には格子で仕切られた空間があいており、その中に盤子と鼓が閉じ込められている。
鍵二は彼らを離れ、学校の一室でチェンバロを演奏している。
「ちゃんと来てくれたんだね。音代は人間を大切にすることがよく分かるよ」
あざ笑うように言う旋律。
この少年の立居振舞の全てが気に障る調。
「当たり前だよ。盤子と鼓を返して」
旋律はますます得意げに、
「だからそれはこの戦いが終わってからだよ!」
「戦い? 私たちは戦いなんか望んでない」
調は、こんなことをしたくてここにいるわけではない。
早くミューノイズに、この街から立ち去って欲しくて仕方がない。
しかし、彼らは決してそれを理解しない。ただひたすら自分の欲望に従って、人間の音色を吸いつくすだけ。
「よくも有亜の音色を奪ってくれたわね」
狂騒は恨みに満ちた声で吠える。
「六条調……一度どころか二度も私の演奏を邪魔するなんて。もう、許せない……!」
「それはこっちのセリフだよ!!」
調は怒りに囚われそうになったが、その時狂騒が手に抱えている物が何か分かった。
有亜が彼に持たされた黒いギターだ。
「『宵闇の黄昏』って言ったっけ、それ。今度は自分で演奏するんだ」
「ミューノイズの音色はあなたたちの。人間の力を借りていくらでも楽器を再生できるのよ」
「どうだっていい。これ以上有亜に手を出すなら、私は――」
チェンバロの音色に混じって、鍵二の警戒心に満ちた声が聞こえる。
<気を付けろ。奴のギターは前よりも強い音色の淀みを感じる>
「前よりも強化されているのか?」 律真が尋ねる。
<ああ。凄まじい雑音だ……くそ、頭の中に割れそうな音色が……>
狂騒が口元を思い切り横に引いて笑い、ギターの弦を鳴らす。
「伏せろ!」
衝撃波が飛び、強烈な振動が彼らを襲った。鍵二の演奏による防御がなければ調はなすすべもなく弾き飛ばされる所だ。
紐奈は光で体を覆って、高く飛んだ。
「今度こそ、負けない!」
旋律も紐奈と同じ高さまで舞い上がり、
「また君とセッションができて、嬉しいよ!」
笛を吹きならし始める。
「冗談じゃない!! 調のために、私は戦うの!」
怒る紐奈。
二人は空中で何度も交差し、自分自身の音色を互いにぶつけた。
――強敵出現! これまでとは明らかに違うステージだ。背景は薄暗く、敵の数も増えてきた。それでもあなたは負けるわけにはいかない。
――闇夜の魔王。ダンジョンのあらゆる罠を働かせ、プレイヤーを葬り去る。
紐奈のリフが、旋律のリフを受け流し、そのメロディを受け流しつつも、独自のアレンジを加えながら自分自身の曲に昇華させようとする。
紐奈の曲はレーザーのように四方八方に届き、旋律はそれを避けるのに必死だった。
――魔王は宇宙戦闘機に乗って主人公を迎え撃つ。そして互角の戦いを演じる。もうすでにいくつもの難関を乗り越えてきたあなたには、恐れるものは何もない。
傀儡がアコーディオンの四肢をきしむように鳴らし、あたりを揺らす。鍵二は、傀儡が楽器のモチーフをうまく取り入れたデザインであることに感心はしたが、この戦いの中でそんな悠長な感想を漏らす暇はなかった。
ペダルを踏み鳴らし、絶妙に音を調節しながら紐奈を援護した。紐奈がより強烈な音色を放てるようにだ。
紐奈は、鍵二が鳴らしてくれる音を受けて、より身軽に、そして自分自身が楽器になったかのような感覚を受けた。
(すごい……あの時よりも思うように戦える!)
