8話 スタンスの違い
「美原さん、大丈夫ですか? すみません、失礼しますね」
良悟は焦りを含んだ声で、伊織の部屋のドアを静かに開けた。
「失礼しますねー」
そのすぐ後ろから、ナホも心配そうに顔を覗かせる。
ベッドの中で荒い呼吸を繰り返していた伊織は、重い瞼をゆっくりと持ち上げ、驚いたように目を丸くした。
「えっ、高江くん、ナホちゃん……なんで……?」
「俺が呼んだ」
壁に背を預けて腕を組むディルが、他愛もないことのように告げた。
「そ、そんな……ごめんね高江くん、こんな夜に……」
申し訳なさそうに身を縮める伊織に、良悟は慌てて首を振った。
「明日の講義は午後からなんで全然平気です。それより本当に大丈夫ですか?」
「ちょっと、熱が酷くて。一応、お店には休むって連絡は入れたんだけど、起き上がれなくて……」
「おかゆだったら食べられそうですか? 俺、作りますよ」
良悟の優しい申し出に、伊織は少しだけ安心したように息を吐き、弱々しく微笑んだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……。冷凍庫にお米のストックがあるから、それを使って。冷蔵庫の物も、自由に使っていいからね」
「任せてください、すぐ作っちゃいますから」
台所に立った良悟。冷凍の米を解凍して、溶き卵と刻みネギ、生姜を入れたおかゆを手際よく完成させた。
若干濃いめの味付けをし、最後に小さな氷を一つ入れ、よく混ぜる。適温で食べさせるための一工夫だ。
「はい、美原さん。熱いので気をつけてくださいね」
良悟が器を抱え、スプーンで一口ずつ伊織の口へと運んでやる。
「……うん、美味しい」
一口ごとに、伊織の身体にじんわりとした穏やかな温もりが広がっていく。
お粥の器が空になる頃には、先ほどまで苦しげだった表情もだいぶ生気を取り戻していた。
「本当に、ありがとね高江君」
「お口にあって良かったです。あの、ところで……」
良悟は、部屋の隅でつまらなそうに爪をいじっている少年へ視線を向けた。
「あの子は?」
伊織の弟にしては歳が離れすぎているし、何より独特の不遜な雰囲気が気になっていた。
「あ、あーっ、え、えっと~……」
伊織は一瞬泳がせた視線を無理やり固定し、引きつった笑みを浮かべた。
「そう、親戚の子のディル君! ちょっと複雑な家庭の事情があって、しばらくウチで面倒を見ることになったの」
「あ、そうなんですね! ウチと似たような感じですね、ハハ!」
良悟はナホの境遇を思い出し、どこか納得したように笑った。
「そういえば、薬はありますか? 俺の部屋に解熱剤の買い置きがあるんですが、よければ持ってきましょうか」
「いいの? 何から何まで、本当にありがとう……」
部屋を出て行く良悟。それを見送って、お腹が満足した伊織の意識は再びまどろみ始める。
静まり返った部屋の片隅で、ナホはディルの前に歩み寄り、声を潜めて語りかけた。
「あなた……付喪神ですね」
ディルは鋭い三白眼でナホを睨み返し、鼻で笑った。
「そうだけど」
「それじゃああなたも、伊織さんに恩返しを?」
「恩返し? 興味ねーな、そんなの」
「えっ? でも、神様からそう言われたのでは……?」
驚くナホに、ディルは退屈そうに首をすくめて、言い放った。
「神様? あー、なんかごちゃごちゃ言ってた気がするけど、そんなの覚えてねーよ。それより俺は、人間になって美味いモノをたらふく食うほうが大事だ」
どこまでも利己的なその態度に、ナホはただただ呆気にとられていた。
と、そこへ。
「美原さん、薬、お待たせしました」
息を切らせた良悟が戻ってきた。その足音に、伊織がかすかに目を覚ます。
「枕元に置いておくので、後で飲んでください」
「ありがと、高江君。本当に助かる……」
「じゃあ、俺はそろそろこの辺で。何かあればまたすぐ呼んでください」
良悟は伊織に布団をかけ直すと、部屋の隅にいたナホの肩を叩いた。
「ほらナホ、戻るぞ。美原さんを休ませてあげないと」
「はい、ご主人」
ナホは元気よく返事をしつつも、去り際、もう一度だけディルの方を振り返った。
「じゃあな」と言わんばかりに片手をあげるディルの姿に、ナホの胸中では何とも言えない胸騒ぎが残っていた。




