意外な結審
ウーリでは裁判の続きが行われていた。昨日と違うのは、原告席の隣が拡張され、ラッペルスヴィル家のルーディックと、ラウフェンブルク家のルードルフ三世がいた事だった。エリーザベトは傍聴席の方でゲスレルと机を並べている。
原告席のイサベラの隣のテーブルにルーディックが座ったので、時に壇上でお喋りをして、議事が混乱を呈していた。
「静粛に」
シュヴァインスベルクが皆に聞こえるように話をした。
「国境の位置について、昨日現地調査をした所、国境の立て札は本来の位置よりウーリ側に移動されていた事が判りました。被告の主張は完全に裏付けられたことになり、ウーリ側に牛小屋があったので、被告は骨折の悪化で牛を死なしたとは言え、所有権を放棄された迷い牛扱いとなり、この件は無罪という事になります。解体の手順を取って肉を配ったのも、その場所の慣習ですので、これも無罪を主張致します」
ブルクハルトが口を開いた。
「国境の移動に関しては、新事実が判った。子供達の間で起こった事だが、国際協定が結ばれていたとの事だ。今日はその証人をお呼びしている。ラウフェンブルク家のルードルフ卿と、その立会人であられたラッペルスヴィルのルーディック卿だ。まずはラウフェンブルク家としてルードルフ卿、どういった経緯で協定が結ばれたのかをご証言いただけますかな?」
ルードルフは背は高めだが、まだ十三歳で、語り口調は純朴な子供のようだ。
「僕はハルトマンと一緒に歩いただけだ。国境の札を持って進んで、五十歩だった……」
そう言うルードルフをルーディックが遮り、証言を代わった。
「私から言いましょう。本来の領主代表としては、もう一人ラウフェンブルク家のハルトマンがいたのですが、今日は急だったので欠席しています。僕ら三人が国境の牛小屋に行った時、国境の立て札が倒れて場所が不明確になっていました。既に建っていた牛小屋はかなり際どい場所にあり、僕らは話し合ってそれがラウフェンブルク領の側になるようにして暫定的に国境線を決めたのです。勿論、そこにいたウーリの人との協議の上です。それでルードルフ、暫定の国境線を探し歩いたんだね」
「うん。ルーディックの言う通りです」
「これは一種の国境争議とも言えます。領主代表としてハルトマンとルードルフはその場でウーリの代表の方と協定を結び、後日正式に国境調定を開くまではそのまま現状を維持するという協定を結んだのです。私ホーンベルク・フォン・ルーディックは確かにそれに立ち会いました」
ルーデンツが訊いた。
「そのウーリ代表の方というのは誰ですかな?」
「名前は確か、エルハルトさんです」
「なんと。シュッペルの倅か」
周囲の人々がざわついた。
ブルクハルトが口を開いた。
「我が息子です。証言は私が息子の口から聞いていた内容とほぼ同様でした。父親としては勝手な協定を結んだ事をお詫びしなければなりません。その罰として私は息子のエルハルトを三日間の国外追放にしました。しかし元を辿ればこれも国境の立て札が折れ飛んで、不明確になっていたためでもあり、共同体としての落ち度でもある。これに由来して皆が気付かず小屋を建てた事や、こうした国際協定を結ぶ事になったのも、その落ち度をカバーする為に起こった事で、これに関わる全員を罪を問うような愚はしないようにすべきだと思うのだが、如何か」
アッティングハウゼンは頷いた。
「まあそれはそうだ。立て札は元の位置にしっかりしたものを造り直し、国境線は元に戻す事にしよう。それで全員この件はお咎め無しだ」
ブルクハルトはこれに胸を撫で下ろした。
「ハルトマンには私からもお伝えしましょう」
ルーディックが胸に手を当てて言う。アッティングハウゼンは頷いた。
「それはそうとして、今の裁判の話だが、国境はこの協定があれば、動いていたという事になるかの?」
訊かれたヴァルターは言った。
