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イサベラの帰国


 翌朝、雨は上がり、空はまだ星が見えていた。

 羊飼い一行は、まだ暗いうちから家を出て、山へ続く道を上っていた。

 エルハルトが羊の群れを先導し、アンドレアスとヘロンが間に入り、アルノルトが羊を追って歩く。

 その後ろには、アフラとイサベラも続いている。荷物を山積した小さな馬車を葦毛の仔馬が牽き、その馬をアフラが引いていた。イサベラは疲れるまではとその隣を歩いている。その白い服はアフラのスモック着を譲って貰ったものだった。

 夜明け前の暗いうちから起き出すのはイサベラにとってもいつもの事で、それほど苦ではなかったが、やはり慣れない山の登り道、すぐに疲れて次第に遅れて来た。


「イサベラさん、疲れてるみたい? 馬に乗った方が……」

「でも……乗るには誰か呼び戻さないといけないし……」

「じゃあ、少し待って下さいね」


 アフラは馬車に積んである蒲団を積み直し、そこに座れるようにした。他の荷物は下敷きになっているが、触ると固いものばかりなので気にしない。


「ここへどうぞ」

「ありがとう」


 イサベラは馬車に乗り込んで、馬は少し重そうに前に進み出した。車輪が小さいので、重いと石の凹凸が良く引っかかる。アフラはその度に馬の手綱を思い切り強く引くので、アルノルトが走って来た。


「こらあ。そんなに強く手綱を引っ張ったら可哀想だろう。手綱を引っ張っても馬車は引けない。馬が痛いだけだ。馬車が引っかかったら、車輪を持ち上げるか、後ろに乗って前輪を上げるんだ」

「そうだったの? 早く言って?」

「それくらい見て判れ。イサベラお嬢さんは馬車に乗ったんだ」

「お陰様で乗り心地がいいわ」とイサベラが笑う。


「少し後ろの方に乗るといいね。先に言っとくと、岩だらけや草だらけの所もあるから、そこは馬を降りて、馬車を押して行くんだ。まあ手伝いに来るよ」


 道は山を巻くように続き、時に縫うように急な斜面を登って行く。

 山を一つ越えて裏側へ抜けると、そこには高原が広がった。真ん中には大きな池がある。

 イサベラは感嘆の声を上げた。


「わあ。綺麗な場所ね」

「着いたかしら?」


 アフラはかなりへばった声で言った。

 アルノルトは走ってやって来た。


「ここからは、草だらけだ。勾配も少ないし、馬車を降りて押して行こう」

「私もう疲れた。もう少しね?」

「ああ、ここはもう放牧地に入ってる。でも道があってないようなものだから」


 そこからはイサベラは馬車を降り、ついでに馬の手綱を持った。自由になったアフラは後ろをフラフラして歩いている。アルノルトは「アフラも押せ」と言いつつ後ろから馬車を押した。

 イサベラは馬を引きつつも、こうして一緒に高原の湖畔を行くことがなんだか楽しい。

 池の先には小川が流れ、その先の草原の高い場所に山小屋が見えた。喜ぶのも束の間、そこから岩だらけの急勾配の道があり、そこからは男達四人で持ち上げるように馬車を上へと上げた。そうしてようやく、夏の山小屋へと着いたのだった。


