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空と高原


 快晴の青い空に、広い高原の緑はとても映える。頭上遙か高くには、白い雪稜が城のように屋根を連ねている。

 クヌフウタは今日は山小屋の周辺の散歩をし、薬草を少しずつ集めて歩いた。まだひどく頭痛がするが、目眩は引いて来ていた。何よりこの天気と景色の下では家にいるより外の方が心地良い。

 山に吹く清涼な風が髪を揺らした。今日は頭に包帯を巻いてるだけで、修道女のキャップは血の跡だらけなので被っていなかった。服の方は汚れても相変わらず亜麻生地の修道服のままだった。それは一張羅ならば仕方がない。

 ウーリ側の山も草地が多く、薬草もたくさん生えていた。とは言うものの、半ば羊達に食べられてしまっているものも多い。クヌフウタが群生している薬草を見付け、ペルシタとそれを採っていると、早速そこを羊が食べに来る。

 クヌフウタは羊を押し留め、いちいち追い払うが、すぐにまた違う羊がやって来る。

「ここは食べちゃダメ! 判る?」

 ついには羊を捕まえてそう言い聞かすクヌフウタは、羊にとっては少し意地悪な修道女だったかもしれない。

「何を言い聞かせてるんです?」

 エルハルトとアンドレアスはそこへ寄って来て言った。

「この辺りは薬草があるので、食べないように言ってるんです」

 羊飼い達は一斉に笑った。

「それは無理ですね」

「ずっと番でもしてないと無理だ」

 クヌフウタは少し拗ねたように言った。

「じゃあ私、番してます」

 アンドレアスは慌てて言った。

「番をしててもしばらくの事でしょう。ひと夏となると無理な話だ」

 確かにしばらく番をしたくらいでは来年の花を守れるかは望み薄だったが、クヌフウタはまだ薬草を守って羊を通せんぼしている。

 エルハルトが思い出して言った。

「この上の方にも少し平原があるんですよ。そこの方が薬草が手付かずでありそうですね」

「本当ですか! 行ってみたいけど、こんな急な坂では今の体力では無理かしら」

 エルハルトは少し下の池のある方を指して言った。

「池の上の方に道があるでしょう。ここから斜めにあそこまで登って行けば道に出て、そんなに無理なく行けると思いますよ」

「ありがとう、行ってみます」

「そう言えば、今日はエドフィーユさんが来てくれるとか。小屋で待ってた方がいいんじゃないですか?」

「でも、いつ来るか判りませんし……こんなに薬草があると思うと勿体なくて」

 そこへ、池の向こうの草原の坂を登り、上の道を歩いて行く小さな二つの人影が見えた。

「あれはもしかして……たぶん、エドフィーユさんだ! おーい!」

 向こうでも気が付いて手を振っているが、そのまま上へ上へと歩いて行く。

「お目当ては同じようだ。薬草を採りに行くみたいですね」

「では、私も行ってみます」

 クヌフウタはペルシタを伴い、山の斜面を斜めに坂を登って行った。

 草は時に深く、傾斜はかなり厳しいが、斜めに進めば負担は少ない。

 その上の尾根状の所には、広く平らな草原があった。

「ここは……」

 そこは高山の花の宝庫だった。あまり見ない植物も多く咲いている。

 その向こうではエドフィーユが薬草を採っている。後ろではセネカもそれを手伝っている。

 クヌフウタはそこへ歩いて行き、声を掛けた。

「こんにちは。何を採ってるんですか?」

「あなたがアルノルトが言ってた頭に怪我した人ね? もう歩いてもいいのかしら?」

「あ、はい……少しは歩かないと体が鈍ってしまいますから、薬草を集めてるんです」

「それにしてはよく登って来たわ。今採っているのは、これね。星の花」

 エドフィーユは瑠璃色の花を見せて言った。

「花が星の形でしょう? 葉はスープやおひたしにして食べられるの」

「ああ、これはボリジですね。風邪や頭痛にいい薬草です」

 エドフィーユはふふと笑って言った。

「噂通り詳しいわね。でも、あなたの怪我した体にもいいと思うわ」

「そう言えば私、頭痛が酷いんです……」

 クヌフウタがそう言うと、ペルシタはハサミを取り出してその花を幾つか採った。クヌフウタは手を怪我しているので、あまり手を使わせない方が良かった。

