Session.14 失われた音色を求めて
木枝は傀儡たちを見ても、さして怯えた顔色は見せなかった。むしろ、さして脅威だとは考えていないようだ。
「見かけは立派やが……いかいだけの鴨もええ所やな」
木枝は両手に、丸い尖端のついた杖を持っていた。
「ほなら木枝はん、頼むで」
木枝は一瞬虚空を見上げ、何かを見据えるような視線を向けたが、次の瞬間にはそれを下の木盤に対して向けていた。
両手の棒が、綺麗に並んだ板の上に嵐を巻き起こした。
――荒野をチーターが疾駆する。立派に生えた毛並みが風を受けて踊り、叫ぶ。
マリンバの音は軽やかでありながら、実際よりもずっと重く鈍く、そこにいた人々に響いた。
――全力を、目の前の獲物に向ける。彼は心の中でつぶやく。「獲物がいたぜ」と。
天から降る巨大な球体が傀儡を押しつぶした。
球体は転がりながら、続けて容赦なく傀儡を地面にすりつぶしていった。
「うわあああ……!!」
さまよえる旋律は両手を挙げて、絶叫した。
「僕の大切の玩具たちを! よくもおぉぉ!!」
調たちは唖然として何も言うことができなかった。
(強い! ……何なんだあいつらは)
律真ですら、こうつぶやくことしかできなかった。
「マリンバは戦略兵器だったのか……」
そこに忍び寄る軸実の音色が、巨大な木の球をかろうじて避けた傀儡たちの足元に鋭い冷気を吹き寄せ、足止めする。
「後はやってくれはるな?」
親しげに軸実は調に言った。名前も知らない人ではあったが、同じ音代であるなら疑う理由などない。
「は、はい!」
調は両脚を大きく広げ、腕を前後に伸ばしてギターを構える。
最後のリフを決めると、巨大な熱が目の前へとほとばしり、傀儡は粉砕された。
旋律は憤り、
「くそっ! 勝負はここでお預けだ!」
そのまま背を向けると思いきや――
「これでも食らえ!」
リコーダーを吹いた。
その音色が調の胸を貫いた。
「調!」
駆け寄る律真。
しかし、一瞬だけ苦い顔を浮かべた後、もう一度戦意を起こし、
「こ、こんなのどうってことない!」
ギターを再び鳴らそうとしたが、もうすでに旋律は調の攻撃の射程外にいた。
「さて、どうかな? だがこの決着は必ずつけてやる!」 負け惜しみを言うように。
「待ってよ、まだ――」
紐奈は立ち上がって再び光へ収束しようとしたが、もうそれだけの力がなかった。
「やめなはれ。今の力ではあれに太刀打ちすることはできひん」
紐奈は不満げな表情だった。きっともう少し活躍したかったのだろう。
紐奈をなぐさめるよりもまず軸実たちへ近づき、調は喜んで礼を言った。
「ありがとうございます! さっきはあの、ものすごい戦いぶりでしたね……あの、お名前は?」
「軸実どす」
「木枝や。さっきの傷、痛むか?」
「いや、大丈夫です! これくらい何ともないですよ!」
体を左右に揺らして、ピンピンしていることを強調する。
軸実は心配するように、
「ご自愛しなはれや。奴らの音色に刺されると数日はえらい思いをせんとあかんさかいな」
「ありがとうございます」
しかし木枝は内心不安だった。
(ミューノイズの『高音』があれで大人しく引き下がるとは思えへん……明らかに何かあるはずや)
律真も、調の中に傷んだ音色があることを察していた。
「気を付けろよ。奴の効果でどんな異変が起きてるか分からないからな」
(みんなに心配なんてかけられるわけない。もうすぐ金手フェスにも出場しないといけないのに)
調にとってはこれは非日常だった。そして非日常よりは日常の方が大事だった。
帰宅してから、すぐに調は自室に入り、ベッドに横になった。
「あら、意外と機嫌がいいじゃない」
疲れているだろうに、やけに嬉しげな娘の様子を見て目を丸くする夢見。
「その……まあ、いいことがあって」
