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山上の会談

百話記念となります。

何かご褒美ください。


 次の朝、村を発する羊の列には賑やかな一団が加わっていた。

 羊飼いと羊の群れのその後ろには、馬を引いているブルクハルトの姿があった。馬の背には椅子の輿を付け、そこにはアッティングハウゼンが座っている。


「アッティングハウゼンさん、無理をしなくても我々だけでもいいんですよ」

「いやいや、仮にも聖女様と呼ばれている人だ。是非とも儂がお迎えしたい。東方の三賢人のように後世に名が残るかも知れないじゃないか」

「ああ、そういう隠れた野望がありましたか。でも帰りは歩きですよ?」

「何、帰りは下り道だから心配は無用じゃ」

「まあ予備の馬車もあることですし、心配はしていないんですがね」


 後ろに続くアルノルトの馬は、マリウスの赤い馬車を引いている。クヌフウタの体調が悪いときは、この馬車で寝転んでも行けるように、仕切りは外され、蒲団を一つ乗せている。そこには今日の昼食も多めに載せてあった。

 さらにアルノルトの馬の後ろからは、アフラが馬車を押していた。


「まだ来るのか?」

「そこのビュルグレン村の入り道まで」


 大通りからビュルグレンに入る道からが村の領界に入っている。アフラはそこまで見送りに来たのだ。


「まあ今日帰る時にはクヌフウタさんを連れて来るから、楽しみに待ってるといい。迎える準備をしてな」

「うん!」


 大通りに辿り着くと、アフラはそこで立ち止まり、兄達を見送った。


「じゃあ、早く帰って来てね」

「ああ、頑張っていいとこ見せろ」

「うん! 行ってらっしゃい!」


 分かれ道の手前で、アフラは手を振って一行を見送った。

 羊の列はすぐに山道へと入って行く、山の勾配が急になって来ると、馬の背の椅子は傾き、アッティングハウゼンは落ちそうになって必死に椅子に掴まっている。アルノルトはブルクハルトに言った。


