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大地に抱かれて


 雲の隙間に晴れ空が見え、牧場に一時の眩しい日差しが射した。

 エルハルトは羊達の屋根に使っていた毛布を取り込み、その水分を手で捻って絞り落としていた。

 羊達は既に眼下に散開し、自由に草を食んでいる。

 そこへ、ペルシタが外へ出て来た。


「その毛布、私が洗っておきましょうか。今日はお天気そうですし。洗濯道具もあることですし」


 その後ろからは、クヌフウタも歩いてきた。


「私の血が付いたのですもの。私が洗います」


 クヌフウタがそう言えば、じゃあ二人でという事になった。

 エルハルトは種々の仕事があるので、任せることにする。


「ありがとう。じゃあお願いします」

「お世話になっていますから、これくらいはさせて下さい」とペルシタが微笑む。

 クヌフウタはもう一つ思い付いたように言った。


「その代わり、一枚はすぐ汚してもいいですか?」

「洗ってすぐに汚す?」

「ええ。例の健康法に使おうかと」

「なるほど……。洗うのでしたら自由に使って下さい。今日はみんな帰りますから、使っても不足する事はありません」


 ペルシタが言った。


「この際です。今日と明日で毛布を半数ずつ洗ってしまいましょうか」

「そうですね。綺麗な方がいいですものね」

「それは助かります」


 ペルシタとクヌフウタは小川へ行って毛布の洗濯を始めた。主にペルシタが洗濯板で洗い、クヌフウタは大盥を足で踏んで濯ぐ役のようだ。そもそも手を怪我しているクヌフウタは手を使えない。ペルシタが大半をやるのは仕方なかった。