 エドフィーユが白い花を見付けて言った。

「頭痛なら、このマトリカリアも効くわ」

 クヌフウタは白いカモミールにも似たその花を手に取って言った。

「ムタークラウトですね。これは私達は風邪の熱に使います」

「私達も主には風邪の熱冷ましね。呼び方は違えど同じね」

「同じですね」

 クヌフウタとエドフィーユは笑い合い、エドフィーユは先を譲った。

「どうぞ、先に採って」

「あなたが見付けたのでは?」

「どうぞどうぞ」

 クヌフウタは白い花だけを幾つか鋏で切って採った。

「花だけ? これは葉を採らなきゃ。食べられるし、窓に掛けておけば虫除けになるのよ」

「そうなんですね。私達は花をお茶にするんですが、葉も一緒にお茶にする事はありますね」

 クヌフウタが花を採り終えると、エドフィーユは全草を幾つも採った。

 クヌフウタは取り過ぎだと言おうとしたが、

「この花は繁殖しやすいんですよね」と、自分でも虫除け用にと全草を採った。

 ペルシタは黄色い綺麗な花を見付け、見入っていた。デイジーにも似ているが、花片はさらに秀麗に長い。

「綺麗な花ですね。これは薬草かしら?」

 クヌフウタはそれに近寄って見る。

「この辺りでは時々見る花ですけど、何でしょうね。とても優しげで、薬草になる気がします」

 エドフィーユが言った。

「それも探していた花! 狼の花ね。狼が食べると、可愛くなっちゃうの」

「可愛く?」

「ええ。打ち身の怪我にもいいわ」

「私、そう言えば手を打ち身して……」

「じゃあ、たくさんあるといいわね。もうすぐある夏至のお祭りにも使うの。セネカ?」

 その間、セネカは長く連なる薄紫の花を見付けて冠を編んでいた。

「あら、セネカ。いい物作ってるわね。そのユノーの花も探してたのよ」

 エドフィーユはその花を幾つか採り、続けて言った。それは山の言葉だ。

「セネカ、狼の花を見付けて。またあのクッキーを作っておかなくちゃ」

「うん」

 セネカは出来たての花の冠を被り、花を探して歩いた。花を探しつつ、花の腕輪を作った。

 黄色の花が咲いていれば目立つので、それは簡単に見付ける事が出来た。クヌフウタとペルシタも一緒に歩いてその花を探すのを手伝い、狼の花はセネカのスカートの上に一杯になった。

「少し取り過ぎちゃったかしら……多過ぎ」

 クヌフウタはセネカに手振りで大盛りを作ってそう伝えた。

「この花はいっぱい欲しいからいいの」

 と、セネカは山の言葉で言った。それはクヌフウタには判る言葉だった。

「まあ、古いラテン語? あなたはラテン語を話すのね?」

「ラテン? ラエティアの言葉よ? 異国の人なのに判るの?」

「ええ。教会では神様の言葉として勉強するの。古いラテン語のままを話す人がまだいるなんて」

「山の人は普通に話す言葉よ」

 二人は話をしながらエドフィーユの所へそれを持って行き、花を纏めている場所にそれを置いた。

「たくさん見付かったわね」

 エドフィーユがそう言うと、セネカはクヌフウタとペルシタを指して、「二人のお陰」と言った。

「セネカは私達二人より多かったわ」

「これくらい?」

 セネカが集めた分量を取り分けると、二人は笑い合った。

「来年咲く分まで取ってしまったかしら? つい多く採り過ぎました」

「来年の分? そういう事も考えて採らないとね」

 エドフィーユはセネカに取り過ぎを注意したが、そんなに気にする事もないくらいにまだ多く咲いていた。

 セネカは長細く連なる花を取って、自分の腕に巻いて付けた。

「これ腕輪」

「かわいい腕輪ね」

 セネカは腕からそれを外し、クヌフウタの怪我した方の腕にその腕輪を巻いて、輪を閉じて結んでくれた。

「あら、ありがとう。何の花かしら?」

 エドフィーユがそれを見て言った。

「それは悪い霊から身を守ってくれる、神聖な花なのよ。ユノーの花といって、ユピテルの妃ユノーの現し身と言われているの」

 それはキリスト教からは明らかに異教だが、それが古代ローマの神であることは知っている。神聖ローマ帝国はローマ帝国を引き継いでいるので、この時はまだその名は世に忘れられてはいなかった。