「クヌフウタさーん!」

「おはようございます。体のお加減はどうですか?」


 アフラとイサベラが小屋へ入ると、クヌフウタは寝床に座っていたが、その異変に驚いた。

 クヌフウタは髪が肩ほどに短くなっていて、さらにそれを三つ編みで結い上げている。


「髪を切ってしまったんですか?」とイサベラが驚いて聞く。


「ええ……」

「あんな綺麗な長い髪でしたのに……勿体ない」

「少し長過ぎて、大変だったの……」


 クヌフウタは頭を押さえて、少し辛そうにしている。

 ペルシタはそんなクヌフウタに言った。


「さっきまたたくさん血が出たんですから、寝てて下さい」

「いえ、挨拶くらいは大丈夫ですから……」


 アフラはその様子を見て言った。


「傷が開いてしまったんですか?」

「ええ。私の不注意です……朝起きる時に髪の上に手を着いて、髪を引っ張ってしまって……。朝から大出血でした……」

「えっ! 大丈夫なんですか!」


 ペルシタが苦笑いで言った。


「すぐに私が結び直しましたから、ひとまずは大丈夫です」

「大変助かりました。三つ編みまでしていただいて」


 クヌフウタが傷の場所を見せれば、髪を結んだその上に、さらに三つ編みをして傷周りを少し補強している。対称の場所にも三つ編みをして、見栄えを良くしていた。

 アフラはそれをしげしげと見て言った。


「クヌフウタさん、かわいい」


 イサベラにも「かわいいわ」と好評だ。

 そこへエルハルトとアルノルトが入って来た。アルノルトは大きな袋を抱えている。


「おはよう。いろいろ持って来たよ」


 エルハルトは前が見えないほど蒲団を抱え、部屋の隅に置いた。


「おはようございます。クヌフウタさん。良かった。起きてますね」

「おはようございます……」


 エルハルトはクヌフウタの顔色が悪く、また髪が短くなっているのを見ても、気にしないように明るく言った。ともあれ無事を確認出来た。それは何より嬉しい事だった。


「食べ物も持って来てますよ。朝食にしませんか?」


 クヌフウタの顔には元気が灯った。


「ありがとうございます。昨日からあまり食べていませんから、お腹も空いてました」


 ペルシタもそれは同じだ。


「本当に。誠にありがとうございます」

「お待ち遠様でした。どうぞ食べて下さい」


 そう言ってアルノルトが持って来た袋からサンドイッチの入った籠を出すと、籠が偏平に潰れていた。周囲にあったパンも潰れ、籠を開けるとサンドイッチも潰れている。


「アーフーラー……」


 アルノルトに睨まれたアフラは、頭を抱えて言った。


「ごめんなさい……。でも、私のせい? イサベラさんの座ったせい……」


 イサベラは口に両手を当て、苦笑いを返すよりない。


「人のせいにしない!」


 アルノルトはアフラの頭をコツいた。


「キャウ!」


 アフラは頭を腕で抱え込むが数瞬遅れだ。


「大丈夫ですよ。これくらいは気にしませんから」


 クヌフウタはそう言って、ペルシタとサンドイッチを食べ始めた。


「美味しいです。何よりのご馳走です」

「本当ですね。こんな山で有難いことです」


 小さく頬張りつつ微笑む二人にアフラが言った。


「カモミールをいれましょうか。持って来ましたから。あとはお湯さえあれば」

「お湯はどうやって?」

「薬缶を持って来ましたから! 今沸かしますね」


 アフラはそう言って薬缶を取りに外へ行った。


「カップも幾つか持って来てあるよ」


 アルノルトはそう外を指差して言った。

 イサベラも外へ歩きつつ振り返って言った。


「ハーブをお茶にするにも困らないですよ。あと着替えもあります」

「持って来よう」


 アルノルトとイサベラは外の馬車へ取りに行く。

 エルハルトは囲炉裏を見て言った。


「火をどうするつもりだ。もうさすがに薪は燃え尽きてますね」


 エルハルトは薪を足し、種火から火を起こしにかかった。

 クヌフウタは感心して言った。


「すごくチームワークが良いですね。さすがは兄妹です。私達も修道院では姉妹と呼び合いますが、本当の兄弟にはとても敵いませんね」


 器用に火を起こし、エルハルトは苦笑いを向けて言った。


「いえ。慣れっこなだけですよ」


 その笑顔が何か寂しそうなのを、クヌフウタは何故だろうと思った。

 アフラが薬缶に水を入れ、小屋の中に持って来た。


「兄さんこれ掛けて」

「ああ、貸して」


 囲炉裏は煉瓦が数段積まれ、周りを囲われただけのもので、そこに薪を組んで火が燃えている。火の上には煙突状の屋根から長く吊り下がった引っ掛け金具があり、エルハルトはそこに薬缶を吊り下げた。暖房と調理場を兼ねるような構造になっているものだ。

