エックハルトの講義
王族二人を含む貴賓達とアフラがやって来た時には、講堂は既に満席だった。扇状に並ぶ席に修道女達が座っていて、エンゲルベルクの一団も既にそこにいた。中には普段着を着た一般の婦人達も多く見受けられる。ドミニク派の教会は、地域に住む人々の学校の側面もあるのだ。
最前列には新たにボックス席が設けられていて、そこに貴賓達が座る。
そのボックス席の一つにルードルフ王子とユッテ、そしてもう一つにイサベラとクヌフウタ、そしてもう一つにルードルフ三世とルーディック、エリーザベトが座った。アフラはユッテの隣のイサベラのいる席に座った。
程なくエックハルトがやって来て壇上に立ち、講義が始まった。
「望外に集まっていただき感謝致します」
一般席、そしてボックス席の方にもエックハルトが一礼を取った。
エックハルトは黒板に書かれているラテン語を差した。
「今回の講義は『エリザベスに時は満ちた』と表題しました。ラテン語ですがこれは聖書の一節です。そこからは大凡こんな風に続きます。エリザベスに時が満ち、彼女は一人の男の子を生んだ。近所の人々や親族は、彼女に聖霊が大きな恩寵を示された事を聞いて共に喜んだ。そしてその子の名をヨハネと名付けた。ルカ書の一節です。このヨハネとは後のパプテズマのヨハネです。ヨハネもまた生まれる前に聖霊の祝福を受けた神の一子であり、エリザベスはまるでもう一人の聖母マリアのように、時が満ちて、聖霊の祝福を注がれた神の子を産んだのです。ご婦人に数多いエリーザベトの名はこの方に因む事は有名です。君もそうだね」
エックハルトはエリーザベトに視線を送り、エリーザベトは微笑して静かに頷いた。
アフラは既に冒頭の教説に既に少しの感動を覚えた。『エリザベスに時は満ちた』という題に、エックハルトはエリーザベトへのメッセージを込めているように思えた。
「では、質問を。父の最高の意思とは? 何だと思いますか?」
エックハルトは聴衆に、そして次にエリーザベトに質問を投げかけた。
「最高の……。何でしょう? 良い子を産み育てる?」
エックハルトは小さく頷いた。
「いいね。父なる神の最高の意志とは、子を生むことにあります。父が子を生む時、父がその存在と本性において持っているもの全てを子に授けます。この子というのは?」
エックハルトはアフラに掌を向けた。アフラは意を得たように行った。
「私達の事ですね!」
「その通り! 子とは私達、人の子の事です。父である神の意志とは、子に神自身を完全に与え尽くそうとする所にあります。神は神の子を生むまで決して諦めない。魂もまた同じく神の子が魂の内に生まれるまで諦めない。そう想いが重なるとき、恩寵が現れ、聖霊が注ぎ込まれます。恩寵は神から流れ出で、魂の有へと注がれ、神の子を産みます。ヨハネを生んだ時のエリザベスのように、時が満ち、恩寵が生まれるのです。この時が満ちるとはどういう時でしょうか?」
エックハルトはルーディックを差した。新婚であるルーディックは顔を少し赤らめて言った。
「子作りをして、十月十日?」
「それは……ちょっと教会的に相応しくない。少し離れましょう。そのヨハネとは別にもう一人、第一使徒のヨハネがいます。彼はキリストの復活に立ち会い、その後聖母マリアと共に教団を率い、時に虜囚となりながらも手紙を書いて、キリスト教の原型を作ります。彼が書いたヨハネの手紙にはこうあります」
エックハルトは黒板に聖句を書いた。そして、それを指し示しつつ言った。
