馬車中泊
アルノルトが目を覚ますと、天井は白い布だった。
隣にはエルハルトが寝ている。
昨日はチューリヒへ帰って来ると、馬車に幌をつけるための材料を買い、二人で馬車にしっかりとした幌を付けた。
沢山余った幌布にくるまって寝転がると案外寝心地が良く、昨夜殆どまともに寝ていなかったエルハルトは、これなら中で寝れると、そのまま眠ってしまった。
エルハルトは日が落ちても眠り続け、ホテルに帰りそびれたアルノルトはそのまま馬車の中で眠る事にしたのだ。
時間は明け方頃で、気温は震える程に冷え込んでいた。そんな寒さで目が覚めたのだ。
アルノルトが幌を捲って外を見ると、街灯と聖母聖堂の窓の灯りが傍に見え、幾分明るかった。馬車は修道院横の広場の路傍に寄せて、停めていた。
「起きたかアルノルト」
「よく寝てたね、兄さん」
「こんな所でも良く眠れたよ」
「意外と馬車で眠れるもんだね。これなら宿代が浮くよ」
「そうだな。追放中の身には丁度いい。アルノルトがこれを目聡く見つけたお陰だな」
「追放っていつまでなの?」
「今日で二日目、明日で三日目。明けてから帰るなら日曜日だな」
「ちょうど日曜日に僕らも帰る予定だったんだけど、一日延長なんだ」
「うん? そうか?」
「日曜日はアフラが絶対出たい講義があるんだって。それを聞いてたら夕方近いから、一泊して帰る事にしたよ」
「じゃあ、月曜日に一緒に帰ろう。この馬車でな」
「これなら座席を作ればアフラも乗れそうだ。馬車代も浮いて助かるよ。でもまだ三日もあるけど、兄貴はどうする?」
「そうだな。やる事が無いのも癪だ。どうせならアルノルトの代わりにホテルで働けないかな。食事も出るんだろう?」
「え! 働きたいの?」
「ああ、資金の有り難みが今回の旅で身に染みたからな」
「じゃあ、これから支配人の所に給料取りに行くし、紹介するよ?」
「頼む」
「どうせなら僕も一緒に働こうかな。いろいろ教えた方がいいし」
「無理しなくていいんだぞ」
「案外慣れてくると、仕事も楽しいものさ」
アルノルトは仕事場にエルハルトを連れて行き、支配人に紹介した。支配人はエルハルトを上から下まで見てから笑顔になって言った。
「制服が似合いそうだ。週末は人が足りないから助かる」
エルハルトはすぐに今日明日の二日だけ働く事になった。アルノルトがさらに言い加えた。
「支配人、今日は最終日の予定でした。一度は辞めると言ったんですが、今日は僕もやります。教える役も必要ですし」
「そうか。じゃあ頼む。これは先に渡しておこう」
支配人はアルノルトの給料の包みを渡した。中を見れば予定より多く入っている。
「あれ? 多いような?」
「王女様に色々取りなしてくれた分、加算しておいた」
「ありがとう」
「しかし、今日分の給金は入ってないな」
「今日の給料ですが、代わりに、古い布団を幾つか貰えませんか?」
「布団か。古いのはじきに取り替えるし、替わりに金は……いいんだな?」
「はい!」
「いいだろう。あとで古いのを見繕って持って行くといい。残り一日頑張ってくれ。しばらく一通り中を案内してあげるといい」
支配人はアルノルトの肩を叩いて歩いて行く。
エルハルトはそれを見送って言った。
「偉い! 早速布団が貰えるとは。支配人はいい人そうだな」
「いや、壺の件ではお金に厳しいったらないんだ。皿を割らないように気を付けて……」
「そうだったか……」
アルノルトとエルハルトは仕度部屋でボーイ服に着替えた。
「袖も肩幅もピッタリだね。かっこいい」
エルハルトには一番大きなボーイ服が合ったが、足の丈だけは少し短いようだ。背が高くスタイルのいいエルハルトは驚く程格好が良くなった。
そして二人が厨房へ入って行くと、それを見たコック長や、パティシエが目を丸くした。
「あれ? どうしたアルノルト?」
「戻って来たのか? そちらは誰だ?」
アルノルトは仕事場の人に兄を紹介して、皿洗いの段取りや、片付け場所を教えた。
そして、次はフロントへ行きポーターの仕事を一通り教えた。