 一方、エドフィーユはセネカと山菜を集めて歩いていた。それは昼食に食べるものが既に無く、その食材集めでもある。

 そしてアンドレアスとヘロンも時に一緒に探し、食べられる山菜を教えてもらい、羊の番をしながら探し始めた。草地が広いので、探せば山菜はたくさん集まった。

 クヌフウタとペルシタは洗った毛布を干す場所に困り、さっきまでテント屋根にしていた軒に結んで、干しておくことにした。

 今日はとても暖かく、空の雲は日の光を通すくらい薄くなり、所々に晴れ間を見せている。この天気なら一日あれば乾いてくれそうだ。

 クヌフウタは洗濯を終えると、毛布を一枚持って、山小屋から少し山の上へと歩いて行った。そして平らな地面に小さな棒を持って穴を掘り始める。

 それを追ってペルシタがやって来て、少し非難を込めて言った。


「そんな棒で掘っていたら時間が掛かりますよ。ここで例の健康法を始めるつもりですか?」

「ええ。試しに土に埋まってみるだけです。効果の程は判りませんが」

「ここだと山小屋とそう離れてないですし、こんな明るいうちからだと、人に見られてしまいますよ」

「見られないように、毛布を上に掛けておきます。誰か呼んでいたら起こして下さい。こっちには来ないように言っておいてくださいね」


 片手で棒を使って土を掘るクヌフウタだが、その力ではあまりにも時間が掛かってしまう。

 ペルシタは諦めたように言った。


「仕方ありませんね。私がシャベルを借りて穴を掘っておきます。クヌフウタさんは皆に言い置いて来て下さい。ここは見られるといけないのでしょう?」

「ありがとう」


 クヌフウタはその場をペルシタに預けて、エルハルトとアンドレアスのいるあたりへやって来た。


「あのー! これからしばらく小屋から上の方へは行かないようにして欲しいんです!」

「上の方? どうしてです?」

「少し変わったお昼寝をしてますので……小屋には入っていいんです」


 エルハルトにはそれで何か判って頷いたが、アンドレアスは首を傾げた。


「小屋の外でお昼寝かな。今日は暖かいから意外といいかも?」


 エルハルトは黙って持っていたポプリを示し、クヌフウタに手渡した。

 受け取ったクヌフウタは目で笑って頷いて、黙ってお礼をした。


「エドフィーユさんには言わなくても?」

「今から言ってきます」


 クヌフウタは斜面の高い所にいるエドフィーユの所へもそれを言いに行った。


「エドフィーユさん。これから山小屋から上の方で土を被って寝ていますので、起こさないで下さいね。私は昼食を食べませんので……」

「もしかして地の儀式をやるの?」

「儀式という形でなく、土に埋まる健康法としてやります。泥土浴と言うんです」

「そう。それでもいいわ。方法は判るかしら?」

「エルハルトさんに聞きました」

「ポプリを持っているようだし、始めの詠唱や導入のケアはしてあげる。夢に繋がるようにね」

「それは嬉しいです」

「とりあえずお昼の山菜も採れたし、行きましょうか」


 早速エドフィーユとセネカは山小屋へと歩いて行った。そこに山菜を置いて、種火から火を起こしてから、先行するクヌフウタを追った。

 ペルシタは額に汗をかきつつ穴を掘り、穴は人が入れる大きさになろうとしていた。そこへクヌフウタが歩いて来た。


「もう汗びっしょりです。クヌフウタさんがやったんじゃ怪我に響くところでしたよ?」

「こんなに掘っていただいて、ありがとうございます、ペルシタさん」

「今はまだ、汗もかかない方がいいでしょう。日陰の方がいいですね」

「そうですね。日焼けも怖いので、毛布に隠れてます」


 クヌフウタは服のまま穴に入った。土を被せつつ、服の中にも土を入れ、肌に土を触れさせる。

 そこへエドフィーユがやって来て言った。


「服に土を入れるのはいいわね。もっとどっさり入れましょう」


 エドフィーユは土を持って首の所へ入れた。

 それに続いてやって来たセネカが背中にも土を入れた。


「ひゃん」


 クヌフウタはなんだかくすぐったく身をよじった。

 そうしてクヌフウタは服の中を土でいっぱいにして寝転がった。頭にはポプリを枕に敷いた。

 その体の上にさらに土が被せられた。土の中は陽気も手伝って意外に暖かい。

 土を被せつつエドフィーユは山の言葉で朗々と詩を詠むように何か呪文のようなものを唱えた。

 土を被せたその上にはペルシタによって毛布が掛けられ、それは顔まで掛かった。


「苦しくないかしら? これでいいですね?」

「はい。皆さんありがとうございます」

「じゃあゆっくり眠ってね。良い夢を」


 ペルシタとエドフィーユがそこを去って行く足音が聞こえた。

 しかしセネカはまだ近くにいて、横に生えていた草の茎を上手く折って、クヌフウタの顔の辺りの毛布を持ち上げて乗せ、テントのようにしてくれた。毛布が持ち上がると澄んだ風が入り、とても清々しい。


「セネカ? これなら風が入って、とてもいいわ」


 クヌフウタはセネカにお礼を言った。それはラテン語で言ったので、セネカには意味が通じた。

 セネカははにかんで言葉を返した。


「おやすみなさい」


 目の前には空が広がる。太陽を透かすように薄い斑の雲が空に広がり、それは風に流れてさらに薄くなって行くようだ。直射日光でもなく、それは過ごしやすい天気だった。

 クヌフウタはまだ眠れそうになく、心地よくその雲を見詰めていた。


「最高のお天気ね」


 しばらくすると、小さな足音が聞こえた。それはセネカがまたやって来たのだ。


「お花も一緒にね」と、セネカは美しくも青いその花を、クヌフウタの枕元に見えるように植える。


「ありがとう」


 どんな理由かは判らないが、セネカのその行為はとても微笑ましかった。

 しばらくするとセネカはもう一度来て、クヌフウタの枕元の左右に花を植えてくれた。

 それを微笑ましく見ているうちに、クヌフウタは思い出した。


(そう言えば、花の気持ちになると言っていたわ)


