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宴の終わり


 招待席を一回りしたラッペルスヴィルの新郎新婦はお色直しのためか一時退室し、そこでパーティーは自由歓談となった。

 そこでアルノルトは後方のブルクハルトやアフラのいる席にやって来た。


「すぐにアフラを連れて帰ろう」


 イサベラとユッテの席に行こうとしていたアフラは、目を丸くして立ち止まった。


「王子のところは行かなくていい」とアルノルトは立ち上がったアフラの腕を掴み首を振る。

 アフラはそうじゃ無いと首を振る。

 その横でブルクハルトは大きなため息を吐いて言った。


「それはいかん。アフラが王族に背いた事になる」


「体調が悪いとでも言っておけばいいさ。元々怪我でそうだったんだし」


「まあ待て。儂らにはまだ大事な用があるんだ。話を聞いて見ても遅くはないさ」


「おかしな話をされた後ならもっと断れなくなるよ」


「確かにな……。アルノルトも言うようになって来た。ヴァルターよ。後事を頼んでもいいか? 儂らは先に帰るとする」


「いいが、お前さんの名前で取って来た委任状があったろう。アッティングハウゼンさんに引き継いで行くがいいさね」


「そうだったな。しかし委任状は馬車のカバンの中だ」


 そう話しているうちに一人の男がやって来た。重厚な物腰は近衛騎士のようだ。


「アフラ・シュッペル様のお席はこちらでしょうか。ルードルフ王子よりご用命です」


 その手際の速さに、一同は背筋の凍る思いがした。誰も二の句が継げず、しばらく動けなかった。アルノルトはアフラの手を取って、そのまますぐにここを出ていれば良かったと激しく後悔した。しかし、もう万事手遅れに思われた。


「どちらがアフラ様ですかな?」


「私、行きます!」


 手を上げてそう言ったのはアフラでは無く、ソフィアだった。

 目が点になった一同は進み出るソフィアを見つめた。


「何を、ソフィ……」


「連れて行って下さい!」


「ご案内します」


 ソフィアは近衛騎士に向かうその背で、掌を曲げ伸ばしした。この間に行けと言う事だろう。


「これは……」


 そんなソフィアが出て行くのを見送って感嘆するのも束の間、アルノルトは動いた。


「行こう。彼女が稼いでくれる時間は多分ほんの少ししか無いんだ」


「よし。行くぞアフラ。ヴァルター、事は緊急だ。後は頼む」


 ブルクハルトと子供達は急いで荷物を纏め広間を後にした。


「ソフィアは? ソフィアはどうするの?」と言って渋るアフラを、アルノルトは腕を引っ張って連れて行く。


「まずはお前だアフラ。ソフィアの犠牲心を無にするな」


「放っては行けないわ。ソフィアはどうなっちゃうの?」


「後で僕が行って連れ戻す。だからしっかり歩け」


「本当よ? 約束よ? 絶対よ?」


「ああ絶対だ」


 アフラをなだめつつ、ようやくにして一同はロータリーに停めてある馬車に着いた。ブルクハルトは子供達を馬車に乗せつつ、中からカバンを取り出した。


「馬車の中で隠れてるんだ。まだ少し用がある。すぐ戻る」


 ブルクハルトが馬車を降りると、アルノルトも馬車を降りた。


「僕はソフィアを探して連れて来るよ」


 アフラは馬車の窓越しに静かに頷いた。二人は早足で歩き出しつ言った。


「場所は解るのか?」


「全く分からない……。うーん広いし。まあルーディックに聞くよ」


「危険だからルーディック卿にも同行を願え。アルノルト、もし尾けられるような事になったら、軒に繋いであるウチの馬を一頭外して乗って行け。馬車がバレないし、お前ならそれが一番足が早い。馬の替えは幾らでもいたからな」


「分かった」


 ブルクハルトとアルノルトは一旦広間へ戻り、入り口にいた女中にルーディックの控の間を聞いた。アルノルトは女中の先導で案内され、部屋前の廊下の長椅子でジリジリと長くも短くも感じる時間を待たされた。