「国境は我々で承認してませんで、まだ未確定状態だったのでは?」
「未確定状態か。その場合は処置に困る事だのう」
シュヴァインスベルクが言った。
「しかし、その事を殆ど誰も知りませんでした。なら事実線は国境はそのままという認識で動くものでしょう。ならば無罪です」
アッティングハウゼンは息子の言う事だと、すぐに頷いてしまう。
「それもそうか。なら無罪になるか……」
ブルクハルトが語尾を被せて鋭く言った。
「ちょっと待って下さい! 昨日のシスターの証言がまだだ」
そう言われたイサベラは諦めの色から、少し目に光が灯った。
「昨日シスターからの新証言がありました。一つはロープの切れ端について。昨日の現場検証では確かにロープの切り口には片方に血に濡れた跡があり、そこから切ってからかなりの時間が経っていた事が伺えました。シスターの証言通りだったのです」
ルーデンツがその言葉を継いで言った。
「そこから牛が死んだと推定される時間は、朝五時頃。そんな時分に通りが掛かりの人はいない。つまり協力者を呼んで、計画的に牛の足を折らせ、無罪の状況を作ってから解体している事が疑われる。それにあの切り口……あの真っ直ぐ斜めの切れ方。ナイフではあの様には絶対に切れない」
アッティングハウゼンは驚いた。
「と言うと、何で切ったんだ?」
「実際に昨日何度もやってみて判った。あれはサーベルの切れ味ですよ。しかも相当腕の立つ者でなければ、ああは切れない」
「なんと! ここへ来て真犯人登場か!」
「残念ながら登場はしません。被告がずっと隠しているのでな。被告よ。誰が切ったか、話す気はあるかな?」
「儂は知らん」
被告マグナはただ首を振った。ルーデンツは即座にこれに詰め寄った。
「知らんという事は、自分では無いという事だ。これは共犯がいたという事ですな」
「異議あり。それは証拠の無い憶測でしょう」
シュヴァインスベルクは異議を唱えつつも、内心ヒヤリとした。形勢は一気に被告に不利になった。
「牛飼いは普段サーベルを持ち歩かない。サーベルで切ったという事は限りなく証拠に近いだろう」
シュヴァインスベルクは返す言葉が見つからなかった。
被告マグナも脂汗を流し始めた。
さらに、ブルクハルトが言った。
「加えて、シスターからはもう一つ訴えがあった。被告を捕まえる時にシスターと我が子マリウスが問い詰めると、木の棒を振り回して危害を加えられそうになったという事だ。それは殺人未遂にも相当する程危険だった。そうですね? シスター」
「はい!」
イサベラは頷いた。
「そうだそうだ!」
最前列で見ていたマリウスも声を上げた。
するとルーディックが色めき立って言った。
「姫に……シスターに、何と言う事を! けしからん! 許せない! 極刑を強く望む!」
傍聴席からエリーザベトが立ち上がり、ルーディックへ指を立てて、その騒ぎは収まった。
それを見て届けてからブルクハルトは続けた。
「これは国境に関係なく見逃せない罪。殺人未遂の罪を問うべきでしょう」
「確かにこれは罪じゃ」
アッティングハウゼンはルーディックの勢いに押されながら頷いた。実際に守護権者に極刑にしろと言われればその通りにする事も選択肢として有り得る。しかしここはウーリ、自治共同体の方に決定権がある。
マグナはさっきまで含み笑いを浮かべていたが、一気に怖い顔になった。
アッティングハウゼンはそんな被告を見て言った。
「どうだ。被告マグナ。二人を木の棒で殴ろうとしたかね?」
マグナは事も無げに言った。
「少し脅かしただけで。裁判すると脅かされたもので」
「殴るつもりは無かったと?」
「はい。それは勿論で」
「極めて危険行為だ! 戦争になりかねない!」
真剣な顔でルーディックは机を叩いてそう言った。
誰もがエンゲルベルクと争いの事かと思ったが、事はもっと深刻だった。戦争寸前の状態にあるブルグント公国の公女その人だったのだから。