「クヌフウタさんは片方の手を怪我しているんだ。椅子に掴まれないと、落っこちちゃうんじゃないかな」

「そうか……。帰りは山を大回りする平坦な道にしよう。あとは山道のきついシュヴァンデン谷辺りではベルトを締めるとか、方法はあるさ」

「あの辺はシュヴァンデン谷って言うんだ」


 アルノルトはその名に何か聞き覚えがあった。しかし、今は思い出せないまま、言葉を続けた。


「こっちの馬車に乗ってもらう方がいいかもしれないよ。そうそう落ちないし」


 馬上の輿を叩いてアッティングハウゼンが言った。


「聖女様がそんな馬車じゃあ格好が付くまい? やっぱりこんな輿でないとな」


 一行は順調に山上の高原地帯に着き、縦に長く続く平原を歩いて行く。

 ただ、アルノルトだけは馬を降り、道の無いような草の中を馬車を押して歩き、一人取り残された。

 いち早く山小屋へ辿り着いたブルクハルトは、馬上のアッティングハウゼンを降ろし、二人で山小屋のドアを叩いた。


「こんにちは。ブルクハルトです」

「入ってもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」


 山小屋の中でクヌフウタ達は干していた薬草を片付けていた。


「これは……薬草庫のようになっていますな」

「こんにちは、ブルクハルトさん。新しい方がいらっしゃいますね?」

「紹介しましょうクヌフウタさん。こちらはウーリの唯一の男爵、アッティングハウゼンさんです」


 アッティングハウゼンは素服姿のクヌフウタを見て目を見張って驚き、こう言いいつつ、東方の賢人の如く、クヌフウタの前で跪いた。


「なんと神秘的な美しさ! それにお若い! あなたが聖女様! ウーリより罷り越し、お迎えに上がりました」


 クヌフウタも雅やかな跪礼をして返す。


「初めまして。クヌフウタと申します。私は聖女と言う程の者ではなく、巡礼途上の一修道女です」

「しかし、アインジーデルンの大修道院長に聖女と認められたと聞きましたが?」

「大修道院長様とは楽しくお話をして、そんな冗談も言えるくらいに親しくしていただいたのですわ」

「仮にもアインジーデルンの大修道院長のお言葉です。ただの冗談とも言えますまい。是非私にウーリでご歓待させて下さい」

「せっかくですが、行くのはエルハルトさんの、シュッペルさんの家ともう決めてあるのです。これまでもお世話になって来ましたし、ローマへ行く準備もありますので」


 アッティングハウゼンは嫉妬するようにブルクハルトを振り返った。ブルクハルトは知らなかったというように首を振り言った。


「それは……もちろん、うちでも歓迎しますよ。ウーリでお迎えするには変わり有りませんからな。アッティングハウゼンさんも家へ来ては?」

「そ、そうですな。そうですとも!」


 何故かそこでアッティングハウゼンとブルクハルトは握手をした。

 そこへアルノルトもやって来て、そんな奇妙なやり取りを見ていたが、一つ手を上げて、クヌフウタに話しかけた。


「おはようクヌフウタさん、ペルシタさん。これからの予定を言うよ。こちらのアッティングハウゼンさんがクヌフウタさんと少し話をしたいそうなんだ。その後にエンゲルベルクの偉い人をここに呼んでいるそうだから、みんなで少し話をする時間をもらって、お昼に食事を食べてからここを出発するよ。それまでに出発の準備をしておいてね」

「わかりました。それまでには荷物も届くでしょう」


 アッティングハウゼンはそれを見て一つ唸った。


「むう。やはり出来る奴じゃのう、アルノルトは……」


 アルノルトが照れて笑うので、クヌフウタも笑顔になった。


「では、こちらのテーブルでお話ししましょうか。カモミールのお茶でもいかがですか?」

「お茶がある? それは嬉しいご配慮をありがとう」


 屋内のテーブルに座り、アッティングハウゼン、ブルクハルトとクヌフウタは取り留めも無い話を始めた。ペルシタはカモミールティーを淹れ、そこへ加わった。

 そうしていると、エンゲルベルクの一行がやって来た。

 エルハルトの案内で山小屋へ入って来たのは、アルノルト司祭とウルリッヒ修道院長、そして牛飼いの三人だった。


「クヌフウタさん!」


 アルノルト司祭は入って来るなりアッティングハウゼンを押しのけ、クヌフウタの手を取って言った。


「我が領の者が大変な過ちをしたこと、心からお詫びを申し上げます。いかがですか? 怪我のお加減は……」

「司祭様! 来ていただいたんですね。怪我はまだまだかかりそうですが、貧血はほぼ回復したようです」

「そうですか。それは何よりです。お知らせによると、ここから直接ウーリに向かわれるのですか?」

「はい、そのつもりです。こうしてウーリからお迎えをいただいておりますので……。お世話になりましたのに、こんな形で立ち去るご無礼をお許し下さい」

「こちらこそ当領の者が問題を起こしたのに殆どお世話も出来ず、申し訳ない限りです。ウーリで手厚く保護していただいた事は、私からも感謝しなくては。ウーリの方ですね? 手厚い保護をしていただき、誠にありがとうございます」


 アルノルト司祭はブルクハルトとアッティングハウゼンに深く礼をした。

 ブルクハルトはアルノルト司祭を見て小さく微笑んで言った。


「一度ここでお会いしましたな。私はウーリのラントアーマンを努めますブルクハルト・シュッペルと申します。こちらはアッティングハウゼン男爵です」

「ベルナー・フォン・アッティングハウゼンと申す者じゃ」

「あなたがお手紙のアッティングハウゼン男爵。私はエンゲルベルクの主任司祭を務めます、アルノルトと申す者です」

「アルノルト? あ、いや同じ名の知り合いがそこにいましてな」

 アッティングハウゼンは驚きつつ続けた。

「シスタークヌフウタにはウーリに下りて来ていただいてご療養下さるよう、今しがたご了承願ったところです。エンゲルベルクでのシスターの扱いは丁重だったとお伺いしました。犯人にはもう謝罪してもらったとも。しかしこのような事故、事故と言うより傷害事件を起こしたことはもう取り返しが付きません。手紙にお願いした通り、今後のことはウーリの法に照らし、処罰はこちらに任せていただきたいのです」


