Session.15 会心セブンスコード
倉香は、有亜と共同で作った曲を調に聞いて欲しかった。しかし、調が心を閉じつつあるのを見るとそれを強いようとするのはためらわれた。
有亜も、この程度で調がまた心を開いてくれるようになるとは思っていなかった。
ミューノイズとの戦いに、自分たちが介入できる余地などほとんどない。ましてや調がみんなとの関係をこじらせてしまった今では。
いや、音代と音代以外の人間を繋いでくれる人がまだいる。
まだ律真は学校で指導する期間を残していた。
倉香は今すぐにでも律真にこのことを直接相談しなければならなかった。ポラリスの面々以外で、調のことをよく知ってくれているのは彼しかいない。
すぐに倉香は律真の元に向かった。
「律真さん、お願いがあるんですけど」
「有亜と……ポラリスのベースか?」
「倉香です」 名前を覚えてもらえてないことにむすっとする倉香。
「で、お前らが何の用だ?」
単刀直入に要件を伝える。
「実は……調に聞いてほしい曲ができたんです。でも、調と鼓が言い争っちゃって、まだ私たちに口を利いてもらえないかもしれないし……だから、律真さんに奏でてもらおうかなって」
律真は、軽々しく同情するような人間ではなかった。バンドの内部の問題に関わる気などなかった。
「そんなことはお前らが解決することだろう?」
何とかして、事態の深刻さを訴える倉香。
「鼓が音代とミューノイズの戦いを信じてないんです。だから、調が私たちを惑わせているんだろって言って……それで二人、喧嘩しちゃって」
溜息をつく律真。
「当たり前だろ。お前だってミューノイズに操られて、俺と調を苦しめた時のことなんて未だに現実だと信じてないだろう」
「あの時はちゃんと記憶があったんです。でも、あの時はまるで調や律真さんが倒すべき敵のように見えていて、気が変になってました。今はもう、そんな感じでは全然ないのに」
有亜が続けて、
「もう二度と、ミューノイズの戦いには巻き込まれたくないんです。でもそのためには調の力が必要になる。そして、調をもう一度元気づけるためには律真さんの手を借りなきゃいけない」
律真は、まだ冷ややかな態度を取っておこうとしたがった。
今度は、また倉香が口を開く。
「私、律真さんと同じ音代と会って……ミューノイズの戦うために金手にやって来た人だそうです。それで、調のことも知っていたみたいで……もう、音代の人たちはもうこの金手に相当数集まってるんですね」
こんなことを言うのがどれだけわがままか分かってはいる。
「私たち、やっぱり音代との戦いから逃げられません。だからこそ、調のことを……助けてあげて欲しいんです。だからそのために、どうか演奏してくださいませんか」
深々と頭を下げる倉香。
律真は、すっかり困ってしまった。
ここまで人に切ない様子で頼まれるのは初めてだったからだ。
最初は拒絶しようかと思った。だが、調とはもう見知った仲だ。
(俺も――あいつみたいになっちまうのか)
人恋しい性格になりつつあったことを律真は恥じた。そんな感情はとうの昔に捨てたはずなのに、いつの間にか誰かの期待に応えたい、という欲望がまだ残っていたことに律真は驚いていた。
(抗いがたいな。誰かに認められたいという欲望には)
そして、それが案外悪いものでもない、ということにも。
「だったら、調を呼んで来い。あと、後で大福餅を持ってこい」
「は、はい!」
大福餅を要求したのは、彼の趣味だ。しかし、音代に頼られるのが光栄に思えて、倉香は元気そうな顔になった。
まだ律真は倉香が軸実と木枝と会ったとまでは知らなかったが、こんな所にまで同胞が入り込んでいるとは予想もしなかった。
(音代というのはどいつもこいつも馴れ合いたがる奴ばかりだな。無力であるからこそ、群れざるを得んが、いやしかし――)
律真は、渋々倉香たちの願いをかなえてあげることにした。
調は校庭の隅のベンチに座り込み、鼓から言われたことをずっと反芻し続けていた。
確かに調は自分が不審に思われていることは自覚していた。しかし、あんな風に冷たく突き放されるとは思わなかった。
ここまでハードラックな身の上はさすがに耐えがたかった。なぜ日常ですら、こんな風に突き放されなくてはいけないのだろう。
(こんなことを簡単に理解させられたら、苦労しないよ!)
