レベル8魔界沼地
森林を抜けた私たちを待っていたのは、見渡す限りの泥水と悪臭が広がる『魔界沼地』だった。
「うわあああ! マッドフロッグの泥吐き攻撃、モロに食らった! 口の中に泥がぁぁぁ!」
「ちょっとアキニャンニャンちゃん、油断しすぎ! ああっ、私のローブまで泥跳ねが!」
なんとかカエルの魔物の群れを退けたものの、私とリリーメルは文字通り「泥人形」と化していた。
「最悪……。ねえアキニャンニャンちゃん、今日って国王陛下に『魔界探索の進捗』を報告する定期謁見の日よね?」
「あ、ヤバ。そうだった。魔王討伐のスポンサー様を待たせるわけにはいかないな」
「こんなヘドロの匂いをさせたまま王城に入ったら不敬罪で首が飛ぶわ! 街に戻って、フルコースで磨き上げるわよ!!」
かくして、王都の高級宿屋に戻った私たちは、リリーメルによる『強制・淑女の身嗜みフルコース』を受けることになった。
「いい!? 沼地の泥は毛穴に入るの! 洗顔の前にクレンジングオイルで念入りにマッサージして! 髪も今日は泥落とし用と保湿用の『2回洗い』よ!」
「ひええ……戦いより工程が多い……っ!」
なんとか泥を落とし切った私を待っていたのは、さらに過酷な試練だった。
「さあ、着替えるわよ。謁見用のドレス、一番似合いそうなのを選んでおいたわ」
「ドレス!? 動きにくいだろそんなの! いつもの旅の服じゃダメなのか!?」
「バカ言わないで。王族にお目通りするのに冒険者の土気色装備なんてマナー違反よ! ほら、腕を上げて! コルセット締めるわよ! ふんっ!!」
「ぐぇっ!? 息っ、息ができない……っ!! 内臓が口から出る!!」
「女の子はね、気合で内臓の配置をズラしてくびれを作るの! メイクも砂漠の耐久仕様とは違うわ。今回はお城のシャンデリアの下で映える『上品なツヤ感と血色感』を重視したフォーマルメイクよ!」
一時間後。鏡の前に立っていたのは、フリルのついた上品なドレスに身を包み、ほんのりと頬を桜色に染めた、見違えるほど可憐な美少女(中身は元・脳筋勇者)だった。
「(……誰だこれ。俺の面影が1ミリもねぇ……)」
「ふふん、私の完璧なプロデュースね。さあ、お城へ向かうわよ!」
王城へ続く大通りを歩いていると、当然のように周囲の視線が集まった。賢者として名高い美女リリーメルと、見慣れない美少女のコンビは悪目立ちしすぎる。
「へえ、見ない顔だね。そこの可愛いお姉さんたち。今からお城? そんな堅苦しいとこやめてさ、俺たちと酒場に行かない?」
絵に描いたようなチャラい冒険者の男二人が、ニヤニヤしながら道を塞いできた。
男だった頃の私なら、肩がぶつかっただけで「あぁん? ぶっ飛ばされてぇのか三下?」とガンを飛ばして終わる話だ。
「おい、邪魔だ。さっさとそこをどかねぇと、そのヘラヘラした顔面をカチ割るぞ」
凄みを効かせたつもりだった。しかし、声帯が短くなった今の声では、ただの「ちょっと気が強いツンデレお嬢様の可愛い威嚇」にしか聞こえない。
「おっ、おっかないねぇ! そういうツンツンした子、嫌いじゃないよ〜」と男たちが逆に喜んで手を伸ばしてきたその時。
「アキニャンニャンちゃん」
リリーメルが私の前にスッと立ち、男たちに向けて『絶対零度の冷たい微笑み』を向けた。
「ごきげんよう。私たちは王族の招きを受けておりますの。もしこれ以上道を塞ぐというのでしたら……あなた方を『王室への反逆者』として、この場で消し炭にしてもよろしくて?」
杖の先端に特大の炎魔法をチラつかせたリリーメルの迫力に、男たちは「ヒィッ!」と悲鳴を上げて逃げていった。
「いい、アキニャンニャンちゃん。女性がナンパをあしらう時、あんな風にヤンキーみたいに凄むのは三流よ。相手を勘違いさせないよう『絶対的な無視』か『冷酷な笑顔で社会的地位を盾に殺意を放つ』のが淑女の護身術よ」
「(……淑女の護身術、物騒すぎないか?)」
なんとか王城に到着し、私たちは重厚な扉を抜けて王座の間へと進み出た。
「よくぞ戻った、賢者リリーメルよ。して……そちらの見慣れぬ美しい娘は?」
玉座に座る国王が私を見て目を細めた。
(よしっ、ここは元勇者としてビシッと挨拶を決めてやる!)
「はっ!」
私はいつもの癖で、右の拳を左胸に当て、片膝を床に強く突き立てる『騎士の礼』をしようと勢いよくしゃがみ込んだ。
「ビリッ!」
「あっ」
ドレスのタイトなスカートの裾を思い切り踏み抜き、あわや太ももが全開になるかというギリギリのところで、リリーメルが私の足の甲をヒールの踵で『ゴスッ!』と力一杯踏みつけた。
「ぐぎゃっ!?」
「……こ、この者はアキニャンニャンと申します! アキラが別命を受けている間、私の護衛を務めてくれている、たいへん『お転婆』な戦士でして!」
リリーメルは顔を引きつらせながら私の首根っこを掴み、無理やり立たせると、スカートの端を両手で持たせた。
「(カーテシーよ! スカートを軽くつまんで、片足を斜め後ろに引いて、優雅に膝を曲げてお辞儀しなさい! 早く!)」
「(か、かーてしー!? 何その足腰をプルプルいじめるスクワットみたいな体勢!?)」
慣れないヒールと、締め付けられたコルセットのせいで息も絶え絶えになりながら、私はガクガク震える足でなんとか『淑女のお辞儀』のポーズをとった。
「お、お初にお目にかかりましゅ……。アキニャンニャンで、ございます……」
「ほう! 美しいだけでなく、初々しく奥ゆかしい娘よ! アキラには悪いが、余の妃に迎えたいくらいだな、ガッハッハ!」
「(……男のすべてを譲った上に、王様の愛人にされそうになってるんだけど!? 誰か助けて!!)」
泥まみれの戦闘よりも、コルセットとマナーという見えない鎧に締め付けられたお城での謁見は、アキニャンニャンのHPを限界まで削り取るのだった。




