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キーブルク城


 キーブルク城はヴィンテルトゥールから一つ山を隔てた所にあり、小さな山の天辺を城壁で囲んで建てられていた。このあたりの山の天辺には大抵小さな塔のような建物があった。


「ここは、どの山にも小さな城砦があるね。かなり小さいのもあるけど何でだろう」


 見えて来た山の上の城壁を見上げながらアルノルトがそんな感想を漏らすと、ルーディックは言った。


「あれは灯火信号を中継するんだ。山の向こう側の町や、遠くからもキーブルク城への連絡が出来るようにね。でも、ヴィンテルトゥールがハプスブルク家の管理下になってからは殆ど使われていないよ」

「そうなのか。この辺の城は城壁を巡らせて山の中にあるし、守りが固い城が多いね」

「そりゃあまだまだ侵略戦争の恐れがあるからさ。何もしないでいるなんて、領主ならあるまじき行為さ。敵を呼び込む行為にも等しい」

「ウーリは小さい城館はあっても、城壁とか殆ど無いかも……」

「イタリアとの国境地帯なのにそれはダメだな。でも、聖ラザロ騎士団がいるじゃないか」

「一応はあるけど、広い修道院があるだけで、殆どアルプス越えの中継場所みたいのものだからね。城砦は遺跡みたいな古いものが僅かしかないよ」

「守護権者としてはそれは見過ごせないな。護りを整えようじゃないか。僕も騎士団に入ろうと思うんだ。ラザロにすればアルノルトと一緒に入れるかな?」

「僕と? まだ考えたことないや」

「アルノルトは入るべきだよ」

「というか剣とかそんなの握ったこと無いよ?」

「それは今からでも練習出来るさ。やろうよ」

「まあ、機会があればね」


 見上げる程大きな城門に着くと、ルーディックは窓から顔を出して守衛に面会を申し出た。事前に手紙を出していたらしく、すぐにその門は大きな音を立てて開いた。


「ピッタリ着いて来てね」


 後ろに続く二台の馬車の御者にルーディックはそう声を掛け、馬車は城に入っていった。


 一行が城に入ると、ロータリー状になった庭へ馬車を止め、それぞれに馬車から降り立った。

 ルーディックは馬車から降りるイサベラとユッテに手を貸しながら言った。


「玄関は向こうです。行きましょう」


 ユッテの女中や護衛を含め、かなり大人数を率いてルーディックは歩いて行った。

 玄関先ではラウフェンブルク夫妻とハルトマンが出迎えに立っていた。一人駆けだして近くで礼を取り、ルーディックが声を掛けた。


「こんにちは。というよりそろそろこんばんはですね」


 今や夕焼け時を過ぎ、あたりはもう暗くなって来ている。


「ようこそ、我が城へ」


 アンナ女伯が代表するように挨拶をした。


「手紙を戴いてたのでお待ちしていましたよ。エリーザベト様はいらっしゃらないのかしら?」


 ルーディックが答えた。


「エリーザベトはヴィンテルトゥールで客人と残る事になりました。本日は若者ばかりで押し掛けまして、大変失礼致します。こちらはブルグント公国の公女殿下イサベラ姫。あちらはご存知の事でしょうユッテ王女です」


 ユッテは軽く礼を取りつつ、カチンと来て言わざるを得ない。


「そんな紹介ひどくない?」


 アンナ女伯はそれでも深く礼を取って、ユッテに握手を求めた。


「ようこそおいで下さいました。大変な方々とお知り合いですこと!」


 それからユッテとイサベラは貴族風に挨拶を交わし合ったが、そこにアルノルトとマリウスはどうも入り難く、ユッテの従者達の居並ぶロータリー真ん中の花壇まで引いてそれを見ていた。服も完全に庶民なので、相手側も気にしていないが、不意に目線が合った。