「そんな凄いものを頂いてもいいのかしら?」

「ユノーの花、ユノーの花。怪我が早く治りますように」

 セネカは腕輪を擦ってそう言っている。エドフィーユが通訳して言った。

「早く怪我が治りますようにって」

 クヌフウタはエドフィーユに目で微笑んで言った。

「実は判るんです。ほぼ古いラテン語のようですから」

「山の言葉が判るのね!」

 セネカは続けて言った。

「これずっと着けててね。きっと治りが早くなるわ」

「ありがとう。お気持ちに感謝します」

 クヌフウタはセネカと手を握り合い、握手をした。

 その後二人は仲良くなり、一緒に花の腕輪や首飾りを作った。

 そこへ下の方から坂を登ってエルハルトがやって来て手を振った。その後ろには何故かアフラもいる。

「お久しぶりです、エドフィーユさん」

 エドフィーユは手を振り返し、エルハルトの方へ歩いて行った。

「こんにちは。元気だったかしら?」

「はい。こっちは妹のアフラです。おかげさまで熱病も治って、すっかり元気になりました」

「あら、じゃあこの子が? はじめましてね」

 エドフィーユがアフラに少し屈むと、アフラはスカートを摘まんで挨拶をした。

「アフラです。はじめまして。薬をいただいて、ありがとうございました」

 アフラはスカートを広げて貴族風にも近い礼をした。

「あらあら、兄妹で似ていること。そんな他人行儀な礼はいいのよ。苦手だから」

「でも、兄さんが重々礼をしろって言うので……」

「まあ、厳しいお兄さんなのね」

 エルハルトは首を振る。

「いえいえ。普通に礼をしろと言っただけですから」

「まあ、お礼をする事はいいことよね」

 エルハルトはさら重ねて礼を言った。

「本当に感謝しています。アフラの命の恩人です。何かお返しさせて下さい」

「いいのよ。治ったことこそ嬉しいことだわ。それより、あなた。最近何か異変があった?」

 エドフィーユはエルハルトの顔を覗き込んだ。

 エルハルトには心当たりがあった。しかし、それがエドフィーユに判るはずは無い。

 そこへクヌフウタとペルシタ、そしてセネカがやって来た。

 クヌフウタは今や花の冠を被り、花の首飾りと花の腕輪をしている。

 アフラは思わず溜め息を吐いた。

「クヌフウタさん、綺麗……」

「あら? アフラも来たのね」

 クヌフウタの飾り気の無い亜麻の生成の服に、その花の飾りはとても映えた。古代でもそうであったろうその姿は、まるで太古の女神の姿を彷彿とさせた。

 エルハルトはそれを見て、時空間を飛び越えたような錯覚に陥った。数百年、数千年を越えて、古代の姿がここへ繋がっているような、そんな気がした。

 エドフィーユはおもむろにクヌフウタの花の冠を取り、そしてそれをエルハルトの頭に乗せた。

 クヌフウタに見とれていたエルハルトは、どこかへ行った意識が戻って来て、何が起こったか良く判らなかった。

「何を……したんですか?」

「浄化してるの。何か悪いものがわだかまっているわ。しばらくそれを着けておいてね」

「はい……」

 エルハルトは何だか毒気が抜けていくような気がした。

 アフラはそれを見て言った。

「わあ兄さん、かっこいいわ。ギリシアから来たみたいよ」

 クヌフウタも驚いてそれを見た。

「とてもいい雰囲気です。この花は人を神聖な雰囲気にしてしまうんですね」

「そうでしょう? それだけじゃなく、本当に浄化して、身も心も健やかになるの」

「聖水のようなものですね」

「聖なる花ね。生きているんだもの。それ以上だわ」

 アフラはセネカにも挨拶をした。

「セネカもお久しぶりね。かわいいわねその腕輪……。あれ? これ、守ってくれる腕輪……」

