第六十話 聖女は魔王をぶん殴る
sideエラ
彼がお茶会に来なくなって一ヶ月程が経過した、ある日のこと。
久しぶりに、レオンが離宮を訪ねてくる。
そう、カミラから聞いたあたしは、慌てて茶会の準備を整えていた。
沢山聞きたいことはあるけれど、まずは疲れを癒してほしいしね。
丸テーブルを窓辺に設置して、適度にくつろげるように一人用の長椅子を向かい合わせに置く。
濃く淹れた紅茶の入ったティーポットには、氷魔法の力を宿した魔石で細工を施してある。いつも熱いお茶を出していたから、たまには趣向を変えてみた。
茶菓子にはレモンを混ぜ込んだケーキを用意してある。なんと、あたしの手作りだ。何度も練習して、何とか人に出せるものができるようになったのである。
辛抱強く付き合ってくれたカミラには、感謝の気持ちでいっぱいだ。
テーブルの中央には白い薔薇の花を一輪飾り、余ったうちの一本を、ついでに髪にも挿してみる。
いつもよりも少し手間をかけて完成させた空間をぐるりと見渡して、あたしは満足して頷いた。
──うん、上出来ね。
手伝ってくれたカミラに感謝を伝えた後は、レオンの到着を待つだけだ。
して、程なくして訪れた彼はというと。
「あ、その……だ、な……」
「何か?」
「……いや、良い」
──さっきから、ずっとこの調子だ。
時間通りにやってきたレオンの目元には濃い隈が浮かんでおり、服装も若干乱れていた。
さぞ胃の痛い日々を過ごしているのだろうなと同情しつつ、あたしはそんな彼を席へと案内し、レオンがお茶とお菓子に手をつけるところまでは良かったのだ。
問題は、彼が何度も何度も、何か言いかけては止めてしまうことである。話したくないならそれでも良い。
だけどその指先が、幾度も机上をちいさく叩いているということは、そういうことだ。
「何か言いたいことがあるんでしょ? 聞いてあげる」
痺れを切らしたあたしは、そう言ってにっこり笑った。
それでもなお言いづらそうに口を開けたり閉じたりを繰り返していたレオンだったが、やがて意を消したようで、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「カミラから、勇者が魔王城へ乗り込もうとしていることは聞いているだろう。俺が、有効な手段を講じることが叶わなかったことも。──つまり、お前を人質に魔界を守るという俺の稚拙な作戦は、見事に失敗したというわけだ」
「あたしは用済みだって言いたいの?」
反射的に口から飛び出た言葉には、思った以上に鋭い棘を孕んでいた。
人質以上の価値はないと、そう言われるのがひどく怖かったから。
「最後まで聞いてくれ。お前のことは以前、調べさせてもらった。置かれていた状況もある程度は把握しているつもりだ。──だから。だから俺は、何があろうとも勇者を殺す」
早口でそう告げられた言葉に、先ほどとは違う意味で口を顰める。
「まるで、アナタも死ぬみたいな言い方ね」
「違いない」
返ってきた肯定の言葉に、ぎゅ、と拳を握りしめた。
「だが俺が死ねば、人間たちが魔界へ侵攻する理由が一つ潰れるだろう?そして、もう一つの理由である、お前の救出に関してなのだが、」
ふ、とあたしから視線を逸らし、レオンは続けた。
「俺は、お前の死を偽装することを考えている」
もちろんお前が望むのならば、だが。
そう続けた彼の声は、少しだけ震えていた。一拍後に返された、あたしの言葉も。
「それで、あたしに自由に生きろって?」
ゆっくりと。しかし深く頷いたレオンが立ち上がる。
一歩ずつ距離を詰め、マントを後ろへ払ったかと思えば、流れるような動作で彼はあたしの足元に跪いた。
優しい手つきで右手を取られたかと思えば、そこに嵌められていた腕輪に光が注がれる。
金色のヒビが入ったそれは、次の瞬間には光の粒になり、消えた。
「部下に話はつけてある。魔界に留まってくれても良いし、普通の人間として、人間界へ戻ってくれても良い」
震えた声で、彼はそんなことを言う。
沸々と湧き上がるこの感情は、怒りだろうか。それとも、いとしさだろうか。
「お前は、どうしたい」
──そんなの、決まっているじゃない。
パァンッ。
乾いた、そして大きな音が部屋に響いた。
続いて、ゴトンと何かが床に落ちる音。
昔と同じ紅い瞳と、視線が交差した。
目を大きく見開いて後ずさる彼の胸ぐらを掴み、あたしは叫ぶ。
「アナタのいない世界で、自由に生きてほしい? ふざけないでよ」
パンッ。
もう一度、先ほどよりも幾分か軽く目の前の頬を打つ。
「さっきアナタは、あたしに自由に生きてほしい。その手助けはするって、言ったわよね?なら、あたしはアナタと一緒に生きることを選ぶ。ずっとずっと、レオン。アナタのことを、愛してる」