 クヌフウタは枕元の名も知らぬ花の気持ちになってみた。

 山の涼やかな風に揺られる愛らしい青い花。

 大地に抱かれ、その気配を感じつつ、目を閉じた。

 やがて眠気がやって来て、幸せな眠りに就いた。



 クヌフウタは夢を見た。それは楽しげな夢だった。

 旅の一行は森林の中の小屋に辿り着き、皆で野菜を洗って刻み、料理を作って行く。


「クヌフウタさんはニンジンを切って」

「ペルシタさんはじゃあ玉ねぎね」

「僕らはじゃあポテトだ」


 旅の一行は殆どが子供だ。

 クヌフウタも三歳若返ったくらいの少女だったし、ペルシタもエルハルトも同じくらいの子供だった。

 アフラやイサベラ、ユッテは小さな子供で、アルノルトとルーディックはそのままの姿だ。

 エリーザベトとエックハルト、そして小屋の奥に座る三人の森の賢者だけが、大人の姿をしていた。

 エックハルトは森の賢者達と話をしている。


「では、この近くに聖地があるというのですか?」

「聖なる森が森の精気を発している。それが時に飛んで来るのだ」


 クヌフウタは森の賢者の言葉を聞いて、窓に立ち、森の方を見た。そして森の方へと鼻を向けた。

 すると、濃厚な森の香りと共に、何かの気配がする。

 庭の植木を見れば、そこから舞い散る葉は、不思議な輝きを帯びていた。

 クヌフウタがそれを追って手に取ると、その輝きはもう無くなっていた。

 アフラとエックハルトが追って来て聞いた。


「どうしたのクヌフウタさん?」

「この葉が不思議と輝いていたの」

「それは驚嘆に値する!」


 エックハルトはその葉を受け取って、透かして見るが、今や何の変哲も無い葉だった。


「森の賢者様に見せてみよう」


 クヌフウタ達はコテージの中の森の賢者にそれを持って行った。

 森の賢者の一人はその葉を見て言った。


「普通のニワトコの木の葉だ」

「何か輝いていたように見えました」

「普通だが、聖なる森の気配が濃い。この葉を辿れば、あるいは……」


 エックハルトが言った。


「これがどこから飛んで来たか、判るか?」

「向こうです!」


 クヌフウタは建物を走り出て、再び植木の中にその葉を探した。


「クヌフウタさん?」

「クヌフウタさん……」


 そこでクヌフウタは目を覚ました。


「クヌフウタさん。もう寝たかしら?」


 クヌフウタはエドフィーユの呼ぶ声に目を覚ました。微睡みの中、まだ眠気で瞼が重い。

 頭を無理に後ろに向ければ、エドフィーユとセネカの足が見えた。


「そのまま動かないで聞いて。私達はそろそろ帰るわね」


 クヌフウタはそれでも出来るだけ首を回して振り向いて言った。


「エドフィーユさん。いろいろとありがとうございました」


 エドフィーユは平らな木のお盆とコップをクヌフウタの隣に置いて言った。


「ハーブ水ですよ。水分を摂った方がいいわ」

「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いた所です」

「手を出すと自分では埋めにくいでしょうから、今飲ませてあげましょう」


 エドフィーユはクヌフウタの口にコップを運び、ハーブ水を飲ませてあげた。


「美味しい! これはなんて絶妙な取り合わせなんでしょう」

「これはアルプ茶とも言うの。バーベナとタイム、ノコギリの草、狼の花、ニワトコの花のブレンドよ」

「美味しく飲めて、体にも良くて、いいブレンドですね」

「気に入ってもらえてうれしいわ。じゃあ、しっかり養生して、早く元気になってね」


 エドフィーユは土の被る肩に手を置いた。


「はい! 体にいいお茶や、お料理や、こんなことまで、ありがとうございました」

「いいえ。元気になった顔が見れて、家族にいい報告が出来るわ」

「セネカもね」


 セネカもクヌフウタの近くに顔を見せ、「またね」と手を振ってから歩き去って行った。

 二人の去って行く足音がした。

 そして、クヌフウタはまだ眠かったので、すぐに再び眠りに落ちた。 



 森の賢者に連れられ、旅の一行は深い山の中、聖なる土地を探していた。

 それがどこにあるのかは判らない。森の賢者の導くままに道を行くのだ。

 日が暮れて、道は暗くなり、それでも道は明るかった。

 見上げれば満天の星々が輝き、月が青く妖しい光で高原の道を照らしていた。

 野の向こうには森があって、濃厚な樹木の香りを漂わせてくる。

