第六十二話 魔王は聖女にぶん殴られる
「だが俺が死ねば、人間たちが魔界へ侵攻する理由が一つ潰れるだろう?そして、もう一つの理由である、お前の救出に関してなのだが、」
ふ、とエラから視線を逸らす。どんな反応を示されるのか、直視する勇気はなかった。そのまま、こう続ける。
「俺は、お前の死を偽装することを考えている」
もちろんお前が望むのならば、だが。
付け足した言葉は、少し震えたものになってしまった。
「それで、あたしに自由に生きろって?」
一拍後、ぽつりとこぼされた言葉に、俺はゆっくりと頷く。そして椅子から立ち上がり、彼女のもとへ歩み寄った俺は、その足もとへと跪いた。
細心の注意を払いつつその右手首を取り、じわじわと魔力を込めてゆく。
程なくして金色のヒビが入った腕輪は、欠片一つ残さず消滅した。
「部下に話はつけてある。魔界に留まってくれても良いし、普通の人間として、人間界へ戻ってくれても良い」
カミラもデクスターも、エラのことを気に入っている。俺を除けば、魔族の中でも一、二を争う実力者の彼らがいれば、彼女の身に心配はない。
そんなことを想いながらも、声の震えは治りそうになかった。
「お前は、どうしたい」
その瞬間の彼女の表情は、覚えていない。
単純に、腕輪を壊した後も視線をそらしたままだったのか、はたまた、直後の出来事の衝撃にかき消されたのか。
パァンッ。
乾いた、そして大きな音が部屋に響いた。
続いて、ゴトンと俺の仮面が床に落ちる音。
一拍後、深緑の瞳が俺の紅いそれとかち合った。
仮面越しに幾度も見ていたのに、随分と久しぶりに目の当たりにしたような心地がする。頬を張られたのだ、ということに気づくより先に、そんな場違いな感想が浮かんだ。
呆けたようにその顔に見入っていれば、形の良い眉がキッと吊り上げられたのが視界に映る。
反射的に後ずさったものの、エラはそれを許してはくれずに、俺の胸ぐらを掴んだ。
「アナタのいない世界で、自由に生きてほしい? ふざけないでよ」
パンッ。
再度、頬を打たれた。先ほどのものよりは大分、手加減されているようだが。
「さっきアナタは、あたしに自由に生きてほしい。その手助けはするって、言ったわよね? なら、あたしはアナタと一緒に生きることを選ぶ。ずっとずっと、レオン。アナタのことを、愛してる」
上手く、情報を処理できている気がしない。
両目からはとめどなく涙が溢れ、考えるよりも先に両腕が彼女の体躯を搔き抱いた。微かに残った理性が、華奢なそれを壊してしまわないよう、力を加減するよう訴えている。
ぎゅうぎゅうと締め付けてしまわぬよう、己を律し続けながらも、嗚咽混じりの言葉を紡ぐ。
「俺も……俺も、ずっとっ……ずっと、エラを」
その続きを口にしようとした瞬間、硬直していた彼女が、僅かに身じろいだ。
どうやら、その腕が俺の背に腕を回されたらしいと気づいた瞬間、言い表しようのないほどの歓喜が全身を駆け巡る。
「愛してる」
もし、これが夢だというのなら──どうか、永遠に覚めないで。




