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エルハルトの追放


 帰り道、マリウスとカリーナはベルケル家に寄った。

 そこにはボルクに修理をして貰っていた赤いミルク馬車があった。


「どうだ。小さいから改良にも大変だったぞ。部品が無くてな」


「前の車輪が小さくなったね」


 ボルクは馬車の梶棒を回しつつ言った。


「苦心の作だ。この梶棒を回すとな、一緒に前輪が回って動くだろう。車輪が大きいとこれが回らないんだ」


「わーおもしろーい!」


「面白いだけじゃなくて、これが回らなくちゃ、方向転換が上手くいかないんだ」


「ふーん。そうなんだ。これで人も乗れるね」


「乗れるが、車体自体が小さい。子供二人までだな」


「二人乗れれば十分だ。ポリーも乗れるね。ソフィアも乗る?」


「乗れるー!」


 とポリーが喜ぶが、ソフィアは苦笑いだ。


「私しばらくいい……」


 ボルクが言った。


「御者を入れて二人だぞ。でも御者台が無いから馬車に乗ったら操作が難しい。このままだと馬は降りて引く方が無難だな」


「え。今までと変わらない……」


「そうでも無いぞ。荷台に樽でも載せれば、樽に座ればいい」


「そうだね」


「ここを改造してしまうと、荷物が殆ど載らなくなるからな。おまけでこの樽を一つ付けよう」




「ありがとう。これで馬車に乗れそうだよ」


「あとは十分気を付けろ。事故は厳禁だ」


「うん……気を付ける」


 カリーナもお礼を言った。


「いいものを作ってくれてありがとう。良かったわねマリウス」


「うん」


 マリウスとカリーナは礼を言って家に帰って行った。



 夕方になり、エルハルトが家に帰って来ると、玄関口でマリウスに二階に呼び出された。


「ちょっと兄ちゃん、大変だ。上がって来て」


「何だ何だ?」


 マリウスは奥の部屋へエルハルトを連れて行き、しっかりドアを閉めた。


「今日は青空裁判があったんだ」


「そう言ってたな」


「それが大変なんだ。国境を動かした事がバレそうなんだ」


「そうか。まあいいんじゃないか?」


「あれ? いいの?」


「動かしたのはラウフェンブルクのお坊ちゃん達だろう?」


「あれれ? いいんだ。でも裁判で問題になってるんだ。小屋がウーリの方にあったから、牛の肉取っても無罪だって犯人が言っててね。お父さん達はそれで国境を調べに行ったんだ」


「そんなことを言ってるのか! それは不味かったな……」


 エルハルトは頭を抱えた。


「シスターのイサベラ様にお兄ちゃんを呼べないかって聞かれたんだ。明日また続きをするんだよ」


 エルハルトはかなり考え込んでから言った。


「裁判でその話が出たんじゃあ、もう諦めるより無いな。明日じゃ打つ手が無い」


「国境を移動出来てたんじゃなかったの?」


「あれはまあ方便というやつだ。一時の誤魔化し程度しか役に立たない事は誰でも判るよ」


「始めから子供のおふざけだとは思ってたよ……」


「子供に言われちまったな。まあ、ラウフェンブルクのお坊ちゃん達がしたことなら罪にはならないし、来て貰えば証言になるんだがな。しかし、もう今からじゃ無理だろう」


「お父さんには言っておく? 怒られちゃう?」


「そうだな……裁判に影響するなら言っておこうか」


「うん!」


 ブルクハルトが帰って来ると、エルハルトは国境を動かしたいきさつを話した。ブルクハルトは我が子がそれに関わっていたという事に驚嘆した。


「なんという事をしたんだ!」


「オレは手を出してないよ。ラウフェンブルクのお坊ちゃん達の手で国境侵犯してもらったんだ」


「それはそうだが、教唆というのも罪なんだぞ。勝手に国境を変えるような事をしおって! それを手引きすれば外患誘致罪にも当たる。しかも判事の息子がだぞ!」


「軽はずみな事を言い出した事は謝るよ」


「謝っても罪は罪だぞ」


「でもそのままだと小屋をあそこに建ててしまったのも違法だったし、なんとかしようと思ったんだ。確か場所は父さんも一緒に決めたよ」


「儂もいたな……小屋は皆で建ててたし……」


「父さん。国境を戻すには、もう一度協定を結ばないといけない事になってるんだ。一応は領主子息との約束だし、それを反故にするのは協定違反だ。逆に、協定はしっかり協定として扱ってやれば、これは全部合法になるんじゃないかな? しっかりした証人もいるし」