しかし、急に肩を小突かれて、調は現実に引き戻された。
「あれ……? 律真さん」
驚いてきょとんとする調。
「お前のダチが探しているから、会いに来てやったんだぜ?」
いつもなら、調が律真を探しているのに、その逆だったからだ。
「もう、いいんです。私、もうこれ以上音代として戦うべきかどうかわかんなくて」
「何で戦わねえんだ?」
「別にみんなに認められたくて戦ってるわけじゃないんですけど、ただ、批判されると逆に迷ってしまうというか……」
「迷ってしまうというより、ただ倦んでいるんだろう?」
調がこうやって自分の殻に閉じこもっているのを見て、律真は何とも「らしくない」感じがした。
初めて出会った時の調は自分の世界を外側に主張する、もっと大胆な奴だったはずだ。
律真は調の帽子のつばをつまみ、顔を近づけ、
「派手な帽子なんて被っている割には、引きこもりがちなんだな」
「もういいんです、ほっといてください」
律真は、調に何かがあったと察した。
「お前、臆病風に吹かれたのか?」
「もう音代として戦いたくないんです。こんな力があるせいで……みんなを巻き添えにしてしまう」
「らしくねえな。俺の知っているお前はそんな奴じゃない」
「戦うのが怖くなったんです。拒絶されて……」
腕を組む律真。
「そんなことでか? 俺なんて拒絶されることには慣れてる。それくらいで傷つく口じゃない」
調は、律真が心の奥底では若干傷ついたのではないかと察し、
「拒絶するつもりなんてなかったんです。すみません」
「おいおい、女の子をそんなに責めるもんじゃないぜ、イル・ミオ・アミーコ!」
すると隣に鍵二もいた。
「鍵二さん」「うおっ」 やや体をそらす律真。
鍵二は調を気遣うような表情を浮かべていた。
「律真から話は聞いたよ。何かあったそうだね」
「はい……」
鍵二は、低い声で指摘。
「その様子からすると、音色が漏れているようだが」
おそるおそる尋ねる調。
「分かるんですか?」
「僕は気配を察することに特化しているから。こういう感覚は鋭いんだ」
「このままだと君は音色を吸い取られてしまうだろう……」
調は、そこまで絶望してはいなかった。どうせ自分はそこまで強い音代ではないのだ。きっと誰かが取り戻してくれる。希望からというよりは、投げやりにそう言って言った。
「そんな顔をしないでくれよ。調はもう少し明るい奴じゃなかったっけ?」
鍵二は無論、調の音色が奪われつつあることを軽く捉えていたわけではなかった。だが、むやみに調を気遣えば、却って彼をますますひもじい気持ちにしてしまうだけだと理解していた。
「もうどうしたらいいか分からなくて……」
「めそめそするんじゃねえ。鍵二がもっとしゃべりたがってるじゃねえか」
「ああ。こういうことには詳しいからね。そうだ調、悪いニュースと良いニュースの二つがあるんだが……どっちから先に聞きたい?」
調は言った。
「悪いニュースからお願いします」
「うるわしき狂騒が出没している。金手フェスの会場の周辺にミューノイズを配置しているらしい……」
「それは困りますね」
「ああ、僕たちの仕事が増えるからね。だけど、悪いことばかりでもないよ。弦奈さんが力を取り戻したんだ。君のおかげかもしれない」
調は複雑な表情を浮かべた。純粋に、鍵二は調のことを褒めようとして言ってくれているのだ。
「狂騒とまた戦うことになるかもしれないね。でもこっちには強力な仲間が一人増えたことになる」
「弦奈さんって、強い音代なんですか?」
鍵二は胸を張って言う。
「強いよ! 僕よりずっと長く戦っていたからね。でもミューノイズにはもっと強い奴がいた。ひょっとしたら君が戦ったような幹部レベルの連中かもしれない」
自分が果たしてこの先戦い続けられるのかどうか不安になってきた。
「だが、今俺が話したいのはそんなことじゃねえ。お前の仲間からリクエストがあったから、それをてめえに奏でに来たんだ」
「リクエスト?」
調は異様に気になった。律真からこういう話を聞くのは初めてだったからだ。戦士としての面しか知らないので、ずっと演奏家としての律真に関してはほとんど知る所がなかった。
「有亜が、ずっと昔に温めていた音楽を倉香って奴に完成させてもらったそうだ。お前に聞いてほしいんだとさ」
調は意外だった。有亜は作曲をもうあきらめたはずじゃなかったのか。そんな昔のことにまだ未練を抱いていたというのか。
「……有亜が?」
「じゃ、始めるぞ」
黙って律真は弾き始めた。音代として戦う時の律真とは真逆に静けさだった。この時の律真は、荒々しい音代ではなく、実直な演奏家であり、音色を――それも人に頼まれた音色を――奏でることに真摯に向き合っていた。
荒々しい響きを奏でる律真が、こんな繊細な音色を鳴らせるのか、という驚きがあった。
そして、有亜がずっと胸に秘めていた音色を初めて聞いたことにも、何とも言えない胸騒ぎがした。
そんな音を聞いてどうするんだろう、と最初は思っていた。だが、律真の静かで、荘厳さすらある音色にただ気おされ、大人しく聞いていた。
――こんなはずじゃなかった。本当は、対立なんてしたくないのに。
