文化祭後
「終わっちゃいましたねえ」
「うん、終わったね……」
たった一日の祭りは、花火のように一瞬で。それでも鮮烈に焼き付いていて、何度も何度も思い出すもの。
文化祭の翌日は日曜日。
土曜日代休で月曜まで休みだ。昨日からの秋晴れは続いており、高い空の下の小さな公園のベンチで、花は倉内楓とぼんやりしていた。
昨日はお互いにバタバタしていて、会えたのはあれ一回こっきりだった。クラスメートに打ち上げに誘われていたが、花はくたくたに疲れており、辞退して家に帰った。そのまま、夕飯も食べずにバタンキューだった。
朝、目を覚ました花は、メールが来ているのに気づく。倉内からだ。クッキーのお礼をしたいので、今日ちょっと出てこられないかという内容だった。昨夜、花が熟睡している真っ最中に送られてきていた。
お礼なんていいですよと返そうとしたが、花の中にはまだ文化祭の火種が残っていて、話がしたいこともあった。メールにぐっすり寝てしまったこと、文化祭の話がしたいこと、でもお礼は気にしないでということ、を返信した。
その十秒後に返信が帰って来てびっくりした。倉内も昨日は早く寝たのだろうか。
白いパーカーにジーンズで、約束の公園に十時三分前に到着すると、もう倉内は来ていた。ちょうど互いの家の真ん中あたりにある公園だ。彼もまた白いパーカーで、互いを見て「あ」って言った後、気恥ずかしくなって二人で笑った。
「あ、これ……ク、クッキーのお礼」
「安いお菓子ですからお礼は……」
彼がそう言い出して、おなかのカンガルーポケットに手を入れた。けれども出てきた薄い紙の袋を見てつい興味がわいた。市販のものではないのと、すぐに分かったからだ。
「厚紙も、入れてるから、曲がってないと、思うけど」
ゆっくりしゃべりながら差し出されるので、彼女は首を傾げながらも受け取ってそれを開けた。
「わあっ」
思わず、声が出た。
袋の中身は三枚の写真だった。
一枚目は、後ろを向いてしっぽを垂らしている白猫クッキーの写真。アイシングの縁取りの線の揺れさえも、その鮮やかな写真には映し出されている。
お礼を言おうとして、まだ気が早いことに気づく。あと二枚は何だろうと次の写真を見る。
二枚目は、彼の愛猫フルールの写真だった。
それだけなら珍しくはないのだが、花を喜ばせたのは、フルールがクッキーとほとんど同じポーズで映されていたことだった。要するに、フルールの後ろ姿だったのである。
椅子の上に座って向こうを向いていて、その尻尾が椅子から垂れている。クッキーがそのまま猫になったような写真。思わず笑顔になって倉内を見ると、恥ずかしそうに視線をそらされた。
わくわくが止められないまま三枚目を見ると、クッキーとフルールが仲良く並んで座っている写真だった。どう見ても合成写真だ。けれどもこうして比較すると、本当によく似たポーズなのが分かる。
「ふふふふ……可愛いですね」
こみあげる笑いを、花は抑えきれなかった。口元を引き締められないまま、どの写真を見ても笑ってしまう。
「う、うん……クッキーを見てたら、ま、前に撮った写真に似てるって思って、フルールの写真フォルダから探したら……ぴったりなのがあって……」
噂のフルールフォルダの話が出て、また花は笑った。少し前、フルールの写真が何枚になったかと聞いた時に、「せ、千枚くらいかな……フォルダ整理しないといけないんだけど、フォルダ開けると見入るから、いつも整理が出来ない」と答えられたことがあった。
相変わらず見事なフルール馬鹿だ。
そんなフルール馬鹿からの愛のこもった写真を、花はとてもむげには出来なかったし、何より彼女自身がすっかりこの白猫たちを気に入ってしまった。きっとこれから見る度に、何度も何度も笑顔になるだろうと思った。
写真というものには、笑顔の記憶も一緒にしまっておくことも出来るのだと、花は三枚の写真で感じていた。
「ありがとうございます、大事にしますね」
三枚の写真を、ひとつの写真立てに入れて飾ることに決める。日によってどの写真を一番前にするか、気分で変えればいい。とりあえずは、二匹の仲良しにゃんこをしばらく飾ろうと、三枚目の写真を一番上に置いて、また紙袋に戻した。
「そうだ、楓先輩の写真はないんですか?」
写真を自分のカンガルーポケットに入れようとしたが、うっかり曲げてしまうのが怖くて手に持ったまま、彼女は笑顔で隣の倉内を見た。うっと言葉に詰まる。
「うちのお母さんに話したら、すごく見たがってました」
昔はよく舞台とか見に行ったわねーと父親に話しかけて、父が照れるという珍しいシーンを見た花だった。
「撮ってないよ……」
「そうですか、残念ですね」
