ローマへの切符
霧は次第に晴れて来て、遠くからも共同牧場の家は良く見えた。
家に戻ると家周辺の牧草地で羊を見つつ、食べ逃した昼ご飯を食べていた兄達が集まって来た。
「どうだった。聖ラザロの獣医は」
マリウスが抱いていたベルを地面に置いて放すと、ベルは傷を気にしながら掻こうとする。
「掻いちゃダメだよベル」とマリウスは咄嗟に叱った。
アルノルトはベルの首あたりを代わりに掻いてやった。
「処置をしてもらって、もう大丈夫だそうだ。でも、一週間このまま動かさないでってさ」
「どんな処置をしたんだ?」
「傷を縫う代わりに、毛で結んであるんだ」
「それは賢いな」
「縫うより良さそうだ」と感心げなのはヘロンだ。
「でも、毛が抜けるとアウトらしいから、放牧は行かない方がいいね」
「そうか。しばらくは人も多くいるし、囲いに入れて休ませよう」
そう言ってエルハルトは小羊用の網状になった囲いを羊小屋の端に立てて、ベルを入れた。そして敷き藁をたっぷり敷いてやった。ベルはその中でも忙しなく歩き回っていた。
その後も家の前の牧草地で羊を見ていたヘロンに、アルノルトは「さっきの見せて」と投石ロープをせがんだ。ヘロンは腰紐と一緒にそのロープを巻いていて、それを解いた。
「これだね? さっきの投石ロープだ」
そのロープは一本のロープが途中で二つに枝分かれし、小さな輪となってからまた一本に纏まるような構造をしている。手で持つ所にも一つ小さく輪がある。
「どうやって作るの?」
「これはロープを一度解いて綺麗に縒り直して作ったんだ。一見ロープのように上出来だろう」
「これは難しそう。持ち手と真ん中が輪っかならそれでいいの?」
「そうだがロープに不揃いや捩れがあると狙いが上手く定まらない。俺達シュピーリガンの牛飼いは大抵子供の頃から持っていて、放牧中に遊ぶんだけどな」
「僕等知らなかったよ」
「狼除けにもなるし、牛や羊を寄せるのにも使えるんだぞ」
ヘロンは投石ロープに石を置いて、それを手で回し始めた。
そして石を上に投げる。
飛礫石は遠くまで飛んで、羊の群れを飛び越え、その反対側の草地へ落ちた。
少し遠くにいた羊は驚いて、こちら側へと逃げて来た。
「あっ、すごい!」
「狙いが下手だと羊に当ててしまうがな。まああの毛並みなら平気かな?」
「だんぜん僕も欲しい」
「簡単なのを作ってみようか。細いロープ三本を縒り合わせても作れるんだ」
「教えて! ロープ持って来るよ」
ロープを家から取ってきたアルノルトは、ヘロンに作り方を教わりながら実際に作った。
いつの間にかマリウスとエルハルトも聞いていて、それを見ていた。
「端まで行ったら結んで小さく輪を作る。ひっくり返したらまた真ん中からロープ三本を縒り合わせる。この時真ん中を少し空けておく。石が乗るくらいにね」
不揃いな三つ編みのような格好で次第にそれは縒り上がっていった。
「出来た。意外と簡単だ。どう?」
ヘロンはそれを受け取って、手で引っ張って伸ばした。
「あとは手で少し伸ばして出来上がりだ。これなら大丈夫だろう」
ヘロンは出来たロープを二つに折って、回してみる。
「いい仕上がりだね。こう持って投げるときに輪になってない方を離すんだ。このタイミングで狙いを調整する。難しそうだが慣れれば狙い通り当てられるようになる」
「あ、俺も作ろうかな」
「僕もやる!」
エルハルトとマリウスもそれを見て作り出した。
アルノルトは早速石を乗せて試投してみた。
誰もいない方へ軽く投げてみると、石は普通に投げるくらいの勢いで飛んで行った。
「これでいいのかな?」
ヘロンがアルノルトの作った投石ロープを受け取り、回しつつ言った。
「もっと強く回して、一気に紐を放すんだ。こうだ!」
石礫は一気に見えないくらいまで飛んで行った。
「飛んだねー! でも人が来たら……」
「今はいないよ。大丈夫」
アルノルトは強く回して投げてみた。すると右に逸れて思ったより遠くの方まで石が飛んでいった。
「飛んだーっ!」
その向こうには人影が見えた。
「やべ! 人が来た」
そこへ道をやって来たのはロバを連れたモランだった。
「何か飛んで来たぞ!」
「すいませーん!」
「お揃いのようだね」
エルハルトが近付いて行って言った。
「やっぱり来ましたね。モランさん」
「ああ。やっぱり馬車を借りに来たよ」
「馬車は直らなかったんですか?」
「ああ。あそこまでいかれたら造り直しに近い。修理費を稼がないといけないんだ」
「家の方に馬車があるんですよ。まあ見て下さい」
エルハルトはモランを連れて家の方へと歩いて行った。家の横の庇の影に幌馬車が停めてある。
「あれですよ」
「大きいな! どうしたんだこれ?」
「旅先で使ってたんですよ。ほら、三日間追放の身だったから」
