路地裏の密会
講義を終えるとエックハルトに質問をしに来る生徒が列を成し、他方では我先に講堂を出て行く列もあった。
「アフラ、もう泣かないで」
イサベラはそう言ってアフラの頭を撫でた。ユッテも隣から通路越しにハンカチを渡した。
アフラは顔を上げてハンカチで涙を拭きつつ言った。
「イサベラさん……。いい話でしたね……」
「そうね。でも母国語ではないから少し難しかった……。じゃあ私はもう行くわね」
「もう帰るんでしたね……。お元気で……」
イサベラはユッテと一緒に歩いて行った。
エンゲルベルクの修道女一行もすぐに帰る準備があるので、既に講堂を出て行く列に並んでいて、イサベラとユッテはそこへ続く。エリーザベト達やクヌフウタも続いて並び、列はさらに長く続いた。
アフラはまだ感動と涙の余韻で呆然として席に座っていたが、思い立って質問の列に並んだ。
ユッテはイサベラと一緒に出て行く列に並んだので、アフラに声を掛ける。
「アフラ、ちょっとここで待っていてね。行くところがあって」
これは多分お手洗いだと見当が付く。
「先生に質問してます」
アフラがそう言って列に並んでいると、ルードルフ王子に腕を掴まれた。
「こっちだ」
「え? 私先生に質問が……」
ルードルフ王子はアフラを講堂の後方の格子戸からテラスへと引っ張って行き、さらに人気のない建物の間までアフラを歩かせた。
「ここなら大丈夫だろう」
「こんな所まで連れて来て、何のご用ですか?」
「まあ座れ」
ルードルフ王子はちょうどいい高さに材木を積んであった場所を選び、アフラを連れてそこへ座った。
何故かアフラは顔を隠している。
「どうした」
「感動がまだ冷めません。もうエックハルト先生って素晴らし過ぎます」
「望外に良い話だったな。そなたは修道女になるつもりなのか?」
「いいえ。滅相もないです」
「弟子になると言っていたが、それは修道女になるという事だぞ」
「そうなのですか? もっと先生の講義をお聞きしたいだけです」
「そうか。だが、それは皆誤解をするぞ」
「でも、先生がなれと言うなら修道女にだってなります」
「見上げた覚悟だが、そなたに消えてもらったら困るのだ」
アフラにはその消えるという意味に見当が付かなかった。
「ところで、怪我はどうだ」
「良いお医者様を呼んで頂いたようで、お陰様でとても調子がいいみたいです。傷が残らないような処置もしてくれました。ありがとうございました」
「そうか。それは良かった」
「ユッテさんが戻ると怒られちゃいますよ?」
「あいつの邪魔が入らないようにここに来たんだ」
「ふふっ。ユッテさんから逃げるなんて可笑しい」
「ユッテがいると真面目な話が出来んからな。また少し、内緒の話がある。妹に言うなよ」
「はい。言いません」
アフラは口の前で小さくバッテンを作った。
その仕草の不器用な可愛らしさに王子は少し赤面し、咳払いをして言った。
「前に東国領の返上を申し出ると言ったな」
「はい」
「これから、御父上のところへ行く」
「頑張って下さい」
「ああ。それに加えてだ。婚約の解消も言おうと思う」
「決断したんですね」
「ああ」
「大変なんでしたっけ?」
「大変だが、嫌な事は嫌だ」
「イサベラさんはどうするんですか?」
「口実で婚儀は出来ん。第一お互いにまだ何も知らない」
「そうだったんですね」
「まあ、貴族間ではほぼ親同士で結婚が決まるから、知らないまま結婚する事も多いがな。余はしかしそれは嫌だったのだ。相手側もそうだろう?」
「かくれんぼで会えて話せたら良かったですね」
「うん? そうだな」
「私、ご免なさい! イサベラさんはすぐ近くまで来てたのに、私の羊の所に案内をさせてしまったんです!」
「遠くから聞こえていたさ。耳が良いのでな」
「そうなんですか?」
「何もそなたが悪いのでは無い。誰も悪くは無い。これも偶然であって必然の成り行きだ。それより、こちらもそなたには迷惑をかける事になる」
「どうしてですか?」
「目立ち過ぎた。もう噂になっているらしい」
「噂? どんな噂ですか?」
ルードルフ王子は少し答えに困った。
「どんな噂ですかー?」
「あー余がそなたと逢い引きしてるとか、もう囲ってるだとか、そんな噂だ」
「ヤダーッ。事実無根です」
「無根か。まあ世間は事実らしいものがあれば噂は尾ひれが付いて広まって行く」
「じゃあ、これも後で逢い引きとか言われる?」
「かもな」
「取り消しておいて下さい」
「無理だ。それに取り消すつもりはない。噂はすぐ御父上にも行く。それを利用して婚約を解消するつもりだ」
「利用?」
「そうだ。他の女に浮気して現を抜かしているような男なら、婚約者の資格も無かろう」