「実は、この仕事は取り合いなんだ」
「取り合い?」
「重いものの方がチップが貰えるから」
「ああ、そうか」
「この仕事の時は他の人に呼ばれても、騙されないでね」
「そう言う事か。判った」
エルハルトはそれから皿洗いをして過ごし、アルノルトは途中からポーターの仕事をした。
「アルノルト、上で女の子が呼んでるよ?」
早速クオニ—がそう言って来たが、アルノルトは、「後でね」と取り合わない。
「玄関を掃除したらどうだ」
グランがそう言って来ても、「後でね」と、アルノルトは素早く荷物を取りに走り、階段を運んだ。山で鍛えた足、階段を上るのは一段飛ばしだ。
残された二人はお手上げのポーズだった。
仕事は午後の休憩となり、アルノルトはエルハルトをエーテンバッハ教会へと連れて行った。
アフラの宿泊棟を訪ねるとフィオナが出て来て、この時間は講義だという。
アルノルト達は次には講堂の裏へ行き、窓を覗くと、アフラはやはりそこにいて、熱心に講義を受けていた。ユッテもその隣にいる。
「かなり真剣な顔で勉強してるな」
「そうなんだ。アフラは最近勉強熱心なんだ」
そう話していると、アフラが気が付いて窓から顔を出した。
「そこで話してると聞こえるわ。あれ? エルハルト兄さん!」
「おお、元気か。いいのか? 講義は」
「良くないけど、どうしているの?」
「お金が無くて帰れないんじゃなかったか?」
「届けてくれたの?」
アルノルトは銀貨四枚を取り出して、窓越しにアフラに渡した。
「わ!」
「取り敢えずアフラの分、返しておく」
「やったーっ!」
アフラは思わず飛び跳ねて喜んだ。
講堂からは沢山の「シーッ」と言う声が聞こえた。
アフラが声を落として言った。
(ありがとう。これで教会に寄付出来るわ)
「そんなに寄付するのか?」
(まあ、半分? じゃあ戻るわ)
アフラはそう言って自席に戻って行った。
帰る道すがら、エルハルトはエーテンバッハ教会に数台の馬車が停めてあるのを見て言った。
「馬車をここに移動しようか。水場があるし、人通りが少なくて落ち着ける」
「多分大丈夫じゃないかな? 教会の人に聞いてみるといいよ」
「そうする」
エルハルトはさっき宿泊棟に居たフィオナに馬車を置いていいかを聞いてみた。
「置くだけならどうぞー」
とフィオナが言ったが、本来この場合、馬車の中に泊まり込む事までを聞かなければいけない。
しかし、時間の少ないエルハルトはこの答えで満足し、馬車を昼休憩のうちにエーテンバッハ教会に移動してしまった。
そこからアルノルトはと言えば、代理人のリューティケルと話しに市庁舎に行ってみた。しかし、あいにく来客中だったので、さらにミュルナーの家に行って、王子から返答が無いかを訊いてみた。
ミュルナーは言った。
「まだだな。何でも今は遠征に出ているそうだ。捕まるのに時間が掛かるかもしれん」
「そうなんですか。遅くなるのは困るんです」
「示談は歓迎なんだったな」
「はい。歓迎です。言った条件であれば」
「ならば先方の返事一つで示談に出来るんだが、遠征じゃあいつになるか正直判らない。そこのホテルに住まわせて貰っているんだろう? 連絡が来たらフロントに知らせてやろう」
「宿はもう出るつもりなんです」
「じゃあどこに連絡をすればいい?」
「エーテンバッハ教会に妹がいますのでそちらへ。日曜日まではチューリヒや近郊にいます。もしもう居なければ、ウーリに連絡をして貰う事になります。また顔を出しますよ」
アルノルトはそう言ってウーリの住所をミュルナーに渡した。
「代理人にも言っておけ。多くは代理人との話で済むからな」
「さっき行ってきたんですが、来客中だとかで……。手紙では残して来ました」
「あやつも忙しいからな。ウーリにはヨハネス騎士団の事務所はあるか?」
「騎士団ですか? 聖ラザロ騎士団ならあるんですが……」
「ラザロとは稀少だな。ヨハネス騎士団かテンプル騎士団の事務所があればそこへ送金出来るんだがな」
「そんな事が出来るなんて知りませんでした」
「大きな町ならあるんだがな」