「第一使徒のヨハネはこう言いました。『私達は神の子であり、神が自らの子を私達の内に生むという事が最も大きな賜物なのだ』と。この事は今言ったことをそのまま顕しているでしょう。まるで結論まで言ってくれているようです。神は私達の内に神の子を生む。それこそが最も大きな賜物であり、神の最高の意思であるのです。そして私達は神の子だと言うのです。しかし人は欲得に目を奪われ易く、なかなかそうは思えません。聖アウグスティヌスがいいことを言っています。聖アウグスティヌスは多くを所有したいと思うのは魂の欲望故であり、身体性、そして時間、そして多数性を願っては掴み、その瞬間、魂が所有しているまさにそのものを失うと言っています」
エックハルトは黒板に、「多数性」「時間」「身体性」と書いた。
「真に得るならば、これらの欲求を掴むのでは無く、いつも心の外に放つのでなければなりません。というのもあなたの中に多くのものがある間は、神があなたの内に住むことも、働く事も出来ないからです。もしあなたが神とは別の何かを目指したとしたら、あなたの為す所業はあなたのものでは無く、神のものでも無い、宿業と呼ぶべきものとなります。あなたの意志が最終的に目指すべきは、魂の内に働く父によく従う事であり、通常において、父は一人でなくてはならない。時間と時間的事物から解放された時、私達は自由となり、喜びに満たされています。これらの宿業からも解放され、神の意思が魂を満たす時、それによって神の誕生は起こり、この誕生により魂は再び神の内に生まれるのです。この時こそ時が満ちたと言えるでしょう。満たすもの、それは広さ、長さ、深さを持ってどこまでも広がっています」
エックハルトは「広さ」、「長さ」、「深さ」と黒板に書いた。
「聖パウロは『あなたがたがすべての聖なる者達と共に、広さ、長さ、深さがどれほどであるか理解出来るものとなるようにお願いしなさい』と語っています。理解出来るかどうかやってみましょう。それら三つは三種の認識の段階を示しています。広さ、それは感覚、外界に目で見えるものを示しています。長さ、それは知性的な観測を示すものでもあり、時間でもあり、それは感覚よりも上位の認識です。深さ、それは魂の高く貴い深奥を意味します」
エックハルトは先ほどの三つの字に並べて書き加え、黒板にはこう書かれている。
多数性 時間 身体性
広さ 長さ 深さ
感覚 知性 “魂”
「三つ目の段階の魂は前者より極めて貴く、神を覆い無く捕らえる力があります。その力はいかなるものとも違い、無から一切を作り、今日、昨日、明日に関わりなくそれを行う。というのも、永遠においては昨日も明日も無いからで、千年前にあったことでも、千年後で起こる事であろうとも、魂においては今ここにあるものなのです。昨日を思う事も、明日の事を考えるのも同じ魂です。魂は時空を超えている存在なのです」
「先生、魂って何ですか?」
アフラが手を挙げつつ聞いた。エックハルトは言った後のアフラを手で差してみたが、少し遅れた格好になる。
「唐突ですがいい質問です。その問いかけはどこまでも深くにある魂の地に辿り着くのに必要だ。そう、例えば、自然です。かつてこの地に、自然に精霊を見出した精霊信仰がありました。森や大地、川や季節に精霊を見出したのです」
「先生、私、春の精霊です。今年の」
アフラは手を挙げながら言った。エックハルトが手で指すが、その意味があまりなかった。
「え? 今年の?」
「お祭りの春の乙女役をやったんです」
「君が? それはまた華やかそうだ。話しを進めましょう。この精霊の性質は、自然の性質を表しています。自然は人と同じく神が産み落としたものですから、神の性質でもあり、翻ってそれは魂の性質でもある事になります。そしてまた魂の性質は人の自然性でもあります。魂は自然の中でこそ、より神との一体性を感じます。三位一体の父と子、そして三つ目の聖霊という意味がここでも繋がって来ます。聖霊と精霊はそもそも同じです。魂それ自身の中にも自然は備わっています。試みに思い浮かべて見ましょう。一つの木。言葉にするだけ、あるいは思うだけで、木の姿が見えて来るでしょう?」