音代の仲間に会って協力して戦った、などとは言えそうになかった。
だがそれ以上に――もう紐奈は戦友なのだ。単なる関係者などではない。
「紐奈の音色はすごかったよ」
「えへへ……ありがとう」
紐奈は照れた。
「空も飛べるし、音も四方八方に飛ばせるし……かなり便利な能力じゃん」
「う~ん、まだ使いこなせてないような気がするんだよね。また色々、経験値を積む必要があるし」
紐奈はそれから、
「じゃあ、私はこの花瓶の中に宿っていい? あまりお母さんに気づかれたくないし」
「宿れるの?」
「狭い所ならどこにでも。光子生命体は普通、光電子増倍管って所で地球だと保管されてたんだけど、ここにそういうのはないし」
「光電子増倍管?」
調が知らない単語について聞こうとする前に紐奈は光になり、花瓶の中に収まってしまう。
「あっ、私は人間だった! じゃ、お休み!」
紐奈は、自分を人間だと思い込もうとしている。しかし実際には、人間でも光子生命体のどちらでもあり、どちらでもない境遇に人知れず葛藤しているのだ。
なかなか調は、寝付くことができなかった。
(違う。これくらい大したことじゃないはず)
ミューノイズにどんな攻撃をされたかなんて、怖くて知りたくなかった。
数日後、調は、またいつも通りの練習を始めた。
そしてその時、異変に気付いた。
どうやったら、いい音が出せるのか分からないのだ。
これまでだったら、なんてことのないギターが、やけに重く感じる。
「うまくできないわけ?」 鼓が厳しい声で。
「ちゃんとやってるよ!」
調は声を荒げた。しかし、何度やってもろくにいい音が出なかった。
ついに耐えかねて鼓が言った。
「あのさ。調は最近いつもそうだよね」
明らかに鼓の口調には棘があった。
「鍵二さんが色々話してくれたけどさ、私には全然理解できない。調が。私たちに一体何がしたいの?」
目をそむけるばかりの有亜。倉香は、縮こまるばかりで何も言うことができない。
鼓の言葉に、調の神経は張り詰めた。そう、それが普通の人間の反応なのだ。
誰もこんなことを信じたりはしない。
「ちょっと、鼓……」 倉香がたしなめようと。
しかし鼓はさらに険しい顔になってこう言った。
「調のせいなんだよ。私たちがこんな意味不明なことに巻き込まれるのは!」
調は驚いた。
「……は?」 それから、急な嫌悪感を催した。
「あんたがやけに遅刻したり、いきなり大きな音を鳴らしたりするようになってから、私たちの日常はおかしくなってしまったんだよ。ミューノイズとか、音代とか……分からないけどさ、もういい加減私たちを変なことに巻き込むのはやめて!」
調の額に血が上った。
「……何だよ。せっかく私が明るく振舞おうとしてるのにその物言いは何だ」
仲間を見下すように、
「私がどれだけ苦しんだか分かってる? あんたたちが元に戻れた私のおかげ。それなのにあんたたちは私に感謝しないの?」
鼓も鼓で、調の物言いには度し難い傲慢さを覚えた。
「知らないよ、そんなの。私たちはただライブ活動がうまくできればそれでよかったのに、あんたがそれを乱したんだ!」
赤い顔になった調がゆっくりと鼓に近づいた。
突然冷水が飛んできて二人の顔を濡らした。
グラスを片手に、長い髪の向こうから盤子が見つめていた。
「落ち着け。二人とも」
長く話すのが苦手な盤子は、ただ、うつむきながら押し殺すような声で言った。
「そんなの、私が知ってる二人じゃない」
盤子の目つきがどうなっているかは分からないが、とても苦しい、悲しい目をしていることは分かる。
その辛い表情と、中の気持ちを想像しただけで、調も鼓も、争う気持ちにはならなくなってしまった。有亜は依然として外の光景を眺めている。
どうして、こんなことになってしまったのか。