 アルノルトとイサベラも入って来て、持って来た物をテーブルの上に並べた。

 イサベラが服を持ってクヌフウタの方へ来た。


「クヌフウタさんとペルシタさんに、着替えをいただいて来たんです。血が付いているでしょうから、後で着替えて下さい」

「何から何まで、ありがとうございます」

「ひとつ黒の修道服があるんですが、これはアフラの叔母さんの形見だそうです」

「まあ、そんな大事な物を……いいんですか?」


 そうクヌフウタに聞かれたアフラは、エルハルトに聞いた。


「本当にいい?」


 そう聞かれたエルハルトは少し驚いたように言った。


「もちろん! クヌフウタさんに役立てて貰えるなら本望だろう」


 クヌフウタは黒の服を広げてみて言った。


「いいサイズですね。ペルシタさんでもいいですか? ペルシタさんは最近黒もよく着るので」

「も、もちろん!」


 エルハルトは頷くが、アフラが言った。


「出来ればクヌフウタさんでお願いします。色んなお礼も込めて」


 クヌフウタは「判りました」と不可解そうに微笑んだ。

 しばらくするとお湯も煮え立ち、アフラは薬缶を取ろうとするが、


「熱いっ。兄さん手が熱い」

「しょうがないな」


 エルハルトは薬缶を取ってやり、テーブルまで運んでやった。

 イサベラはそこにカップを四つ並べ、カモミールの花を入れ、アフラは薬缶のお湯をそこへ注いだ。待つ事四分でカモミールティーの出来上がりだ。


「いい香り。クヌフウタさん、ペルシタさん、お茶をどうぞ」

「ありがとう」


 クヌフウタとペルシタは、カモミールティーを受け取り、一口飲んだ。


「ああ、ほっとしますね。とても落ち着きます」

「美味しく四分で淹れて下さって、ありがとう」とペルシタはアフラにお礼をした。


「良かったです。私も飲もう。イサベラさんもどうぞ」


 アフラとイサベラもカモミールティーを飲んだ。

 イサベラはとても好物なので、目を輝かせて言った。


「美味しい。山の中でもカモミールのお茶をいただけるなんて、嬉しいですね」


 クヌフウタは頷きつつも、少し心配になった。


「本当に。こんなに色々持って来ていただいてありがとうございます。持って帰るのに大変ではありません?」


 エルハルトは笑って言った。


「もうすぐこの夏の小屋に住み込んで放牧する時期なんです。ちょうど準備にもなって良かったんです」

「そうでしたか。ここも前よりは暖かくなって来ましたからね」


 アルノルトがアフラに言った。


「僕らにはお茶を淹れてくれないのかい?」

「あ。カップが足りないの。私のこれ飲む?」

「いい……いや、やっぱりさっきからいい香りだから、ちょっと味見させて」

「はい」


 アルノルトはアフラのカップを貰い、少し飲んでみた。


「おいしい。何だろう、違う世界から来たような味だね」

「でしょう?」


 イサベラはそれを聞いて笑った。


「アフラとそっくりの感想を言うのね」

「そう? アフラは何って」

「異世界の味とか、お花の世界が広がるーとか言うの」


 イサベラがからかうように言うのでアフラは抗議する。


「私そんなこと! 言ってましたね……」

「言ってたのか……」


 クヌフウタがサンドイッチを食べ終わると、アルノルトはそこへ来て言った。


「ところで、クヌフウタさんに伝言があるんだ」

「私に?」

「ウーリの聖ラザロ修道院の医者に相談して来てね。髪の毛が抜けないように十分注意して、しばらくここで動かない方がいいとのことでした。毛が抜けて傷が開いたら、治りが悪くなるそうなんだ」