 ウルリッヒ修道院長は言った。


「お手紙は拝読させて頂きました。しかし、エンゲルベルクも自治の領です。当領の人のことですし、場所としてもこちら側で起こった事、そうした裁判権は当方にありますので、こちらでの裁定とさせていただきたい」

 その言葉によって、アッティングハウゼンの言葉には一気に不穏な雰囲気が篭もった。

「そちらはそちらでやるならそれもよかろう、こちらはこちらでやるまでです。エンゲルベルクでは他領の者が領内に入って来て狼藉をした場合、それを裁かないことがあるでしょうか。外来の人の多いウーリでは、そういう者を裁くための取り決めも整備して来ております。以前のように青空裁判にエンゲルベルクの方も参加を願いまして公開裁判で行いましょう。延いては犯人の引き渡しを求めます」


 持って来た荷物をペルシタに渡していた牛飼いは、驚いて身を翻し、壁に背をぶつけた。今日このまま連れて行かれる事態になろうとは思いもしないことだった。

 司祭は振り返って「静かになさい」とだけ言った。

 ブルクハルトにはその口調で何となくそれが解った。


「もしや、犯人はその方ですかな?」


 ブルクハルトの指摘に、牛飼いはギョッとして絶句した。

 ブルクハルトは奥にいたアルノルトとエルハルトに聞いた。


「そうなのか?」

「そうだよ。この人が石を投げた人だ」とアルノルトは言った。

 エルハルトも目で頷いている。


「どうします?」


 と、ブルクハルトはアッティングハウゼンに聞いた。

 アッティングハウゼンはブルクハルトに何か耳打ちをする。

 何度か内緒話をして、ブルクハルトは不意に立ち上がって言った。


「犯人確保だ!」


 途端に牛飼いは逃げようとして戸口へ走ったが、出たところでエルハルトは牛飼いにタックルをして倒し、アルノルトはすかさずその手を捻り取り、後手にして捕まえた。


「捕まえたよ!」


 ブルクハルトも犯人を捕まえた場所へ行き、手にロープを掛けた。


「ヨオヨオ! お手柄だ! 我々には逮捕権、そして裁判権がある。犯人は確と確保したぞ」


 ウルリッヒ修道院長は慌てて「放すんだ」と言うが、ブルクハルトは取りつく島も無く首を振る。

 司祭も唸るように言った。


「帰して欲しい……と言っても、通らないのでしょうな……」


 アッティングハウゼンはそんな二人に微笑んで言った。


「いかにも。ここはウーリじゃ。犯人を確保したからには、こちらの裁判を受けていただかなくてはな。その後にそちらで裁判するのは自由じゃ。何、裁判の時は参考人としてお招きいたしますからな。ご意見は拝聴させていただきましょう」


 司祭とウルリッヒ修道院長は頭を抱えた。


「お待ちください」と、クヌフウタが立ち上がった。


「聖女様にもご意見が?」

「昨日私は、この方と和解済みです。被害者である私がもう許しておりますから、その方の罪を問う必要はもう無いのでは?」


 アッティングハウゼンは戸惑って言った。


「それは……大きく減刑にはなるでしょう。しかし罪は残りましょうな」

「私はすでにその方に罰を言い渡しました。それは、権利という名の虚妄を捨てるという罰です。それは十分過ぎる罰だと思うのです」

「権利を捨てる……それは大きな罰かもしれませんな。そう言われれば、ろくに独立さえ保てなくなる」

「意図はまた別にあります。今回は領地の権利の解釈を巡って諍いは起きたのです。勝手な都合と解釈で権利を拡大し、行き過ぎた占有をし、ついには争い合いになる、それは権利の悪魔とも言うべき負の連鎖です。そのような心になるのではなく、山が誰のものでもなく恵み深いように、権利があるところにも分かち合う心を持つならば、争いは起きなくなります。お互いに幸せな、良い関係になるのではないでしょうか?」