金手フェスの後、『夢幻戦隊ファントムファイブ』が前作『傾戦隊バサラマン』と対決する劇場版作品が上映されるので、みんなと一緒に鑑賞する予定だったのだ。
しかし、これでは和気藹々と見ることなどとてもできそうにない。
調は呼吸を荒くしていた。
音代として戦えなくなる以上に、演奏する者としての命を絶たれることが何より怖ろしかった。そして、もう二度と四人の前にいられないことが。
調は逃げてしまった。鼓も調とは反対側の扉に出てしまった。
「ちょっと、二人とも!」
盤子は彼らを追って出て行ってしまった。
そして倉香と有亜だけがその場に残された。
旋律はほくそえんだ。今頃調は心の音色を少しずつ吸われている所だろう。
(有亜って奴の音色から抽出した力……狂騒からもらっといてよかったよ)
「ずいぶん調子に乗っているようね」
うるわしき狂騒が床に座り込み、不機嫌そうに目を細める。
「同じミューノイズ同士、仲良くしようじゃないか。君の音色のおかげだよ。あいつに一矢報いることができたのは」
「何を言っているの。あの女――六条調に報復するのは私なんだから」
狂騒が手にしていたのは『宵闇の黄昏』。あの時調が破壊したはずの黒いギターだ。
ミューノイズの力をもってすれば、損なわれた力を復元することなどたやすいこと。
「今度は人間の力を使わずに、私の手で奴を倒すの」
苦笑する旋律。
「『倒す』なんて穏便じゃないなぁ! 僕たちは自分たちの音楽を完成させるんじゃないのか?」
「あの戦いを通して、その女には深い恨みを持ったわ。ああ、この恨みが高らかな響きをもたらしてくれる……」
狂騒は自分自身の夢に酔いしれるように、恍惚とした表情を浮かべていた。
「奴らを甘く見るなよ。何せ一度はしてやられたんだからな」
立って二人の会話を聞いていた静寂が諫めるように言うが、狂騒は聞く耳を持たない様子だ。
倉香は、泣きそうになった。
五人で一人の北極星じゃなかったのか。
いがみ合ってどうするのだ。
しかし、泣いてばかりいるわけにはいかない。木枝と軸実と会って、彼は音代が怪しい存在ではなく、明確な信義の元に戦っている人たちだと知っていた。
彼らに対して恥じるようなことがあってはならないと倉香は思った。なら、やることは一つ。
座り込んだままの有亜に対して、目線を同じにして呼び掛ける倉香。
「有亜」
最初、有亜は答えたくなかった。
自分に責任があると有亜は思っていた。しかし、それを調には口に出して言うことはできなかった。なお有亜はプライドに囚われていた。
しかし、倉香にはまだそこまでわだかまりを抱いていなかった。深い関係ではなかったからこそ、まだ軽い気持ちを保つことができた。
倉香は、あの二人のカラッとした雰囲気を思い出しながら、横に座る。
「……すっかり、みんな辛気臭くなってしまったよね!」
有亜は、倉香の方を向かなかった。しかし倉香は気にしなかった。
「集まった時は、こんな風じゃなかったのに。いつの間にか、みんな腹に何か後ろめたい物を抱え込むようになっちゃった」
倉香も有亜に無理やり向き直ろうとはしなかった。これでいいのだ。しいて向き合おうとしても、辛くなることはあるのだから。
有亜はただ、自分の世界にこもるようにしてつぶやく。
「私、自分がどうしたらいいか分からなくなった。昔みたいに、純粋な気持ちで歌うことができない」
「そっか! 私もさ、みんながあんな風になってるからすっかり演奏を楽しめなくなっちゃって」
倉香は、空元気で笑った。
「ねえ、有亜。有亜って元々は演奏がしたかったんだよね」
「……それが何。今更、もう演奏に回ることもできないのに」
「ううん。昔の有亜がどんな感じだったんだろうって、知りたいだけなの」