アルノルトがグラウエスを連れてやって来た。
「馬はどうします?」
しかしモランは制するように手を上げて言った。
「取り敢えず、ロマーナだけで引いてみよう」
「行けるかな……」
「言ったろ? ロバは力持ちなんだって」
エルハルトとモランは馬車の梶棒の片方にロバを繋いだ。
そしてモランは馬車の御者台に乗り、ロバへ声を発した。馬車は難無く前に進んだ。
「おお! すごい!」
「ほーら。言ったろう。まあ歩みはゆっくりだけどな。ほんとに借りて行っていいのかい?」
「ええ。少し後ろに布団が積んであるけど、そのままでもいい?」
「ああ。そんなに物は積まないさ。ロマーナもへばるだろうし」
エルハルトは気になって言った。
「ロマーナっていう名前は、もしかしたらローマに行ったことが?」
「ああ、俺はシチリアの生まれでね。ローマのさらに向こうだ。そこからこいつと来たのさ」
「そんな遠くから? どうしてわざわざここへ?」
「シチリアは戦争や内戦が酷くて逃げてきたのさ。つい最近も大きなクーデター事件があったみたいでな。少し身内が心配なんだ」
「帰ろうとは思わないんですか?」
「帰るにも先立つものがいるさ。俺にはギルドも何も後ろ盾が無いから商売があまり上手く行ってなくてな。馬車も壊しちまったし」
「今、ある事情でローマへ行く人を探してるんです。もし、ローマへ行くなら馬車はずっと貸すし、必要な物も提供しますよ」
「うん? どう言う事情だい?」
「ローマへ行きたいっていう巡礼の修道女がいるんです。しっかり送って行ってくれれば、馬車をあげてもいいくらいです」
「俺にはうますぎる話だな……。大丈夫か。罠じゃないだろうか」
「モランさんを罠にかけても、何も得は無いでしょう。でもまあローマで売れる物をこの馬車で持って行ったらいい商売になるでしょうね?」
「今度は商売の話か。確かに始めはそういう商売をしたかったんだ。思うよりアルプス越えが厳しくて、ここの居心地も良くてな、居着いてしまったが」
「じゃあ、これは天が与えたチャンスですよ。考えておいて下さい」
「考えるまでもない。チャンスの女神の前髪を俺は掴むさ。そのローマへの切符、買った。故郷で一旗揚げてやろうじゃないか」
「本当ですか? でも戻って来て貰わないと、帰り道が困るんですが……」
「往復切符だったか……。まあその馬車で往復して商売すればいいだけだ。それもオーケーだ」
アルノルトが慌てて言った。
「えっ、ちょっと待って。その馬車は僕も半分権利あるのに!」
「そう言えば、半分はアルノルトの持金が入っているんだった。その半金分でモランさんが買うというのではどうです?」
「やっぱりタダとはいかないか。戻ったときに払うよ。それまでは借りるというのでどうだ?」
「アルノルトもそれならいいか?」
「いいよ。お土産話付きでね」
「お土産話か! それなら得意分野だ。まかせろ」
モランがそう笑うと、その商談は決定となった。
そこへマリウスが自分の赤い馬車を引いてやって来た。
「お? ずいぶん小さい馬車だな」
「いいでしょう。これ、僕の馬車。ロバに合いそうだから持って来た」
「確かに似合いそうだな。しかし、もうこの大きい馬車を借りる事になったんだ」
「ロバが大きいの引いてる! しかも一頭で。すごい!」
「すごいだろう。力持ちなんだ」
「このロバ欲しい……僕の馬車の方がぴったりだ」
「そりゃあダメだ。もう家族みたいなものだからな。しかし、ここの子はみんな自分の馬車を持っているのか……俺は今無いのに……」
モランは少し落ち込んだが、気を取り直して言った。
「じゃあ、馬車をしばらく借りるぞ」
「どうぞ。じゃあ一週間くらいしたら出発ですよ。詳細は追って連絡します」
「は、早いな……まあ何とかしよう」
モランは馬車を発した。ゆっくりとロバの歩みで馬車は進んで行った。
「バイバイ!」
馬車を見送っていると、家の中からブルクハルトがやって来た。
「そこにいるのかエルハルト! 早い帰りだな」
「狼が出たんだ。すぐ引き上げて来た」
「狼が出たか! 追い払わねば!」
アルノルトが言った。
「もう聖ラザロ騎士団の人達が行ったよ。ベルが噛まれてね。さっき手当てして貰って来たんだ」
「おおそうか。ベルは大丈夫なのか?」
「怪我は酷いけど、大丈夫そうだって。しばらくは動かせないけどね」
「それは良かった。お前達だけでよくそこまで対応してくれたものだ。礼を言う。ところでエルハルト。シュタウファッハから手紙と荷物が届いているんだ」
「シュタウファッハさんから?」
「我が家への手紙にはシュウィーツからの正式な感謝状も入っていた。これはアルノルトもだな」
「感謝状? 見せて」
「まてまて、これは広場で皆の前で授与式を行う。報奨金もあるぞ」