アッティングハウゼンは努めて穏やかに言った。
「ルーディック卿、貴殿は今日は証人じゃ。じゃが守護権者でもある。この後の審理でご意見を聞かせていただきましょう」
アッティングハウゼンは周囲を見回しつつ言った。
「これで証言は出揃ったようだ。誰かまだ意見がある者は?」
すると、エンゲルベルクのウルリッヒ修道院長が言った。
「エンゲルベルクが牛を失った損害を、しっかり賠償してくれるのかね。当代最高の牛だぞ! 牛三頭は貰っても遜色無い」
アッティングハウゼンは首を振った。
「領内の慣習ではあの地域の迷い牛は所有者無しの扱いになる。越境してきた牛は持ち主を捜索出来ないのでな。残念ながらあまりご期待には添えないでしょうのう」
「何だと! 聞けば国境が不明確であったのは共同体の手落ちだそうじゃないか。ならばウーリでそれを持って頂いてしかるべきでしょうな」
「なんとウーリで! しかし、それは個人の刑とはまた別の事として話さねばなりませんな。では、他は無いかのう」
それ以上意見は出ないようだった。アッティングハウゼンは木槌を鳴らした。
「では、これにて審理に移る。二時間後に判決を申し渡すこととする!」
裁判官達とルーディック、そしてエリーザベートは別室に移動して審理をした。
そこでアーマン達はエリーザベトから驚くべき事実を聞く事になる。
「現在も継続しているブルグント諸国同盟との戦争には、今にもブルグント公国が参戦しそうな事は知ってますね。秘密にされているのですが、シスターアニエスはブルグント公国当主の母違いのお妹、そう言うと遠いようですが、つまり前当主の公女に当たる方なのです」
「なんと! どおりで気品があると……」
「もし、何らかの危害が加えられていれば、終わりかけている戦争にブルクント公国が参戦して、さらなる大戦が起こったかもしれません」
それを考えると全員背筋が寒くなる想いがした。ブルクハルトが冷や汗を拭って言った。
「危うくウーリが国際規模の事件を起こすところでしたな」
ヴァルターが言った。
「しかしさ、被告は知らない事だし、それも脅かしだけの未遂でしょう。他も習わしに沿っただけというのも事実ですよ?」
ルーディックは首を振って言った。
「ブルグント公女への殺人未遂です。極刑でなければ相手国は納得しないでしょう」
アッティングハウゼンはその意味をようやく理解した。
「殺人未遂だと、死刑には出来ませんのう。禁固という刑が我々には無いし、次には国外追放じゃが……」
ブルクハルトが頷いた。
「ラント永久追放ですね。盗みなら指や手を切断する所ですが、今回その罪は習わしがあるので不問というのが妥当なところでしょう」
ブルクハルトのその声で、三人の胸は決まったようだ。
「手緩い!」
そう後から叫んだのは後の方で聞いていた代理執政官、ゲスレルだ。
「今回は傍聴だけのお約束でしたぞ?」
アッティングハウゼンはそう言ってその発言を牽制した。ゲスレルは続けた。
「一応監督官として言っておく。両目をくり抜いてやればいいのだ。今後の愁いも無い」
「我々ウーリは山ばかりですからな、そのような刑は採らないのです。誰かがずっと世話に明け暮れる事になる。やっても手や指を切るくらいでしてな。一応聞くが、代官殿のご意見に賛成する者はいるか?」
それには誰も手を上げず、ブルクハルトは首を振った。
「却下ですな」
ゲスレルは不干渉の約束だったので、それ以上は言及しなかった。
アッティングハウゼンがもう一つの問題を言った。
「エンゲルベルクの事はどうする? 牛三頭と言って来た」
ヴァルターが首を捻った。
「そりゃあふっかけ過ぎだあ。修道院だと言うのにがめついねえ」
ブルクハルトが言った。
「だが、被告が肉を持って行ったのは確かだ。牛一頭は贖って貰いましょう。一番大きいのを選んでな」