「見えて来ました」
目を閉じつつアフラは言った。
「その木はどんな木ですか? 少し詳しく教えて下さい」
「緑の葉があって、枝が広がって、大きい木です。風にそよいで揺れています」
「うんうん、ビジョンが伝わって来ます。しかしだ。言葉で言った瞬間に、それは嘘にもなる」
「私嘘言ってませんよ?」
「嘘を言わなかったとしてもだ。この場合、木の種類も判らず、木の形も判らない。瘤があったかも知れないし、誰かが切り倒して今は無いかもしれない」
「あ」
「言葉は人の作った人為の作り物であって、心の中のイメージと、言葉から受け取って聞き手が浮かべたイメージは同じにはなりません。もし、絵でこれを描いて伝えたとしても同じで、その書き手の腕の限界がある。天才でも無い限り正確なフォルムは伝わらないでしょう。人為の作り物である事では同じ限界があります。これは本でもそうですし、聖書であっても避けられません。それでいて、我々が言葉で明確なビジョンを伝え合う事が出来るのは、魂のイデアがあるからです」
「魂のイデア?」
「皆が魂の奥に共通して持っている原初のイメージ、これを哲学者プラトンはイデアと呼びました。プラトンはそれは天界にあるプロトタイプだとも言ってます。イデアは神が創り給うた生命のフォルムであり、自然の知恵の結晶です。ここで知恵とフォルムは一体です。その造形は機能美であり官能的なまでに美しい。木々、草花、馬、羊、そして人。言葉を発する瞬間、心の中に見えて来ますか? 目で見るようにはっきりと」
アフラの心の中には共同牧場の草原の風景が広がった。アルプのお花畑へと馬も羊も走り出て行く。兄達がそれを追って歩いている。
「はっきり見えます! 見えました?」
ユッテも「ウーリが見えたわ!」と頷いた。
「それが魂のイデアです。私は今言葉しか発してません。なのに天才にも勝るそのフォルムが見えるでしょう。言葉『ロゴス』によって魂の内部で火花を発し、イデアは神の如く瞬間に想起されます。ここにロゴスとイデアは神性と不可分に一致して存在しています。これは永続し、人の意志で止める事は不可能です。人為を越えたこれらは魂が備えた知性の本質です。魂は神が創り給うたものの中で最も神に近いものなのです。ならばこうも言いましょう。この魂の火花のその始まる前から、神は魂の中に存在しているのです。あなた達にも感じられるでしょうか?」
エックハルトは胸に手を当てて言った。聴講者達の殆どは敬虔なる信仰者だ。胸に手を当てつつ目を閉じてそれを感じ入った。
ボックス席の貴人達も感じるところがあるようだ。胸の辺りに手を置いている。
アフラは心の中で言葉を唱えて必死にその火花の瞬く瞬間を追い掛けた。湖、山、空と。
「我々のメソッドでは日々にそれを感じながら、心を覆っている欲や誤った認識、人為の作り物を丹念に捨て去ることが重要です。その意味では修道生活は素晴らしい。不純なものを除き、純粋なイデアだけを見定めれば、そこには純粋に造物主の意志による始原のイデアが現れます。それは言葉も発せず、魂の火花もまだ無く、像を結ぶ以前の無の中にあります。無と言うより時間的にも空間的にも何も無いかような極微の瞬きです。それはどこまでも広く、永く、深く続いている。その荒野を瞬きと一緒に進んで行けば、そこには自然や世界の理想すらも丸ごと納まっています」
「あ……」
アフラは僅かに何かが見えた気がした。とても崇高な何かが。
「それが我々の目指す魂の地、ソウルグランドです」
アフラは感動していまい、涙さえ滲ませた。
「先生ーっ」
アフラは手を挙げた。
「どうしましたか?」
「弟子にして下さい!」
「弟子ですか。私は滞在も短いですし、まだ駆け出しですので弟子は取りません。しかし君は筋が良い。もう何かを掴んだようだ」