 エーバーハルトがアルノルトの方を見て言った。


「ルードルフの姿が見えないようだね?」

「ルードルフは旅の疲れが出たようで、熱を出して寝込んでいます」

「そうか。すっかり長い滞在になってしまって。一緒に勉強も見てくれているとか。お世話になってしまったね」

「いえ。その件ですが、後でお話があります」

「まさか帰りたくないとか言うんじゃ……」

「いえ、そうではないのですが、一緒に習い事をしたいのです」


 ハルトマンがおもむろに花壇の方へ歩いて来て、マリウスに言った。


「君、知ってる。立て札取って行った嫌な子だ」

「僕? 嫌な子じゃないよ?」

「僕が嫌って言ってるんだから、嫌な子だろう?」


 突然の言い掛かりにマリウスも負けてはいられない。


「じゃあ、僕が嫌な子じゃないって言ってるんだから、嫌な子じゃないって言えるよ」

「むむむ」


 ハルトマンとマリウスは丁度同じ背丈で顔を突き合わせ、睨み合った。エーバーハルトがそれを止めて言った。


「まあまあ、お二人さん。話は後だ。大事なお客人をいつまでも立ち話させてしまうといけない。みなさん、中へお入り下さい」


 一同はエーバーハルトと玄関の両脇に控えていた使用人に導かれ、城の中に入った。無骨な岩で出来た外観からは想像も及ばない程に、その内装は豪華だった。階段や床には赤い絨毯が敷き詰められ、調度品や家具は超高級品で、照明も多数のシャンデリアがきらめいている。

 それを驚いて見あげているのはアルノルトとマリウスばかりで、他の人は慣れているのか全く気にする様子も無い。

 そんな上流貴族一同は客間に通され、女中や護衛騎士には隣の小部屋が与えられた。平民服のアルノルトとマリウスは護衛騎士側に案内され、そこで旅装を解いて長椅子に落ち着いた。


「向こうでお相手しなくていいのか?」


 レオナルドはアルノルトに行った。


「うん、貴族の相手するのはどうも慣れなくてね」

「俺も貴族だって知ってたか?」

「そうでした。忘れ気味だけど僕も一応は地方貴族で……」


 セシリアが目を丸くして言った。


「奇遇ですね。私もです」


 レオナルドは互いを見比べつつ言った。


「お互いあまり貴族というには冴えないなあ」


 一同は笑わざるを得ない。

 しばらくすると、ユッテがやって来た。


「アルノルト! こんな所にいた。ここは私の従者の部屋よ。こっちにいらっしゃい」


 ユッテはそう言ってアルノルトの手を引いて連れ出そうとした。


「マリウスは連れて行って大丈夫かな? あのお坊ちゃんと喧嘩しそうだったけど」


 後にいたマリウスも少し居心地悪そうにしていた。

 しかし、ユッテは平然と言った。


「ああ、あれね。多分大丈夫よ」

「多分?」

「もうあの話しをしてたから。牛の話」

「そうなの?」


 隣の部屋へ行ってみると、ハルトマンは目に涙を溜めてルーディックの話を聞いていた。


「でね、イサベラ姫もそこに居合わせてね。あ、来た来た。その時の犯人を見付けたのが、あの子だ。マリウス君。その隣はウーリのアルノルトだ」


 ハルトマンはマリウスに駆け寄って来て言った。


「本当に君が見付けたの?」

「うん……」


 マリウスはその勢いに物怖じしつつ頷いた。

 ハルトマンはマリウスの手を握って、強く言った。


「犯人を見付けてくれて、ありがとう!」


 マリウスは驚いて言葉が出ない。


「君は最強牛ゼンメルの恩人だ。世話もしてくれたってね。ありがとう」


 ハルトマンは涙を拭きつつそう言った。


「じゃあ、もう嫌な人じゃないね?」

「うん。あの時を思い出して言っただけだよ。もう嫌な人じゃない」


 マリウスは得意満面で言った。


「だからそう言ったでしょ?」


 これにはハルトマンも、ラウフェンブルク夫妻も、苦笑いするよりない。

 それからマリウスはハルトマンにゼンメルの想い出話を聞かせた。

 ゼンメルが朝行くと死んでいて、皆で泣いたこと、小さな馬車を作って貰い、それで藁を雨が降っても毎日届けたこと、急に立ち上がったけどポリーが話せば座ってくれたこと、近所のおじさんに藁を預けたこと、そのおじさんが犯人で、棒を振り回して追い掛けられたこと。ハルトマンはそれを違う世界のように興味深く聞いて頷いていた。ルーディック、そしてイサベラやユッテも、まだ知らない話が多かったので、興味深く聞いていた。