「確かにそうですが、我がウーリは自治の権利によって成り立っています。領地の権利というのはハッキリさせるべきものですし、その実ハッキリしているものなのです。分かち合うということが出来るのは、その上でのことでしょう」

「そういう意味にも取れますが……では、こう言いましょう。本来この件を裁く一番の権利は被害者である私にあります。ここに被害者と加害者の間で互いに権利を捨て合うような形で和解が済んでいて、その罰にも納得されて受け容れられている場合、そこに他者が領土争いを絡めた裁判権を求めてその量刑に割って入るのは、行き過ぎた権利の行使ではないでしょうか? 双方が他国の人なのですよ? こちらの裁判権を無にする重罰行為にはなりませんか?」


 アッティングハウゼンは目を丸くして言った。


「これは驚いた。確かに重罰になりますな。しかし権利の悪魔とは良く言ったものです。それは我々にもあったと言うことですな?」


 クヌフウタは小さく頷いた。


「国ならば多少なりともあるものです。そのようなものの相手をすればお心が汚れますし、後世の両国に禍根を残すだけではありませんか? 私の与えた罰は、そのような心を捨て、今後にも領地を巡る権利の悪魔からの諍いを根本から防ぐものです。それはウーリの利益にも繋がる事でしょう。ここはこの罰に免じて、どうか和解が済んだものとお許しいただけませんでしょうか。それとも、敢えて悪魔に付き合って、後世に遺恨を残すような裁判をなさいますか?」

「これは……。いやはや完敗です。しかし、むしろ清々しい。ブルクハルトよ。儂はもう負けたぞ」


 ブルクハルトは牛飼いを締め上げ、小屋の中に引っ張って来ていた力を抜いて言った。


「これはもはや……負けるが勝ちというものですな」


 そしてすぐにロープを解いたので、牛飼いは自由になった。

 信じられないという表情の牛飼いは、クヌフウタの足元に崩れ込み、涙を流した。


「シスター……。重ね重ね、何とお礼を言っていいか……」

「いいのです。エンゲルベルクにはあなたも大事な人です。ただ、罰は空事でなく、守って下さいね」

「はい! その深いお心遣い、言葉もありません……」


 救われた想いでそれを見ていたアルノルト司祭は、クヌフウタに向き直って言った。


「クヌフウタさん。私からもお礼を言わせて欲しい。本当にありがとう」

「いいえ。少しはご恩が返せて、内心自画自賛しておりますわ」


 ペルシタはクヌフフウタを突くようにして言った。


「クヌフウタさん、内心が言葉に漏れてますよ?」

「いいのです。隠していませんもの」


 ブルクハルトは咳払いを一つして言った。


「しかし、これだけは言っておきたい。我が息子たちはベリーを採っていただけで石を投げられた。しかも投石器でだ。加えてこれは数人がかりで、数も十や二十じゃないそうじゃないか。これは殺人未遂にも等しい。息子に当たらなかったのはほんの偶然のようなもので、もし当たっていたら命にも関わるところだ。エンゲルベルクはベリー一つで殺人までするのか? エンゲルベルクでは一体どういう指導をしているのか! 今後一切、こうした事が無いようにしていただきたい。今後、どう対応を考えているのかを伺っておきたい」


