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朝食の時間


 次の朝、目覚めたアルノルトは気が重かった。

 昨夜はユッテを泣かせた後だと言うのに、約束をしたので朝食には出なければいけない。

 部屋を出ると、セシリアが広間の奥に立っていて、一番奥の部屋へと案内された。

 今まで入ったことが無かったが、そこは少し豪華な大部屋になっていて、細く長いテーブルがそこにあった。

 ユッテは既にそのテーブルの先端の正面に座って待っていて、食事の準備も整っていた。


「おはよう」


 アルノルトがユッテに声を掛けると、ユッテはいつもより小さな声で言った。


「おはよう」


「僕の席は……」


 セシリアが椅子を引いた場所は、ユッテの逆側、つまり長いテーブルの最終端だった。

 既にそこに食事も用意されている。ユッテとの距離はかなり遠い。

 アルノルトは取り敢えず食べようと手を伸ばしたが、ユッテが食事に手を付けないので、ここはマナーがあったと思い直して短い食前の祈りを唱えた。

 ユッテもそれに合わせて短く「アーメン」とだけ祈り、二人は食事を始めた。

 テーブルの距離が遠いと会話も出来ず、マナーとしても食事中に大声で話すのは良くないので、極めて静かな朝食だった。ユッテは一口食べては手を休め、あまり食べる気が無いかのようだった。


「ごちそうさま」


 そしてパンだけを食べ終わると、アルノルトは見えない圧力に耐えかねて、すぐに自室へと帰った。

 ユッテはそれを物悲しい目で見送るだけだった。


  

 アルノルトはユッテの部屋にいるのも落ち着かず、ミュルナーの所へお礼に行く事にした。

 ミュルナーの公館は以前は裏の家に入ったが、表口の建物の方は広場前でもあり、アルノルトのいるホテルからは至近距離だった。尖り屋根の建物を確認し、アルノルトは戸を潜った。

