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5話 新たな付喪神

「はぁ……、疲れた」


 午後七時前。伊織はアパートの自室に入り、玄関で深くため息をついた。

 手に提げるビニールには、勤務先のスーパー『ヤスヒデ』で買った惣菜のパックが入っている。

 正社員としてレジチーフを任されてから、責任も重く、一日が終わる頃にはいつもクタクタだった。

買ってきた惣菜を机に置き、部屋の明かりをつける。


 ベッド脇には、小さな写真立てが飾られている。写っているのは、大切な弟の姿だ。伊織はその写真に向かって、優しく微笑みかけた。

「ただいま」

 言葉にすると、胸の奥の疲れが少しだけ軽くなるような気がした。



 夕食を済ませた伊織は、なんとなく押し入れの整理を始めることにした。

 奥に押し込まれていた古い段ボール箱を引き出す。その中に、見覚えのある小さなポーチを見つけた。

チャックを開けると、中から出てきたのは――ある時期、夜の寂しさを紛らわせるために愛用していた、海外製のオモチャだった。


(あ……これは)


 随分と前に電池を入れても全く動かなくなり、それでも何となく捨てそびれて奥にしまい込んでいた。茶褐色のデザインは、今見るとどこか懐かしく、そして少しだけ気恥ずかしい。


(今度の燃えないゴミの日、忘れないようにしなきゃ)


 伊織はそれをゴミ箱の横に置き、その日はそのままベッドに潜り込んだ。



 深夜。丑三つ時も過ぎた頃、伊織は暗闇の中で目を覚ました。


 ――ガサ、ガサ。


 静まり返った部屋の、台所の方から微かな物音が聞こえてきた。


(なんの音……?)


 一気に全身の血の気が引いていく。

 泥棒、あるいはストーカー? 伊織は心臓をバクバクと鳴らしながらベッドから起き上がると、そっと台所の様子を覗き込んだ。


「……えっ?」


 キッチンで、小さな人影がしゃがみ込んでいた。

 よく見るとおよそ十三歳くらいの、健康的な褐色肌をした見知らぬ少年が、冷蔵庫の青白い光に照らされていた。


「だ、だ、だ、だれ!!? 君、どこの子!?」


 悲鳴じみた伊織の声に振り返る少年は、どこか面倒くさそうに返した。


「あ? うるせえな、俺は俺だろ」

「いやそうじゃなくて、名前は!? あと、どこからウチに入ってきたの!?」

 不法侵入にしてはあまりにも堂々とした少年の態度に、伊織は恐怖を通り越して困惑する。少年はふん、と鼻を鳴らすと、立ち上がって伊織を真っ直ぐに見据えた。


「名前はディル」

「ディル……?」

「そう。お前がベッドの中で愛用してたやつ」

「…………は?」


 伊織の脳が完全にフリーズする。何を言われているのか、理解が追いつかなかった。

「だから、ディルドだよ。さっきゴミ箱の横に置いただろ、俺を」

「えっ、でぃ、でぃるっ、えええっ!!?」


 伊織の脳内でパニックが起きる。そんな彼女の内心など知ったこっちゃないとばかりに、少年はなおも冷蔵庫の物色を続けた。



 数分後。

 電気のついたリビングで、伊織はその少年――ディルと対峙していた。

 にわかには信じられない。いや、絶対におかしい。しかし目の前の少年が、自分しか知り得ない夜の秘密の数々を平然と言ってのけるため、認めざるを得なかった。

 つまるところ彼は、道具に魂が宿った付喪神なのだ。


「……で、話をまとめると。君は私に恩返しをしにきた、ってコト?」

「あー、なんか神様みたいなやつがそんなこと言ってた気もするけど、ぶっちゃけ俺はそんなの興味ねーな」


 ディルは自分の手を物珍しそうに握ったり開いたりしながら、冷めた口調で言った。

「なあそれより。俺、ずっと『飯』っていうのを食ってみたかったんだけどさ。冷蔵庫の中のモンいくつか食ってみたけど、どれもイマイチだった」


 ディルはお腹をさすりながら、伊織を不遜な目で睨みつけた。

「というわけで、なんか俺に美味いもの食わせろ」

「な、何なのこの子……」

 勝手すぎる元愛用グッズの態度に呆れつつも、伊織は恐怖が薄れたこともあり、言われるがまま台所へ立った。


 慣れた手つきで完成させたのは、コンソメで味付けしたケチャップオムレツと、使いかけの野菜を盛り込んだ洋風スープ。

「ほら、今ある食材じゃこんな物しか作れないけど」

「……うまっ、なんだこれ! あったかくて、すげえ美味い!」


 ディルはバクバクと食べすすめた。その無邪気な食べっぷりを見ていると、伊織は不思議と、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 あっという間にオムレツの皿を平らげたディルは、口元のケチャップを手の甲で雑に拭うと、ニヤリと笑った。


「決めた。明日も美味いもの食いたい。どっかイイところ連れてけ」

「え、ええぇ……」

 頭を抱える伊織の横で、ディルは満足そうに喉を鳴らして笑っていた。

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