第五話 小児科RTA、96時間の記録
■金曜日
金曜日の朝、目が覚めると体が動かなかった。左を向いたまま金縛り、おまけに暑い。
恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに広がるもじゃもじゃの頭。妹が私の腹側にしがみつき、背中にはチョリチョリ頭の長男。まさかの、子ども二人による挟み撃ちである。
「……犯人は君達か」
しばらくその温もりを堪能してから、二人を左右に転がして起こしにかかった。
妹はいつも通り寝起きが悪く、揺すっても揺すってもなかなか目を開けない。一方の長男は、普段ならすぐに起きて、誰よりも早くカーテンを開けに行くはずなのに、今日はぴくりとも動かない。
嫌な予感を覚えながらそっと体に触れると、燃えるように熱い。もう一度触っても、やっぱり熱い。
そのとき、ようやく長男の目が開いた。にへら、といつもより緩んだ笑顔。母ちゃんの中で、嫌な予感だけがどんどん膨らんでいく。
体温計は、38.5度。
嫌な予感、的中。
そして、ちょうどそのとき起き上がった妹が、離床一発目に「ゴホッ」と嫌な咳をひとつ落とした。
――こうして、我が家の長い四日間が幕を開けた。
二人をいっぺんに小児科へ連れて行くことも、できなくはない。ただし、母ちゃんの精神衛生上、非常によくない。
病院の待合室で、長男は多動でどっかに行く。妹は喋り続ける。想像しただけでHPが削られた。
というわけで、午前は長男、午後は妹と時間をずらして小児科を受診し、それぞれいつもの風邪薬と解熱剤をもらって帰った。
長男は軽めの喘息持ち、妹は喘息予備軍。悪化する前に手を打つのが、我が家の鉄則である。
そんなこんなで、金曜日はなんとか終了した。
■土曜日
翌日になっても、長男の熱は下がらなかった。解熱剤で一時的に下げては、その隙に食べさせ、眠らせる。そんな自転車操業が続いた。
食欲は少し落ちているものの、まったく食べられないわけではない。水分も普通に取れているし、食事もそれなりに食べている。
発熱しているのだから、多少食欲が落ちるのは当然だろう。
妹は鼻水が増えた程度で、今のところ持ちこたえている。
このまま落ち着いてくれればいい。
そう思っていた矢先の午前十一時、長男が急にカリカリと体を掻き始めた。見ると、体幹部に赤いぶつぶつ。一部ボコボコと盛り上がっている。
昨日は風呂に入っておらず、熱もあり、汗もかいている。妹の首にも汗疹ができていたので、まずは汗疹を疑い、さっとシャワーで体を洗った後、痒み止めのクリームを塗って様子を見た。
妹はそれですぐ治まったが、長男はいつまでもカリカリと体を掻き続けた。
夕方五時、着替えさせようとして手が止まった。昼は体幹部だけだった発赤が、肘の内側や太腿へと広がり始めていたのだ。
汗疹なのか、蕁麻疹なのか、それとも薬疹なのか。素人の私には判断がつかない。ただ、これ以上広がって夜中に救急搬送、という展開だけは避けたかった。
だったら、今のうちに診てもらおう。
夜勤明けの旦那を叩き起こして妹を託し、夕飯を掻き込んで、長男を車に乗せて夜間診療へ走った。
大丈夫、大丈夫……。
前回の夜間救急は、長男が吐物まみれだったことを思えば、今回はまだ緊急度が低いはずだ。そう自分に言い聞かせながらハンドルを握る。
診察室でも長男はずっと体を掻き続けていた。
「先生、ここにも発赤があるんですよ」
と見せようとして、私は長男の服をどんどん脱がせていく。すると、
「お母さん、そこまで脱がさなくても大丈夫ですよ」
しまった。パンツ一丁は、さすがにやりすぎだったらしい。母ちゃん、完全に臨戦態勢が仕上がっていた。
診断は、風邪に伴う発赤と痒み。痒み止めを処方され、大事には至らないと聞いてほっと胸をなで下ろす。週明けにかかりつけ医に受診してくれとのこと。
会計を済ませ、ロビーのベンチで一息ついたところで、スマホが震えた。旦那からのラインだった。
『溶連菌じゃない?』
え、と手が止まる。もう会計まで終えてしまったが、気になって仕方がない。長男を連れたまま、もう一度受付へ引き返し、ベテラン看護師さんを捕まえて聞いてみた。
「もっとブツブツが細かくて、喉が腫れるからねえ。痛がって無いなら大丈夫です。また経過観察してあげて下さいね」
そういうものらしい。
帰宅して玄関を開けると、妹がすっ飛んできて抱きついてきた。部屋を覗けば、旦那のベッドには人形たちが所狭しと寝かされている。どうやら二人でねんねごっこをして留守番していたらしい。
「良い子で待ってたよ。ママも受診ありがとね」
と旦那からも労ってもらった。レア物な自発的な頭なでなでもしてもらった。嬉しい。
しがみついていた妹にも、偉い偉い、と頭を撫でたところで、ふと違和感を覚えた。
――君、なんか熱くない?
