第四話 ポリマー爆弾
「…………あー、やっちまった」
洗濯機の蓋を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、洗濯物の隙間という隙間にまとわりつく白い粒々だった。
恐る恐る洗濯物を掻き分ける。だぶだぶに膨れ上がった長男の紙オムツ。臓物が出てきたように中身が飛び出し、洗濯物には白いポリマーがびっしりと付着している。
ジーザス。
なんて日だ。
明日は、長男の夏休み明け最初の登校日。学用品の準備も夕飯も済ませ、お風呂もスムーズに終わった。あとは洗濯物を干すだけ。八時半には子どもたちを寝かせられる。
今日は完璧な夜だ。
そう思っていた。
「…………」
一瞬、脳が理解を拒否する。
どうしてこうなったのか。
思い返せば、洗濯機を回す直前。風呂上がりの妹が、突然イヤイヤを発動し、すっぽんぽんのまま部屋へ向かって逃走。
「待って!」
私は慌てて洗濯物をかき集め、その後を追いかけた。
そして、そのとき。
長男のオムツを洗濯物から取り出すという、たったひとつの作業を綺麗さっぱり忘れたのである。
その結果、洗濯機は何の疑いもなくオムツを受け入れた。
洗って。すすいで。回して。
完成してしまった。
八時半就寝、消滅。
明日の早起き、確定。
ポリマー爆弾。
威力、絶大である。
とりあえず、子どもたちには録画しておいたプリキュアを出す。
「洗濯機壊れちゃったから、ママこれから直すね。ちょっとテレビ見ててね」
「そうなの?分かった。ママ頑張ってね」
「テレビ見ル!プリキュア!」
うんうん。
最新話だから、食いつきがいい。
そのまま、おとなしくしておいておくれ。
さて、やりますか。
大丈夫。大丈夫。
ポリマー爆弾、三回目だから…………ね。
ハハッ!(涙目)
まずは、濡れた衣類を洗濯機から取り出す。洗濯槽に残ったポリマーを、糸くずネットの中身まで含めてひたすら取り除いていく。濡れた衣類は一枚ずつ叩いてポリマーを大雑把に落とし、下洗い。
ひたすら掻き出す。
また落とす。
その合間に、背後から子どもたちの声が聞こえてくる。
「にーに!プリキュア見えない!座ってよ!」
「にーに!スワッテ!」
どうやら長男がテレビの前に立っているらしい。
「長男ー、座ってー」
手を止めて声をかける余裕もないので、横目で様子を確認する。子どもたちは子どもたちで、なんとかやっている。
よし。母ちゃんはポリマーをやる。
汗だくになりながら、ひたすらポリマーを除去していく。
そして、ようやく。
衣類を洗濯機へ戻し、洗剤を入れる。柔軟剤は多めだ。
もう一度、スイッチを入れる。
ジャバジャバ、ウィーン……。
「…………ふぅ」
一仕事終えた。
私はやった。やってやったぞ。
その瞬間、妹が泣きながら走ってきた。
「ママぁ……!」
そして、そのまま私の背中によじ登ってくる。どうやら、長男と二人きりにされていたのが堪えたらしい。
「ごめんごめん。寂しかったね」
一方の長男は、すっかり眠くなったらしく、布団の上でコロコロしている。
よし。これで、なんとか寝かしつけまで持っていけそうだ。
そう思ったところで。
旦那が帰宅した。
…………。
しまった。
そういえば、まだ報告していなかった。
「ただいま。何で洗濯機回ってるの?明日早いんだから寝なよ」
「その〜…………。実は、ポリマー爆弾やってしまっ――」
「はあ!?またやったの!?」
食い気味だった。
まあ、そうなるよね。
私はもう、ポリマー爆弾の処理にも慣れている。今回が三回目。そのうち二回は、旦那に報告することなく、私がこっそり処理してきた。
ポリマーを掻き出して。衣類を下洗いして。洗濯機をきれいにして。何事もなかった顔で、その日のうちに終わらせる。
私の中では、もはや一連の流れとして確立されている。
ところが。
「しかも、なんでまた回してるのさ!?槽洗浄したの!?」
旦那にとっては、そうではないらしい。
そりゃそうだ。つい一か月前にも、旦那自身がポリマー爆弾を発生させている。そのときは、洗濯槽を何度も何度も洗浄していたらしい。
…………。
そりゃ、怒るのも無理はない。いや、私も悪いんだけど。
旦那の追及タイムが始まった。
「ちゃんとポリマー取ったの?」
「取ったよ」
「槽の中は?」
「取った」
「糸くずネットは?」
「もちろん」
「本当に?」
「本当だってば」
分かってる。君が心配性なのも。一度気になり始めると、完全に安心できるまで確認したくなるタイプなのも。
そして今回は、先月自分が大変な目に遭ったばかりの洗濯機で、またポリマー爆弾が発生した。そりゃ、心配にもなる。
うん。踏み抜いた自覚はある。めちゃくちゃある。ごめんて。
ただ、母ちゃん、今回も頑張ったんだよー。
汗だくになりながら、子どもたちの様子も見つつ、ポリマーをひたすら除去したんだよー。
できれば最初の一言は、
「お疲れさん」
くらいで、お願いしたかった。
ブツブツと文句を言いながら、旦那は洗濯機を確認していく。
「もういい。後は俺がやっておくから、子どもたち寝かせて。明日早いんだから」
おお。
任せろ宣言が出た。
ありがたい。これは素直にお任せしよう。
「じゃあ、お願い」
そう言って、私は子どもたちを寝かせる準備に取りかかる。
……のだが。
背後から、旦那のため息が聞こえてきた。
「槽洗浄、あと三回するから……」
「…………」
「俺が寝るの、二時か。はぁ~……」
いや。三回は、やりすぎじゃない?