律真のリフは牙のように広がり、そして上下に閉じていき――
「おらぁ!」
傀儡の格子が砕け散った。
<今だ、調!>
調はコードを切り替え、熱を巻き上げて自分の体を浮遊させようとした。
だが、狂騒がかき鳴らす音がよりくぐもり、重苦しいメロディとして響き渡る。
「そうはさせないわ!!」
宵闇の黄昏が闇に覆われ、次の瞬間、漆黒の柱が荒波のようにほとばしった。
調はすんでの所で避けた。闇が走った場所の地面がえぐれた。
空を見上げると、旋律が再び笛を吹き、弓矢の一撃が調を狙う。
調は転がりながら敵の攻撃を避けねばならなかった。
そして紐奈は、旋律と戦うだけではいけなかった。
「まだ、あいつに興味があるんだ?」
宵闇の黄昏の音色はただ調たちだけではなく、空にいる紐奈にも向けられていた。
紐奈は、黒いギターが虚空に立てる墨のような柱に、はっきりとした危険を感じ取った。もしそれが少しでも当たればたちどころに力を吸われてしまうはずだ。
あざけるように旋律。
「君のせいで、うまく狙えないじゃないか」
「馬鹿なこと言わないで!」
無機質で感情豊かな8ビット音と、素朴で無邪気な笛の音がぶつかり合う。
金色の光は、避けるのがやっとだった。
(お前の全てを奪ってやる……六条調)
宵闇の黄昏自体が狂騒の力に相当なバフをかけていたのは明らかだった。
恐らくはさらに多くの人間の音色を奪いつくし、相当強力なギターとして成長しているのだろう。
(僕たちの目的はこいつらを倒すことじゃない。鼓ちゃんと倉香ちゃんを助けることだ)
<律真! 奴らが調たちと戦っている隙をついて二人を閉じ込めた傀儡を狙えるか!?>
音色を通して、律真の脳裏に直接語りかける。
「あの檻は高い所にある! 狙えるかどうか自信がない」
<なら、調の音色を借りろ。高熱に乗って上に上がれないか?>
「おい、僕の眷属!」 叫ぶ旋律。
律真は焦った。
(あいつらから引き離すのが優先だ!)
とっさに動きで、調が高熱の蒸気を鳴らし、律真はそれに飛びのって上昇しつつリフを奏でた。牙が展開し、傀儡の胸の檻に噛みついて引きちぎった。
「しまった!?」
それが旋律と律真のどっちが言った言葉なのか、様々な音が交差するこの戦場で調は判じ難かった。
傀儡の中から鼓と盤子がすべり落ちる。傀儡の手が二人を乗せて降ろす。
宵闇の黄昏の先端を、盤子の首筋に押し付ける。
「さあ……こいつがどうなってもいいの」
鼓は、目を覚ましていた。
助けを求めるような顔をしていた。調には、鼓を見捨てる考えなどなかった。しかし、狂騒は間違いなく、調が動いた瞬間に手を降すだろう。
時間はない。それなのに。
「私は……」
その時、弦楽器の音色が飛び、狂騒の腕に切り傷ができた。
「きゃあああ!!」 悲鳴と共に、そこから漏れ出るひそかな音色。
誰もが驚き、音色の駆け抜けてきた方向に目を向ける。
そこには黒髪の佳人、二人。手元に艶のあるヴァイオリンを携えて。
「弦奈さん!?」
叫ぶ調。
「間に合ってよかった。まさかここまでの混戦になってたなんて」
弓刃は傀儡を見て、やや驚いた様子を見せた。
「敵は手ごわそうよ、お姉様」
しかし弦奈はあくまでも冷徹。
「敵を倒すためには私たちの力が必要……二人が力を合わせれば、どんな敵でも怖くない!」
そして、
「今の内よ、調!」
「は、はい!」
調は走りながらとどめの一撃を奏でる。
狂騒にとってそれは激しい痛みだった。
自分自身の音色を抉り取られるような、耐えがたい音だった。
鶴舞弦奈が強い音代だとは聞いていたが、これほどの致命傷を与える者だとは夢にも思わなかった。
狂騒は、宵闇の黄昏で再び強烈なリフを奏でる準備を始めていた。
「お前たち、やれ! あいつを締め上げろ!!」
旋律が傀儡に命じた。
傀儡たちが、無機質な動きで調に腕を伸ばそうとする。しかし調は、恐怖に対して毅然と立ち向かう。だが、体格の大きい敵にそれはあまりに無謀だ。
その時、鍵二の声がチェンバロの音色を通して調の脳裏に響いた。
<調、今から君に僕の音色を全て注ぎ込む! そして奴らにぶちかましてやれ!>
「はいっ!」
すると、大音量でチェンバロの音が頭の中に鳴り響いた。
しかし、それは騒音みたいに不快なものではなかった。まるで、調自身が一つの音楽になったような感覚だった。調は、これまでにないほど身軽に、そして屈強になった。気のせいではなく。
「うおーっ!!」
指が痛むほど猛烈な勢いでギターを鳴らす。
調自身が火をまとっているようだった。傀儡の手が、その燃え上がる音にあぶられ溶けた。
さまよえる旋律は、調の予想外の強さに驚き、そして憤った。
(ちっ! 僕自身が行くしかないか!)
