第三十三話 第二王子は歓喜を知る
そんなある日の夕方。エラが離宮を出た数分後、カーティスがやって来た。
思わず目を背けた俺の顎を掴み、無理やり彼の方を向かせられたかと思えば、頬がじんと熱を帯びる。
「あーあ、腹が立つ」
独り言のように呟いたカーティスは、俺の胴に蹴りを入れて地面に転がした。
……いつものことだ。無心でやり過ごそうと、明後日の方向を向いた、その時。
エラ!?
帰ったはずの彼女が、そこに居た。口もとを片手で押さえ、目を大きく見開いて固まるその姿を呆然と見つめて居れば、いつの間にかカーティスに胸ぐらを掴まれ、ぐいと引き寄せられていた。
「教師たちはうざったいし、父上も母上もエレノアを繋ぎ止めろってうるさいし、当の本人の態度はつれないし……はあ、イライラする」
そう口にした彼は、右膝を僅かに後方へ引いた。己の鳩尾へそれを叩き付けようとしているのだろうが、分かったからといってどうなるわけでもない。だから、常のように避けることはしなかったのだが。
「待って! アナタ、レオンに何するのよ!」
そう叫んで、エラが飛び出して来たのだ。カーティスが不思議そうに首をかしげているのに、低く唸った彼女に、彼は諭すように言う。
「ねえエレノア。真っ赤でしょ、こいつの目」
「血の色みたいでしょう? 呪われてる証拠だ。それにこいつ、母親の身分だって卑賎なんだよ」
「だから僕は、定期的にこいつを躾けてあげているんだ!」
どれも、幾度となくかけられてきた言葉だ。今さら傷つきはしない。しかし、エラはそうではなかったらしい。カーティスが何か言う度、彼女の顔から表情が抜けてゆく。
彼が口を閉じた後、彼女は感情を押し殺した声で言った。
「言いたいことは、全部?」
ゆっくりと、ひと言ずつ、彼女は言葉を紡いでゆく。
「色彩も、お母さんの身分も、レオンの中身には何の関係もないでしょう?」
反論を口にしようと身を乗り出したカーティスを片手で制し、エラは吠えた。
「アナタはただ、レオンを利用して自分の鬱憤を晴らしたいだけなんでしょう!? その言い訳のために、子どもみたいな理屈で自分を正当化するなんて。躾が必要なのはアナタの方よ」
言い返す言葉がなかったのか、はたまたその気が失せたのか、彼は程なくして、フラフラと離宮から去った。慌てて治癒を施してくれたエラに、震える唇を叱咤して口を開く。
「……見苦しいもの見せて、悪かった」
「アナタは何も悪くないじゃない」
首を横に振って、そう答えた彼女に、ぎこちないながらも微笑んでみせれば、ぎゅっと胸元を押さえてしまった。心配して声をかければ、ますます苦しげに俯かれる。
「今日は、帰るわ。また来るから」
それだけ言って、エラは逃げるようにして離宮を後にした。その足音が聞こえなくなってから、俺はやっと大きく息を吐くことができた。吊り上がる口角を抑える必要も、もはやない。
「は、……ははっ」
笑い声が、こぼれ落ちる。満面の笑みを浮かべるこんな姿を、彼女に見せるわけにはいかないなと、どこか思考の遠くで思う。仕方がないだろう。
だって、嬉しかったのだ。
エラが俺のために怒り、俺の傷に苦しんでくれたことに、仄暗く歪な、それでいて狂おしいほどに甘美な歓びが湧く。こんな俺が存在するなど知らなかったし、それを知った今は絶対に、彼女には見せたくなかった。
だが、ここにいるのは今俺ひとりだ。だからもう少しだけ、と心の内で弁解をして、俺はこの感情を抱いていることにした。