 エドフィーユが言った。

「あら? 知っているのかしら?」

「ジェミに教えてもらったの。夢の中で……」

「夢で?」

「夢の中でジェミが作ってくれたの。この花は悪いものから守ってくれるって」

「そう。この花はよく夢を見せてくれるのよ。花は夢の中にこそ真の花を咲かせていて、その夢を通して世界を見ているの。夢で繋がっているのよ」

 アフラはその時夢で見た花々を思った。花の中で目を覚まし、夢のようなお花畑がそこにはあったのだ。それはちょうど、この場所のようなところだった。

「不思議な夢だったわ。お花畑に半分寝たままのお婆さんが出て来て、お婆さんは目を瞑ったまま夢で世界を見て歩いていたわ。それで一緒にジェミの森の家に行ったの」

「寝たまま……まさか……」

 エドフィーユは少し泣きそうな眼差しになった。

 クヌフウタがエドフィーユに姿勢を改めて言った。

「遅ればせながら、私はクヌフウタと申します。この通りの修道女です」

 少し動揺を残しつつ、エドフィーユが言った。

「エドフィーユです。この通りって、その格好は修道女と言うより女神様のようよ?」

「そうでしょうか?」とクヌフウタは花で飾った自身の服装を振り返った。

 ペルシタも自己紹介した。

「私も同じく修道女のペルシタと申します」

 エドフィーユはその名に心当たりがあるように言った。

「ペルヒタね?」

「ペルシタです」

「いえ、名前の由来よ。ペルヒタなら少し怖い女神よ。働き者には優しいのだけど」

「そんな由来が?」

「冬至のパレードの異形の仮面はこの女神なのよ。怠け者には嵐や悪霊を呼ぶぞって脅かすのよ」

 中欧の各地には冬至の祭りの頃に少し異形の仮面を着ける風習が多くあった。

 ウーリにもまだそんな風習は残っていたし、ボヘミアにもそれはあった。

「へえ。そうなんですか。よく仮面を作りましたよ」とエルハルトが笑った。

 ペルシタも「知りませんでした」と驚いている。

「そういう大事なことを隠してしまってるのよね」

 その間にセネカは少し離れて背丈くらいの花から種を取っている。

「その花は習ったわ。確か食べられるの。確か名前は……」

 アフラがそう言うと、セネカが「フェンケル」と言っている。

「そう。フェンネルね。フェンケル?」

 セネカはうんと頷いた。

 エドフィーユは言った。

「フェンケルよね? この種は持っているとお守りになるのよ」

 クヌフウタもやって来て言った。

「お守りですか? 私達はその種を胃薬にしてます。そしてこの球根を食べるんです」

 クヌフウタはフェンネルの根茎を掘り出して、根っ子ごと引っこ抜く。

「あ、イタッ」とセネカが何故か痛そうな顔をする。

「どこか痛いの?」

 エドフィーユが苦笑いで言った。

「フェンケルは大きくなると家の守り神になるの。小さい子を抜いては可哀想よ」

「守り神ですか……」

 修道女のクヌフウタには花が守り神になるという感覚はまるで判らなかった。

「キリストの人には難しいかしら? 幾つかの花は神様の現し身だと私達には伝えられているの。花は神様が生んだもの。ならば担当の神様がいても不思議はないでしょう?」

「フェンネルは何の神様なんです?」

「この花はお酒の神バッカスね。茎はバッカスの杖になるの。ユノーの花はユピテルとユノーの冠……でも、こんな話をすると魔女と呼ばれるのね。聞かなかった事にしてね」

「花にも神様がいるんですね。何て奥が深いんでしょう」

 古代神話の中で見た神名が日常のように出て来て、クヌフウタは時を越えてその文明がまだ生きているのを見た気がした。エドフィーユの伝える伝統は、古いままを受け継いで、今も彼女らの生活の中で息づいているのだ。