 ウルリッヒ修道院長が小さく首を振りつつ言った。


「エンゲルベルクは古い頃から自治を築いた修道院ですから、昔からの伝統があります。すべては神のものであるように、修道院のものとして扱うので、私的な採取は禁止されています。領外の者が取るのはさらに以ての外。基本的に許可の無い人は領内には入れませんし、ウーリにだけは峠の特別な使用を認めているに過ぎません。峠までが領地という事は、それはずっと古くから言われて来た事です。残念ながらこの点はウーリとはずっと食い違って来たわけです……」


 ブルクハルトは話にならないと首を振って言った。


「では峠を越えて領外の人がベリーを取れば、石を投げていいと?」

「そうは申しません。領内のすべては修道院のもの、それを侵害する者は自治を以て排除するという、修道院を主体とする自治領としては当然の話です」

「正当化しているようにしか聞こえません。全て修道院のモノというのはひどく占有的ですな。さっきの話ではないですが、行き過ぎた権利ですよ」

「それは、内政干渉だ!」

「なるほど確かに権利の虚妄だ。それが悪魔の如くこの子たちに牙を剥いたのだ!」


 ブルクハルトとウルリッヒは火花を散らさんばかりに睨み合った。

 アッティングハウゼンはそんな二人をおっとりとした調子で宥めるように言った。


「まあまあ、お二人、そう喧嘩腰にならずに……。それより、あの場所は以前の裁判で領の確定には至らなかったものの、エンゲルベルクの権利を優先しつつ、ウーリの使用を認めることが決まったはずの場所。それは教えていなかったのですかな?」

 ウルリッヒが答えた。

「放牧に関して言えばしっかり伝えてあります。しかし今回は果実の採取があった。それは禁止事項に触れていたという事です」

「領外の者が禁止事項に触れれば、どうなるのですかな?」

「我々は懺悔を通じ、当人の反省を見てからその処罰を決めます。領外の者はそこには入る事が出来ませんから、裁判にもならず、即追放になるでしょう」

 ブルクハルトは怒りが収まらずに言った。

「つまり? やっぱりベリーを取れば石を投げて追うと? ずいぶん原始的なようだ!」

「失礼な!」

「事実でしょう!」


 再び睨み合う二人に、今度はアルノルト司祭が言った。


「控えなさい。今回は私共に落ち度がある。ウーリに認められた使用権のあった場所で行き過ぎた事を言ったのだ。そしてあろう事か、人に向けて投石器で石を投げた。これは矢を向けたにも等しい事だ。エンゲルベルクの責任者としては謝まらざるを得ない」


 ウルリッヒ修道院長は急に神妙な顔になった。

 アルノルト司祭は姿勢を正して言った。


「ウーリの皆様、お詫びを申し上げたい。我々の指導不足も明らかだ。ブルクハルトさん、お子さんを危険な目に遭わせてしまった事を許して欲しい」

「そんな……司祭様……。これは私のせいです……申し訳ありません……」


 牛飼いはそう言ってさらに項垂れた。


「修道院長? 君は謝らんのかね?」


 司祭に言われ、修道院長も謝らないわけには行かなかった。

 しかし、普段権威を振りかざしているので平民に謝ったことがない。


「も、申し訳ございません……」


 ぎこちなく修道院長が頭を下げると、ブルクハルトはそっぽを向いた。


「口だけの謝罪なら聞きたくありませんな」

「クッ」


 ウルリッヒ修道院長は悔しさを唇を噛んで堪えた。

 ブルクハルトはさらに言った。


「言葉よりも、実行だ。ここはクヌフウタさんの言うように、峠の権利のことは捨て置くという事をウーリとしては求めたいですな」

「それは……領地移譲にも等しいではないか……」

「こちらは常に占有的にはしてないのだから、実質的には現状維持の方でしょう。儂らのいる代だけでもそうしませんか。あのような山奥ですし、そうは人も行きませんでしょう? 最近ではここにいる面々くらいだ。この少ない人数の安全くらいは考えた合意が出来なければ、上に立つ資格がありません。それに、司祭様はこちら側へ安全に来ているでしょう。危ないのはこちらだけなんですよ? 修道院の領が恥ずかしくは無いんですか?」