念のため測ってみると、37.3度。
増えた。
■日曜日
幸い、大きな崩れはなかった。長男は相変わらず熱の上下を繰り返すものの、解熱剤が効いている間は食べたり眠ったりできている。
妹も37度前後で小康状態を保ち、大きく悪化する様子はない。
食べられるときに食べさせ、眠れるときに眠らせる。ただそれだけを繰り返す一日だった。
このまま月曜日まで持ってくれ。
そう祈るような気持ちでいたところ、ふと確認したかかりつけ小児科の診療予定に目を疑った。
月曜、火曜と連休で休診。
長男の発熱は続いている。妹もまだ本調子ではない。休診明けまで待つわけにはいかず、初診となる別の小児科を急いで予約した。
■月曜日
朝。妹は、咳も熱もすっかり治まっていた。
「元気になったねぇ」
本人もすっかりいつもの調子で、何事もなかったかのように登園していった。
よし。妹はひとまず大丈夫そうだ。
一方、長男の熱はまだ続いている。
予約していた小児科の感染外来で、名前を呼ばれて診察室へ入る。
「お口の中を見せてくださいね」
の一言に、長男の顔が曇った。彼は昔から、口の中を見られるのが何より苦手なのだ。
「長男おいでー」
私が後ろから長男を抱きかかえ、両腕を封じる。さらに両足を絡めて動きを止める。暴れて飛び出そうとする手足を、そのたびに引き戻す。看護師さんが頭を固定し、先生が舌圧子を構える。
「あーんしてごらん!怖くないよ!」
看護師さんが、優しい声で語りかけてくれている。長男は必死に体を捻り、頭を振る。こちらも必死に押さえ込む。そんな攻防が、五分続いた。
ようやく診察が終わったときには、長男も母ちゃんも看護師さんも、揃ってぐったりしていた。
安堵したのも束の間、
「インフルエンザとコロナ、溶連菌の検査をしてみましょう」
と告げられる。
ついに、このときが来てしまった。できれば避けたかったが、ここからが本番だった。
診察が終わったと思い込んだ長男は、ウキウキと検査室へ移動していく。
違うんだ、長男。もう一回あるんだよ。
検査室の椅子で、私は再び後ろから長男を抱きかかえる。両腕を封じ、両足を絡める。
「んぎゃあああああ!!」
ここで長男も、すべてを察した。全身で藻掻き、体を捻り、なんとか逃げようとする。
だが、逃がさん。
看護師さんが頭を押さえ、もう一人の看護師さんが綿棒を鼻へ、喉へと運んでいく。
「んんんんん!」
「もうちょっとだよ!」
母ちゃん、第二ラウンド。全力である。
そんな攻防の末、ようやく検査が終わった。
長男も、母ちゃんも、看護師さんたちも、全員が解放された瞬間だった。
結果を待つ間、車の中で長男と二人、ぐったりと座って待機する。
しばらくして、先生から電話で結果が告げられた。
「溶連菌、陽性です」
――そっちだったか。
四日越しの発熱の正体が、ようやく判明した。抗生剤を受け取る。これで、連日の発熱から解放されるはずだ。
金曜日に始まった小児科RTA。
四日目にして、ようやくゴールである。
……長かった。
本当に、長かった。
金縛りの朝から始まり、発熱、発疹、夜間診療、そしてまさかの検査バトル。渦中にいる間は、毎回本気で焦っていた。
まあ、これもいつか笑い話になるだろう。
ただし。誰も溶連菌に感染していないという前提ではあるが。
いいんだもん。
今、元気だから大丈夫だもん。
たぶん。
きっと。
めいびー。