 まだ誰もいない待合室からアルノルトは「スイマセン」と声を上げた。


「ああ、君か」


 奥の家からやって来たミュルナーは、アルノルトを見てすぐ判ったようで、すぐに応接室へと誘った。


「先日はご紹介ありがとうございました」


「朝食中だったんだ。もう食べたか?」


「はい。あ、いいえ」


「どっちだ? まあいい」


 ミュルナーは再び奥に引っ込み、婦人と一緒に応接室に朝食を持ち込んで来た。


「どうぞ。ご遠慮なく」


 夫人はアルノルトにもパンとサラダ、そしてハーブティーを出してくれた。


「ありがとうございます」


 アルノルトは二回目の朝食だったが、さっきは気を遣ってあまり食べられなかったので、まだ入りそうだった。

 ミュルナーは食べながら話を始めた。


「早速、訴状が来とるぞ」


「王子の新住所も判りますか?」


「ああ、もう昨日のうちに王子への書状は送ったよ。すぐ届くだろう」


「素早いご手配で、助かります」


「王女は連名で無く、証言に回ったようだな。それがかなり有効だった」


「あの方が良かったと思ってます」


「そうだ。あれで大正解だった。王族同士で訴訟なんて世間が奇異に見て騒ぎ出すからな」


「王女に断られただけなんです。そう言う考えは無かったので、少し考えが足りませんでした」


「では王女が賢明だったと言うべきか。それで、用件は何だ?」


「今回のお礼をしたくて」


「謝礼はいらんぞ。賄賂だと思われる。それにお前の代理人はマンネッセ、王子の代理人は私だ。訴訟相手には礼を言うものではないぞ」


「はい。あとは……なるべく早く示談にして貰えたらと」


「示談はほぼ確実だろう」


「本当ですか?」


「ああ、王族は基本的に遠方だし、忙しいからな。側近が対応するだろうが、彼らは何度も来るよりその方がいいんだ。後は額面だが、訴状通り銀貨六枚でいいのか」


「はい六枚です」


「それでいいなら話は早い。お前さんが額に納得すればそれで決まりだ」


「明明後日にウーリへ帰るので、早いに越した事は無いです」


「そうか、それでか。しかしそれは間に合わないかもしれんな。ところで本来示談金はもう少し高くてもいいものだ。代理人にも諸費用が掛かるかからな」


「あ、そうですね。それがありました。銀貨二枚払うんです」


「それは安いな」


「それも足して示談金は八枚になりませんか?」


「そう言うやり取りは代理人を通すものだ。直接やり取りすると、教唆が疑われる。儂の信用に傷が付くからな」


「はあ、気を付けます」


「まあ、そんなにバカ正直で明け透けなのは、こちらもやり易いというものだがな」


 そう言ってミュルナーは大きく笑った。


「市庁舎でこの件を話した時、リューティケルさんと一緒に市長にも話したんです。代理人と市長とは一緒に動くものなんですか?」


「市長も一緒だったか。まあ同じマンネッセ家だからな。市長は参事会員の筆頭だ。最高判事にはなるが、参事会の中にいるという事ではそれ程違いは無くなって来ている。むしろ参事会員のリューティケルの方が行動的で力があるくらいだ。有りすぎて困っとる」


「へえ。そうなんですね。参事会やマンネッセ家と帝国執政官とはどういった関係になるんですか? 敵対しているようにも見えますが」


「敵対というより単に派閥争いだな。チューリヒは帝国自由都市だから基本は参事会員による自治だ。参事会員にも派閥があってそこに私も一枚噛んでいる。しかし私も忙しくてな。今や参事会に任せっぱなしだ。ここ以外にコンスタンツ司教の案件を扱っているから、彼の依頼で司教区やいろんな修道院関係を渡り歩くようになっているしな」


「そう聞いてすごい方に会えたと思ったものです」


「まだあるぞ。君のような自由人だ。普通の人はなかなか参事会員とパイプが無くて公訴が出来ないから、それをここで受け付けている。帝国執政官というと王の代理のように言われるが、ツンフトの職人や市井の人に努めて公平に接しているのがこの私だ」


「それもまた、私の父のようですね。いえ、もっと素晴らしい!」


「そうか。今、この辺の帝国執政官では一番忙しいだろう。昔は相方で手伝ってくれたラッペルスヴィル家も、先代は若死するし、今や余所者が来てしっかりしないし、困ったものだ」


「ラッペルスヴィル家に婿入りしたルーディックなら、友人ですよ」


「なんと! 早くそれを言え。ラッペルスヴィル家の名はここでは最大の力があるぞ。チューリヒは彼の保護国のようなものだったからな。彼というのは今やもう先代、先先代だが」


「そうなんでしたか? どおりで色々大きいと……そう言えば、ウーリもそうでしたか」


「友人と見込んで、一つ伝言をお願いしたい。一度ここに勉強に顔を出せと伝えておいてくれ」


「お安いご用です」


「頼んだぞ。私にも息子がいてな。そろそろ本腰で次代を育てんとな」


 アルノルトはミュルナーに一つ礼を返せそうで、内心喜んだ。



 そして、仕事場へ戻ったアルノルトは、ボーイ服に着替え、少し早めに仕事に出た。皿洗いをいつもより早く終わらせると、ボーイ仕事が出来るよう玄関のフロントに行ってみた。

