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ラインフェルデンの奇岩


 チューリヒから北西に馬車で半日駈けた所にあるラインフェルデン。ライン川沿いの小さな城砦都市には川の中に立つ城があった。シュテイン城、通称ラインフェルデンの奇岩と言われたこの城は、小さな島に切り立った城壁を巡らせた岩壁のような城だ。

 今はそこに居住してはいなかったが、ハプスブルク家にとってこの居城は一番思い入れ深い城だった。多くの子供達はここで生まれたのだから、全員の愛着も一際だ。ルードルフ王も、そこに生まれ育った家族も、定期的に里帰りのようにしばしばこの城で滞在した。ルードルフ王は今回も家族をラインフェルデン城に集め、家族会談を設けた。アルプレヒトと、長女のマティルデを始めとする既に嫁いだ娘も幾人かいて、大抵は夫を伴っている。

 約束の日の午後になっても、ルードルフ王子とユッテがなかなか来ない。滞在地のチューリヒはこの地から比較的近い立地だというのにである。王の心配と焦燥は家臣を派遣して迎えに行かせた程だった。

 ルードルフ王子とユッテはかなり遅れてやって来た。ユッテは護衛騎士二人に挟まれて無理矢理連れて来られたような雰囲気で食卓を囲む家族の中に入って来た。

「ようやく来たか」

「御父上様遅くなってご免なさい。お友達に急な事故があったのです」

 ユッテが家族が集まる部屋へ入って来て、開口一番謝罪の口上を述べた。ルードルフ王は何故か一度笑いつつ、後、厳しい顔になった。

「そうかそうか。ユッテはまだ良い。にしてもだ。ルー、お前が遅れて来るとは何事だ。アルプレヒトとチューリヒにいたんじゃなかったのか」

「申し訳ございません。御父上。縁者に急な事故がありまして」

「そなたもか……。議題は多数あるが、一番に聞きたいのはオーストリーの事だ。聞くところでは、あまり上手くいってないそうだな。領民が離反しているそうじゃないか」

「はい。オーストリーの家臣たちは若年の余の言う事を聞いてくれません。廷吏達はアネシュカ嬢を戴いて徒党を組んでおり、アネシュカ嬢の認めた事は通過可決し、余の言い出した事は総反対で否決となり、まるで主を取られてるような気分です」

「王家たるものがそんな体たらくでどうする。アルプレヒトが付いてながら何をしておる」

「はっ。面目ございません。私の範疇では税を上げる事に成功し、全て回収出来ておりますれば、問題は無いかと」

「そなたは自分の仕事をしておったという事だな。しかし、それでは民心が離れる。民心が離反すれば王家の面目が無いぞ」

 長女のマティルデが言った。

「旧領主一族が大事にされるのは当然の事ですわ。それを利用してこそ殿方の才覚というもの」

 マティルデは上バイエルン公ルートヴィヒ二世に嫁いでおり、隣にその夫を伴って来ていた。

「王の器が試されるという訳だ。だが、それにはまだ少し早いかもしれぬな」

 妻の言葉をそう継いだ、上バイエルン公はライン宮中伯でもあり、選帝侯の一人であった。

 別の姉が言った。

「ルディー、早くその娘と結婚してしまえば良いではない。后が政務に関与する事は時にある事ですもの」

 ザクセン公アルブレヒト二世に嫁いでいるアグネスだった。ザクセン公も選帝侯、かつ大元帥であり、家族会議のこの場にいた。

 さらに別の姉がそれに応じた。

「そうですわ。一二歳過ぎればもう成人。結婚してもいいのですから」

 ブランデンブルク辺境泊の一人に嫁いだヘドヴィッヒが言った。その夫は兄弟で共同統治をしていて選帝侯ではなかったが、今にもそうなりそうな情勢だった。つまりルードルフ王は選帝侯一族と次々遠戚関係を結び、親族にしていた。そうして次代の王選をも確約しつつあったと言える。

 ルードルフ王子は非常な緊張を強いられつつ、礼を取って言った。

「御父上、その事で重大なお話があります」

「そう言っておったが、何だ」

「領主が余では民心が離反して統治が立ち行かず、今後の禍根になる事が起こりそうです。オーストリー公を返上させては頂けませんでしょうか」

 親族一同が驚きの声を上げた。王はしかし、その言葉を受け取るように言った。

「考慮の上の返上か」

「はい……」

「それがどう言うことか判っているのか?」

「はい……」

「我が後継を降りると言うに等しいぞ!」

「いえ、そこまでは……申しません」

「オーストリーを任すとはそれくらいの意味があったという事だ! そなたは無役、領無しになるぞ。領主貴族ではないという事だ」

「別の領を与えて頂けましたらと……」

「甘い事を! どの領も資金と命がかかっておるのだぞ。判っておるのか。最近、聞くところではそなた、どこかの町娘を追いかけ回しているそうじゃないか」

「それは……イサベラ嬢が后候補に挙がった際にもう一人候補を加えていたのです。長く重い病をしていて捨て置かれていましたが、最近回復したので意思確認をしておりました」