 アフラはクヌフウタが抜いた小さめのフェンネルの草を受け取って言った。

「この花、山小屋の所に植えてあげましょう? 小屋の守り神になってもらうの」

 クヌフウタは頷いた。

「それはいい考えね」

「そうしましょう! セネカ、これは向こうに植え替えるわ」

 アフラが山小屋を指差して、手振りを加えて言うと、セネカはそれが判ったように笑って頷いた。

 クヌフウタは採った花を腰布に纏めつつ言った。

「ところで、アフラはお父さんのお許しが無くて来れないって言ってたのに……よく来れたわね」

「朝からお父さんが遠くへ出かけたので、弟と歩いて来ました」

 エルハルトは会話に横から入って来て言った。

「ちゃんと母さんに言って来たんだろうな」

「もちろん言ってきたわ。父さんには内緒……」

「しょうがないな。父さんがここへ戻らなければいいけどな」

「ここに来てたの! あぶなーい!」

「行き先も知らずに飛び出して来たのか。今はアルノルトとエドフィーユさんの家……ジェミの家に行ってる」

「あ、私も行きたい。どうしていつも兄さんだけ……」

「アルノルトは重要な仕事だ。父さんの助手でも出来たなら、一緒に連れて行ってくれるだろうけどな」

「助手? それ難しいの?」

「文章の仕事も多いし、文書が扱えれば、少しは役に立つんじゃないかな。ほぼラテン語だけどな」

「勉強してみようかしら?」

 そう言っていると、エドフィーユがエルハルトに話し掛けてきた。

「エルハルト君。まだ取れてないわね。あなた少し深刻よ。大丈夫?」

「ええ。大丈夫ですよ?」

「あなたはどこでそんなに悪いものを付けてきたのかしら?」

 エルハルトは心に押し込めたものを射貫かれたような気持ちになった。

「判るんですか?」

「判りますとも。心は見えないけど、力よ? 震えが来る程凶悪な気配がいっぱいよ。シスターもそれに巻き込まれて怪我をしたのかもしれないわ」

「まさか……でも、当たってる……」

 クヌフウタが怪我をした時、エルハルトはすぐ近くにいた。その前にはエルハルトが立ち塞がっていて、クヌフウタは急にその影から飛び出して石に当たったのだ。思えばその石は自分を目掛けて投げられたものだったに違いない。