「おじさんは裁判でも暴れたんだ。縛られてる椅子ごと台から落ちて、椅子も木っ端微塵になって、走って逃げ出したんだ。怖かったよー」

「あの時は怖かったわー」


 イサベラもそれに相槌を打った。


「ねーっ」

「凄い目で睨まれたし、どこかでバッタリ会ったらと思うと、今でも怖いわ」

「でもね、そのおじさんは前日までは優しかったんだよ。これから毎日藁を届けるって約束してくれた。でもその次の朝にはあんなことになってて……。それでそこに預けてた藁があったから、すぐ犯人が判ったんだよ」


 ハルトマンは何かに気が付いたように言った。


「という事は、犯人を見付けたのも君だけど、犯人をそこに呼び込んだのも君だったという事?」

「呼び込むってどういう事?」

「犯人に入る隙を与えたって事」

「小屋には誰でも入れたし、隙間だらけだったよ?」

「わかって無いなあ。そもそもあの小屋も国境内にさえ入ってなかったものね。あれを建てた人もバカだよ」


 マリウスは機嫌を悪くし、口を尖らせた。


「なんだか嫌な奴……」


 ハルトマンは周囲を見回して言った。


「僕を嫌な奴なんて言う人いないよ?」

「僕が嫌って思ったら、言わなくても嫌な奴なんだよーだ」

「嫌って思ったら? 思っても僕には言うもんじゃない……。無遠慮だよ!」

「ああ、そうか。嫌な奴って言ったら、完全に嫌な奴なんだ」

「だから、それを言うな!」

「じゃあ思う」


 マリウスは頭に手を当てて何か呟いている。口の動きは「い・や・な・や・つ」だ。


「思うなーっ」

「むーっ」


 二人は再び睨み合った。

 それを止めたのはアルノルトだった。


「こらこらマリウス。すごい子に喧嘩を売るんじゃない」

「すごいの?」

「そうだ。旧家を復活させようっていう子だ。この辺では一番すごいよ」

「ふーん」


 マリウスも、そしてハルトマン本人も、それがどうすごいのか理解出来ず、意外そうな顔をしている。

 それを聞いてアンナが言った。


「良くご存知なのね。正式になるのはこの子が成人してからなのだけど」

「ルーディックに聞きましたから」


 ルーディックが頷いていた。


「新キーブルク家は僕らの仲間にもなってくれた。ウーリもそうだ。仲良くしたいね。その子ともね」

「はい! ルーディックさん」


 ハルトマンはルーディックにはごく素直に頷いた。

 アルノルトはそれを聞いて言った。


「ラッペルスヴィル家の仲間なら、僕らウーリにとっても仲間になったようなものだ。これからの期待の星だな」

「期待の星?」

「ああ。僕ら自治州も仲間として、一緒に歩んで行ってくれるならね」


 ハルトマンはそう言われて、目を輝かせた。


「そう言って頂けると、この子も励みになります」


 アンナが嬉しげにそう言ってハルトマンを撫でると、ハルトマンは意気込んで言った。


「うん。僕は期待の星になる!」

「がんばってね」

「うん!」


 そんな言葉だけで機嫌がアップダウンしているハルトマンは案外単純だ。しかし、マリウスへ振り返るその視線にはまだトゲがある。


「では、そろそろ夕食に致しましょうか?」


 アンナの案内で一同は食堂へと移動し、豪華な晩餐のもてなしを受けた。

 しかし、コース料理ではほんの少しずつしか食べる事が出来ず、一気に食べたいアルノルトとマリウスにはペースが合わず、高級過ぎて口に合わなかった。

 

