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祝杯


 そこに集った全員が、市庁舎の斜向かいにあるレストランへ向かった。

 そのレストランは建物の二階にあって、その階は三方が窓を外したようになっていて、殆どオープンテラスに近いような構造だった。

 橋の袂にあるので、川も見えて眺望がいい。


「じゃあ、カンパーイ」


 提案者のユッテの適当な音頭で、皆がワインの杯を交わし合って飲み始めた。

 当時ワインは子供でも飲んで良く、ジュース替わりと言えた。まだ日は高かったが、ここにはワインやビールを飲む客で一杯だ。

 エリーザベトやイサベラもグラスを掲げて勝利を祝ってくれた。


「勝訴出来て良かったこと」

「示談おめでとう!」

「ありがとう」

「兄さんおめでとう、私も連名だし、おめでとう」

「そうね。アフラもおめでとう」


 そんな祝福のやりとりが幾度も交わされた。

 メニューを見ていたルーディックは言った。


「じゃあ、僕からお祝いに一つこれを頼もう。ウェイター」


 ウェイターを呼んでルーディックが頼んだのは、七面鳥の丸焼きだった。

 料理が届くと、美味しそうな匂いが立ち込める。

 大きな丸焼きを前にして、アルノルトは目を丸くして言った。


「いい匂いだ。ルーディック、有難く頂くよ」


「どういたしまして。先ずはアルノルトに美味しそうなところを一杯……」


 そう言いながらルーディックは丸焼きをナイフで大雑把に切り分けて、アルノルトの分を盛り付けた。

 次に取った皿をユッテに渡そうとしたが、ユッテは正視出来ないようで、顔を背けていた。


「あのかわいい七面鳥が……」


「かわいいけど、美味しいんですよ」


 アフラがユッテに微笑んだが、ユッテは手で遮ってルーディックから皿を受け取らないので、それはアフラが貰った。

 あとはエリーザベトが綺麗に切り分けて皿に配って行き、丸焼きの形がほぼ無くなった頃、ユッテも切り分けた皿を受け取った。クヌフウタとお付きの修道女も丸焼きを食べるのを避け、その皿を受け取らなかった。イサベラも一応今日はシスター姿だったのでそれに習い、結局かなりの肉が余った。