「少し前に戦いの場に行ったんです。盗賊の討伐隊に……」

「それは酷いわね……。そこは呪いと悪霊の巣だったんだわ」

「どうすれば取れますか?」

 エドフィーユは考えたが首を振った。

「儀式がいるわね……でも、キリスト教の人にはダメなのよ。魔女だと騒ぎ出すから」

「騒ぎませんよ」

「騒がなくても心がね、魔女だって忌避して思うでしょう。魔男はいないくせに」

「魔男……確かに聞かないですね。でも、近くにいる人に危険を及ぼすなら、儀式でも何でもやりますよ」

「じゃあ、自分でやる? 魔男になるとしても?」

「はあ。俺に出来る事なら……」

 エドフィーユはざっと数種類その儀式を説明するが、それは途方もないものだった。

「まあ、やるかどうかはあなたの自由ね。お手伝いはするわ」

「無理だ……」

 そうは言いながら、エルハルトはそれをどうやったら出来るかを考えていた。

「あのハーブがあるといいわね」

 エドフィーユとセネカは黄色い花を取りに少し迂回して歩いた。

 クヌフウタは見慣れたその花を見て言った。

「あれは、ヨハンニスクラウト! 来るときには気が付かなかったわ」

 クヌフウタとペルシタ、ついでにアフラもその花へと歩いて行く。

 エドフィーユは黄色い花を掲げて振り返った。

「ハルトイ草。これね」

 クヌフウタはそれを見て。見つかって嬉しそうな顔をした。

「それは私達には血止めの薬なんです。とても欲しかったのです」

「そう? これは心の中から悪霊を追い出してくれる花。血止めならこれより向こうの花ね」

 少し離れた所には、赤い花が群生している。エドフィーユはそれを摘んで言った。

「ノコギリの草。この葉が私達の血止めの薬よ。これも壁に掛けると悪霊を追い出してくれるわ。たくさん欲しいわね」

 エドフィーユとセネカはまだ蕾の多いノコギリ状の草を集めた。

 クヌフウタ達は黄色い花を集めて歩いた。もちろんアフラもそれを手伝った。

 先に坂を下りて来たエルハルトに、下で赤い馬車を引いて遊んでいたマリウスが声を掛けた。

「お兄ちゃんお腹空いた」

「こんな遠出するのに昼食を持って来なかったのか?」

 エルハルトは坂を見上げた。まだ皆んなで薬草をたくさん集めていて、なかなか下りて来なそうだ。

 エルハルトは先に昼食の用意をすることにした。

 マリウスと羊飼い達は外のテーブルで昼食を食べた。マリウスの食べた分はエルハルトの分を分けたものだった。

 


 山小屋へ着いたエドフィーユはエルハルトに一言「いろいろいじっていい?」と許可を貰い、壁に紐を吊ってノコギリの草をあちこちに吊り下げた。

 クヌフウタもその紐に採って来た花を吊り下げるので、壁は吊り下がる花だらけになった。

 エドフィーユはさらに持って来ていたハーブを囲炉裏で燃やし、小屋の中は煙い程の煙で充満する。これも悪いものを追い出すためだと言う。

 そしてエドフィーユはフェンネルの種とユノーの花、ノコギリ草とハルトイ草を小さな布に包み、口をリボンで縛った。そしてそれをエルハルトに渡した。

「これはお守りポプリよ。フェンケルの種も入っているし、このまま儀式にも使えるわ。しばらく肌身離さず持っていて」

「ありがとう……」

 エルハルトが少し鼻を近付けると、それは少し落ち着くようないい香りがする。しかしエルハルトの服にはポケットも無く、手に持ってウロウロする事となり、しばらくして腰紐に挟み込んだ。