 夕食後、各自に部屋が充てがわれた。すぐに眠くなってしまったマリウスをそこに寝かせると、アルノルトはルーディックの部屋の戸を叩いた。


「どうぞ」


 ドアを開けると、ルーディックの部屋はまるで宮殿のようだった。壁や天井には美しい装飾や絵画が施され、国際会談が出来そうな大きな円卓があり、奥の部屋には天蓋付きの大きなベッドが見えている。エリーザベトがいつ来てもいいような配慮なのだろう、ルーディックは一人でそこを充てがわれている。


「すごい部屋だね」

「僕一人では少し広過ぎるところだったんだ。まあ座ってよ」


 アルノルトは部屋の真ん中を丸く囲むソファーに座った。


「こんな豪華な城に来たのは初めてだ。妹が知ったら来なかった事を後悔するだろうな」

「妹さん、よくウーリから往復して来たよね。でもアルノルトはそうやって来る事を事前に判ってて、用意までしてたもんね。あれには驚いたよ」

「まあそれは、ユッテもだったし」

「おや? 王女を呼び捨てにするなんて、いつからそんな親密になったんだい?」

「親密? いや、これは本人にユッテと呼べって言われたんだよ。王女は抜きでってね」

「そういうのを親密って言わないのかい?」

「そう? アフラとならかなり親密そうにしてて、心配な程なんだけど」

「いやいや、君もそうさ。王女にあんなにフランクに話す人は親族以外には見た事が無いよ」

「そうか……そうだな。今やもうクセなんだけど、少し自戒するよ」

「イサベラ姫とだってそうさ。こちらは心配というより、時に嫉妬だね」

「ルーディックに嫉妬されるなんて、光栄だね」

「こんな事光栄にしないで欲しいよ。僕はもう結婚したし、あの方には何も出来ない。でもアルノルトは違うだろう?」

「僕もあんなお姫様には何も出来ないよ?」

「でも当人達にとって見れば?」

「当人達?」

「向こうはどう思っているか、考えた事あるかい?」

「うん? あんまり無い」

「これだから……」


 ルーディックは頭を抱えた。


「何かいけなかった? 考えてもしょうがない事は考えないよ」


 ルーディックは今度は腹を抱えて笑い出すので、アルノルトはもうお手上げだった。

 そうしてるとドアをノックする音がした。


「どうぞ」


 ドアが開いて、入ってきたのはラウフェンブルク夫妻とハルトマンだった。


「こんばんは。今、お邪魔しても?」

「はい。どうぞ」


 エーバーハルトが言った。


「お話があると言うので、それを伺いに来ました」

「ああ、そうでしたね。お座りください。ルードルフの事です」


 ルーディックはチューリヒのミュルナーの家での事を、夫妻に話した。


「ルードルフもそこで一緒に勉強出来たらと思うんです」


 エーバーハルトは賛成のようだったが、アンナは少し難色を示した。


「帝国執政官と言えば、ハプスブルク王の代理で動いて来た方でしょう? チューリヒの派閥でも、マンネッセ市長とは対立しているようですし、そこに与するような事にならないかしら?」