「させるかぁ!」
旋律が急降下して、調の行く手を阻もうとする。だが、彼の前に弓刃と弦奈が立ちはだかる。
「行くわよ、弓刃!」
「はい、お姉様!!」
姉妹は息を合わせ、弓を走らせる。
ピッツィカートが響き渡り、旋律の胸に十字の斬撃が刻まれる。
旋律は顔をザクロの割れるようにひきつらせ、吹き飛ばされた。
その時にさらに、紐奈の音色が炸裂し、傀儡の動きが止まった。
不快感をにじませ、歯ぎしりしながら宵闇の黄昏を構える狂騒。
その弦を打ち鳴らした時、狂騒の体中が闇に包まれ、調の音色を阻もうとする。
――願いをかなえるためには自分でかなえるしかない。
信じられるのは、自分の力だけだ。自分の力で世界を変えてやるんだ。たとえどんなに小さな一弾だったとしても。
調は、自分自身が楽器になったかのような錯覚にとらわれた。
自分自身の全てをコード進行に変換し、すでに黒い衝撃波を身にまとって騒音を周囲にまき散らしていた狂騒にぶつける。
二つの異なる音色が衝突し、激しく明滅する音を散らす。だが、最後は調が勝った。
狂騒が手にしていた宵闇の黄昏も、その時の衝撃で彼の手を離れ、燃える音色に覆われ四散した。
<ブラーヴォ!>
音色による伝達効果で一部始終を観察していた鍵二も、思わず立ち上がって叫んだ。
盤子と鼓が、狂騒による拘束から解かれた。
調が鼓をつかみ、律真が盤子の腕をにぎりしめる。
「許さない……六条調……!!」
さまよえる旋律も、なかば泣き顔で喚いた。
「お、覚えてろよーっ!!」
二人は、闇に包まれ消えて行った。
そして、さっきまでの喧騒が驚くほどの静寂にとって代わられた。
◇
「弦奈さん、もう大丈夫なんですか?」
気遣う調。しゃべり続ける気力もないくらいへとへとになってはいたが、
「ええ。戦いからすっかり離れていたから、まだ本調子とは行かないけれど」
すると、弓刃が早口で、
「まさか! お姉様は十分全力全開ですわ!!」
「ちょっと、何を言ってるの、弓刃。この方たちはまだ」
「お姉様は最高ですの! 誰一人としてお姉様の音色にかなう奴などおりませんわ! 私とお姉様が一緒になればどんな敵だって――」
姉に対する心配に不服を申し立てる様子から一転して、いつの間にか完全に姉と自分の世界に酔いしれて恍惚としている。
調は、ただただ驚いた。初めて会った時は寡黙で常に憂えをたたえた顔だった弓刃が、まさかここまでべらべら話し、感情を豊かに表現するとは想像もしていなかったからだ。
演奏場から戻って来た時、鍵二は、ちょうど弓刃が披露している姉自慢に出くわしていた。
目を丸くしている調の肩を叩きながら、耳元でこうささやく。
「実は、弦奈さんと一緒にいる時の弓刃さんはいつもこんな感じなんだ……」
だが同じくらい、弦奈が美人なのにも調は魅了された。ミューノイズに音色を吸われていた時は、相当生気を損なっていたのだ。
(綺麗だな……)
調は、弦奈という人間に強いあこがれを覚えた。
紐奈にとっては初めて会う人間だったので、弓刃が弦奈の魅力について熱く語るのを見ても、別にそういうものかと思っていた。
ポラリスのメンバーも集まっていた。盤子は傀儡の胸に閉じ込められていた恐怖をまだ引きずり、泣きべそをかいていた。
「もう大丈夫だよ、盤子! あいつらはこの人たちが退治してくれたんだから!」
有亜は、みんなが無事であることに安心しているようだった。
調は嬉しくなった。
「ありがと、みんな。来てくれると思ってた」
ただ、鼓だけはそっぽを向いて、調の顔を見ようともしなかった。倉香は言った。
「ねえ、鼓も来てよ。調がみんなに色々言いたいみたいだし」
鼓はしばらく沈黙を守った跡、ためらいがちに、
「私は、調を傷つけてしまった。どうせ今更許してくれないに決まってる」
鼓がああ言ったのは無理もないことだと調は思った。
音代とミューノイズの戦いを知ってしまった以上、彼らを怯えさせてはいけないという重責がのしかかってしまうのを彼は感じた。
「鼓も、ありがとう。だって、初めてバンドに誘ってくれたのは鼓だもんね」
「それに……音代であることに焦り過ぎてたみたいでも、私も悪かった。私だって、苦労してること、ちゃんと伝えておきゃだめだったのに」
「調……」
有亜も、少し不満げに、
「私も、ちゃんと言っておけばよかったかな。調みたいになれれば良かったって」