 そこには二人のボーイが既にいて、一人はアルノルトと同じ背格好、もう一人は背の高い年長の青年だった。


「やあ。同じに仕事待ちだね?」


 アルノルトが声を掛けるが、二人は何か内緒話をしている。

 クオニーがアルノルトのところに来て言った。


「コック長がさっき呼んでたよ」


「本当?」


 アルノルトは厨房のコック長の所へ行ってみた。


「呼んでないぞ? 今行ったばかりだろ。皿はまだ溜まってないし」


 コック長はそう言って不審がる。


「誰に聞いた?」


「小さい方のボーイです」


「クオニーか。してやられたかもな」


 コック長はそう言って笑うのみだった。

 アルノルトがフロントに戻ってみると、家族連れのチェックイン客が到着していて、二人のボーイが鞄を担いで階段を上がって行く所だった。

 手伝おうとして近寄ると、背の高い方のボーイは「触るな」とアルノルトを牽制した。

 そして一人で残る二つの荷物を持って階段を上がって行った。

 残されたアルノルトはどういう事か判らず、フロントの陰で首を捻っていると、大きな鞄を持ったチェックイン客がやって来た。

 客の後に立ってフロント係からの指示を待っていると、階段を降りて来たクオニーがやって来て言った。


「上で女の子が呼んでたよ」


「女の子?」


 アルノルトはユッテかアフラかと思いつつ、そこをクオニーに任せ、階段を上がって行った。

 ユッテの部屋へ行って見ると、そこにはユッテは不在で、アフラと一緒にエーテンバッハ教会にいるのだとセシリアが教えてくれた。


「セシリアさんも呼んでない?」


「ええ」


「呼んでるって聞いたんです。どういう事だろう?」


「きっと人違いでしょう。頑張って下さいね」


「ありがとう」


 セシリアに励まされて少し元気を貰ったアルノルトは、再びフロントへと戻って行った。

 フロントに戻ると、今度は年長の方のボーイ、グランがスイートルームの清掃を指示して来た。


「上客の部屋だ。隅々まで念入りに綺麗に磨いてくれよ」


「はい」


 アルノルトはトンボ返りでまた階段を上り、スイートルームの清掃をした。高級な壺や美術品が多く置いてあるので、アルノルトはその周辺は怖くて近寄れなかった。

 この清掃にはかなりの時間が掛かり、気が付けば日が暮れていた。夕方からは休憩を挟んで皿洗いの仕事になるので、今日はチップを一銭も貰えず仕舞いだった事になる。

 休憩時間になってアルノルトが部屋へ帰って来ると、広間で騎士レオナルドが声を掛けて来た。


「どうだい。今日も稼いだかい?」


「それが、今日はチップがゼロだったんだ」


「ゼロ? 愛想が悪かったんじゃ無いか?」


「それが、ポーターするのを邪魔されてたみたい」


「邪魔? 誰が?」


「同じ年くらいのボーイとか。変な用を言われてウロウロし通しだったんだ」


「やっかみだな」


「そうみたい?」


「大方、昨日チップをアルノルトに持ってかれたから、やっかんでるんだろう」


「そうか! そう言う事だ!」


 そう話していると、扉が開いて、ユッテが出て来た。


「何? 嫌がらせされたの? 苦情を入れる?」


「いいよ。向こうも生活が掛かってるだろうし、自分で何とかする」


「出来る事があれば言ってね」


「今日は上で女の子が呼んでるなんて嘘で呼ばれたんだ。呼ばないでくれれば」


「何それ。それじゃあ全然解決にならないわ。実際呼びたい時もあるし」


「じゃあ、呼ぶ時は何か符丁を決めておこう。水が欲しいと入れておくとか」


「わかったわ。そうしましょう」


「俺も協力するよ。用があったらアルノルトを指名してやるさ。もちろんチップも付けてな」


「私もそうしようかしら」


「でも、あまり無理はしない程度で……」


 そうは言うものの、アルノルトは感謝で頭が下がる想いだ。


「食事はちゃんと出来てる? 夕食は?」


「食べて来たよ。厨房で出てるからね」


「足りなかったら言ってね。ここにあるフルーツは自由に持って行っていいし」


「ありがとう。じゃあ、早速一つ戴くよ」


 葡萄を手に取り、アルノルトはそれを食べながら部屋へ戻っていった。



 次の日の朝、アルノルトは目覚めると大部屋へやって来た。

 まだ時間がいつもより早かったが、既にユッテはテーブル奥の頭端に座っていた。


「おはよう。今日は早いのね」


「おはよう。君もいつもこんな早いのかい?」


「いつもこれくらいかしら? 食事はまだ揃ってないようだけど、どうぞ座って」


 アルノルトはテーブル後方の最終端に用意された席に座ろうとしたが、パンの皿を手に取ってユッテのすぐ近くに持って来て座った。