 道はいつしか木のまばらな木立に入って行った。 

 森の賢者達三人は時々集まって木を調べ、二人の肩の上に一人が立ち、木の上の方までを覗き込んだ。

 降りて来た森の賢者は言った。


「この辺りの森は、植え継ぎの世界樹かもしれない」

「世界樹ってなあに?」


 そう小さなクヌフウタが訊ねた。

 森の賢者は「それは、今は誰にも見えないところにある霊樹だ」と言い、さらに詩を謳うかのように言った。


 ——失われた神話に云う。

 神々の時代から、世界樹は木に己が霊を継ぎ宿らせ、今もここに生きている。

 世界樹は時の泉に根を伸ばし、三界の失われた神族を枝に乗せ、星の虚空に葉を届かせている。

 時を超え、世の始まりから、全ての史譜を年輪に刻み込んで、星ほどの時を重ねて来た。

 その記憶は、生命を継いで栄枯盛衰する、神族の命脈を巡る物語。

 それはまた、世界の始まりから、夢見るように世を見てきた霊樹の夢。

 人はその似姿を得ようと本を読むが、それとて生涯掛けても到底届くまい。

 今日は世界樹の記念日。

 木々達はざわめき、聖なる夜に謳い上げている。

 木々達はこの日、輝かしい時代を懐かしみ、それをいつまでも夢のように抱き続けている。

 木にその輝きを見たならば、そこはもう世界樹の森。


「……その場所こそ、我々の目指すべき聖地というわけだ」


 エックハルトは森の賢者に頷いた。

 森の賢者は嬉しげに微笑んだ。

 森を抜けると、険しい谷に差し掛かり、そこには灌木の木立があった。

 木々は誰かに植えられたように、まだ小さな木ばかりだった。


「かわいい子供の木の森ね」


 と、アフラが木を撫でると、その小さな枝の梢に、小さく微かな輝きが灯っていた。


「木が光ってる!」


 クヌフウタ達はそこへ駆け寄った。


「本当! これが木の輝き?」


 その輝きは光の木の実のように透明で、微かな光だった。


「これだ!」


 それを認めた森の賢者は言った。


「この木の輝きは誰かに夢を見せている証。一つ瞬けば一日の夢、二つ瞬けば一週間の夢……」


 その輝きは木立から森に続いて増えて行った。それは一つ瞬き、二つ、三つ、そしていつしか、無数に瞬いた。


「こんなに幾つも! これは一体どれくらいの夢……」

「……これは! 伝承以上だ!」


 森の賢者の一人は言った。


「この先は世界樹の聖なる森だ。幾つもの夢が交叉するだろう。進むなら、心するがいい。瞬きに心を呑まれないように」


 そして一同は蛍の群舞のような輝きを瞬かせる森の中へと足を踏み入れた。

 少し逡巡してクヌフウタは森へ足を踏み入れ、その時、眩しい光に包まれた。


「クヌフウタさん、それは……」


 驚くアフラの声に、見れば自身の体が光っていた。

 自身が夢と同化して行く。

 そして、夢は唐突に醒めた。



「クヌフウタさん」


 ペルシタの声がした。クヌフウタは夢の残滓を惜しみつつ、目を開けた。


「ペルシタさん。どうしたのですか?」

「エンゲルベルクから牛飼い達が来たのです。すぐに起きられますか?」

「判りました」


 クヌフウタは土の中から身を起こし、立ち上がって服の中の土を払った。ペルシタも背中を叩いて土を落とすのを手伝う。

 幸い土はあまりこびりつかず、ほぼ落ちたようだが、あちこちに汚れが目立つ。



 山小屋には三人の牛飼いがいて、怒り冷めやらぬエルハルトに怒鳴られて少し険悪になっていた。


「幸いにして手当てが出来て助かったが、万が一何かあったら、裁判だけじゃ許さなかった所だぞ!」

「手元が狂ったんだ。こうして謝りに来た。許せ」


 言葉少な目だが牛飼い達はエルハルトに謝った。そこへクヌフウタは声を掛けた。


「こんにちは。あなた達でしたか」


 クヌフウタが少し寝起きの低い声で言うと、牛飼い達はその場に跪いた。


「我らここに心から謝罪致します。怪我をさせてしまったことは慚愧に堪えません」

「つい手元が狂ったのです。決して故意ではありません。お許し下さい」

「誠に申し訳無く……」


 牛飼いの三人は片膝を付き、平身低頭謝罪をした。

 しかし、クヌフウタは何時になく厳しい口調で言った。


「謝罪も言葉だけなら意味を持ちません。三日も耐えがたい痛みに苦しみ、命の危機をさえ乗り越えた事に対して、あなた方はどう購えると言うのですか? そのおつもりがありますか?」