倉香は途方に暮れたような気分だった。
(やっぱり、私たちが仲直りするには時間がかかるかもしれない)
「いいよ。私だって、有亜のように歌えれば」
有亜の声は、まだ晴れない。
「……私は、まだ自分の気持ちに収拾をつけられない」
「色々話している時に、申し訳ないけれど……」
しかし、そこに弦奈が近づき、憂えを込めた声で。
「安心するにはまだ早いわ。これから、ミューノイズが現れる可能性が一番高い時期が訪れるんですから」
「金手フェス、ですよね」
調がその単語を口にした時、ポラリスのメンバーの誰もがはっとした。
「大丈夫、安心して。私と最強無敵のお姉様の力があれば、みんなを守ることができるから」
「ありがとうございます、弓刃さん。……盤子?」
調は、盤子が何か話したくてもじもじしているのに気づいた。
盤子は少しためらった後、ようやく口を開いて、自分の願望を打ち明けた。
「もし演奏、無事に終わったらさ。みんなで、見ようよ。『バサラマンVSファントムファイブ』」
「うん。そうしよう!」
調は笑顔で言った。有亜は、がんばって調のような表情になろうとした。
鼓も、それにつられるように、忸怩とした感情を取り下げざるを得なかった。
「分かったよ。そのためにがんばればいいんでしょ!」(結局、戦い続けることは変わらないんだね)
この会話を冷ややかに聞き流す一匹狼。
「……はっ! お前ら、あまりに仲良くなりすぎじゃないのか?」
律真がしいて、これに異議を唱えようとする。
「悪いことじゃないよ。だって人間は協力する生き物じゃない」
紐奈は二人に近づいて。
「人間っていいなあ。光子生命体は群れないから、基本的にこうやって関係を深めるってことがないんだよね」
「群れない? じゃあ、離れ離れで生きてるの?」 気になって鍵二が尋ねた。
「うん。だから人類みたいに文明をあまり築けなかったし発展することもできなかった」
律真が割って入る。
「だから人間とかの他の知的生命体に接近することもなかったわけか」
「そうそう。まあ、だから平和が保たれていたということもできるわけだけど」
それから紐奈の話は止まらなくなった。
「純粋な光子生命体は瞬間移動できるそうだけどね、半分しかない私はそういうのは苦手なの。大体の能力だと私、純粋な光子生命体よりは優れているのにそれだけは……
◇
さまよえる旋律とうるわしき狂騒が、悶えながら闇の中を惑っていた。
彼らの顔やうでに黒いしみが浮かび上がり、そこからハーモニカやピアノといった多種多様な音色が雜音のように漏れ出ている。
二人とも、自分が受けた傷への苦しみよりも遥かに、音代に対する恨みで満ちていたが、同胞の突き放すような声に関心が向く。
「無様だな!」
冷酷にざわめく静寂。脚を組みながら、高台のような地形から見下ろしている。
旋律は腕を振って、
「だって……あいつらがあんなに強いなんて思ってなかったんだよ!」
「奴らを見くびるなと言ったはずだぞ。奴らはばらばらに行動していたはずだが、最近はどうも集まって協力しているようだからな」
狂騒も、責任感から目をそらすように。
「弦奈の音色を雑魚に分け与えたあなたにだって責任があるわ。『迫りくる轟音』からはぎとるなんて」
「その時は今ほど音代が脅威ではなかったからな。まさかあの二人が合流するとは予想外だったが」
それから冷ややかに彼らを見下し、
「お前たちには代わりがいるんだからな。それが嫌なら活躍で示せ。ちょうどすぐ近くに、良い機会が迫っているだろう?」
二人とも、それを聞いて思い当たることがあった。
「音代がその時には一層多く集うだろう。我々の本領を示す時だ」
「そうだ。その時こそは……」 旋律はすでに、次の逆襲のことを考え、うずうずしている。
何より、競争相手に負けるわけにはいかない。『迫りくる轟音』とも、また再会しなくてはならない。ミューノイズは一枚岩ではないのだ。
だが、旋律は戦いへの欲望とはまた別の感情に惹かれていた。
(なぜだ……? なぜ、俺は満たされないものを感じている)
それは、静寂や狂騒には不思議と知られたくないものだった。
(どうやっても奪えない物が、奴らにはある。一体どうやったら手にできる? うずうずしてきたぞ……)
そして狂騒も、また別の疑問を。
(なぜ、あの姉妹は助けに来たの……彼らの間に何の力が働いたというの)