「朝は大抵パンだけなんだ。あそこだと席が遠すぎて話も出来ないから、ここに座るよ」


「そうね。食べながら話さないようにだったそうだけど、いいわ。早めだけど、もう食べましょう」


 ユッテは短く祈りの言葉を唱え、アルノルトはそれに「アーメン」とだけ合わせ、二人は食事を始めた。

 食事の順はやはりユッテが先が正しいようで、ユッテは合図のようにパンを控えめに小さく囓り、少し首を傾げてから話し始めた。


「仕事はきつくない?」


「ああ、良くして貰ってる。休憩を多めにくれるんだ」


「牧場の仕事とどっちがいい?」


「当然、牧場の方がいいさ。ここでは心がすり減るようだ」


「そう。でも、どうして人は町やお城ではそうなるのかしらね」


「それは……人は自然があってこそ生きてるってことだよ」


「自然? アフラの先生もそんなような事を言ってたわ」


「羊は自然から切り離したら生きていけない。人だってそうだ。どこかしら生きて行けてないんだ。それを心のどこかで感じるんだろうね」


「そうかもしれないわね」


「自然と生きてるって言うなら、ジェミのような山に生きる民の方がもっと凄いけどね。山の壮絶な自然の中では、僕なんてとても敵わない」


「アルノルトが言うなら相当ね」


「どうせこんな足留めを食うなら、ジェミの家で留まりたかったよ」


「ここだと不服みたいじゃない?」


「そうじゃないよ。ジェミの山の家に一度来てと言われてたんだ」


「そう。一つニュースがあるわ」


「何だい?」


「イサベラが裁判が終わり次第、チューリヒに来るそうよ」


「向こうでも裁判してるんだ」


「ウーリでの裁判って言ってたけど? 例の牛の件で重要な証人なんだそうよ」


「そう言えば犯人捕まってたよ。見たかったな。それで何しに?」


「何でもクヌフウタさんの希望もあって、この辺りの修道院の巡礼だとか。私が手紙書いたのもあるんだけど」


「この辺は修道院が多いからね」


「会派が全部あるんじゃないかしら。アフラお気に入りの先生みたいな最先端もいるし」


「お気に入りの先生なんているんだ」


「何回も言ってたじゃない。最終日に講義があるって言ってた先生」


「そう言えば言ってたっけ」


「兄としては気にならないの?」


「お気に入りの先生がいるのは良い事じゃないか?」


「アフラったらその先生の話を聞いて泣き出しちゃって、弟子にして下さいとまで言ったのよ」


「へ、へえ。そんな事あったんだ……」


「どう? 気になって来た?」


「そうだね。かなり特別な先生みたいだ」


「じゃあ、日曜日には一緒に講義に来るわね?」


「日曜は仕事は終わってるけど、帰る日じゃなかったっけ?」


「一日期間延長って言ってたのはどうなったのかしら?」


「そう言う事だったのか。でもまあまず父さんはダメだろうな」


「まあ、ダメって言ってもアフラは絶対行くわね」


「そうなのか? じゃあ、アフラが行くなら、僕は行かなきゃな……」


「そう来なくちゃ。じゃあ決まりね。隣の州、ヴィンテルトゥールまで行くから、少し早起きしてね」


「そんな遠いのか。気に入り過ぎじゃないか?」


「熱心でしょう? 先生に褒められるくらい覚えもいいの。アフラはもっと続けて勉強するべきだと思うのよね」


「前の話なら無しだぞ。アフラはウーリで生きるんだ」


「アフラは自由だわ。私なんて敵わないくらい。つい最近だってうっかり王妃になりかけたり、修道女にもなりかけたくらいよ?」


「そんなに危なかったのか……」


 アルノルトは事実の示すその意味を知って溜息が出、それを苦労して呑み込んだ。


「言っておくけど、私は勧めてないわ。止めていた方よ。アフラが何処へ向かうかなんて、すでに誰にも予想出来ない所にあるの。でも、もしアフラが望む所なら、それを止めないで欲しいものね。それが、アフラの自由を奪わない事では無くて?」


「ウーリからは何も奪わない、連れて行かないと言うのが、約束だったはずだ」


 そう言ってアルノルトとユッテはしばし見つめ合った。そうとは言わないが、二人の意思が互いの視線の先でぶつかり合い、火花を散らした。それは頭が痛くなる程だった。


「ごちそうさま。いい食事だったよ」


「ええ。とても有意義なお話だったわ」


 アルノルトが椅子から立ち上がると、すぐ後でセシリアが椅子を引いた。


「セシリアさん……いつからそこに……」


「始めからいますよ?」


「また怒鳴ったりしないで良かった……」


 アルノルトはそう言って、部屋を出て行った。



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