 ルーディックは言った。


「会ってみると公平な方でした。それにコンスタンツ司教様のお抱えでもあるようですから、いっそ僕らの同盟側へ引き込んだ方がいいくらいの方です」


 アンナ女伯がアルノルトを見て言った。


「この話、この方にはしても?」

「あれ? アルノルトは知らなかったんだっけ? 同盟の話」

「なんの話だい?」

「アルノルトはウーリのラントアーマンの子です。言っても大丈夫かと存じます」


 アンナに向き直り、ルーディックがそう言うと、アンナは安心したように言った。


「そうでしたの。ならいいわ」

「アルノルト、これは他言無用だけど、先日、僕らとウーリ、シュウィーツ、オプヴァルデンと、チューリヒの一部は秘密の同盟を結んだんだ」


 アルノルトは小さく拍手した。


「エクセレント。いい同盟だ。秘密にする必要が?」

「前の王が許可の無い同盟を禁じているんだ。反抗する力を削ぐためにね。今の王ももちろんそれを警戒している。だから、まだ水面下の同盟なんだ」

「そうだったのか。判った。秘密にするよ」

「さっき言ってたのは、ミュルナーさんは同盟しているマンネッセ市長とは対立する派閥の人なんだ。その対立もかなり激しいくらいのね」

「裁判ではマンネッセさんを紹介してくれて、仲良さそうに話していたけど?」

「その紹介をしたのが、あわ良くば王家の心証を悪くする事を図ろうとしていたとしても?」

「その紹介も、政治的な駆け引きだったのか……」

「高度な駆け引きだね。彼はとても賢い」

「その賢い人に実地で学ぶんだ。何か問題が?」


 エーバーハルトが手を広げて言った。


「彼の言う通りじゃ無いか。私はやはり賛成だな。こんなにも実地の実学を学べる機会もそうは無い」


 アンナも渋々だが頷いた。


「向こう側に取り込まれないという条件でしたら、私も了承します」

「ご賛成を戴けましたね。あとはルードルフ本人次第という事でいいですね」


 ルーディックがそう言うと、夫妻は頷き、エーバーハルトが言った。


「もちろんそれでいい。本来ならば、我々がそうした教育の機会を用意しなければならないところだ。君が動いてくれた事には感謝せねばなるまい」

「いえ。礼ならこのアルノルトに言って下さい。元々はアルノルトが持ってきてくれた話なんです」

「そうか。それはありがとう。ウーリとはもういい仲間になれたようだね」


 アルノルトは照れながら言った。


「僕はミュルナーさんに言われて、自ずと紹介しただけです。僕なんかにも親身に世話をしてくれて、自ずと訴訟にまでなっていたし。あれ? まさか掌で転がされてる?」


 ルーディックがそれを聞いて言った。


「そんなミュルナーさんの事ですし、この紹介にも政治的駆け引きはあるかもしれませんね……」


 アンナは慌てて言った。


「ダメよ。いいこと? 絶対取り込まれちゃダメ!」

「はい……」


 アルノルトは畏まって頷くが、ルーディックは朗らかに言った。


「でも、それ程の人物なら逆にこちらが取り込むべきでしょう? それにはまず、互いによく知り合ってみなければ。僕はそのつもりでいますのでご安心下さい」

「あなたがそう言うのでしたら……信じてみましょう」


 アンナの言葉にエーバーハルトが頷いた。


「ルーディックならば出来るさ。我ら大人の方がよほど固定観念の虜囚となっていて不自由だよ。我らが希望を託すべきはやはり次の世代の若者だな。ルードルフもそうだが、ハルトマンには頑張って貰わねばならんな」

「はい! お父さん」


 ハルトマンは強く頷いて、言葉を続けた。


「僕も……そこで勉強してはいけませんか?」

「ハルトマンもか? うーん。流石に少し勉強について行けないのではないか?」


 ルーディックは考えつつ言った。


「ミュルナーさんは今、一二歳の息子に合わせてカリキュラムを組んでいるんです。もうすぐ十一歳のハルトマンにも合う授業があるかもしれません。授業を受けて様子を見てから、ミュルナーさんに聞いてみますよ」

「是非そうお願いしたい。まあそう急がず、少し様子を聞いてみてからでも遅くは無い。まあ何事もやってみなければ判らんものさ。最悪のケースでは全員ミイラ取りがミイラになる可能性もあるからな……」

「ミイラだなんてあなた! そんな状態ならば即中止ですわよ!」


 アンナがハルトマンを抱きしめつつ言った。


「やや。これはちょっと言い過ぎたな。ハッハッハ」


 エーバーハルトは快闊に笑うと、つられてルーディックやアルノルトも笑っていた。



 そんな笑い声がユッテとイサベラの部屋にも聞こえて来た。二人の部屋は、その一つ上階の個室だった。小さいながら、そこもやはり豪華な作りだ。ユッテとイサベラはそこで夜の部屋着に着替えた。セシリアとロザーナがそれを手伝い、鏡台前で着替えや身支度の品を荷物から出し、ユッテのお色直しをした。