 ブルクハルトは一人だけ席にあぶれて、一列離れた場所で飲んでいたので、アフラが七面鳥の皿を沢山持ってやって来て言った。


「はいお父さん。お父さんも、兄さんのお祝いしないと」


「おお、ありがとう。そうだな。アルノルトに乾杯!」


 そう言ってブルクハルトはグラスを持って席を立ち、アルノルトとグラスを合わせてから、ワインを飲み干した。


「いやー、まさか王女にご助力頂けるとは。まさしく王女のお陰ですな。アルノルトからもお礼を言っておけ」


 ブルクハルトは今日はユッテが王女と知っても上機嫌だ。

 アルノルトはそんな父に言った。


「お礼はきっと牧場に招待すれば、もうそれで大丈夫だと思うよ」


「ええ! それ、いいわね。アフラともまた会えるし、ミルヒやアルノルトともね」


 ユッテは至って乗り気だ。

 しかし、ブルクハルトは頭を抱えた。


「う……少し考えさせて欲しい」


「父さん。ここまで言われればもうほぼ決まってるよ」


「そうか?」


「お忍びで来てくれるから大丈夫だよ。今までもそうだったんだし」


「今までも? 来て頂いた事が?」


 ユッテは大きく頷く。


「ええ。お祭りの時には村娘の姿で、教会やアフラの診察の時にはシスター姿で来てましたわ」


「診察と言うと、クヌフウタさんの診察の時に?」


 その質問にはクヌフウタが頷いた。


「ええ。元々はユッテさんの語学教師をしていまして、その時にせがまれてアフラさんの診察に行ったんですよ」


「そうだったんですか。それも王女のお陰でしたか……」


「言い出したのはこちらのイサベラさんです。一度一緒に見学に行きましたでしょう?」


「シスターアニエスもクヌフウタさんのお弟子さんでしたか?」


「イサベラさんもユッテさんと一緒に勉強していましたから、そうとも言えますね」


「思えばウーリに良く来て頂いていたんですな。アフラの言っていた友達というのはあなたでしたか」


 ブルクハルトがいつに無く丁寧にな口調で問えば、イサベラは頷いた。


「ええ。その節はお世話になりました」


「こちらこそ、娘がお世話になりまして」


「私もですわよ?」


 少し不服そうな声はユッテだ。


「王女も息子共々お世話になりました。これは、やはり家に御招待しなければならないようですな」


「本当? 是非、伺わせて貰いますわ」


 ユッテはそう喜んだが、イサベラが改まった表情で言った。


「私、しばらく来られなくなると思います。本国から戻るように言われているんです」


「えっ。イサベラさん、帰っちゃうの?」


 アフラが残念そうに言った。


「ええ。何か重要な事があるそうです。新たな婚約話かも知れません」


 ユッテが考えるように言った。


「もう動いてるのかしら?」


「あら? 何かご存知?」


「いえ? 独り言。私もボヘミアに行く事もあって、しばらく忙しくなるわ。ゆっくりこうしていられるのは、もうそんなには無いかも知れないわね」


「そんなぁ。寂しくなります」


 アフラはとても寂しそうだ。

 ユッテは手を打って言った。


「じゃあ、明日一緒にイサベラも講義に行きましょう?」


「何の講義?」


 アフラが掌を合わせて言った。


「いいですね。エックハルト先生の講義は素晴らしいんですよ。イサベラさんにも是非聞いて欲しいです」


 この名前に見事に食いついたのは、エリーザベトとクヌフウタだった。


「今、エックハルト先生って言いました? 何処で講義されるのですか?」


「先生は今、チューリヒに?」


 アフラはニッコリ笑って言った。


「隣のヴィンテルトゥールです。明日、講義があるんですよ」


 クヌフウタは思わず神に祈った。


「ああ、神のお導きに感謝を。何を置いても受講させて頂かなければ! イサベラさんも是非いらっしゃい」


「ええ。クヌフウタさんがそう言うのでしたら」


 元々ユッテとアフラに会った後は、クヌフウタの巡礼に付き合うつもりだったのだ。イサベラは笑顔で了承した。

 アルノルトはそれがアフラのお気に入りの先生と見当が付いて言った。


「その先生はどういう講義をするんだ?」


「兄さんも来るんでしょ? すごい講義なんだから。例えばそう……三位一体とは!」


 アルノルトは気が抜けた。


「そんな話、ウーリの教会でも散々聞いたよ?」


「三位一体は私達にも出来るのです! どう? すごいでしょう?」


「本当ならまあ……すごいね」


 アルノルトは苦笑いをした。

 クヌフウタはしかし頷いて言った。


「聞いていると本当に思えて来てしまうんです。何より碩学と言いますか、学識が幅広いですから」


 イサベラは聞き返した。


「前にも講義はご一緒しましたが、そんなにすごい方なんですか?」


「ええ。それはもう! 今、最高の教説をする方です」


 アフラもこれに頷いた。


「はい。もう、感動して泣いちゃうんですよ。ねぇーっ」


「ねぇ」


 クヌフウタとアフラはここで大いに気が合った。

 イサベラはそれを聞いて少し楽しみになって来た。


「それは是非、聞かせていただきたいです」


「エクセレント! では、予定を変えて、私達も参加しましょう。ルーディックも!」


 当然ながらエリーザベトも行く気満々、かつ、ルーディックが一緒に行くのも決定だ。


「席が空いているかな?」


 ルーディックは少し苦笑いだ。

 アフラは大事なことを思い出して言った。


「お父さん。そんなすごい先生なの。私も講義に出る約束なの。明日はそれから帰るのは遅いから、チューリヒにもう一泊する事になると思うわ」


「儂は忙しいんだ。すぐ帰らねばならん。アフラも一緒に帰るんだ」


「後で兄さん達と帰るわ。一度帰ったとしても、またこっちに来て往復するくらいの価値がある講義なの」


「無茶を言うな。第一ここから遠いじゃないか。怪我に響くぞ」


「怪我ならいいお医者様のお陰でもう綺麗に治ったわ。だから行かせて?」


「ダメだ。ここで宿泊費が幾らすると思ってるんだ」


「じゃあいいわ。明日帰るとしても、講義が終わってからね」


「何時に終わるんだ?」


「三時頃に終わるとして、ここに戻って五時頃で、それから出発ね」


「それじゃあ最終の馬車に間に合わないじゃないか。ダメだな。すぐ帰るんだ」


「ヤーン」


 そんな親子喧嘩を見かねて、エリーザベトが助け船を出した。


「でしたら、明日は私共の本城にお立ち寄りになっては? ご宿泊の部屋もご用意出来ますし。皆さんで来て頂けると賑やかで楽しそう! 是非そうして下さい」


 そこで手を上げたのはユッテだ。


「わあ楽しそう! 私もそこに加えて頂いて宜しいかしら?」


「ええ……もちろん。王女様も歓迎致しますわ」


 そう言いながら、ルーディックと目を見合わすエリーザベトの笑顔は硬い。

 というのも、同盟の盟主となって以来、反ハプスブルク派の人々が頻繁に城に出入りしていたからだ。


「しかし……」


 尚も渋るブルクハルトに、アルノルトが言った。


「父さん、エリーゼ様直々のご招待だよ。無下にしたら失礼だ。それに村で城に招待されたって皆に自慢出来るよ」


「そうだな……エリーゼ様、誠に有難きお言葉、是非、この息子をよろしくお願いします。しかしアフラはすぐ無理をして病気をするので、私と娘はやはり今日明日で帰りますので」