実の所、律真はそこまでこの音楽に入れ込んでいたわけではなかった。何て感傷的な曲だ、これくらい誰にだって弾けるという見下した思いすらあった。
だが、調や有亜の顔を思い出すと、そんな馬鹿にした気持ちを表に出すのはよくないと改めた。演奏家の端くれとして、人が心を込めて作った音色を腐すことなど彼には絶対できなかった。
――一セントの硬貨にでも、今は願いをかけたい。願いがかなったら、どんなにいいことだろうか。でもこの世界に都合のいいまじないなんてない。砕け散った絆は元には戻せない。ただ、それを繋ぎなおそうともがくことしかできない。でも祈りだけは周りに響いてほしい。
他の誰でもない、有亜が求めていた旋律だと思うと、調はそれを守りたいと心から思った。
調は、自分の音色が蘇るのを感じた。
傷口から漏れていた大切な物を取り戻しつつある気がした。
「……戦えるかもしれない」
調はつぶやいた。
「本当に?」
驚いて鍵二。
「痛みが消えたような気がします。まだ本調子とは言えない感じですけど」
調はまだ完全に意気を取り戻したわけではなかった。しかし、ただどうしようもない現実に悄然としているだけの少女ではもはやなかった。
音代として戦わなければならない。たとえ理由が分からなくても。いや、分からないからこそ叩けるのだ。見返りを期待したら、もう戦い続ける気力など見つけえないのだから。
気づくと、有亜と倉香がいた。
「良かった……! 力を取り戻してくれたんだね!」
倉香は感涙のあまり涙を流している。
「信じられない……こんなことが」
有亜は、呆然としていた。自分がやったことを喜びたいが、そうしたくていいのかどうか迷っているようだった。
突然、背後にあった柱時計に灯った閃光が、着地すると同時に上に伸びて人の形をとる。
「紐奈!」
「きゃっ! 何!?」
声を挙げて驚く倉香。有亜は叫びこそしないが目を丸くしてそこに硬直する。
「こいつはそういう能力の持主だ。別に驚くことでもない」
事情を早口で説明する紐奈。
「調が心配だからついて来てたの! いや、電線に寄生して途中から話聞いてたんだけどさ、本当に調が力を失っちゃうのかどうかと心配で……」
紐奈はそれから顔を明るくして、
「でもよかった! 調が本来の力を取り戻してくれて」
しかし、男二人の方は手放しで喜んではいなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。嬉しいことではあるが、何で有亜の音色を聞いたら調が回復したんだ? 有亜は音代の力を持っていたのか……?」
「もしかしたら、そうかもしれない。でも……」
突然、雑音が響き、彼らは身震いがした。
強力なミューノイズの気配だ。
あの時の傀儡が一体、調たちを見下ろしていた。
「音代の諸君!」
傀儡の肩に、小さい少年が立っていた。
「あーっ! あの時の!!」
紐奈が彼を指さし叫ぶ。
「さすがだよ、音色を取り返すなんて。でも、そのままにしちゃおけないな!」
少年の笑いの背後に、明確な危機感や怒りがあった。
彼らを嘲笑したいが、そうしてもいられないないという焦燥。彼らも彼らなりに悩んでいるというわけだろう。
もっとも、同情している暇はないが。
「君たちが探しているのはこいつらだろう?」
傀儡の手のひらに、ぐったりとしている盤子と鼓が載っていた。
「どうして!? 二人を今すぐ返して!」
「だったら僕達との戦いに勝つことだね。ちょうどあの人が君に復讐したがってるんだ」
「うるわしき狂騒か……!」 腹を立ててその名を叫ぶ律真。
だが旋律は他人事のように、頭を欠きながらぼやく。
「何であの人が君に復讐したいのか、実は僕もよくわかんないんだ。ひょっとしたら人間の音色の根源に近づきすぎて、悪い所まで人間にかぶれちゃったのかもしれない。心が乱れたら素晴らしい音色は奏でられないからねぇ……」
「冗談じゃない。人間から音色を奪っておいて、何が『奏でる』だ!!」
憤慨した調は周囲の環境にも関わらずギターを鳴らして、炎熱を纏おうとする。
すると傀儡から冷気が漂い、調の音色を打ち消した。
「おっと、ここじゃあちょっと戦うには不都合だよ。ちょうど君たちにふさわしいステージがあそこにあるだろう? 君たちが準備を整えた後の夜、セッションを楽しみたいと思うんだ」
校庭の方を指さす旋律。
「そこで君のお友達をめぐって戦い合おうじゃないか。では、君たちの訪問を待っているよ……ではさらば!」
「おい! 待てっ……」
律真が腕を伸ばすが、言い終わる前に少年と傀儡は霧のように薄れて消えてしまった。
彼らは、立ち尽くしていた。
「調、行くの?」
おそるおそる尋ねる倉香。
「行くよ。だって鼓と盤子を助けなくちゃいけないんだから」
調の顔に迷いはなかった。
「五人で一つの北極星だもんね。私は戻って来る。絶対に」
紐奈は頼もしげに調の表情を見た。調も紐奈を見返してにこっとした。鍵二は、元気を取り戻した調に安心し、律真ははにかむように目を背けている。
だが、有亜だけはまだ、心の底から笑顔を浮かべることができずにいる。金手フェスまであと少ししかないというのに、あまりにも解決すべき問題が多すぎる。
(その時、心を一つにして演奏できるだろうか?)