「むむ、そう言う事も……しかし、言うならもっと早く言え。もうそんな話を回すにも間に合わない。明日じゃあその証人にラウフェンブルク家を呼んでくる訳にも行かない」


「今から呼びに行ってはダメかな」


「ダメだ。ラウフェンブルク家には城が幾つもある。遠いし、今どこにいるか判らない」


「じゃあ、ラッペルスヴィル家のルーディック卿だったら? 一緒にいた立会人でもあるんだ」


「ルーディック卿ならラッペルスヴィル領にいるはずだが、ほぼチューリヒの距離だぞ。もう特急馬車も無いしな」


「知らせるだけなら、単騎で走れば、まだ行けるかもしれない……」


「かなり夜遅くに着くな。最後の城門で間に合わないかもしれない。ただ、アルノルトの事もある。知らせるだけ知らせてから、その足でチューリヒのアルノルトに帰る金を届けてやるのもいいな……」


「全ては父さんに預ける。オレの罪についても」


 ブルクハルトは威を正したエルハルトの目を見据えた。いをただすいをただす


「ではエルハルト、これは罰だ。お前を一時国外追放にする。三日間だ」


「じゃあ……」


「ああ、行って来い。湖で船を使って馬を休めつつ行けば、まだ間に合うかもしれない」


「放牧や、裁判は?」


「こちらはこちらでなんとかしよう。ヴァルターのところに人は余ってる」


「ありがとう。行って来る」


 エルハルトは神妙な面持ちで出発の準備を始めた。

 それを見たカリーナが「今からどこへ行くの?」と聞くが、エルハルトは上手く答えられず、「チューリヒにお金を届けるんだ」としか言えなかった。

 玄関先で、ブルクハルトは銀貨が沢山入った袋と手紙をエルハルトに渡した。


「これをアルノルトに。お前の分もある。船代もあるし、お前も帰れないなんて事が無いよう多めに入れてある。アルノルトは手紙の住所に今いるはずだ」


「父さん。今日は父さんの息子でいられて良かったと心から思うよ。これでアルノルトも帰るだろう。行って来る」


 外へ出ると時はもう夕方だったが、空はまだかなり明るい。

 エルハルトは馬を引き出して来て、素早く飛び乗ると、「ハ!」と声を発し、全速に近いスピードで坂道を駆け下りて行った。

 あっと言う間に村へと辿り着き、村の中ではゆっくりと歩き、人通りを抜けるとさらにエルハルトは加速する。そうしてアルトドルフの町も抜け、素晴らしい速さでウーリ湖のフリューエレンの港までやって来た。

 そこで馬と一緒に湖を渡す船に乗り、エルハルトは湖の真向かいに見えるシュウィーツのブルネンまで渡った。船上では休憩出来るので、馬もまた元気を取り戻して走る事が出来る。

 船がブルネンの港に着くと、あたりはもう夕闇だった。再び騎乗して幾つかの町を抜け、モルガルテンの長い谷を走り、山を越えれば、暗い中にもチューリヒ湖が見える。湖畔はもうラッペルスヴィル領だった。

 ラッペルスヴィル家の本城は湖の対岸にある。チューリヒ湖を渡る橋のように伸びる長い岬を進むと、その先には浮き橋が渡されているが、その前には高い城壁を巡らせた城砦があった。城へ着いたのは、夜もかなり更けた頃だった。城壁の門が完全に閉まっていて、城壁の上の衛兵を大声で呼んだ。