 クヌフウタは傷付近に手を当ててひどく悔いている。


「そうですか……私、やっちゃいましたね」

「兄さん、それ先に言って? 朝に傷が開いてしまったんですって」


 アフラの言葉に、クヌフウタはとても残念そうにしている。


「はい……朝起きて、寝ぼけたまま手を着いてみたら髪の毛の上で……一気に傷が開いてしまいました」

「ああ……。じゃあその三つ編みや、髪を切ったのも、そのため?」

「そうです。ペルシタさんに結び直して貰いました。やってしまったでしょう?」

「治りが遅くならなければいいけど……ある程度は傷が塞がってから降りる方がいいと、お医者さんは言ってたよ」

「それならほぼ一週間かしら……それは長いですね……」


 悩むクヌフウタに、エルハルトは笑顔で言った。


「心配いりませんよ。食べ物や物資はしばらくこうして毎日届けますから」

「そんなに甘えていいのかしら?」

「いいんですよ。もう夏の準備で毎日来る予定ですから」

「では有難くそうさせていただきます。エンゲルベルクにも知らせないといけませんね」


 ペルシタがそれに答えて言った。


「心配している事でしょう。状況が落ち着けば、私が後で知らせに行きますわ」


 少しすると、そんな心配も杞憂となった。

 アルノルト司祭とピエールが二人で山小屋までやって来たのだ。


「クヌフウタさん! やはりここにいましたか。ご無事ですね?」


 司祭はクヌフウタの顔を見て、ひとまず安心したようだったが、クヌフウタは首を振った。


「一見は大丈夫なんですが、とても無事とは言えない状態です。頭と手に石を受けて、大怪我をしてしまって……とても山を歩けないくらいなんです」

「そうでしたか……牛飼いから話は聞きました。災難でしたな」

「この通り手当てを出来たのが幸いでした。でも、まだ貧血と頭痛が酷い事と、傷も開きやすいので、一週間程ここで治療する事になりました」

「そうですか。出発前のこんな時に怪我をしては大変ですな。まずはしっかり治す事です」

「はい。石を投げた人はどうなりますか?」

「まだ処分は留保しています。当事者双方の話をよく話を聞いてから決める事にしています」


 アルノルトが後ろから司祭に言った。


「エンゲルベルクでは投石器で人を狙って投げても罪にならないんですか。ウーリでは殺人未遂罪ですよ」


 司祭はアルノルトを振り返って言った。


「ウーリの人ですね。明らかな罪はすぐに裁くことも出来るでしょう。しかし、明らかでないものは基本的には人を信じる立場ですから……すぐには捕まえないんです」

「僕等は明らかに狙って石を投げられて、クヌフウタさんとペルシタさんは体を張ってそれを止めてくれた。それでこんな怪我をしてしまったんだ……。今はこうして大丈夫と言えるけど、昨日はとてもそうは言えない……命にも関わるような怪我だったんだ」


 アルノルトは怒りと悲しみで拳を握った。


「君は……?」

「ウーリのアルノルトです」

「私もアルノルトだ。同じ名前。じゃあ……」


 アフラが頷いた。


「私の兄さんです。こちらも兄です。エルハルトと言います」


 エルハルトは礼儀正しく一礼をした。


「アフラのご兄弟でしたか。そして二人とも当事者と言うことだ」


 エルハルトは「はい」と頷き、さらに言った。


「ヒムベリーを採っていると、牛飼い達が勝手に取るなと怒り出して、投石器で石を投げて来たんです。弟のアルノルトも威嚇で一つ投げましたが、まったく当たらないような場所でした。しかしそれに火が着いて石はさらに幾つも近くを飛んで来たんです。ここにいる全員が当たってもおかしくないくらい三人で幾つも投げたんです。実際にクヌフウタさんにそれは、あってはならないことですが、当たってしまいました。これは危害を加える気が無いとは言い逃れ出来ないでしょう」

「それは酷い事を……。エンゲルベルクを代表して、危険な目に遭わせたことをお詫びしたい」

「お詫びはいいんです。罪の無い人を責めるような気は無いんです」


 エルハルトがそう言うが、アルノルトはきっぱりと言った。


「ウーリではウーリ領内の事としてこの罪を裁く予定です。犯人を判るようにだけはしておいて下さい」

「これはまた手厳しく出たものだ。領としてはエンゲルベルクのものだとこちらでは言っているのだが?」

「峠の下までの開拓はウーリが早かったと聞いています。こんなことが無ければ緩衝地として譲り合って使えたのですが、こんな事をする人がいれば一変してしまうでしょう」

「これは子供と思えばまるで大人の意見だね」

「僕はラントアーマンの子です。これは昨夜父と話し合った事を言っているのです。子供の意見だと軽く見ないで下さい」

「そうだったか……これは参りましたね……」


 アルノルト司祭は頭を抱えた。

 一方のピエールはイサベラに持って来ていた臙脂色の豪華な外套を掛けて言った。


「イサベラ姫、どうかご帰還の仕度を……」


 イサベラが高級な外套を着ると、それは女王がローブを着たような雰囲気になる。


「ありがとう。アクシデントで一日帰れなくてご迷惑をおかけしました。ただ帰るその前に、エルハルトさんにオスカーの最期の事を伺っておきたいのです」

「今お聞きになっては?」


 イサベラはピエールを連れ、エルハルトの所へ行った。


「エルハルトさん。私の騎士の遺族の為に、最期の様子を詳しくお聞きしたいんです。今なら教えて頂けますか?」


 エルハルトは困ったように言った。


「騎士オスカーさんの事ですか……」


 ピエールもエルハルトに跪いて礼を正して言った。


「はい! 私からも、お願いします!」

「女性なら少し聞きたくないような、酷い話ですよ?」


 イサベラは目に意志を決めて、大きく頷いた。


「いいんです。しっかりと遺族に伝えなくては申し訳が立ちません」

「判りました。思い出すまいとしていた記憶を少し、思い出してみましょう」


 エルハルトとイサベラ達は、小屋の外のテーブルへ移動して、話を始めた。


◇◇◇

 

 討伐隊は盗賊を追って森に入ったはいいものの、少し時間が経ち過ぎていて、行く先も判らず、やみくもに歩き回って体力だけ消耗するような、そんな状態でした。そこは道も険しく、分かれ道もあって、無駄足を踏めば逃がしてしまう状況だったんです。