「アルノルト達が笑ってる声がするわ」


 髪を結い直したユッテはそう言って窓を開け、階下を覗き込んだ。イサベラもそこから一緒に覗いて言った。


「そうね。下は確かルーディックさんの部屋じゃなかったかしら?」

「後で行ってみましょう?」

「ユッテはアルノルトさんともずいぶん仲良くなったようね」

「そう言うイサベラはルーディックと仲が良さそうだわ? 最近どうなの?」

「あの方は新婚よ? 何もあるはずないじゃない? ユッテこそどうなのよ」

「私? 私はベンケルとの婚約が正式に決まったわ」

「そう? それはおめでとう」

「ありがとう、と言いたいけど、ダメ。みんなと遠く離ればなれだし、気持ちはどん底からどん底よ」


 ユッテはそう笑顔で言ってから、泣き顔になってイサベラに抱き付いた。


「あらあら、そんなに嫌なの?」

「ごめんなさい……でも……もう隠しておけない」

「私には隠さないで。泣いてもいいのよ」


 ユッテはイサベラに向き直って言った。


「違うの……もう一つ重大な秘密があるの。話しても驚かないで聞いて?」

「何かしら?」

「ブルグント公国で進んでいる結婚話って、私の家とよ」

「ルードルフ王子とアネシュカは破談になったの?」

「いえ。それは正式に決定してるわ。残る男子はもう父しかいなくて……相手は王になるのよ」


 イサベラはそれを聞いて、何の相手かと聞き返そうかと思った。聞き違い、思い違いだろうと、そうとしか思えず、ひとたびは笑った。


「やあねえユッテ。誰かの噂?」

「いいえ。御父上本人から聞いたの。あなたは知っておくべきだわ」


 明るかった未来の景色が、その瞬間変わった。イサベラはまるで暗黒の中、暗鬼に囲まれるような、そんな思いに包まれた。


「嘘……」

「ずっと嘘だと思いたかった。私も……」

「本当なのね……」

「まだ正式ではないわ。でも、戦後交渉の中でそういう話に持って行くって言ってたわ。そう進んでいるの。勿論あなたの国、ブルグント公国には断る権利がある——」

「お兄様は……きっと断らないわ。元々ハプスブルク家に嫁がせる気でいたし、家柄にも、人物にも、まるで非の打ち所が無い、まるで最高の条件の人なんですもの……」


 イサベラはそう言ってから、その事実が意味する未来に黯然として、涙を浮かべた。


「イサベラ……ごめん……」


 ユッテはイサベラを抱きしめ、言葉を続けた。


「私、出来るだけ婚儀を遅らせて、一緒にお城にいてあげる! 嫌なこと全部から私が護ってあげる! それくらいしか出来ないから……」

「ありがとう、ユッテ……」


 イサベラはユッテに頬を寄せて抱き寄せた。

 二人で一緒にいれば、多少のことは怖くない。イサベラは少し勇気付けられた。

 セシリアとロザーナは、この幼い少女が未来の王妃ということに恐縮し、思わず深く礼を取るようになった。それはイサベラにとって、目前に突きつけられる未来の重圧ともなった。