「婚約者が決まったと布告している最中に何をしているのだ! アネシュカ嬢はどうするのだ」

「この際、申し上げます。アネシュカ嬢とは婚約の解消をしたいと思います」

「何てことを!」

 姉達は驚きの声を上げた。アルプレヒト王子も頭を抱えている。

「愚か者! 其方はオーストリーの布石をズタズタにするつもりか!」

「いえ、そのような事は……」

「婚約は既に領民にとっても決定事項だ。早々に止めたとは言えまい」

「アハト罪の事がありますので、民心の理解はあると思います」

「アハト罪はもう解除したし、オーストリーにとってはもう忘れたい汚点でしかない。そんな分別も無かろうとは。もう良い! このような愚か者にオーストリーは任せられぬ。実質、もう共同統治者としてアルプレヒトが治めておるようなもの。オーストリー公を改めてアルプレヒトに任じよう。異議はある者はいるか?」

 マティルダは手を挙げて言った。

「ルディーは身を引いて国情を救おうとしています。誰でも出来る事ではありません。一面では立派な行為でもあります。そんなルディーに何も無いのは今後の王家の信用にも関わります。お手当をお願いします」

「そうか。そうだったのかルーよ。なら、そうだのう、その代わりとするならば、アルプレヒトは代価としてここラインフェルデンを始め、この辺り一円に散らばっているシュヴァーベンの小領地をルーに移すのだ。オーストリーの任と一緒では厄介だと言っておっただろう。どうだ。それで異議はあるか?」

「異議御座いません」

 安心したように手を胸に当てて言うのはアルプレヒトだった。山谷の中に多数の小さな領が散在していて、本当に手を焼いていたのだ。

「ルーはどうだ」

 ルードルフ王子はむしろさっぱりした表情で言った。

「異議ありません」

「よし、ではそれで領地交換の署名をせよ。後で兄弟争いせんようにな」

 二人の王子は書記を介して書面を作り、そこに署名をした。その間に王が話した。

「儂ももう年だ。後代の事を考えねばならん。ハプスブルク伯の後継としていたハルトマンを失い、男の兄弟はもはや其方等二人しかいない。跡取り候補はもう二人しかいないのだ。アルプレヒト、そしてルー、この領の交換は二人で協力し合わなければ上手くいかぬ。二人で仲良く力を合わせてやるのだ。シュヴァーベン地域には小領地がバラバラに散在している。ルーよ、お前はまだ若い。望みが大きくもあるのだ。時間を掛け、この地域を全て纏め上げてみせよ。その仕事が成れば大きな土産が付く。シュヴァーベン大公の復活だ。そうなれば名実ともドイツ第一の王家だ。全域を公領としてみせよ」

 シュヴァーベン公領、それは前王家が所領した場所だ。それを口にする事はドイツ王後継をルードルフ王子に与えたと宣言するにも等しかった。しかし、それらの領は有力氏族に分散しており、纏めるのは無理難題でもある。

 既に署名を終えたアルプレヒトは、長兄であるのに何故かいつも後継には選ばれず、今回もオーストリー公の任命で後継にもなるかと思えたのに、それは領地の交換と共に目の前を通り過ぎて行き、顔に悔しさを滲ませた。噂ではアルプレヒトはホーエン・シュタウフェン家のゲルトルートとは母が違う庶子だとも言われた。そう考えれば、全てはつじつまが合うのだ。

 ルードルフ王子はそれらの事にはまるで気が付かないように平然と署名をし、平然と言った。

「はい。必ずや」

「今回のブルグンド諸国同盟との戦いにはルーも行ってくれた。この戦も戦後交渉に入り、ほぼ終結した」

 王がそう言うと、小さく拍手が沸いた。

「戦果としては、国境のポラントリュイ、街道沿いのムルテン、パイエルヌ、アヴァンシュを陥落し、ベルンをサヴォイア伯の保護領から独立させて切り離した。ブルグンド自由伯には臣従を誓わせ、バーゼル司教にはこちらのイースニー卿を認めさせ、バーゼルの政治が動かせるようになった。これらは十分な戦果であった」