 そこでオーギュストさんとオスカーさんは木に登り、森の上に頭を出して、盗賊のいる方向を発見しました。

 アルノルトは先に行った本隊を呼びに行き、俺達は同じチームだった七人で盗賊の逃げる方向を追いました。討伐隊は馬車毎にチームに分かれて森に入ったんです。

 山道を辿って追って行くと、大きな山小屋がありました。そこに人の気配はある。でも、中にいるのが盗賊かどうかは判りません。

 そこで、オスカーさんが偵察に行く事になったんです。

 小屋の窓から中を覗いていると、オスカーさんは荒くれ男に見つかってしまい、剣を抜いて戦いになりました。その時剣が折れ、オスカーさんはあっと言う間に捕まってしまった。 

 オスカーさんは小屋の中に連れて行かれ、拷問を受けたようです。

 叫び声が聞こえると、オーギュストさんは単身で行くと言って小屋に飛び込んで行きました。

 一人では危ないと、オレはそれを後から追って行ったんです。

 今思えばこれは無謀過ぎた。この時に増援を待てと言えれば、もう少し命を救えたかもしれない。

 小屋に忍び込み、部屋を探って行くと、縛られたオスカーさんが荒くれ男達に剣を突きつけられていました。そしてこう言ったんです。

 ——仲間を殺されたくなければ、剣を捨てろ。 

 オーギュストさんは一本の剣を捨てました。でも、二本目をまだマントに隠していたんです。

 オレも武器を捨てましたが、重いハルバートを窓に向けて放り投げてやったんです。ガラスが派手に割れて、討伐隊に場所が判ればいいと思った。

 盗賊達も驚いたその時です。オスカーさんは縛られたまま、剣を突きつけた男に体当たりをし、激しく暴れたんです。ですが男は突きつけていた剣で、オスカーさんの首を切り付けました。

 その時、オスカーさんは倒れつつも叫びました。

 ——オスカーは死んだ! 剣を取れ! と。

 オスカーさんは自分を犠牲にして仲間を守ろうとした。それは立派な騎士でした。

 オーギュストさんはもう一本の剣を抜きました。しかし、次には武器を捨てた俺が剣を突きつけられた。結局オーギュストさんは剣を捨て、無抵抗で捕まってしまったんです。

 そこへチームの人達が駆け付けてやって来ました。しかし、その時既に俺達三人が人質になってしまっていたのです。

 チームの人達は盗賊に言いました。もう討伐隊が来ているから逃げられないぞと、そしてその三人は他国の人で、討伐隊とは無関係の人だと言い、人質交換を申し出ました。

 そして、人質交換で先に俺は解放され、部屋を出て行こうとしたその時です。盗賊達は大剣を抜き、既に武器を捨てた討伐隊に襲いかかりました。鎖帷子を着ていた人は深手にはなりませんでしたが、他の人は……。言わば俺の身代わりで死んだようなものです。

 オーギュストさんは短剣で戦って、オスカーさんを庇って抱き起こそうとしましたが、既に意識は無く、他の人を助けて戦い始めました。

 俺はその時、情けなく逃げ惑いました。大剣を振り回し追ってくる男がいたのです。

 部屋を転げ出て、ふと戸口を見ると、そこにハルバートが立て掛けてありました。チームの人の誰かがここまで持って来てくれたのです。奇跡を見た想いでした。

 俺は無我夢中でそれを取って振り回し、それは追って来た男に当たり、部屋の中まで吹き飛びました。一度で明らかに致命傷でした。狂ったようにハルバートを振り回せば、何度も同じ結果となり、盗賊達は恐れて道を空けました。

 オーギュストさんと味方の数人はそこで剣を取り、俺はハルバートを振り回しつつ盗賊達に道を空けさせ、外へ出ました。

 オスカーさんは置いて行くよりありませんでした。剣を持てた人だけがそこを逃げられたのです。その人達も既に手負いです。続々と追って来る盗賊達と戦い、倒れて行きました。オーギュストさんと俺は大人数に取り囲まれ、背を預けて必死に戦い、気が付くとそこに立っているのは俺とオーギュストさんの二人だけでした。

 そこへアルノルトが連れて来た本隊が到着し、小屋の周囲を捜索し、まだ息のある人を集めました。喜んだ事にはオスカーさんも他の仲間の人も、その時はまだ生きていたのです。

 アルノルトが薬草を見付けて持って来て、怪我の手当てをしました。そして怪我人を担いで山を下りました。医者の所まで馬車で急行したのですが、診てくれた医者はただ首を振って、皆もう亡くなっていると告げました。

 少し前まで、オーギュストさんとオスカーさんは何か話していたんです。二人で笑ってさえいました。だからオーギュストさんは信じられないようで、何度も揺り動かして呼び掛けていました。でも、オスカーさんはもう目を開く事はありませんでした。血が出過ぎて死んでしまったんです。