「衛兵さん!」


「何だこんな時間に」


「ラッペルスヴィル伯に急用なんだ。門を開けてくれ!」


「通行許可証はあるのか?」


「無い!」


「ならもう時間外だ。明日にするんだな」


 そう言って衛兵は建物に入ってしまった。


「頼む!」


 そう言ってももう衛兵は出て来てくれない。エルハルトは一度下がって手紙を書いた。そして、もう一度衛兵を呼び出し、戸口の小窓から手紙だけを受け取って貰った。

 門前払いをされてしまったエルハルトは、この真夜中に野外に放り出され、大いに戸惑った。夜も深まれば、かなり寒くなって来る。周囲には開いている宿も見当たらない。

 どうせならと、エルハルトは遠くからも灯りの見えるチューリヒへ向かった。

 チューリヒに着く頃にはもう日付が変わってしまっていた。そんな時間に開いている宿も店も皆無だった。

 幸い通りかかった聖母聖堂の礼拝堂だけは真夜中から開き始めた。修道女たちの聖書を読む声の響く中、エルハルトはそこへ入って行き、その片隅に懺悔室を見つけた。

 エルハルトはそこへ入り、その中で一人懺悔を始めた。その懺悔をいつの間にか向こうで修道女が聞いていた。


「どういった罪ですか?」


「私は国境を動かすような罪を犯してしまいました」


「それは聞いたことも無いような大それた罪です」


「はい。スイマセン」


「失地回復は出来るのですか?」


「出来ます。これからします。絶対に」


「でしたら、頑張ることです。主もお許しになることでしょう」


「ありがとうございます……」


「共に神に許しを祈りましょう。天にまします我らが父よ。アーメン」


「アーメン……」


 そうしながらエルハルトはいつの間にかうつらうつらとし、その中で朝を迎えた。

 背の高い都会の家々に朝日が差し、川向かいには霧がかったグロスミュンスター大聖堂が聳えていた。

 聖母聖堂を出たエルハルトは見慣れない高い建物を見あげて川縁を歩き、橋の中央に立ち、そして改めて聖母聖堂を見あげた。両岸に大聖堂を挟んだその眺めは、あまりに荘厳で美しかった。