「報奨金!」
そう聞いてエルハルトは初めて嬉しくなった。授与式は恥ずかしいから避けたいくらいだったが。
「すごいよ兄さん!」
「すごいすごい!」
弟二人も大いに喜んだ。
「あと、荷物が来てるって?」
「ああ、それはちょっと来てくれ。重いんだ」
ブルクハルトに連れられて、エルハルトは家の方へ行った。アルノルトも遅れてついて行く。
「これだ」
客間のテーブルには分厚く布にくるまれた、十字型の長いものが置かれていた。テーブルからはみ出るくらい長い。その上には手紙も置かれている。
「十字架? にしては長いな」
「開けて見ろ」
エルハルトは荷物を解いて開けて見た。そこから出て来たのは、一本のハルバートだった。
「これは……」
「兄さんの使った武器だね」
「これが言っていた、ハルバートか」
それは盗賊を討伐した時に使ったハルバートだったが、手入れをされて見違えるように綺麗になっている。
エルハルトはそれを握ってみた。それはまるで釣り竿のような持ち方で、実際の重さを感じさせない。エルハルトは盗賊との戦いを思い出して戦慄くほどに動揺し、思わずハルバートを落とした。すると、斧の部分が床材に突き立った。
「怖っ!」
「危ない! こんな所で武器を落とすな!」
「これを持つと嫌でもあの時を思い出す。でも、俺が背負うべき十字架が、これなのかも知れない」
「かっこいいこと言って。床はなおしとけよ。ところで手紙は何と書いている?」
エルハルトはシュタウファッハからの手紙を読んだ。
手紙にはこんなことが書かれていた。
共に不法なる盗賊と戦い、共に瀕死の仲間を背負って走り、共に仲間の名誉ある死を悼んでくれた、栄えある同盟者へ、心からの感謝を捧ぐ。
今は心に深く悼み嘆くとも、共に戦ったこの一歩は称賛と信義を呼び覚まし、いつまでも二つの領邦を結ぶ宝となることだろう。
その友情の証として、シュウィーツの一級品とも言えるこのハルバートを進呈する。このハルバートを使いこなせるのは君をおいてなく、君こそが持ち主に相応しい。手元に置いてさらなる修練を積み、いつの日か我が一派にも力を貸して欲しい。
感謝と共に コンラート フォン シュタウファッハ
エルハルトはこれを読んで、膝を折って泣いた。
「どうした?」
ブルクハルトは手紙を渡され、一読した。
「さすがシュタウファッハ、いい文面だ。この一歩は称賛と信義を呼び覚まし……か。確かにこれは盟約の第一歩を飾ったんだ。エルハルト。お前の功しは一級品という事だぞ」
「ハハッ。でも、しばらくはこのハルバートを握れないよ。思い出すとまた手が震えてくるんだ」
エルハルトはそう言ってハルバートを布に包み直した。一滴の涙がその布に落ちた。
「そう言えば、望みの品は決まったか? こっちは儂からの褒美だ。シュタウファッハみたいに無用の長物を押し付けたりはしないぞ?」
「物は特にいらないんだ。でも……旅をしたい。色々あったけど、旅は良かったんだ」
「旅か。今は人手もいる。いいぞ。どこへ行く?」
「ローマ」
「それはまた、遠いな。何でまたローマに?」
「巡礼の旅さ」
「ローマか。教皇様に会えるのはいいな。王に対抗出来る権威は教皇様だけだからな。是非味方に付けておきたい」
「教皇様に会えるかどうかは判らないよ?」
「ウーリの代表として親書を携えれば、会って下さるさ。公用なら予算も下りるし、その線で打診してみよう」
アルノルトは後ろで聞いていて、思わず言った。
「あ、いいな。僕も行きたいな」
「アルノルトもか! これは褒美だからな。感謝状を貰うような事でもないと、こういう特別措置は出来ないな」
「シュウィーツの感謝状は、僕の名前もあるんでしょう?」
「そうだった!」
「じゃあ僕も一緒じゃないとね」
「うーん。二人共行くのは辛いが、二人の方が旅も安全か。アルノルトにも褒美はやらんとな。まあいいとするか」
「やった! 教皇様に会える!」
「会いたかったのか……」
「そりゃあそうさ。噂でしか聞けない、雲の上の人だからね」
エルハルトが言った。
「まだ教皇様に会えるかどうか判らないぞ?」
「大丈夫さ。クヌフウタさんが一緒なんでしょう? これは絶対会えるよ」
ブルクハルトがエルハルトを見て言った。
「クヌフウタさん? そう言う事か!」
「クヌフウタさんには、一緒に行ける護衛付きの一団がいれば、探しておくと約束してた。それでさっき馬車を貸すついでに、モランさんに一緒にローマへ行く約束を取り付けた所だったんだ。シチリアに実家があるそうだ。旅仕度もほぼ出来てるってわけさ」
「そうだったか。しかしそれはいいことだ。良い巡り合わせと言うべきだな」
ブルクハルトは息子達を感慨深げに見て微笑んだ。