 それがオスカーさんの最期でした——。



 ピエールは涙を堪えつつ言った。


「オスカーは、最期に笑っていたんだな……」

「はい! 気が付いた時に盗賊を壊滅させたとオーギュストさんが伝えると、やりましたねと喜んでいました。信じてましたよと、そう笑っていました……」


 エルハルトは言いながら涙が出て来て、右手で目を覆った。


「実にあいつらしいな……」


 ピエールはそう言って天を仰いで涙を流した。

 男二人が泣いていたが、イサベラは身動ぎもせずにそれを聞いていた。オーギュストもそうだが、オスカーは母方の親戚にも当たる。顔色は蒼白で、感情を押し殺しているのが判った。そして静かに、ゆっくりと言った。


「立派に騎士道を、果たされたんですね。この事、ご遺族に……確とお伝えさせていただきます。詳しくお話しいただき、ありがとうございます」


 イサベラは地に蹲るように深く礼をした。そうしてひとしずくの涙を落とした。

 ピエールは涙を流しながらエルハルトの手を取って言った。


「ありがとう! 本当にありがとう」

「俺は、途中まで却って足手纏いをして、何も出来ませんでした」

「そんなことは無い。君は彼の最期を救ってくれた。そして盗賊を退け、オーギュストを生かしてくれた。だからこそオスカーは笑って逝けたんだ。それこそ彼の最期の望みだったはずだ。私からもありがとうと言わせてくれ」

「いいえ。でも、オーギュストさんを助けられたことだけは、俺にとっても誇りです。オーギュストさんがいて護ってくれたからこそ、俺も生きていられたのですし、お互い様です」

「そうか。オーギュストも感謝をしていたよ。背中を刺されていて病院入りだったが、大した怪我じゃない、いつもの事だとうそぶいていたよ」

「そうでしたか。酷い怪我でなければいいのですが」


 小屋の中にいたアルノルト、そしてクヌフウタやペルシタも途中から話を聞いていた。

 そして、アルノルトは外に出て話に割って入った。


「オーギュストさんの傷は深いんですか? 縫ったんですか?」


 ピエールは一度両手で涙を拭ってから笑った。


「ああ、傷が塞がるまではシュタイネンで入院だ」

「……僕のせいでもあるんです。討伐隊への参加は僕が言い出したことなんです。兄さんを巻き込んで、騎士のお二人を巻き込んだのも……元はといえば僕のせいです。僕が一番お詫びを言わなければなりません」