 アルノルト司祭は部屋にいるクヌフウタやエルハルト、そしてアルノルトを見て、とても穏やかに微笑んだ。


「確かに仰る通りです。相互に……という事でしたら」


 ブルクハルトはこの返答には大いに満足し、頷いた。


「さすがは司祭様。話がお分かりになる」

「よろしいですな、修道院長?」


 司祭に言われ、ウルリッヒ修道院長は乱れた髪と姿勢を調えて言った。


「いいでしょう」


 アッティングハウゼンはアルノルト司祭に手を差し出した。


「合意成立のようですな」


 アルノルト司祭はその手をしっかりと握り返した。


「負けました。しかし、むしろ清々しい」

「あなたも? 私もです。これは、聖女様のお陰ですな」

「ええ。クヌフウタ王女のお陰です。聖女様とお呼びなんですね」


 アルノルト司祭が目を丸くしたので、クヌフウタは首を振って言った。


「私は、聖女ではありませんから」


 アッティングハウゼンはクヌフウタを見て長い髭を撫でた。


「聖女とは、誰かから認められてなっていくものですからな。アインジーデルンでも聖女と言われたそうですが、私も聖女だと思うのですよ。権利の悪魔を看破した時から何かが抜けていくような途轍も無いものを感じましたからな。我々はそれこそ頭を抱えたくなるような問題を抱えてここに来たはずですが、今やどうです。見事に清々しい解決を見せた。尋常ならざる精神の風が通って行ったのです」

「それは、ブルクハルトさんがなさったことですわ」


 クヌフウタの言葉に、ブルクハルトは首を振った。


「いえいえ、私のは全くクヌフウタさんの受け売りですよ。私は犯人を捕まえて裁いてやろうという頭でいましたからな。落とし所としてはクヌフウタさんの方法しか浮かばなかったんです」

「これではっきりしたのう。聖女様だからこそ、導かれるようにいい落とし所に達する事が出来た。そちらにも全く悪い話ではなかったはずだ」


 アッティングハウゼンはウルリッヒ修道院長に目を向けたので、修道院長は言いにくそうに言った。


「領民の理解は得られるでしょう……。むしろ、治めやすい」

「万事がうまく収まっている。普通の修道女にこうは出来ないでしょう。どうです?」

「私どもも特別部署を作るくらい、普通の方ではないと認識しておりますよ?」


 アルノルト司祭がそう言えば、クヌフウタは降参したように言った。


「普通ではないのかも知れません……。でもまだ拙い身ですので、あまり持ち上げないで下さい。部署と言っても薬草園と施薬の部署ですし……」


 ペルシタが薬草を指して言った。


「おかげ様で薬草がこんなに出来ました。ここでも採って干していましたが、もう両手に余る程です」


 司祭が壁に掛かった薬草を見て言った。


「これは沢山採れたものですね。下で作っていた以上だ。しかしこれはまるで……」


 ウルリッヒ修道院長はぶら下がっている花の輪を見ては、「魔女の家のようだ……」と呟いた。

 ペルシタはそれをあえて聞き流すように言った。


「この周辺ではいい薬草が多く自生していてすぐ採れますし、それを手伝ってくれた人がいましたのでこんなに沢山に。少し修道院にお分け致しましょうか?」

「それは助かるのですが、正しく施薬出来る人がいなくなりますからね。それはポッカリ穴が開くように、寂しいことです」


 クヌフウタは司祭の手を取って言った。


「司祭様。私を重く用いて下さってありがとうございました。私はただ状況に翻弄されるだけの子供でしたが、ここへ来て一つの仕事をいただいて、自信を持って強く成長できたのです。それは何物にも替え難い日々でした……」