その返事に、花はしょうがないとあきらめた。
彼は女子のように、撮影大会はしなかったのだろう。あるいは、あまり好きではなさそうだったので、自分の手元に残したいとは思わなかったのか。
「は、花さんは……」
「え?」
ゴホンゴホンと咳き込んだような音の後、すごく小さな声でぼそぼそしゃべられて、花はよく聞こえずに彼の方にちょっと顔を近づけた。それにびくっと倉内が顔を引く。驚かせてしまったと、花は首を引っ込めた。
「あ、えっと、そ、その……は、花さんは、しゃ……写真、撮らなかったのかな……って」
驚いたまましゃべっているせいで、彼の言葉はめためただったが、とりあえず意味は花に伝わった。
「撮りましたよー。見ます?」
片手をカンガルーポケットに入れて、携帯を引っ張り出す。契約料金の安さだけで親が選んだガラケーだが、写メは撮れる。
「ええと……」
彼の方に携帯を差し出しながら、写真を呼び出してめくっていく。新しい方からだった。クラスの猫カフェの様子が大半だ。かぶりものの猫男子は一枚ずつ記念に撮らせてもらっている。
黒猫の親分、吉本くん。白猫のやんちゃな藤代くん。オス三毛猫は稀少なんだとレア度を訴えた三毛の原くん。地味でもちょっと可愛い茶猫の山田くん。セクシー禁止令を出されたマンチカン西崎くん。
興味があるだろう猫男子を、一枚ずつ補足説明しながら見せていく。白猫の藤代くんでちらっと倉内くんを見たら、苦笑いをしていた。やはり偽猫ではフルールの代わりにはならないようだ。
「猫たちはこんな感じですねー。面白かったですよ」
紹介が終わって携帯を引っ込めようとしたら、あらぬ方を見て「は、花さんの写真は?」と聞かれた。
まあそうなりますよねと、花は携帯を倉内に渡した。
「このボタンで、前の写真見られます」
さすがに自分の写真を、どうぞと一緒に見るのは恥ずかしい。大した写真は入っていないので、彼に委ねることにしたのである。その間、花はあらぬ方を向いていた。
しばらくした後、
「は、花さん……にゃんこカフェの写真……赤外線で何枚かもらってもいい?」
「え、そんなこと出来るんですか? 写メでどれか送ろうとかとは思ってましたけど」
「うん、多分出来ると思う……ちょっと機能欄開けるね」
そこからの花は、横からほけーっと見ているしか出来なかった。言葉の何倍も早い動きで彼の指が動きスマホと携帯を操作していく。ピコピコピッピとめまぐるしく変わる画面を追うのを、彼女は途中であきらめた。
魔法のような指が作業を終えて、綺麗に全ての画面を閉じてから「あ、ありがとう」と恥ずかしそうに携帯を返す。
白猫の藤代くんは興味がなかったようだが、お眼鏡にかなう猫がいて良かったと花も嬉しかった。一番可愛かった茶猫の山田くんは、きっと保存しただろうと確信した花だった。
それからは、文化祭の話をとりとめなくした。倉内のクラスの話は、大体において苦労話だったが、それでも彼がクラスの中で強く生き抜こうとしている意思を感じた。
公園に子供連れで遊びに来ている若い母親が、ちらちらと倉内を見ているのが分かる。目立つ人生も大変なのだと、花は彼を通じて初めて知った。
それでも彼は、ちゃんと前を向いて歩こうとしている。少しずつ改善している彼は、きっとそう遠くなく軽やかに歩けるようになるだろう。
そうなったら──
「花さん?」
ふっとよぎった何かを上手に掴むことが出来なかった花は、少しぼんやりしていたようだ。上手に受け答えが出来ていなかったことに気づいて、慌てて「大丈夫です」と答えた。
「おなかがすいてきたみたいです」
きっとお昼が近くなってきたからぼんやりしたのだと、花は結論づけた。
「あ、うん、そうだね……じゃあ」
倉内が立ち上がった。
また明後日、学校でと別れるかと思ったら。
「じゃあ、家まで送るよ」
最後までちゃんとするのが男の仕事──前に彼に、そういうことを言われた。家庭内紳士教育の威力のすごさを思い知った花だった。
送ってもらって家について。
「今日は、ありがとう、花さん。楽しかった」
「はい、私も楽しかったです。写真ありがとうございました」
いつもの定型句を、どもらないように殊更ゆっくり口にする倉内の言葉を聞き終わって、彼女もお礼を返す。
いや僕が先にクッキーを、でも写真も嬉しかったので、と何度かお礼合戦になった後、二人で笑って手を振って別れた。
「ただいまー」
お昼を食べる前に、もらった写真を飾ろうと思いながら、花は玄関を開けた。
白い猫と白いクッキーの猫。
仲良く並ぶ二匹の猫の後ろ姿は、これからもふとした折りに花を笑顔にさせてくれることになるのだった。
【文化祭編 終】