 ピエールは人差し指を立てて言った。


「そういうのは、誰のせいとは言わないものだ。盗賊が悪いんだ。そうだろう?」


 小屋の中のテーブルで、アフラはカモミールティーを淹れて言った。


「司祭さま、お茶が入りましたよ。ピエールさん、エルハルト兄さんも」


 司祭は山を登って来たので、これはありがたいとカモミールのお茶を飲んだ。

 アフラは二つのカップを外へ運んで来、テーブルに置いた。

 ピエールの分と、もう一つはイサベラの残っていた分だ。

 イサベラはアフラに礼を言ってそれを飲むが、表情は深く沈んでいる。

 イサベラには一つの思いが渦巻いていた。

 その戦いにはアルノルトがいてもおかしくなかった。アルノルトが討伐隊に赴いたのは、騎士の影響があるに違いない。しかし戦いとは常に命懸けで、時に死ぬこともある。

 自分がアルノルトを騎士叙任したことは、早まった行為だったのではないか。未熟なまま、そうした戦いに追い込む事になるのではないかと、とても心配になったのだ。

 剣に未熟だからといって、敵は手加減しない。騎士は命を捨てて戦ってこそ称えられ、逃げる事は善しとしない。それは逃げられない枷を作るようなものだ。

 それはオーギュストにそう言われて指摘されていた事でもあった。

 エルハルトが自分でカップを持って来て、テーブルの向いへ座ると、イサベラは言った。


「もし、アルノルトさんがその戦いの場にいたら、戦えたでしょうか?」


 イサベラにそう聞かれたエルハルトは、「無理でしょう」と首を振った。


「盗賊は戦い慣れしてました。だからこそオーギュストさんがあんなに手を焼いた。ましてや羊飼いの我々は、剣を握る機会なんてほぼ無い。いなくて本当に良かった」

「でも、エルハルトさんはどうして戦えたのでしょう?」

「ハルバートのお陰です。剣よりも数段強くなれるのです。腕力さえあればですが」

「エルハルトさんにお願いがあります。アルノルトさんにハルバートを教えてあげてください」

「ハルバートを?」

「それでなければ、騎士を名乗って戦うには危険極まりない……とは思いませんか? 騎士は称号だけでなく、実際に戦う職業なのですから」

「なるほど。判りました。少しずつやってみることにしましょう」

「それが出来るまでは、騎士も取り消したいです……」


 アルノルトがそれを聞いてやって来た。


「ええ? 騎士取り消し? それは無いよ」


 イサベラは座り直してアルノルトに向き直り、言った。


「少しみっともない事をしますが、聞けば見習いから始めるそうですから、騎士見習いということにして下さい」

「ああ……短い夢だったな」

「戦えない人に騎士は危険なだけです。まずは十分に強くなって下さい。騎士として認めるには、ハルバートで戦えるようになることを、第一の条件とします」

「ああ、わかったよ。まあ本当の騎士にはまだまだだとは知ってたよ」


 それを見てピエールが注意する。


「姫の騎士であれば、もっと慎み深い態度でなければ」


 そう言われたアルノルトは跪き、「心します」と胸に手を当てた。

 イサベラは頷いて言った。


「ではそれが、二つ目です。紳士的で慎み深くあること」

「まだあるの? いや、承りましょう……」

「では、三つめに、戦いを避ける知恵を持つこと。今回のエルハルトさんの話も、増援を待つことを反省とされていました。危うきを避けるのも騎士の知恵です。アルノルトさんにはそれをこそ期待しているのです」

「身にあまる光栄です」

「他を護ると同時に、自分をも護ること。その力を持つこと」

「うん? それで一つ? 他にも?」

「まだあった方がいいかしら? では月並みに、弱きを労わること」

「労わりましょう。それで以上かな?」

「以上の五つです。それを条件に正式な騎士と認めることを、ここに誓います」


 手を上げて宣誓をするイサベラは全くふざけた調子は無く、至って真剣な眼差しをしていた。

 それでイサベラの真意はアルノルトにも伝わった。戦いを避ける知恵、他を護ると同時に自分をも護るその力を持つ、それは騎士道ということとは少し違う。思えば騎士になるという気の逸りこそが討伐隊への参加を生み、若い騎士の死に繋がった。自分には彼を護る力も無く、自分を護る力すら無かった。それは無責任なことだった。その全てをイサベラに見透かされているように思った。


