第七話 ご飯はスプーンで食べてくれ
我が家は現在、旦那の両親と同居している。じじとばば、それから私たち夫婦と子供二人。にぎやかを通り越して、時々戦場みたいになる三世代同居である。
そんなじじは、昭和の頑固親父を地で行くタイプの人だ。「子育ては若い世代に任せる」が口癖のくせに、目につくとちょいちょい口を出してくる。理屈屋で、気分屋。機嫌がいいときは孫にでれでれだが、一度スイッチが入ると、正論を延々と展開してくる。
食事を、スプーンと手づかみの両方で食べる長男。それでも最近は、スプーン率がじわじわと上がってきている。きっかけは、母ちゃん不在の夕飯時に、じじから叱られたことだった。
その日、私は職場の人の葬儀に出ていて、夕飯の時間には家にいなかった。
留守中、その日の献立はカレーライス。カレーはどちらかというとスプーンで食べやすい部類のご飯だと思うのだが、長男はよりによってそれを手づかみで食べていたらしい。それを見つけたじじが、がっつり叱った。
「ワカッタ!ワカッタ!」
その場では元気に返事をして、スプーンで食べ始めたそうだ。
ところが、しばらくして私が帰宅すると、真っ先に妹が飛んできて背中に張り付いた。「おかえりー!」と、いつも通りの元気な声である。
その後ろで、長男の顔が、ぱっと嬉しそうに緩んだ。あ、ママ帰ってきた。そんな顔で、こちらへ歩み寄ってこようとする。
――と思ったら、その途中で、急に顔がくしゃっと崩れて、ギャン泣きが始まった。
今、思い出しても笑ってしまう。あの一瞬の「にっこり」から「ぐしゃっ」までの落差である。どうやら、私がいない間、ずっと我慢していたものが、私の顔を見た途端に決壊したらしい。
感傷的になっていた私の心をゆるりと暖める変化であったが、その泣き声に、じじがカチンときてしまった。
とっさに対応できる余裕もなく、夜勤明けだった旦那にギャン泣きの長男だけ投げ渡す。私は喪服のまま、正座でお叱りを聞くことになった。背中の妹は、いつの間にかばばが引き取ってくれていた。ありがたい。
「このまま手づかみで食べさせていて良いのか!この子の将来に関わるんだぞ!それに、もしあんたの実家に行ったときに手づかみで食べていたら、おかしいだろう!?あんたたち親の教育が疑われるんだぞ!」
(はい、わかっております。おっしゃる通りです。でも、叱ると逆効果になりがちなんです。あと、できれば私の今日一日分の感傷も、ついでに返してもらえませんか)
もちろん、そんな本音は口には出さない。神妙な顔で頷きながら、心の中でだけそう呟いた。
ところがだ。その日を境に、スプーンの使用率が30%から70%まで跳ね上がったのである。
母ちゃん、びっくり。
普段の私のやり方では、何度言ってもなかなか進まなかったことが、じじの一喝でこうもあっさり動くとは。外部からの、少し厳しめの叱り方も、たまには刺激になったのかもしれない。
それにしても、解せないことがひとつある。思い返せば、離乳食完了期にあたる二歳前後の長男が、実は一番スプーンの扱いが上手だった。こぼす量も少なく、すくう動作もそれなりに様になっていた。あの頃のまま維持してくれれば、こんな騒動にはならなかったはずである。
何故、後退した。維持してくれ。
とはいえ、長男の名誉のために言っておくと、原因の一端は道具側にもある。長男は今も、スプーンを上から握り込むようにして持つ。上手持ち、いわゆる二歳児の持ち方のままだ。手指の発達的に、まだそれが一番安定するらしい。
問題は、この「上から握る」に対応したスプーンが、なかなか手に入らないことである。基本的に、上から握るタイプのスプーンは1歳半〜5歳までのサイズしか想定されていない。
小学生の体格に合うサイズで、なおかつ握り持ち用の握りやすい形状のスプーン。結論から言うと、これがほとんど売っていない。正確に言うと、ネット通販を探せば出てくるにはくるのだが、値段がとんでもないことになる。
ところが先日、イオンで運命の出会いを果たした。長男の手にぴったりの、握れるタイプのスプーンが、お値段500円弱で売られていたのである。リーズナブル。持ち手が木製なので、衛生面には少し気を遣うが、そこはこまめに洗うことで解決とする。
おかげで長男も握りやすいらしく、心なしか食べるペースも安定してきた。このまま、このスプーン食べが定着してくれるとありがたい。
流石は天下のイオンである。マジで感謝。また買い物に行きます。
そんなことを思い出していた、今日の夕飯時。
「卵焼き!」
と、長男が皿に向かって手を伸ばす。
「うん、卵焼きね。おかわり、ください」
「オカワリ、クダサイ!」
「はい、どうぞ」
すかさず、妹も横から参戦してくる。
「ママー!ピキーちゃんのスプーンください!」
「はい、キティちゃんのスプーンどうぞ」
長男は、もらったばかりの卵焼きを、スプーンですくって美味しそうに頬張っている。その様子があまりに幸せそうだったので、つい聞いてみた。
「美味しいかな?」
「パンツー!」
「なんでだよ」
「あはは!にーにパンツって言ったー!」
妹が大笑いする横で、長男は素知らぬ顔で次のひと匙をすくっている。
その騒ぎを見ていたじじが、「ははっ」と穏やかに笑った。ばばも、頬を緩ませながら「長男、美味しそうに食べてるね」とにこにこしている。
卵焼きの感想を聞いたつもりが、まさかのパンツ発言。
それでも、じじとばばがこうして目を細めて見てくれているのだから、今日も我が家の夕飯は、ちゃんと平和に脱線している。
そうこうしているうちに、長男の皿もすっかり空になっていた。
「うん、全部食べたね。ごちそうさまでした」
「ゴパナシタ!」
「お腹いっぱい!ごちそうさまでした!」
食器を片付け、手を洗い、長男はもうすっかり夕飯のことなど忘れた顔で、いつもの並べ遊びに戻っていく。テーブルの上のことは、頭からきれいさっぱり消えてしまったらしい。
シンクで洗い物をしていると、背後からふと声が飛んできた。
「オイシー!」
「今言うんかい」
食べ終わってから、優に五分は経っている。忘れた頃にやってくる感想を律儀に受け取りながら、思わず苦笑いがこぼれた。
皿を洗いながら、母ちゃんは思う。
スプーンの持ち方も、感想を言うタイミングも、何一つこちらの思い通りにはいかない。それでも、こうして一つひとつのすれ違いごと笑えるのだから、それはそれで、悪くない夕飯だったのだろう。