倉香と有亜は、向き合わなかったけれど、同じ方向を向いていた。その先には、五人を映した写真が貼ってあった。
「本当に私たちがしたかったことって、何だったんだろうって」
倉香は続けて、
「人を喜ばせるとかじゃなくて、私たち自身が楽しむことばっか考えてたじゃん。ずっと、自分たちの中身だけを追求してた奴らだった」
有亜は、倉香がここまでしゃべる人間だとは思わなかった。盤子ほど口下手ではなかったが、かと言って調や鼓ほど自分から話しかけてくる人間ではなかったからだ。どちらかと言うと、他人から話しかけられることで初めて積極的に何かを語るタイプだった。ファントムナインの話題に関してもそうだった。
「有亜は……どんな音楽が弾きたかったの?」
「遠い昔だよ。一つくらいは覚えてるけど……ほんの冒頭しか覚えてないし、その先は少しも作れない」
倉香は、ちょっとした頼み事のように、
「ね、お願い。ちょっと知りたいだけなのよ」
有亜は冷えた心の中で、何かが緩んだ気がした。
(よく考えたら、ここ数日、重苦しいことばかり考えてた)
初めて五人が集まった時は、純粋に音楽を楽しむことだけを考えていた。だが、学校の内外でライブなどもやって、実力をつけていく内に、どうやってより人気を得るためのパフォーマンスができるのかとか、そういうことに関心が向くようになっていった。そして、だんだん自分が求められる実力通りに歌えなくなっているのではないかと考え、楽しめなくなっていった。
あの時だった。ミューノイズに誘われたのは。そして自分ができる奴だと思わせるために、調を蹴落とそうとした。そして未だに、やり場のない感情のしこりを調に向けている。
(私なんて、許されるわけない)
倉香が、音色を待っている。
有亜は、リフを思い出そうとした。
世界中で有亜にしか弾けない音楽だ。たとえどれだけの天才であっても、有亜の音楽は有亜にしか編み出せない。ただ、一人一人の才能には限界があるだけで。
有亜はハミングで伝えた。
――こんなはずじゃなかった。本当は、対立なんてしたくないのに。一セントの硬貨にでも、今は願いをかけたい。…
だが、途中までだ。有亜は、そこから先を想像することができない。
「どんな曲にしたいの?」
倉香は好奇心に満ちた顔で尋ねた。
「勇気づける歌、だったかな。我ながらなんて青臭いんだろう……」
有亜は、はにかんだ。
何も知らなかった頃だ。まだどんな才能もなかった頃だ。その時には色々な分岐点があった。枠にとらわれない可能性があった。しかし、才能を磨けば磨くほど、その選択肢は次第と薄れて行き、ただ一つの決まった道を行くだけの、電車のようになってしまう。
今、自分がやっていることはそのレールからちょっとだけ逸脱することなのだ、と有亜は思おうとした。これは何かで人に勝るためではない。
ただ、自分の知らない姿を探り当てるための、ほんの遊びだ。
「ちょっと待って。」
楽器を取って来て、倉香は演奏を始めた。
有亜のリフをベースで再現した後、しばらく倉香は考え込んだ。それから思いついたように、
「メロディにいくつか候補があるんだけど……どれがいい?」
「何種類ある?」
「四種類。どれが有亜のお気に入り?」
有亜は、ポラリスのことも、できるだけ考えないようにして、ただ倉香と一生懸命に、この遊びに打ち込むことにした。
この間鶴舞邸でも、ちょっとした動きがあった。
音色が聞こえてきたので、すぐに弓刃は姉の部屋に入って来た。
姉は果たして、演奏を行っていた。それは紛れもなく、彼が元々弾いていた音楽だった。
弓刃は、たまらなくなって姉を呼んだ。
「お姉様?」
弦奈の顔色が、明らかに前と違っていた。はっきりとした生気が感じ取れた。
ヴァイオリンを片手に、弓刃に、
「私も……戦えるみたい!」