 一同は頷きつつ大きな拍手をした。王は続けてルードルフ王子に言った。

「ルーよ。これはそなたの力もあった。この地域の管理者をルーに任じよう」

「有難き幸せです」

「領を切り取ったとは言え、まだ不安定な情勢だ。面目だけは独立させて、王領としての税を取って、実質の王制下とするがいいだろう」

「仰せのままに。それで、その…‥婚約破棄は……認めて頂けるのでしょうか?」

 王は眉を上げ、諦めたように溜息を吐いて言った。

「まだ言うか。一応皆に聞いてみるか? ルーの婚約破棄に異議のある者は?」

 兄、姉達は全員手を挙げた。

「愚の骨頂」

「浮気者」

「美談が醜聞になるだけね」

「一家の恥さらしね」

「恋は盲目と言うものね」

 姉妹達の言葉は辛辣だ。因みに最後のユッテの言葉は一番優しかった。

 王は宣言した。

「全会一致で却下だ。判るであろう、そなたの愚かしさが」

 ルードルフ王子はここで顔を赤くして涙を滲ませ、肩を落とした。王は嘆息をするよりなかった。

「では、次はユッテだ」

「はい。御父上様」

「このようにルーは結婚に半ば失敗している。お前の婚約を進めざるを得ない」

「ベンケルとですか?」

「そう、プシェミスル家の跡取りだ。ベンツェルはいい面構えだった。ボヘミアのいい王になるだろう」

 ユッテは心に痛みを覚えた。遠い野に膨らみつつあった夢をを引き裂かれるような、そんな傷みだった。

「承知しました。準備はして来ましたもの」

 それでもユッテは父に笑って見せた。

「ボヘミアもモラヴィアを含む大領地だ。頼むぞ」

 王は頷いて、さらに言った。

「まあ、ルーの事も無駄ではない。今回のブルグント連盟諸国との戦いも落ち着いて来たが、判った事がある。イサベラ姫がこちらの手にある事は、抑止力の上でかなりの有利を生んだ。ルーの妃選びに加えたのはその為もあったのだ。ルー。最後に確認しておくが、イサベラ姫と結婚する気はもう無いな」

 これにはアルプレヒトが言った。

「これは、先程もう決まった事です。もう動かすべきではありません」

「そうだな。しかし、次の話がある。今、ラウフェンブルクがアンナや周辺諸国を取り込んで領を切り崩そうと画策しているという情報がある。それに加え、イサベラ嬢にはラウフェンブルクの同年代の遺児が度々接触しているそうだ。もしイサベラ嬢がそちらへ嫁げば、ブルグント都市連盟と手を組んで厄介な勢力となりかねない。城から抜け出した後は修道院に隠れ住んでいるらしいが……」

 ルードルフ王はユッテに顔を向けた。

「ユッテに聞きたい。イサベラ姫の最近の様子はどうだ」

 イサベラがエンゲルベルク修道院にいて、最近もユッテと会っていることは、いつの間にか王に知れていたようだ。ユッテは考えつつ言った。

「元の修道院に帰りましたわ。ラウフェンブルクのルードルフとは結婚披露宴で同席になっただけです。少し話したくらいなので、心配する程じゃないと思いますけど。どちらかと言えばあの人の方が……」

 と言ってからユッテは口をつぐんだ。ここでアルノルトの名前を出すのは流石にいけない。

「誰だそれは」

「それは……ルーディックです」

「ホーンベルクのか? 新郎じゃないか」

「ええ。新郎なのに何故か閉口するくらいプッシュが強いんです」

 ユッテは言い逃れのために少し輪を掛けて言うが、全くの嘘ではない。心でごめんねと謝る。

「けしからん奴だな。しかしイサベラ姫はあの様な才媛だ。すぐ引く手数多になるのも当然だろう。敵対勢力に取られれば大きな痛手となろう。ブルグントが寝返らない布石として、是非とも繋ぎ止めておきたい。繋ぎ止める方法としては、今や空いてるのは儂しか居らぬと気が付いた。結婚を嗾けておいて空いてるのもいかん」

「お父様? まさか………」

「終戦の交渉で、儂がイサベラ姫と結婚する話が上がっている」

「えええっ!」

 王族一家は驚愕に包まれ、しばし静けさが訪れた。ルードルフ一世はこの時六十四歳、イサベラはまだ十三歳だった。五十一も年が離れている。

「本気ですか。年をお考え下さい」と頭を抱えるのはマティルデだ。

「まあまだもう少し先になるし、年が違い過ぎるので当面は面目のみになるだろう。しかしこれで周縁の大国がほぼ親族になるわけだ。家族が一人増えると思えば良い事ではないか。他に異議があれば聞くぞ」

 そう言われると、誰も止める言葉が見当たらない。異議の声を上げる理由は無かった。ユッテ以外は。

「異議は無いようなら通過可決だ。ルーもいいんだな」

 ルードルフ王子は頷いた。

 ようやくユッテが口を開いた。

「イサベラがかわいそうです……」

「全ヨーロッパ一の結婚になるぞ。修道院などに隠れ住むのではなく、城で悠々と一緒に過ごせるようになるのだ。ユッテの為にもなるぞ。悪くは無かろう」

「でも、イサベラが嫌がったら、やめてくれますか?」

「そうか。ユッテは友達想いだ。イサベラ姫の嫌がる様にはしない。そう約束しよう。ならば許すか?」

「はい……」

 ユッテは頷くが、心は失意に陥った。本音は心の底から嫌だ。人の結婚を弄ぶこの人が父だとは、その父と大事な友とのこのような結婚に自分が承認を出すだなんて、信じられない。嘘だと思いたい。

「では、結婚の件は通過可決としよう」

 王の言葉にユッテは立ち上がり、部屋を駆け出した。

「ユッテ!」

 ユッテを追うようにルードルフ王子が出て行った。それを機に会談はお開きとなった。




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