「もう二頭は?」
「法は法だ。それを越えて二つの命を渡す義理は無い。多くの肉はギルドに売って行ったそうだしな」
「それもそうだ」
「決まりでさあな」
「ルーディック卿も異議はございませんな?」
「一つ気になる事があります。隠れた共犯もいるようですし、公女様を睨んでいた被告が、舞い戻って来て変な事を起こさないようにしていただきたいのです」
「逆恨みですか。なかなか難しいですな。普段はエンゲルベルクの人ですから。いい案は無いかブルクハルト」
「昔使ってた罪人の焼き印を使いましょう。古い人にはその意味が判るでしょう」
「それしかなさそうじゃ。他にご意見があれば?」
ブルクハルトはもう一つの懸念を言った。
「国境の協定については……後日ですか?」
それにはルーディックが言った。
「国境はもう戻しておいて下さい。ラウフェンブルク家には僕から言っておきます。変な所に話が回ると大事になりますので、ここで終わりにしておきましょう」
「助かります」
「いいえ。こちらこそ呼んでいただいていろいろ助かりました。アルノルトにはよろしく言っておいて下さい」
「はあ……」
ブルクハルトはアルノルトの名が唐突に出て来て戸惑うより無い。
ルーディックは手紙のエルハルトのサインが達筆過ぎて読みにくく、アルノルトだと思っていたのだ。
そして、判決の時を迎えた。
再び人々は広場に集まり、アッティングハウゼンによって判決は下された。
「判決を申し渡す。被告マグナ・ボーデン。牛を死に至らせ、牛の肉を盗んだ罪、これは国境の不明確さによって起こった事でもあり、この地の慣例にあった事よって盗みの罪としては問わないが、損害を与えた代償として最大級の牛一頭を共同体に引き渡す事。これをエンゲルベルクへの賠償として充当する事とする」
「おお」
想定内だったマグナの表情は安堵の笑みだ。だが、罪はこれだけでは無かった。
「加えて、検挙時におけるエンゲルベルクのシスターとウーリの子供に対する殺人未遂の罪。抵抗力の無い他国のシスターと子供にこれは許し難い。よってラント永久追放、並びに焼き印の刑とする」
マグナの顔は一気に蒼白になった。そして叫んだ。
「何故だ! 脅かしただけだ! 何故ダアア!」
マグナは縛られたまま暴れた。そして椅子ごと木箱から落ちた。椅子が木っ端微塵に折れ、ロープが緩んだ。
シュヴァインスベルクや周囲の者がロープを結び直そうとしたが、マグナは尚も暴れ、椅子の残骸で体当たりをして追い払った。
そして、椅子の残骸をぶら下げたまま、マグナは巨体を持ち上げて立ち上がった。さらにロープを解こうとしたが、ロープは二重になっていたので、それ以上はなかなか緩まなかった。ようやく足のロープが解け、そのまま走り出そうとした。しかし、周りは人で囲まれていた。
「逃げられんぞ! これ以上は刑が非道いぞ!」
アッティングハウゼンの一言で、マグナは動きを止めた。
アッティングハウゼンは続けて言った。
「そなたは上手くやったつもりだったであろう。しかし、既に意図した工作だった事は明らかだ。露見して子供達に危害を加えようとしたのもその一環だった事が伺える。そしてその子供こそ我々が護らねばならない存在だ。加えて他国のシスターも護られねばならない。これでも抑えて減刑しているぞ。生きていける程にはな。よってこの刑だ。判ったか? 判ったら観念する事だ」
「判った。煮るなり焼くなり好きにしろ」
マグナはその場に座り込んだ。
「では刑の執行は、ブルクハルト?」
アッティングハウゼンがブルクハルトに振ると、申し訳なさそうに言った。
「それはまた後日で……」
「そりゃまたいつ?」
「どこに仕舞ったか、焼きゴテが見つからないので、もう少し時間を下さい」
