第二十九話 第二王子は聖女と出会う
離宮の裏庭で本を読んでいたとき、足音が近づいてくるのには気づいていた。
ここへ足を運ぶ者などめったにいない。カーティスか、でなければ消耗品を搬入しに来た使用人に限る。
カーティスは今日、最近できたらしい婚約者との茶会があるそうなので、おそらく後者だろうと判断し、気に留めることなく読書を続けた。
挨拶をしたとて畏怖されるだけなのだから、顔を出さずにいた方が互いに良い。もう思い出せないほど昔に、学んだことだ。
しかし予想に反して、足音は裏庭へと向かっているようだった。
俺に用があるのか? いや、だったら先に室内をあたらないとおかしいんじゃないか?
そんな疑問を抱いたのと、角から人の足が見えたのは同時だった。
俺が膝を曲げるより先に踏み出されたそれは、見事に俺の足に躓いた。転んでしまったチョコレート色の髪をした少女を、助け起こすべきか否か迷いが生じたけれど、そんなものは杞憂だったらしい。
あっさりと立ち上がった彼女が、慌てた様子でこちらを向いた。深緑の瞳と視線が交差した瞬間、心臓が早鐘を打った。
「アンタ……誰だ?」
半ば呆然としながらそう呟いて、しかし一拍遅れて冷静な思考を取り戻した。
こいつ、迷子だよな……俺に会ったってバレたら嫌な目に遭うかもしれないんじゃないか?
それでは、あまりにも不憫だ。それを避けるために今、俺にできることは。
眉間に思いっきり皺を寄せ、キッと細めた目で彼女を射抜く。こんな見目の人間に睨まれたら、気味悪がって逃げ出すだろうと踏んでのそれに、しかし少女は全く怯える様子を見せなかった。
それどころか、視線を逸らすことなく俺をじっと見つめ続けたのだ。
内心で困惑しながらも、睨むだけでは足りないのならと棘を生やした言葉を追加する。
「どこの誰だか知らないが、さっさと帰れよ」
これなら大人しく去るだろう、という俺の見立ては、またしても外れた。逃げ帰るどころか、彼女は俺に、不敵な笑みを浮かべて見せたのだ。
「あたしはエレノア。エラで良いわ。それにここには招待されて来てるから、帰りたくても帰れない」
その名前には、覚えがあった。人目を忍んで書庫へ本を取りに行った際に、使用人たちが口にしていた気がする。確か、今日のカーティスの茶会相手の名前がそうだった。
──なんだ、そうか。
どうしてか生まれた落胆をおくびにも出さぬよう気を払いながら、返答を口にする。
「エレノア……ああ、“兄上”の婚約者か」
「違う!」
間髪入れずに否定の言葉が返ってきた。一番に湧き出た感情が安堵なのは、やっぱり不可思議だった。