 ラウフェンブルク夫妻が部屋を辞し、夜も更けて静かになった頃、ルーディックの部屋をノックする音がした。


「はーい」


 ルーディックが出て、ドアを開けると、そこにはほぼ寝間着に近い姿のユッテとイサベラがいた。

 二人とも目の赤くなっている理由は、ルーディックやアルノルトには判らなかった。しかし、いつに無く二人の表情は暗かった。

 アルノルトは言った。


「どうしたの?」

「ワインでも飲みましょう?」


 と、ユッテは子供にあるまじきような事を言い出した。


「なんでまた?」

「イサベラは、しばらく本国へ帰ってしまうから、送別会よ」

「それはいいですね。ワインならここに」


 部屋の片隅のワインセラーには年代物のワインが置かれている。近くの戸棚にワイングラスもあり、ルーディックはそれをテーブルに持って来た。


「さあ、どうぞこちらへお座り下さい」


 アルノルトはワイングラスを幾つか受け取って運んだ。


「勝手に呑んじゃ悪いんじゃないか?」

「前に来た時はここから自由に呑んでいたんだ。大丈夫…‥のはず」


 全員にワインが行き渡ると、ユッテが言った。


「じゃあ、カンパーイ」

「なんか締まらないな。ルーディック! 頼む!」

「僕? では僭越ながら、姫君の未来に、乾杯!」


 そう言うと、令嬢二人はひどく落ち込んで、グラスが上がらなかった。


「あれ? 何か悪いこと言ったかな?」

「どうしたの?」


 そんな盛り上がらない中、もうアルノルトはワインを飲み始め、イサベラもそれを見て、一気に飲み干してしまった。


「おお! すごい」

「また、きっと、戻って来るわ……」


 イサベラが気持ちを堪えて呟くように言った。


「また戻って来た時、こうしてまた、皆でワインを飲めるのかしら?」

「それはもちろん!」


 ルーディックが勢いよく頷くと、ユッテも言った。


「もちろんよ。また集まりましょう」

「ええ……」


 アルノルトはしかし、そのイサベラの声に、違和感を覚えた。


「イサベラお嬢さんはさっきから僕の質問に答えてないんだ。どうかしたのってさっきから聞いているんだけど?」


 アルノルトがイサベラの目を覗き込んだ。しばらく見つめ合ったままいると、イサベラの目にはみるみる涙が溢れた。そしてすぐに後を向いてしまった。


「あーっ。泣かしたー」


 ルーディックに続き、ユッテも慌ててイサベラに駆け寄った。


「ちょっと、アルノルトー。ダメよ今は。ガラスのハートなんだからー」

「ご、ごめん……」


 アルノルトは謝らざるを得ない。しかし、その涙に、何かがあったことは自ずと伺えた。それはルーディックにもそうだった。


「アルノルトは変な事聞いた罰として、そのワイン一気呑み」

「ええ? いいよ? 呑む!」


 アルノルトは残ったワインを一気に飲み上げた。


「ふぁー。なんだか結構キツめだよこのワイン……」

「あっこれ! ブランデーだった。イサベラ姫もさっき一気に呑んでたけど、大丈夫かな」


 イサベラの顔を見れば、既に顔が赤くなっていた。

 イサベラが酔っ払いがからむように言った。


「アルノルトさん? あなたよ!」

「はい……」

「少し、ぶしぶしぶしつけじゃないかしら?」

「ぶしつけね」


 ろれつが回っていないイサベラの言葉に、ユッテがそう解説を加えた。

 イサベラが少し怒っている様子なので、アルノルトは畏まって言った。


「そうかもです!」

「そうよ! 聞かない優しさっていうのもあるの。そういう優しさを知る紳士になってちょうだい」

「紳士とか騎士とかは疎くてすいません……」

「騎士じゃなくていいの。立派な紳士になってね……」


 イサベラはそう言って、未来を見るようにアルノルトを見た。


「どうも紳士もしっくり来なくて」

「なるわよ。きっとなれる。そう思うのなら」


 イサベラは深く頷いていたが、眠くなったようでもある。


「がんばります!」

「良かったこと。とても眠いわ……」


 イサベラはそう言って机に突っ伏した。


「寝ちゃった?」


 ユッテがイサベラを覗き込んで声をかけても、イサベラは起きる気配が無い。


「ルーディック? どうしてブランデーなんか飲ませるんだ。僕ももう顔が赤いよ」

「これは僕のミスだ。お詫びに僕も一気飲みしよう」


 そう言ってルーディックも残りを全部呑み込んだ。


「起きないわ。こんな所で寝ちゃってどうしましょう」


 そう言うユッテにルーディックが部屋のドアを指して言った。


「ここには幾つか付属の部屋があるので、そこで寝かせましょう」


 隣で空いている部屋にルーディックとアルノルトでイサベラを運んで寝かし、ついでにユッテもベッドが広いのでそこに一緒に寝ることにした。

 ついでにアルノルトもルーディックの部屋に二つあるベッドで泊まる事にした。



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