 ブルクハルトは軽く一礼をしつつ笑顔になっていた。しかし、アフラは悲しみのどん底に陥った。


「えーっ、兄さんだけー?」


「エルハルトもいるし、アルノルトには自分で稼いだ金がある」


「私もある!」


「お前は渡した分の金を返せ。馬車代で消えちまう。それに教会から外へしょっちゅう出歩いてるそうじゃないか。危なくて置いて置けん」


 アフラは悲嘆に暮れて泣き出し、「お約束ダメでした」と言って隣のユッテに撓垂れ掛かった。

 ユッテはアフラの背を抱き寄せた。


「あの……」


 ユッテが怖ず怖ずと言った。


「アフラの自由にさせてあげて下さい」


 ブルクハルトは言った。


「お言葉ですが、自由と我が儘は違うのです。我が儘で帰る日を遅くする事は、許すべき限度を越えています」


「アフラのは師を慕う向学心であって、我が儘とは少し違いますわ。この年ならもっと勉強に力を入れてもいいはずです。もっと勉強させてあげる事を考えては戴けませんか?」


 ユッテの言葉にアフラは涙ながらに感じ入った。


「ユッテさん……」


「そうですな。村にいて教育が足りなかった事は、私も反省せねばなりません。しかし、ウーリにはウーリのやり方がありますので、干渉はしないで戴きたい」


 ウーリのラントアーマンにそう言われれば、ユッテももう口出しは出来なかった。

 アフラはキッと父を振り返って言った。


「ならお父さん、今ならまだ特急便に間に合うでしょう?」


「ああ、最終便がまだある」


「じゃあ、今すぐ帰りましょう? 早い方がいいんでしょう?」


 そう言ってアフラはブルクハルトの手を引いた。


「まあそうだが、今度は急に何だ」


「皆さん、それでは私は分からず屋の父とウーリに帰ります。イサベラさんもお元気で。エリーゼ様、大変お世話になりました。ユッテさんまた講義で。皆さんまた会いましょう」


 アフラは素早く挨拶をして、ブルクハルトの手を引いて歩き去って行った。


「皆さんお元気で」


 ブルクハルトが入り口で振り返って帽子を振り、アフラに引かれるままに歩き去って行った。

 残された一同は、一様に静かになっていた。


「まるで嵐が去ったようだ……」


 アルノルトが呟くように言うと、ユッテが呆然と見送った姿勢のまま言った。


「あの子、また講義でって……まさか、行って戻ってをするつもりかしら」


「まさか。いや、あり得る……」


「じゃあ、私達は約束通り講義に行かないとね」


「えっ。アフラが行かないなら、僕は行ってもしょうがないよ」


「あら? あなたは私と行く約束をしたはずよ? 約束を破る気かしら? それに、アフラは来るつもりだと思うわ?」


「そうだった。じゃあ約束通り行こう。その後はラッペルスヴィル城へも行くんだし」


 ルーディックが言った。


「歓迎するよ。アルノルトは一度は来たんだよね?」


「ああ、大きかったね。あそこを家にしてるなんて考えられないよ」


「まあ、居住空間は一画だけで小さなもんさ。明日は朝からヴィンテルトゥールへ講義へ行って、その後は直行が近いからここにはもう寄らない。出来れば今日中に、あの人を紹介して欲しいんだが、いつ行こうか?」


「ミュルナーさんは結構忙しいんだ。公務が終わった夜がいいと思う。すぐそこだから、今ちょっと行って家の人にそれだけでも伝えて来るよ」


 そう言ってアルノルトが立ち上がると、ルーディックが立ち上がった。


「すぐ会えるかも知れない、僕も行こう」


「私も一緒に参りましょう。皆さんはここで料理を食べながらお待ち下さいませね」


 エリーザベトも立ち上がってそう言うと、クヌフウタが言った。


「私、これから行きたい所があります。このすぐ近くにフランチェスコ派の大きな修道院があるのです。お世話になった方がいますので。歩いて行って来ます」


 そう言ってクヌフウタとお付きの修道女も席を立ち、席に残るのはユッテとイサベラだけになった。少し離れた席には馬車を御して来たまま忘れられたユッテの護衛騎士もいたが。

 エリーザベトが言った。


「お互いに遅くなるかも知れないので、一時解散としましょう。もしここで会えない時は、明日の朝、エーテンバッハ教会で集合しましょう」


「はい。判りました」


 この後、ユッテとイサベラはすぐにユッテのホテルへ行ってしまったので、果たしてここで一同は解散となった。




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