 牛飼い達は慌てた。彼らは罪を贖うものを何も持っておらず、そのつもりがあるのかと非難されても仕方が無かった。


「私の投げた石が当たったのです。贖えるものならば、この身を以てでも購いましょう。何なりと申して下さい」


 年長の牛飼いがそう申し出た。


「狡いですね。私が人を傷つけない事は判っていてそう言うのでしょう。手元が狂ったと仰いましたが、一体幾つの石が彼らの近くを掠めたのでしょう。誰かが私のようになる所だったのですよ? 他にも周りには少女がいたんです。それでも悪意が無いと?」

「そ、それは……国境争いのある場所でしたから……」

「そんな争いを子供達に押し付けて、それでどうなると言うのですか。ヒムベリーを採るのを怒るのでしたら、私こそずっと薬草を採っていました。私も怒られるべきなのにそうではなかった。それは、誰の物でも無かったからのはずです。悪意となるには他の原因があった。違いますか?」

「はい……その通りです」

「では、石を投げた悪意は何だったのか。それを十分考えて、ここで懺悔をして下さい」


 年長の牛飼いは仕方なく姿勢を改め、右手を挙げて言った。


「私は懺悔致します。悪意に駆られ、石を投げた事を」


 他の牛飼い達も右手を挙げた。


「私達も投げました。同罪です」


 クヌフウタは静かに言った。


「どうして悪意に駆られたのですか?」

「あの時は……牛に近い所に石が届いて、ついカッとして……」

「あの少年に害意が無かったのは明らかでした。落ちたのはかなり離れた場所だったでしょう?」

「ええ。でも、真っ向から勝負を挑まれたような、そんな気がしたのです。口上もいっぱしでしたし……」

「口では危うく負けそうになった……、そうですね」

「そうかもしれません……」

「大人げないとは思わなかったのですか?」

「今となっては大人げない事です……。反省しています」

「相手が子供ではなかったとしてもです。石を投げれば解決したのですか? 何を得たと言うのでしょう。領地の権利ですか?」

「全く何にもなりませんでした。浅慮な行為でした」


 クヌフウタはエルハルトを指してさらに強く言った。


「思い通りになっていれば? 事はもっと重大です。もしも、もしもです。この人に当たっていれば、もっと大変でしたよ。この人はウーリでは栄誉を讃えられた人ですから、それこそ誰も許しません。国を挙げて怒り、争いになって、永く続く遺恨となっていた事でしょう。それを購い切れますか? 私で良かったのですよ。私一人で止める事が出来た。意図に無い巻き添えだとしても、それは一つ幸いな事でした。私も故国ボヘミアでは同じことがよもやあるかも知れませんが……」


 ボヘミア王国と言えば、今でも大領地で有名だ。牛飼いは己が過ちの大きさに気付き、目をきつく瞑った。


「私達の過ちはそら恐ろしい程でした……。なんと恐ろしいことを……」

「恐ろしい罪でした……。シスターには、なんとお労しい……」

「俺は何と言う人を傷つけてしまったのか……。おおシスター……何と言って詫びれば良いのか……」


 年長の牛飼いは涙ながらに罪を悔いた。


「己が罪に気が付きましたね。過大に権利を身に欲すれば、そこには悪魔が住み付きます。それに捕らわれればこのような罪に足を踏み入れるのです。罰と言うなら、これよりは権利と言う名の虚妄を捨てて下さい。山は誰の物でもないように、分かち合ってこそ楽しい場所となるように。それは山のルール。そうでしょう?」