「では、焼き印の刑は後日都合がついてからだ。それよりまずは牛の引き渡しじゃな。シュヴァインスベルク、罪人を連れて家に行き、最大級の牛を押収してくるのじゃ。国外退去の準備もあるだろう。シュヴァインスベルクが見張りつつそれをやらせるがいい。退去は一週間以内とする。いいな」
シュヴァインスベルクはマグナを新たなロープで縛りつつ言った。
「はい。判りました」
シュヴァインスベルクは罪人を縛り上げると、馬車へと連れて行った。
イサベラはその姿を見送りつつ、言い知れない不安を感じた。
隣から、エンゼルベルクのウルリッヒ修道院長が非難の声を上げた。
「牛一頭では見合わない! あと二頭はどうするつもりだ」
「こちらでの刑は既に決定した。最大の牛であればそう遜色は無いはずだ。命の数一つに対しては命一つで贖う、そういう方針だ。三つも命を取っては修道院の名が穢れるじゃろうて」
「むう。しかし、特別な牛だったのだ」
「上訴するのは構わんが、この罪人が追放になれば行方は追えんじゃろう。相手が居なければ訴えも通らないし、再び捕まえて、チューリヒで裁判するとなると、費用は牛一頭どころでは済まんじゃろうな」
「むう。牛が大きければ呑むより無いようだ」
「納得して戴けたようじゃな」
ウルリッヒ修道院長は、アッティングハウゼンに改めて向き直り、再び非難めいた口調で言った。
「今回国境が不明確だった事が問題となったようだから、はっきりさせておきたい事がある。我がエンゲルベルクとウーリの高地の国境にも未確定箇所がある。間のちょうどいい所に峠があるから昔からそこを目印にして来たが、最近またウーリの者が峠を超えた所まで勝手に木の柵を作ってる者がいる。これは元通り、峠まで国境を下げて貰いたい。元の峠、ズレンネン峠を国境とここで確認したい」
二人の間にいたブルクハルトが言った。
「そこは緩衝地として放牧では譲り合って使うと随分前に裁定されているはずです。こちら側では既にあの峠の下まで整備されていて、日常行くくらいの場所になっているし、峠自体かなりこちら寄りだ。それに元来、未確定な地域は開拓したラントの領になると決められているはずですが?」
ウルリッヒは立ち上がって言った。
「開拓も何も、元から何も無い草原じゃ無いか! そこに勝手に柵や石積みを置いただけで何を言うか! すぐにこれを撤去するんだ」
ブルクハルトも立ち上がった。
「柵も放牧の為には必要だ。潅木を切ったり、道を作ったり、重要な開拓したのは事実だ。木の柵は確たる開拓の印だ。この事実がある限り、おいそれと下げるわけにはいかん!」
「互いに譲れぬとあらば、これこそ裁判で戦わざるを得ない!」
「開拓している我が方こそ有利だ。受けて立とう!」
二人は至近距離で睨み合った。
「お二人さん。それはまた別の話じゃ。続けて裁判の二ラウンド目を始めるつもりか。もうこの辺で結審とするぞ」
アッティングハウゼンは木槌を叩いて「これにて結審!」と告げた。
広場に集まった人々は最後に白熱した話に溜息を漏らしつつ、解散していった。
木箱の壇から降りて、ルーディックはイサベラに声を掛けた。
「いやぁ、波乱含みな結審でした。ともあれ刑が決まって、良かったですね」
「追放では安心出来ませんね。エンゲルベルクに来たらどうしましょう」
イサベラはそう言って苦笑いをした。
「それは考えませんでした。刑を変えるように言って来ましょうか」
「もうウーリで決した事ですから、尊重すべきです。受け入れるよりありません」
「そうですね。今回は学ぶところ多かったです。これもアルノルトが呼んでくれたお陰です」
エリーザベトもそれには大いに頷いた。
「本当に学び多いこと。急でしたが、来て正解でした」
イサベラが怪訝そうに言った。
「アルノルトさんはアクシデントがあって、今チューリヒにいるとか?」
「そうなんですか? 何があったんでしょう?」
「詳しくは知らされてないのです。お金が無くなったとか」
