第六話 朝のひとときから思いを馳せる
朝食を妹がギャン泣き拒否。朝から元気いっぱいである。良かろう、交渉だ。
「何なら食べられる?」
「チーズパンなら食べる」
「はいはい。台所で食べられるかな?」
「お部屋で食べる」
「今日だけよ?」
「うん!」
元気に交渉成立。本人なりのこだわりがあったらしい。
二人分の板チーズを乗せたパンを焼き、部屋の机の上にセッティングしたところで、妹はようやく落ち着いた。
「チーズパン!食べル!」
とご機嫌な長男も席に着き、二人で並んで大人しくパンを食べている。
先ほどまでギャン泣きしていた妹も、今では何事もなかったかのようにパンを頬張っている。長男も特に気にする様子はない。
二人の間に、特別な会話があるわけでもない。ただ、それぞれが自分の朝食を食べている。
そんな、ごく普通の朝の光景。
その光景を眺めながら、ふと思う。一年前は、こんな光景を想像すらできなかった。
長男の言葉の発達が一段階すすみ、単語がポツポツと出始めた頃。
それまでは、周囲の人間が何をしているのかなんて、そこまで気にしていなかった。ところが、言葉が少しずつ出てくるようになり、認識能力も上がってきた。
周囲にあるもの。そこにいる人。自分以外の存在。そういったものに、少しずつ興味が向くようになった。
世界が広がったのだ。
ただし、広がった世界の中にどうにも気に入らないものがあった。同年代の子どもたちである。
保育園でも、様子は同じだったらしい。近くに他の子が寄ってきただけで威嚇し、手が出てしまうこともあったと、先生から報告を受けたことが何度かある。家での様子と完全に一致していて、聞くたびに苦笑いするしかなかった。
そして、我が家にも小さな魔王が誕生した。標的は、当然のように一番近くにいる妹である。
妹の声が聞こえただけで、
「ゔがあううっ!!」
と威嚇。
まだ姿すら見えていない。声が聞こえただけである。それでも威嚇する。
そして妹が近づいてくれば、アイアンクロー。さらに頭突き。そしてメンチを切る。
技のバリエーションだけは、やけに豊富だった。
おもちゃも、遊んでいる場所も、母親の膝の上ですら、全部自分のテリトリーだと思っている。そこへ断りもなく踏み込んでくる相手は、全員が排除すべき侵入者だった。
長男の中では、きっとこういう理屈だったのだろう。
自分の使っていないおもちゃを妹が触れば、即座に取り返しに行く。妹が何かをしたからというわけでもない。ただ、自分の世界に無断で入ってきた。それだけで、十分な宣戦布告だった。
それが今では。
時々、喧嘩はする。そりゃあ、兄妹である。毎日ずっと仲良しこよしというわけにもいかない。
ただ、大分妹もやり返すようになった。一年前なら一方的にやられていた妹が、今では「にーに!ダメー!!」と叫びながら、猫パンチさながらの反撃を繰り出すようになった。兄もまた、それを受け入れられるようになってきた。
そして今、二人で並んでパンを食べている。特に何をするでもなく。お互いの存在を気にしすぎることもなく。
ただ、そこにいる。
……いつの間に、こんなに平和になったんだろう。
そんなことを考えながら、二人の姿を眺めていた。
……そのときだった。長男が、妹の皿の上にあったソーセージをヒョイッと取った。
おい。何をしている。
妹を見ると、椅子の上で足を投げ出し、天井を眺めながら鼻歌を歌っている。すっかり食事そっちのけである。長男はというと、何食わぬ顔でソーセージを口へ運んでいる。
一口。
もぐもぐ。
見て見ぬふりも、そろそろ限界だ。
「妹よ。取られてるけど、良いのかい?」
その声で、ようやく妹が気づいた。自分の皿を見る。そこにあるはずのソーセージがない。そして長男の口元を見る。
「ああああああああん!!返してぇぇ!!」
ギャン泣きである。そりゃそうだ。妹の大事なソーセージである。
一方の長男は、妹が泣き出したのを見て、自分が半分齧ったソーセージを妹に返そうとしている。
おお。返そうとするのは偉い。
一年前の長男なら、奪ったものを返すという発想自体、なかなか出てこなかっただろう。
妹が泣いたのを見て、返そうとしている。偉いぞ、長男。
ただしそのソーセージは、君がもう半分齧っている。それはもう、君が食べなさい。
妹を宥めながら、そんなことを考えた。
昔は、妹が自分の世界に入ってくるだけで威嚇していた。今では、妹のソーセージを勝手に取って怒らせるくらいには、普通の兄になった。
……まあ、普通の兄妹でも、これくらいの取り合いはよくある話ではあるが。
そんな、朝のひとときだった。