「お言葉通りに致します……」


 牛飼い達は右手をさらに挙げ、そう言った。


「神に赦しを祈りましょう」


 少し微笑んだクヌフウタは、ロザリオを握って祈った。


「主よ。御救いをこそ喜ばれ、罪人をお赦しになる我が神よ。ここに全ての罪が赦され、清められますように。アーメン」

「アーメン!」

「アーメン……お許しを」


 牛飼い達は祈りをそう結び、声を合わせた。そして年長の牛飼いは泣きながら言った。


「申し訳ありません、シスター……この通りです! この! この!」


 そう言って牛飼いは思い切り何度も己が頭を殴った。クヌフウタはその手を取ってそれを止めた。


「何をするのです! アッ!」


 クヌフウタの手は怪我をしている。その手は酷く痛み、苦悶して手を覆った。


「あなたが傷付く事も私には心痛い事です。殴るなら私を殴りなさい」

「おお……シスター……」


 年長の牛飼いは地に泣き崩れ、号泣した。

 他の牛飼い達も涙ぐんで言った。


「まるで、キリストを見るかのようだ……」

「いや、きっと、聖女様なんだ……」


 年長の牛飼いを引き受けるように、牛飼い達はその手を取った。

 後ろからは小さく拍手をする人がいた。それはいつの間にかやって来ていたアルノルトだった。

 アルノルトはクヌフウタに進み出て、丁重な仕草で言った。


「素晴らしい聖女様。体調はどうですか?」

「今日は少し良くなったようです。エドフィーユさんや皆さんのお陰ですね」

「それは良かったです。ウーリのアッティングハウゼン男爵より言付けです」

「わざわざここまでお言付けを?」

「はい。クヌフウタさんをウーリにお迎えしたいとのことです。明日、輿を持って迎えに上がります。こちらへ来てくださるでしょうか?」

「明日? 有難過ぎるようなお話ですが、エンゲルベルクに大事な荷物を置いて来ていて……」


 クヌフウタが隣を振り返ると、ペルシタが言った。


「修道院にまだ医療道具を置いて来ているのです。あと、溜めた薬草類も……」

「それなら僕には馬があります。今から取りに行くというのは……」

「急峻な山ですから、馬でも今から往復すれば、夜になってしまうでしょう……」


 牛飼いの一人が進み出て言った。


「もしお許し頂けるなら、私がそれを持って参りましょう。一度帰る身ですし、明日またここへ来る事をお許し頂ければ……」

「良いのですか?」とクヌフウタは聞いた。


「せめてもの償いです……是非そうさせて下さい」

「判りました。では、お願いしたいと思います」

「有難き幸せ! なるべく早くにお持ちします。では……」


 そう言うや、牛飼い達は山小屋を発ち、峠へと帰って行った。

 クヌフウタとペルシタはそれを戸口まで見送った。

 エルハルトも山小屋から出て来て行った。


「いやあ、格好良かったですね、クヌフウタさん。怒った顔も格好がいい」

「いいえ。私も人の子、激しい痛みが続くとそれなりに腹も立つものです。ただ、それも含めて包み込んで、罪を総轄して理解を深化させるのも、懺悔の受け手の努めです」

「さっすが聖女様!」とアルノルトが拍手をする。


「先程から聖女様って、あまり変に持ち上げないで下さい。何も出ませんよ?」

「これは僕だけじゃなく、もうウーリでも言われてるんだ。アインジーデルンで認められた聖女様だと、下では言われ始めていたんだ」


 そう言われて、クヌフウタは困惑せざるを得ない。


「私が?」

「ええ。おしゃべりなアフラがそう言ったみたいで」

「まあ! アフラったら。困った子……」

「アフラの奴……」とエルハルトも頭を抱えた。

 アルノルトはひとつ笑みを作ってから、大きな包みを取り出して言った。


「ところで食料を持って来たんだ。お腹が空いていたら食べてね」

「助かります。昨日から人数が沢山いて、頂いたものをもう食べ尽くしてしまったんです」

「今回の食料はアッティングハウゼンさんからです。採れたてのフルーツもあるんだ。ネクタリンでもどうです?」

「それはいいですね。ちょうどお腹も空いてましたし、有難く頂きます」

「皆にあげるとすぐ無くなっちゃうから、お二人だけでね」

「ええ。でも、それも寂しいですし、皆さんで分かち合って食べましょう? 彼らにもそう言ったところですし」

「いつも頂くばかりでも申し訳ないですものね。では、私が」


 ペルシタは食料の包みを受け取り、ネクタリンを包丁で小さく切り分けた。

 そして表のテーブルで、甘酸っぱい初夏の果実を皆で分かち合いつつ、楽しく味わった。

 いつしか快晴の空の下、そこには山上の緑鮮やかな、至高の一席があった。








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