 エルハルトは橋の上からアルノルトのいるホテルの場所を見当付け、そこへ向かった。

 ホテルの戸を叩き、出て来た守衛にアルノルトを呼び出して貰うと、しばらくしてアルノルトは玄関扉を跳び出して来た。


「兄さん! 来てくれたんだ!」


 アルノルトは兄の腕に飛び付き、大いに喜んだが、エルハルトの表情は固い。


「おお、元気そうだな。すぐ出るんだ。これを渡しておく」


 エルハルトはアルノルトに銀貨の袋を渡した。

 アルノルトが袋を開けると、銀貨が十枚も入っている。


「すごい! 兄さん! ありがとう。でも、ありすぎるよ」


「オレの分を忘れてた。いくらいる?」


「うーん、六枚あれば元通りだ」


 エルハルトはそこから四枚取って、残るは六枚になった。


「給料も今日入るんだ。一気にお金持ちだよ」


「そうだったか。じゃあ、手間賃に一枚引いておこう。それで二人共で帰れるな」


「十分だ。兄貴は?」


「これから急ぎの用があるんだ」


「ウーリに帰るんだね?」


「いや……オレは三日間の国外追放中だ。しばらく帰れない」


「えっ。どうして?」


「例の国境を動かした事が裁判で問題になっててな。罰で追放を受けつつ、いろいろ手回し中だ。これからラッペルスヴィル城へ行ってルーディック卿に証言を頼むんだ」


「じゃあ、僕も行くよ」


「いいのか?」


「お金さえあれば、仕事はもう辞めさ。ちょっと支配人に言って来る。そこの広場で待ってて」


 アルノルトは一旦ホテルへ戻り、支配人をフロントで探すがまだいなかったので、厨房で料理していたコック長に今日で辞める事を言ってから、部屋へ荷物を取りに行った。

 その時間は朝食にはまだかなり早いが、セシリアは大部屋のテーブルで食事の準備をしていた。


「おはよう。セシリアさん」


「おはようございます」


「またパンだけ貰っていいですか? 仕事も切り上げて、今日はこれから遠くへ行くんです」


 アルノルトは晴れ晴れとした笑顔でそう言った。


「先程ご訪問の方ですね?」


「はい。兄がウーリからお金を届けてくれたんです。もしかしたら、もう戻らないかも知れない、そう伝えて下さい」


「会わずにお別れですか? ユッテ様が悲しまれます。明日のお出かけはどうされるのです?」


「そう言えば約束してた。じゃあ遅くなるかもしれないけど、戻って来ます。給料がまだだし、アフラもまだこっちだしね」


「お伝えしておきます」


 アルノルトは自分の分のパンを多めに貰い、広間のテーブルに置いてあるフルーツを幾つか鞄に放り込み、エルハルトの待つ広場へと走った。

 エルハルトは広場の奥の河辺で対岸を見て待っていた。まだ薄暗い中、窓の明かりがあちこちに灯り始めている。ちょうど朝六時の鐘が鳴った。


「兄さん、おまたせ」


「早くしろ。既に間に合わないペースなんだ。二人乗りじゃあ馬の足も鈍る」


「そうなの? じゃあ、辻馬車を使おうよ」


「結構距離があるから高過ぎるな。馬を置いていけないし」


「じゃあ、馬車を買おう」


「買えるのか?」


「おかげさまで資金はある。道の途中で使ってないような古い二輪の馬車が立てかけてあったんだ。安く売って貰おう。帰り賃が浮くし」


「馬車は今後あっても困らないしな。買うか」


 エルハルトとアルノルトは馬でチューリヒ近郊の馬車が立てかけてある家に行き、そこで安く馬車を売って貰った。

 幌を付ける為の部品や、馬を繋ぐ用具類も付けて貰えたので、その場で馬を馬車に繋ぎ、即席だが一頭立ての荷馬車が出来た。

 その馬車の道中でアルノルトはパンと果物を取り出し、エルハルトと分け合いながら食べた。エルハルトは昨日の昼から食べていなかったので、これにはかなり助かった。

 そして道すがら、アルノルトは兄に積もる話をした。ホテルでの仕事の話、アフラと王子の話、壺を割った事件の顛末、チューリヒの帝国執政官と出会って訴えを起こした事、話せばこんなに色々な事があったのかと自分でも感心する程の事を話した。

 馬車で二時間ほど走ると、ようやくラッペルスヴィル城へ続く長い半島の城砦の前まで来れた。

 城砦の門は、この時間なら門の脇にある鐘を鳴らせばいともあっさりと開いた。城砦を通り過ぎ、中の修道院の脇を抜けて、半島の突端に辿り着いた。二人はそこで馬車を降りた。

 横たわる湖のその対岸には広大な城砦都市が広がっていた。城壁を町ごと巡らせ、中央の丘の一番高いところに大きな城と修道院が並んで建っている。


「すごい! 流石はこの辺全部を保護国にしてた家だね」


 アルノルトがそう言うと、エルハルトも感嘆の声を上げるしかない。


「しかしまあ、なんていう大きさだ!」


 半島の突端からは長い長い桟橋が掛かっていて、その先には浮き橋があるのだが、普段は途中で折れた形で途切れている。それを巨大なローラーを数人で回してロープで引っ張り、真っ直ぐに引き延ばす事で向こうの桟橋と繋がり、対岸へと渡ることが出来るようになる。


「すごい仕組みだ」


「この城は難攻不落だな」


 アルノルト、そしてエルハルトは歩いてその橋を渡って行った。通行料が馬車付きだと高かったので、そこからは徒歩だ。

 そして、対岸の城壁を潜り、山上の城へ上り、二人はようやく入城を果たした。城門の受付でエルハルトがルーディックとの面会を申し出ると、女中のリーゼロッテが出て来て言った。


「ルーディック様は既に早朝に発たれました。奥様とルードルフ様も一緒です」


「昨日の手紙を見てくれたんですね?」


「はい」


「確かにウーリへ行ったんですね?」


「そうです。あなた、ウーリの!」


 エルハルトの後方にアルノルトを見つけたリーゼロッテは、アルノルトに微笑みかけた。


「こんにちは。先に行ってしまったようで残念です」


 リーゼロッテが慌てて掌を前に出して言った。


「待って。お手紙を預かっていますよ」 

 リーゼロッテは一度引っ込んでから、手紙を持って来た。受け取ったアルノルトが兄にそれを渡し、エルハルトがそれを開くと、こう書かれている。



親愛なるアルノルト


先にウーリに行く。追って来るかい?

手紙の件、戦後協定のこと、善処する。

次は一緒に食事でもしよう。


                ルーディックより



「アルノルト宛だな」


 エルハルトは不敵なスマイルで手紙をアルノルトに渡した。


「本当だ。きっと僕と勘違いしたんだ。追ってみる?」


「いや、ウーリに行ってくれたならそれでいいんだ。そもそも三日間追放の身だしな」


「僕も行きたいところだけど、約束があるんだ。チューリヒに戻るよ」


「オレもそうしよう」


「待って。返事の手紙を書くよ」


 アルノルトはルーディックに手紙を書き、リーゼロッテに渡した。

 そして二人はリーゼロッテに別れを言って城を後にした。




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