たぶん。たぶんだけど、そこまでしなくても大丈夫だと思う。
でも、ここで私が、
「いや、三回もやらなくていいんじゃない?」
なんて口を挟んだら。
今まさに静かになりかけている備長炭に、灯油をかけて火を放つことになる。
だから私は、黙して語らなかった。
「…………」
旦那よすまん。
そして、ありがとう。
でも、二時は自分で設定したゴールです。
そして翌朝。
私は、いつもより一時間早く起きた。
旦那も、たぶん寝不足だ。
昨日の騒動など知らない顔で、洗濯機はいつも通り仕事をしている。昨日のポリマー爆弾が嘘のようだ。
子どもたちも、いつもの朝を迎えている。むしろ目覚めが何時もよりも良いまであった。長男の学用品を確認して、妹の支度をして、朝ご飯を食べさせる。
そして、ニコニコ笑顔の長男を学校へ送り出す。
「いってらっしゃい」
通学バスを見送ったところで、ふと思う。
昨日は、本当に長かった。
予定通りなら、八時半には子どもたちを寝かせて、私も早めに寝ているはずだった。
それが、オムツひとつですべて吹き飛んだ。
洗濯物も洗濯槽も、ポリマーまみれ。
旦那は深夜まで槽洗浄。
そして私は寝不足。
紙オムツ。
恐ろしい子……。
いや、そもそもちゃんと確認しなかった私が悪いんですけどね。
次からは、絶対に確認しよう。
洗濯機に入れる前に。
オムツがないか。
ちゃんと。
本当に。
絶対。
…………たぶん。
そんなことを考えながら、昨日できなかった分の洗濯物を回し、洗い終わった洗濯機の蓋を開ける。
中を確認する。
白い粒は、ない。
よし。
今日も平和だ。
ポリマー爆弾。
本日のところは、不発である。
昨夜、旦那は「槽洗浄をする!」と意気込んでいた。
なので、私は子どもたちを寝かせたあと、そのまま任せておいた。
ところが、しばらくすると、隣の部屋から聞こえてくる。
「ぐおー……ぐおー……」
いびき。
そーっと様子を見に行ってみる。
すると、旦那はフリースタイルを決めて寝ていた。なぜ足が壁と平行なのだ。
洗濯機を確認すると、ちょうど一回目の槽洗浄が終わったところ。どうやら、そこまでやったところで力尽きたらしい。
うん。洗濯物も普通に綺麗になってるな。洗濯槽の中にも、糸くずネットにも、ポリマーの姿はない。
三回やる必要、なかったね。
というか、二時までやるって言ってなかった?
まあ、いいか。起こすのもかわいそうなので、そのままそっとしておいた。
やっぱり、心配性なんだよなぁ。予定が狂うと、あれこれ考えて、必要以上に対策を重ねようとする。
面倒な人である。
でも、結局、私がポリマー爆弾でてんやわんやしている間に、後始末を引き受けてくれた。
「子どもたち寝かせて。明日早いんだから」
そう言ってくれた。
面倒な人だけど。
優しい人なんだよなぁ。
だから今回は、ちゃんとお詫びの品を用意しました。
旦那の大好物。チョコクレープ。
「ごめんなさい。これで許してください」
どうぞ、お納めください。
次にポリマー爆弾を発生させたときは、もう少し怒られないように気をつけよう。
たぶん。




