6話 ヒトとモノの気持ち
翌日は伊織の仕事が休みだったこともあり、ディルの強い要望で二人は街へ出かけることになった。
「おい伊織、次はあっちに行こうぜ! なんかいい匂いがする!」
「ちょっとディル、勝手に一人で走らないで!」
伊織の制止も聞かず、人で賑わう休日の商店街を我が物顔で突き進んでいくディル。
キッチンカーのたこ焼きに、お肉屋さんの唐揚げ串。ディルは初めて味わう人間の食事に目を輝かせ、「うまっ!」「なんだこれ!」と片っ端から平らげていく。
大口を開けて次々と食べ物を吸い込んでいくその姿に、伊織は財布の心配をしつつも、どこか引き込まれるような愛らしさを感じていた。
商店街の一角、一軒のお洒落なベーカリーのガラス越しに、焼きたてのメロンパンが並んでいるのが見えた。
「へえ、美味そう」
ディルは迷うことなくドアをくぐると、トレイもトングも無視して、ダイレクトにその焼きたての一玉を素手で鷲掴みにした。そしてそのまま、ガブリと豪快にかじりつく。
「うまっ! これ外側がカリカリで最高だな!」
「ちょっ、ディル!!」
「お、お客様! 困ります」
レジカウンターから飛び出してくる店員。顔面を蒼白にした伊織は、慌てて財布から千円札を出して店員に手渡した。
「すみません、本当にすみません! あの、お釣りは結構ですから!」
ほら行くよ、と言って伊織はディルの首根っこを引っ掴むと、足早に店を後にした。
店から少し離れた路地裏の自販機の前で、伊織はきつくお説教する。
「よく聞いてディル、物を買うにはお金がいるの! 勝手に食べたり持っていったりしたら泥棒になっちゃうんだからね!」
しかし当のディルは悪びれる様子もなく、メロンパンの残りをモグモグと咀嚼しながら、コーラのボタンをペタペタと触っている。
「ふーん」
「ふーん、じゃない! 本当に分かってるの?」
「分かってるって。次からは伊織に金を出させればいいんだろ?」
「そういう問題じゃないんだけど……」
はぁ、と深いため息が漏れる。伊織はまるで、怒る気力すら吸い取られていくようだった。
◇
夕暮れ時。歩き疲れた二人は、近くの公園のベンチで休むことにした。
柔らかな光が辺りを包む中、ディルは買ってもらったカップのジュースを音を立ててすすっている。
「そういやさ。伊織の部屋に飾ってるあの写真、誰なんだ? 毎日話しかけてただろ」
突然の質問に、伊織は少しだけ目を伏せた。
「ああ、あの子ね……私の弟」
「へえ。その弟は今どうしてるんだ?」
「事故で亡くなったの。ちょうど、今のディルくらいの頃にね」
ディルはジュースの氷をカラカラと鳴らした。その表情には驚きも、同情の気配すらもない。
「ふーん」
そんな遠慮のないそっけなさが、今の伊織にはどこか心地よくもあった。
ディルは足をぶらぶらと揺らしながら、オレンジに染まっていく空を見上げた。
「死ぬって、そんなに悲しい事なのか?」
「え……?」
「形ある物はいつか壊れるじゃん。それは人間もモノも一緒だろ」
空になったカップを触りながら、ディルは続ける。
「俺は動かなくなったり捨てられたりしても、ああ終わりか~くらいにしか思わない。人間は終わりがそんなに嫌なのか?」
その言葉には、悪意も皮肉も一切含まれていなかった。ただ、ついこの前まで感情という思考回路を持たない存在だからこその、純粋な疑問だった。
伊織は少しだけ沈黙し、自分の膝の上に視線を落とした。
「大切な人にもう二度と会えないっていうのは、やっぱり寂しいものだよ」
風が、公園の木々を揺らして通り抜けていく。
ディルは伊織の横顔をじっと見つめ、それからつまらなそうに視線を外した。
「ふーん」
ディルの中ではまだ、伊織の言葉の意味する所が理解できていないようだった。
ただ――夕日に照らされた伊織の横顔が、いつもより少しだけ小さく見えたことだけが、ディルの心の奥で静かに引っかかっていた。