「自治の州ならそう言うのがあってもいいですよね。誘致出来ないか訊いてみます」
「それは気の長い話だな。だが口利きはするぞ」
ミュルナーは大きな声で笑った。
夕方となり、仕事を終えると、アルノルトは部屋へ帰り、ユッテとセシリアに今日で出て行くと告げた。泊まるのは馬車の中だったので、行き先も特に言わなかった。
「これまで泊めてくれてありがとう。兄が来てるから、一緒にいようと思う」
「そう。出て行ってしまうのね。この生活も、もうすぐ終わってしまうのね」
そう言ってユッテはとても寂しそうな顔をした。
「またウーリに遊びに来るといい。お忍びでね」
「そうね。たまに息抜きを要求して、遊びに行きたいと思うわ。今度はちゃんと歓迎してね」
そう言ってユッテは手を差し出した。
「ああ、お忍びなら歓迎さ」
そう言ってアルノルトはユッテと握手をした。
アルノルトは今まではユッテ達を災難のように思っていたのに、こうして歓迎すると言って握手している事に自分でも驚いた。実際村に来たら村人から隠す事には苦しむ事だろう。
「日曜日の講義には来るんでしょう? 朝、エーテンバッハ教会に来れるかしら?」
「判った。それならすぐ近くにいるから問題無いと思うよ。じゃあまた月曜日に」
荷物を纏めて部屋を出て行ったアルノルトは、コック長や支配人に別れの挨拶をした。
隣に出て来たエルハルトは、夕食後までまだ働くそうだ。
「お世話になりました。あとは、今日の給料ですが……」
「ああ、そうだったな」
支配人は布団部屋へ連れて行ってくれ、古い布団を沢山くれた。多過ぎたのでそれをそのまま脇に積んで置いておき、アルノルトは馬車を取りに行き、エルハルトの仕事が終わる頃にやって来て、それを一緒に積み込んだ。これはグランやクオニーも手伝ってくれた。グランとクオニーに見送られながら、アルノルトは馬車を発した。
こうして、アルノルトは少しは馴染んだこのホテルを後にした。
そして、その日はエルハルトと二人でしっかりした寝床を作り、その中で宿泊をした。流石に夜は冷えたが寝心地はとても良く、場所もエーテンバッハ教会に移ると周囲も静閑な雰囲気で落ち着いて眠れた。
次の日、寝ているアルノルトを残し、早朝から起き出したエルハルトは、エーテンバッハ教会の水場で顔を洗い、そこから歩いてホテルへやって来て、ボーイ服に着替えた。
「アルノルトよりボーイ服が似合うな」
コック長はそう言ってエルハルトの肩を叩いた。アルノルトより大人のエルハルトは、皿洗いだけで無く、かなり幅広い仕事を頼まれた。ポーターもそうだが、ルームサービスやパーティーの準備等、二日目だというのに本格的な仕事が多かった。
そうしていると、フロントにアルノルト宛の手紙が届いた。しかし、アルノルトはもう出て行っていたので、その手紙はエルハルトに渡された。
見ればその手紙の送り主は父からだ。エルハルトが手紙を開けてみると、手紙の内容は、アルノルトの訴訟についての事だった。加えてウーリでの牛の裁判の判決についてと、エルハルトの罪はお咎め無しになった事が書かれてあった。
エルハルトがそれに喜んだのも束の間、どうやら父が今日ここに来るらしい。アルノルトの訴訟に関してチューリヒへ宮廷貴族がやって来ていて、保護者による身元の保証を求めたからだと言う。
午後の休憩となり、エルハルトはアルノルトを探してエーテンバッハ教会に行ってみた。
しかし、当然のように馬車にも周辺にもアルノルトはいない。
エルハルトは講堂の窓を覗いてみる。果たしてアフラがそこで講義を受けていた。エルハルトはその窓を叩いた。アフラは迷惑そうに窓辺にやって来た。
「迷惑……ここは丸聞こえなのよ?」
「急だが、父さんが来るらしい。今日」
「今日! 大変!」
後で小さく「シーッ」と声が聞こえた。
「アルノルトを知らないか?」
「今頃は多分あそこの丘かも」
アフラはそこからも見えるリンデンホーフの丘を指した。
「判った。行ってみる」
エルハルトはリンデンホーフの丘へと向かった。