「それは心配ですね。この後チューリヒまでお送りするお約束でしたが……もしかするとそれもあって?」
「いえ、それはクヌフウタさんの巡礼の為なんですよ。それと気になる先生がいるそうで」
イサベラがそう言うと、エリーザベトが言った。
「今日はラッペルスヴィルの私共の本城に御逗留下さい。ラッペルスヴィルも修道院の町ですから、是非見て行って下さい。御歓待致しますよ」
「誠にありがとうございます。では、クヌフウタさんを呼んで来ます。少しお待ち下さい」
イサベラは、アルトドルフの教会で待っていたクヌフウタを呼びに行った。
歩いていると、マリウスがやって来て言った。
「あの人、また暴れて怖かったね」
「そうね。怖かったわ」
「有罪で良かったね」
「ええ。良かった」
「でも永久追放って長過ぎだね。永久だよ? どれくらい?」
「ずーっといつまでもよ」
そう言いながらイサベラがマリウスと一緒に広場を抜けて歩いて行くと、教会前には人垣が出来ていた。その半分以上は小さな子供で、マリウスとも知り合いだ。
教会の軒先ではクヌフウタが村の人に簡単な診療をしていた。捻挫の人には花の汁を塗って包帯を巻き、腹痛の人には、薬の材料となるキンセンカの花が入った小瓶を取り出し、それを見本に見せて採り方と飲み方を教えている。
「これは軽めの腹痛に効きますが、傷にも効いて、風邪にも効く万能薬なんですよ。腹痛がもっとひどい時は、高地にだけ生えるこの白い腹痛草が必要です」
クヌフウタはそう言って、白いエーデルワイスの花を見せた。当時この地にまだその名は無く、腹痛草が一般的な名前だった。
小さな村娘は「これ頂戴」とその花を欲しがった。
「これは稀少だし、見本なのであげられません。高い山に生えているので採って来てね」
「お腹痛くて無理……」
「こちらならあげます。カレンデュラとも言って、何処でも生えてるでしょう?」
クヌフウタはキンセンカの花の塊を幾つか子供に手渡した。
「わあ。綺麗」
子供達が集まって来てそれを見て、飲むより前に大喜びだ。
「見せて見せて」と、マリウスも加わってそれを見ていた。
見物人たちもそれを近くで見て、しきりに頷いている。
「とても痛いから、そっちの白い花も」と子供は白い花も欲しがった。
「では、また行って採って来ますので」
そう言ってクヌフウタは白い花を小瓶から取り出して、子供に渡した。
「ありがとう! 綺麗……」
それを見に再び人々が群がった。
「これは珍しい……」
「こっちは見たこと無いな」
その隙に強引に人垣の前に出て、イサベラは言った。
「クヌフウタさん。そろそろ行きますよ」
「こんなに人がいるのです。しばらく待って下さい」
クヌフウタは少しペースを早め、「同じ症状の方」と症状毎に数人をいっぺんに診療した。「もしくは風邪の方」と付け加え、同じキンセンカの花を渡す。
そうしていると、ルーディックとエリーザベトもその近くへ来て、人集りを見て言った。
「これは……しばらく待つしかないようですね」
程なくしてクヌフウタは集まった人々の診療を急いで終わらせ、こちらへやって来た。
「すいません。大変お待たせしました」
エリーザベトはクヌフウタに深く礼を取っていた。
「お久しゅう御座います。村の人にこんなに慕われては無理も御座いません。本日は私共の馬車をお使い下さい。我が本城までご案内致します」
エリーザベトは恭しくそう言った。クヌフウタは一張羅でボロの修道服を纏うが、ボヘミアの王位に就いたベンケルの姉、つまり本来なら王女だ。
イサベラとクヌフウタはルーディック達と馬車へ乗り込み、ラッペルスヴィル城へと向かった。
その後ろから黒い騎士の集団が追っていた事に気付いたのは、花を貰った小さな女の子だった。
「変な人がいる……」
「どこ?」
次の瞬間には黒い集団は姿を消していた。