「なら是非! お願いします!」
アフラは机に伏せつつ言った。
「困りましたね。巡礼中ですし、私は男性、君は女性ですしね。後でそこの副院長に相談してみるといいですよ」
「うう残念です」
アフラは机に伏せたまま涙を拭きつつぐずっている。それに微笑したエックハルトは黒板に聖句を書いて、さらに話しを続けた。
「『乙女達は小羊の行く処には、どこでもすぐに従っていく』これはヨハネ黙示録の一節です。この聖句は最後の審判にそんな人こそが残っていたと示唆したものなのです。子羊のあとにどこにでも従っていく。苦しみの中へも愛の中へも。それは瞬きを追う真の乙女の姿です。この中には二三の本当の乙女達がいますね」
イサベラがアフラの背を撫で、アフラはまだぐずっていたので、聴衆達から小さな笑みが漏れた。
「ただ、多くの者は子羊が向かうのが甘美さや寛ぎの場所ならば行くが、苦難の中に入る時は向きを変えて羊を追うことはしない。ある人は私なら名誉と富と寛ぎの中にいて当然だと言うだろう。そのような人は決して正しい乙女では無い。正しい乙女は子羊が歩き回る処ならどこにでも、狭い道も広い草原も通り抜けながらどこまでも付き従っていくのです。それは大人に置き換えれば? 黙示録はどういった事を示唆するのでしょうか?」
エックハルトは壇上から降りて聴衆の中に入り、一家言ありそうに厳しい目を向ける中年の修道士に言った。
「ここは重要です。どう考えますか?」
修道士は「純粋に神を信じる」と言った。
「それもあります。しかし今、さらに奥深い地へ進むのです。これは、純粋なる神を内に持って、どこまでも従っていくという事に他なりません。私達がどんな状態にあろうと、力有る時も、力無き時も、あるいは喜びの時も、悲しみの時も、たとえどんなに心を傾けているものがあろうとも、そこに身を託すのです。真理に懸けて言うが、私達が神に対して全てを託すなら、神は私達にも神の持つもの全てを明かしてくれるし、その真理の内にあれば私達に決して覆い隠す事はありません。この事は私達が神に覆いを掛けない限り、神は生ける神であるということを知るならば、誠に真なる事なのです。私達が神に対するのと神が私達に対するのとは全く等しいことなのです」
エックハルトは壇の前に立って言った。
「最後に、我が希望を問いかけたい。世界の全てとは言わぬまでも、大半の人が我々のこうした真理を常識とするに至った時、世界はどうなるでしょうか?」
エックハルトはエリーザベトに掌を向けた。エリーザベトはエックハルトを見つめ、少しの思考の後、ゆっくりと言った。
「その時には、世界に安らぎが訪れることでしょう。いつか必ず、その時は満ちるでしょう」
エックハルトは小さく微笑んでから大きく頷いた。
「人は最後には平安を求め、父なる神に帰ります。時は満ちて、その時、世界に「恩寵」が生まれます。私達にあってそれが完成され、神の恩寵が多くの人の内で生まれますよう、そうなるよう神が助けて下さいますように。アーメン」
エックハルトが十字を切って結びの祈りを捧げると、場内に大きな拍手が起こり、講義は終わった。
エリーザベトは感激の涙を流していた。
アフラは泣いた上にもさらに泣いた。
「なんて素晴らしい……」
もう一人滂沱の涙を流す人がいた。それはフランチェスコ派の修道女、クヌフウタだった。
エックハルトもまた実在する神学者なのですが、その多くの痕跡を消された人物です。その書は全て焚書に遭い、隠された幾つかの書が残りました。この講義の話はその研究をベースに、エックハルトの広範に渡る哲学を圧縮し、かつ判りやすく解きほぐしたものです。翻訳や解説書に勝る、真意の解説にもなったかと自負しています。エックハルト先生にも夢で会いましたからね。