「そう言ってもらえるとこちらも嬉しいよ。私にとっても日々勉強で、特別な日々でしたよ。またエンゲルベルクに立ち寄ってくれると嬉しい」

「はい。必ずまた、寄らせていただきます」


 二人は怪我した手を労わりつつ握手をし、再会を誓った。

 二国間の話が纏まって、エンゲルベルクから来た三人は帰路へ就き、峠への山道を登って行く。

 クヌフウタとペルシタは小屋の戸口に立ち、それを長く見送っていた。

 それから二人は干していた薬草を片付けるが、それを包む布も足りず、多くは裸で紐で括るだけにして馬車に積み上げた。

 そして薬草を掛けていた壁のロープには、外で干していた毛布を吊り下げた。これはエルハルトとアルノルトも手伝った。


「これで準備は完了ですね」


 ペルシタの言葉にクヌフウタは改めて山小屋を見て、ここでの暮らしを思った。


「ここの生活は恵まれ過ぎていましたね。この薬草や花の首飾りを見ればそう思います。私は殆どはまともに歩けなくて、助けられるばかりの日々でしたが……」

「本当に。下にいるより薬草が豊富にありましたからね。薬草を集めて干して、作るだけならここの方がいいくらいです」

「何よりいつもいろんな人達がいて、楽しかったです」

「そうですね。でも初日は私だけで、クヌフウタさんも意識が無くて、不安でしたよ?」

「記憶には無くてお生憎ですが、その節はお世話になりました。皆さんにも助けていただいて、感謝の言葉も無いほどです。でも今は、守ってくれたこの山小屋にも、感謝をしたいのです」


 クヌフウタはそう言って、壁の花の首飾りの前で十字を切り、静かに祈った。


「じゃあ、そろそろ食事にしましょうか」


 エルハルトは持って来た食事をテーブルに広げ始めた。

 クヌフウタは窓の外を指して言う。


「せっかくですから外のテーブルで食べましょう? 最高の席ですから」

「そうですね」


 エルハルトは食事を外のテーブルへ持って行き、丸太の椅子も外へ持ち出し、雄大な山々に囲まれた風景の中、皆で屋外のテーブルを囲み昼食を食べた。

 話題は当然ながらクヌフウタの先程の会談での活躍で持ちきりだった。

 食事を終えると、クヌフウタ達はウーリへ出発することとなるが、エルハルトら羊飼いはまだもうしばらくいる時間だ。

 クヌフウタは羊飼い達に一時の別れを告げに行った。


「では、皆さんお先に」

「少し待ってクヌフウタさん」


 エルハルトは壁に掛かる花の輪を持って来た。


「忘れ物ですよ?」


 そう言ってエルハルトはクヌフウタの首に、そして頭にその花の輪を被せた。


「これは……」


 頭には薄紫の花の冠、首には色とりどりの花の首飾り、それはどこか記憶の端に隠れていた女神を思わせる姿だった。


「やっぱり似合いますね」


 クヌフウタの姿を見てエルハルトが笑うと、ブルクハルトとアッティングハウゼンも目を見開いて感心していた。


「これは春の乙女のようだ」

「いや、それ以上にいい。聖女様には相応しい花飾りですな」


 二人のアーマンは頷き合っている。

 アルノルトもそれを見て言った。


「そのまま乗って行こうよ。ちょっとしたパレードみたいだよ」

「こんな格好でもいいのかしら?」とクヌフウタは恥ずかしがる。

 エルハルトは頷いて言った。


「もちろん。こうなれば俺たちも早目に切り上げることにしよう」

「そう来なくちゃ」


 アンドレアスとヘロンは羊を纏めに掛かった。

 そしてクヌフウタは馬に設えられた輿に乗り、その馬の手綱をブルクハルトが引いて山を下りた。

 その隣に寄り添うように、花を抱えたペルシタが歩いて行く。

 アルノルトの馬が牽く馬車には、荷物と共に薬草の花が山と積まれ、後部にはいつの間にかアッティングハウゼンが乗り込んで後に続いた。

 そしてその後ろには羊飼い組がいて、長く羊の列が続いた。

 その姿はまるで山のパレードだった。 



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