「じゃあこれはスキャンダルじゃないですか。そして失脚! 大丈夫ですか?」
「余は自分からそれをしに行くのだ。それよりそなたは自分の心配をしろ」
「私ならもう遠い世界の出来事ですから」
「嫁の貰い手がほぼ無くなるかもな」
「うええ? それは駄目ですね」
「それについては謝っておきたかった。まあ何らかの責任は取ってやろう」
「いいです。放っておいて下さい」
「そなたに一つ聞きたい」
「?」
「かくれんぼで一番先に余を見つけたのはそなただ」
「え?」
「故に婚約の一番の権利を与えたのは、そなただと言う事を覚えているか」
「嘘!」
「余は嘘は言わん」
「嘘嘘!」
「嘘にしたければまあ仕方無いが」
「アネシュカさんに決まったと聞きましたよ?」
「それはこれから解消するんだ。恐らくもう無い」
「結婚? 私が? 無いです無いです!」
「声が大きい!」
ルードルフ王子はアフラの口を手で塞ぐような振りをして途中で止めた。顔がかなり近い距離で二人は見つめ合う形となった。
「もう一度聞く。婚約の権利を与えた事を覚えているか?」
真っ直ぐな目で言われたアフラは戸惑いつつ、順番に思い出して言った。
「言われたのは思い出しました。けど、確かその時、冗談は止めてって言ったと思います」
「それは即時断ったたという事か」
「それ以前ですね。今まで冗談だと思ってましたから。冗談にしておきましょう?」
「約定成立まで行ってなかったと言う事だな」
「それで許して下さいっ」
「まあいい」
「はあーっ」
アフラは良かったとは言えず溜息を吐いた。ルードルフ王子は少し心外そうに言った。
「まず越えるべきは婚約解消だ。そなたの支援があれば少しの力が付くと思っただけだ」
「そんなに御父上は怖い人なんですか?」
「そうだ。何をやらされるか判らない身にもなってみろ」
「あ。怖そうですね」
そこへ「アフラーっ。いるの?」とユッテの呼ぶ声が聞こえた。
ルードルフ王子は立ち上がって口には人差し指を当てた。
アフラが頷くと、頷き返してから声とは逆方向へと逃げ出した。
アフラが来た道を戻っていくと、ユッテが歩いて来ていた。
「誰と話してたの?」
「ええ。それが……」
アフラは誤魔化し笑いをした。
「兄様でしょう?」
「わかっちゃいますよね?」
「もう! 油断も隙もないわ。何の話?」
「言うなと言われたので……」
「婚約解消するから結婚してくれとか言われなかった?」
「あれ?」
「言われたのね? 私のアフラに何てことを!」
「まあ、すんでの所でそこまでは言われず許してくれました」
「もう、二人で会っちゃ駄目!」
「はい……」
アフラは項垂れるより無かった。
「また兄様に捕まらないとも限らないわ。すぐ私の宿に行きましょう?」
「先生に質問しなきゃ」
「とっくに終了よ。講堂にはもういらっしゃらなかったわ」
「次はいつ講義されるのかしら? どこで講義されるのかを聞きたかったのに……」
「そんなに良かったのね。最後の乙女は羊を追い掛けて行くって言うのは、そのままアフラと重なったものね」
「ええ。感動しました」
「でも修道女になるなんて言わないでね。イサベラみたいに一緒に遊べなくなっちゃうかと思ったわ」
「お兄様もそんな事言ってたような。そう言えば私、先生に、副院長さんに相談するように言われてました」
アフラは副院長の部屋へ向かった。
ユッテも心配で随伴する。
「次も先生の講義を聴くにはどうすればいいですか?」
副院長にアフラは率直に聞いた。副院長は優しく頷いた。
「そうね。エックハルト先生は明日コンスタンツに向かわれるそうです。そこで講義もあるそうですが……」
「コンスタンツって遠いです?」
「それは遠いです。次にここへ来るのは数ヶ月先か判りません。他の講師にもエックハルト先生から習った方がいますから、受けるならその講義を受ける事をお勧めします」
「私、二週間でウーリに帰ってしまうんです」
「でしたら、その二週間、ここへ仮入学されて学んでみては如何ですか? ここは学問の庭でもあるのですよ」
「そんな事出来るんですか?」
「学問は基礎が大事ですから、普通は出来ません。でも先生も筋がいいと仰っていましたので、特別に私が許可します。と言ってもカリキュラムは特に無く、講義に自由参加出来るというだけですが。受けますか?」
「はい! でも、ユッテさんも?」
「アフラが行くなら、私もいいですか?」
「勿論! 歓迎しますよ」
こうして、アフラとユッテの二週間の仮入学が決まった。
「これでユッテさんと同級生ですね」
「私達で言うご学友って言う事ね。よろしくね」
ユッテとアフラはしっかりと握手をした。