「今判った。僕の罪が。護る力すら無いのに、騎士だなんて未熟過ぎたんだ。力をつけるよ。そして、きっと全て叶えてみせよう。今ここにそう誓います」


 アルノルトは小さく手を上げた。

 真意が伝わったことに、イサベラの心は晴れた。そしてその条件を叶えたアルノルトを見てみたいと思った。


「待ち遠しいですね」


 そう心からイサベラは思った。しかし、これから自分は遠いところへ行かなければならない。その後は敵とも思われる存在になるのかもしれなかった。


「姫、ではそろそろ……」


 ピエールが声を掛けた。


「では、私は帰ります」


 イサベラは立ち上がり、小屋へ入って行って挨拶を始めた。


「そろそろ私は帰ります。皆様、誠にお世話になりました」


 クヌフウタはイサベラと握手をして言った。


「貴女と過ごせて楽しかったわ。いつまでも居たいと思えるくらい」

「私も身の上話を聞いていただいて、何でも相談出来て嬉しかったです」

「最後の相談だけは、聞けませんでしたね」

「ええ。それはまだ私に知らされていないはずの事ですから」


 イサベラがそう言ってふと目を上げると、ピエールが目を逸らした。ピエールはもう何かを知っているようだ。


「ペルシタさんもお世話になりました」

「お世話し甲斐がありましたよ。本国でカモミール、育てて下さいね」

「ええ!」

「イサベラさん、お元気で……」


 アフラもやって来てイサベラの手を握った。


「アフラもありがとう。本当にいい思い出を貰ったわ」


 続いてエルハルトとも握手をした。


「お元気で……」

「エルハルトさんも、お世話になりました」


 続いてアルノルトとも握手をした。


「何かあったら手紙でも書いてよ」


 イサベラはこの言葉に目を丸くした。


「いいの?」

「もちろん。もう家にも馴染んだし、いつでも来たらいいよ」


 イサベラはそこからしばらく言葉にならなかった。


「……連れて行って欲しいわ」

「帰るんじゃなく?」

「馬で、途中まで……いいかしら?」

「そうか、じゃあ峠の上まで送ろう。まだ登りもキツいし。そこを過ぎれば下り道だ」


 アルノルトは外へ出て馬を用意した。

 ピエールがイサベラをお嬢様抱っこをするように持ち上げて馬に乗せ、アルノルトは馬の手綱を引いた。

 司祭も一緒に帰ることにし、加えてアフラも見送りに随いて来た。

 一行は高山地帯の厳しい勾配を上り、口数は少な目だった。

 そして峠の上に辿り着き、アルノルトは馬上で横座りするイサベラに手を伸ばした。

 イサベラはさっきピエールがしたように、アルノルトに抱き付くような格好で馬から降りるのだが、二人はかなり赤面してしまった。


「ありがとう。本当にお世話になったわ」

「少し、見せたい場所がある」


 アルノルトはイサベラをケルンのある所へ連れて行った。

 高く積まれた石塔の周りには、白い花がたくさん咲いていた。


「綺麗な場所ね」

「綺麗!」とアフラは早速花を一つ摘んだ。

 アフラは摘んだ花をイサベラに渡した。


「はい、イサベラさん。お土産」

「これはいいお土産ね」


 アルノルトがイサベラに言った。


「クヌフウタさんによると、この花はこの辺りの高い所にしか咲かない希少な花だそうだよ。腹痛草と言って、腹痛にいい薬草らしい。花の色はエーデルヴァイス、高貴なる白と讃えられるそうだ。君にはぴったりだね」

「まあ。本当にいいお土産! ありがとうアフラ」

「クヌフウタさんにも採って行こう。前にも採りに来ていたんだ」

「うん」


 アルノルトとアフラは間引くように花を摘んだ。

 それからアルノルトはケルンに跪いて言った。


「ここは古い祈りの場所でもある。こうして祈るんだ」


 アルノルトは手を広げて十字となり、空を仰ぎ、そのまま地に向いて地を仰いだ。それはウーリに伝わる古式の礼拝だ。


「道中の無事を祈ったよ。ここでこうして祈ると、天空と山々の大地を仰いでる気がするから不思議だ。山には何か聖なるものがいる。それはまだ名前すらないんだ」


 アフラは同じようにして祈ってみた。イサベラも並んでそれに倣う。

 仰ぐ空はいつもより近くそこにあり、風として触れている。地を見れば山々は脈を打って続き、その中に自分はいる。


「魂が澄んで、透明になっていくよう……」


 アフラはそう呟き、イサベラは花を撫でて言った。


「そうね。聖なるものを感じるわ。まるで自然に直接触れる礼拝堂ね」


 それを聞いていた司祭がアルノルトに言った。


「ここは君達にとって重要な場所だと判ったよ。国境になんて出来ない理由がここにあるんだね……」

「判っていただけるのなら、主張を変えて下さい」

「考慮はしよう。譲れない立場もあるがな」


 司祭は少し難しそうな顔をしていた。


「宝物をまた一つ貰ったわ。ありがとう」


 イサベラは立ち上がり、そのケルンの風景を目に刻み込んだ。

 ピエールはアルノルトに言った。


「こんな良い場所で過ごしていれば、良い精神が宿るわけだ。君達兄弟には本当に助けられた。ありがとう」


 ピエールとアルノルトは手を握り合った。


「こちらこそ感謝しています。道中ご一緒していただいて皆んなが助かりました。ここからも長い道のり、無事のご帰国を祈ります」

「いやあ、これは慎み深い立派なご挨拶。やれば出来るじゃないか!」


 ピエールはアルノルトの肩を叩いた。


「イサベラ姫も、無事のご帰国を」


 アルノルトはイサベラとも握手をした。


「ありがとう。あなたにはたくさんの宝物を貰いました。どんな言葉も相応しくないくらい」


 イサベラに手を少し強く引かれたアルノルトは前によろめき、そこへイサベラはアルノルトの首に手を回し、頬にキスした。

 アルノルトは驚きつつも二回目だったので「また?」と小さく笑ったが、それ以上に司祭が驚き、横を向いて見ない振りをした。

 イサベラは数歩下がって歩き出し、


「もう一つ宝物、貰って行くわ」


 そうはにかんで笑い、峠を下りて行く。

 ピエールと司祭はその後を追って歩いた。

 アルノルトとアフラはそれを峠の上に立って見送った。

 ピエールは手を振りつつ言った。


「また会おう。色男」

「またいつか!」

「さようならー」


 アルノルトとアフラが手を振り、イサベラも振り返って手を振り返した。

 少しするとアルノルトはアフラを馬に乗せ、自身もその後ろに乗った。

 そして二人乗りで山小屋へと帰って行った。

 イサベラはそれを見て、微笑ましくも羨ましく思うのだった。

 見渡すアルプス山脈の向こうに、向かうべき故国はあった。



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