「さあ、じゃあスープを作りましょうか」

 エドフィーユはそう言って鹿の心臓と採ってきた薬草を取り出し、既に火の点いていた囲炉裏でスープを作り始めた。

 小屋の外ではアフラとセネカが持って来たフェンネルの株を植えていた。

 マリウスも一緒だったが、「何をするの?」と見ているだけだ。

 石を掘り出して、その穴にフェンネルを植え、しっかりと土を被せる。そして倒れないように柔らかい土の上を三人で歩いて踏み固めた。

「このフェンネルさんは、本当に守り神になるのかしら?」

 セネカは「フェンケル大きく育つ」と言いながら、撫でたり水を撒く仕草をしている。

「水をあげましょうか」

 アフラはコップに水を汲み、フェンネルに水をあげた。

 セネカは手を大きく上げて背伸びをしている。これくらい大きくなると言っているようだ。

「しっかり根付いて大きくなるといいわね。そしたら守ってくれるかしら?」

 アフラはその花が成長するのが楽しみになった。

 セネカを持っていたフェンネルの種を植え始めた。

 それを見てマリウスが聞いた。

「種も植えるの?」

「うん」

「まかせて。少し掘ってあげる」

 マリウスは折り畳みナイフを出し、その種を植える穴を掘って、セネカを手伝った。


 しばらくすると、少し変わったスープの匂いが漂って来た。

 匂いに釣られてアフラとマリウス、そしてセネカも家に戻って来た。

「おいしそうなような、臭いような変な匂い」

 エドフィーユはスープと睨めっこするようにずっとかき混ぜて続けていた。そうすることにも何か意味があるようだ。

「さあ、出来たわ。クヌフウタさんどうぞ。ペルシタさんも良ければ」

「私もいいんですか?」と、ペルシタが嬉しそうな顔をする。

「多めにありますからどうぞ。とは言え薬膳ですから味はもう一つだけど」

 エドフィーユは木のお椀にスープを入れ、クヌフウタに渡した。

「ありがとうございます」

「たくさん食べて元気になってね。そう思いを入れつつ作ったから、効き目は倍増のはずよ」

「何が入っているんです?」

「鹿の心臓に、ニンニク、ネセルの葉、星の花の葉、ノコギリの草の葉と狼の花の根。おまけに追加してマトリカリアの葉も入っているわ。少し苦いかも」

「鹿の心臓! それに今採って来たものが皆んな入ってるんですね」

「そうね。鹿の心臓は血や肉を作ってくれるし、ネセルも血が足りない時にいいの。皆傷に効くいいお薬よ。狼の花は打ち身に良くて、あと少し……あっちの方も元気に……」

「あっちの方?」

「媚薬の効果があるの。修道女の人にはあまり関係無いかもしれないけど」

「それはあまり関係ありませんわね」

 一つ苦笑いをしたクヌフウタは、それを一口食べてさらに苦そうな顔をした。

「複雑な味ですね。美味しいような少し苦いような……」

「苦味の部分こそお薬なのよ。体に良い方がいいでしょう?」

 ペルシタも一口食べ、同じような顔をして微笑んだ。

「苦みもそう思えば、美味しく思えてきますね」

 エドフィーユはセネカとアフラにもスープを入れてあげた。

「あなた達も食べて」

「わあ、ありがとう。でも苦かったら食べられるかしら……」

「残しちゃダメよ。山向こうに狼がいるから、捨てては帰れないわ」

 そう言われてアフラは苦いのを我慢してそれを食べた。

「苦い?」とマリウスは聞いただけで、もう逃げ出してそれを食べなかった。

 セネカは食べ慣れてるのか、普通にスープを平らげた。



 エルハルトは空を見ていた。少し前は快晴だったが、今は少し雲が出て来て、どうやら雨になりそうだ。

「エドフィーユさん、もうすぐ雨になりそうです。しかもたぶん、強い雨です。早めに帰った方がいいかもしれません」

 エルハルトが小屋へ入って来て言うその言葉に、エドフィーユは首を傾げた。

「まだ晴れているのに、どうして判るのかしら?」

 アフラが解説して言った。

「兄さんのお天気予想はかなり当たるんです。たぶんはほぼ当たるんです」

「そうなの? じゃあスープも作ったし、早めに帰ろうかしら」

「それがいいです。出来れば僕らも早めに切り上げようかと」

「例の儀式はもういいの?」

 エルハルトは頷いた。

「人がいないところでないと出来ないんでしょう?」

「でも、その点ではこの周辺の方がやりやすそうなのだけど。やるなら残って見てあげてもいいのだけど」

 エルハルトは少し考えて言った。

「今から下りてもたぶん途中で強い雨に遭います。今日はここに雨宿りで一泊するという選択もあるんですが……」

「そうね。じゃあ皆で雨宿りしちゃいましょう」

「ご家族が心配しません?」

「ここにいるのは知ってるし、大丈夫よ」

「ただ問題は、そんなに蒲団が足りるかどうか……」

 アフラは目を大きく開けて言った。

「私は雨でも絶対帰らなきゃ! マリウス、急いで帰るわよ」

「もう? 馬車持って帰りたい……」

「アル兄さんも馬もいないし、後でいいじゃない」

「ボク、手で引いて帰るよ……じゃあまたね」

 マリウスはセネカに手を振った。セネカも小さな手を振り返す。

 クヌフウタはアフラを見送りに立った。

「気を付けて。今度は家の人にもしっかり言って来てね。こんな山だから」

「はい。じゃあ、また来ます!」

 アフラは手を振ってアルプを下って行った。マリウスは馬車を自身で引きつつそれを追った。

 エドフィーユは二人に手を振って言った。

「今度家にも来てね。ジェミもいるから」

「はい! ありがとう!」

 アフラ達が山を下って行くと、次第に厚い雲が空を覆って来た。

 エドフィーユが空を見上げて感心げに言った。

「本当に雨が降りそうだわ。これは当たりね」

「思ったより早く来そうです。慌てて出ても雨に降られてましたね。アフラ達は大丈夫かな」

 エルハルトはしばらく外へ出て、アフラの行った方向を見ていた。


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