「どうぞお入り下さい。ああ、アルノルトだったか」


 そこ扉を開けて出て来たのはブリューハントだった。通された部屋は待合室に使われるのか、高級そうな椅子が至るところにあり、中央のテーブルには商人らしい面々が数人いて、多数多種のコインが積まれ、何やら真剣に書面を見比べていた。両替商のようだ。当時の帝国では自国鋳造の貨幣のみでなく、チューリヒのような鋳造権のある有力都市の貨幣、また旧ローマ帝国の古銭や、イタリア、フランスの鋳造した貨幣まで市中に出回っていたため、お金のやり取りには殆ど両替商が必要になる程だった。両替商は立て替えや高利貸しも併せて行い、多くはユダヤ人だった。

 ルーディックは「もうその話はいいでしょう」と言ってドアの正面へ出て来てアルノルトを出迎えた。


「やあ、アルノルト。今日はここに泊まって行くんだろう?」


「ルーディック、急な問題があって今日はもう帰りたいんだ」


「もう帰るのかい? ようやくゆっくり話せると思ったのに」


 エリーザベトも奥から言った。


「皆様が泊まって行ってもいいように、準備をしていたのですよ」


「起こりつつある諸問題があって……」


「諸問題? 僕に出来る事なら何でも言ってくれ」


「うん。実は、妹のアフラが王子に拐かされそうなんだ」


「え……。王子と王女で揉めてたのは、それかあ!」


「そう。それで妹を隠したんだけど、身代わりに友達のソフィアが今王子の控の間に行って、多分捕まってるんだ」


「それは……かなり分が悪いな」


 ルーディックが困っていると、エリーザベトが言った。


「衣裳を持って介添えしてくれた子ですね」


「はい。その子を何とか無事に連れ戻したいんです。王子の控の間まで取り次いで貰えないかと」


「あの子には大変助かりました。緊急ですね。行きましょう!」


 勢い良くそう言ったのはエリーザベトだった。言いながら立ち上がり、もう歩き出している。


「私達の祝いの席で不幸を生むことは許しませんわ」


「お待ち下さい。まだこの証文が……」


 色めき立つ両替商を見てアルノルトが聞いた。


「この人達はいいんですか?」


「貨幣への両替の後はまるで借金取りですもの。解散する理由があって丁度良いです」


 エリーザベトはそう言って「あとは頼みます」とブリューハントに言い、案内を自ら買って出た。


 王子の従者に引率され控の間まで来たソフィアは、顔がすぐわからないように少し髪を乱し、大きく深呼吸してから部屋へ入って行った。

 王子は大きな窓の前で待っていた。その鈍色の目には子供に似つかわしくない重圧感が漂っている。

 ソフィアが入って行くと見つめるその目に一瞬子供らしい光が点ったような気がし、一瞬でそれは消えて鈍色に戻った。


「何故中身が入れ替わっている」


 退室しようとしていた従者はその意味が判らず「はて」と首を傾げた。


「人違いだ。もう一人の方を連れて来るんだ」


 従者に手を引かれたソフィアはこんなすぐに返されてはいけないと、声を上げた。


「アフラは体調が優れないのです。私が代理で用向きを伺います。用向きを伺ってからどうするかを考えます」


「検分役というわけか。そなたはどういう関係だ」


「私はアフラとは姉妹のように過ごして来ました。お隣り同士なのです」


「ならばそう邪険にも出来ぬ。少し話を聞こう。まずは病は治ったのかを聞きたかった。まだ悪いのか」


 王子の柔らかく変わった物腰にソフィアは意外な感情を感じた。

(もしかしてアフラは愛されている?)


「アフラの熱病はとても酷いものでした。長く高熱が続き、一時は命も危ぶまれる程で……」


 ソフィアはわざと大袈裟に言って、少し顔を伏せて泣く振りをした。王子をチラリと見ると、とても心配そうな顔していた。


「存じている。今はどうだ。薬の匂いがしていた」


 王子ともあろう人がそこまでアフラを気にかけていようとは、ソフィアは驚きに目を見張るより無い。


「一時は良くなっていたのですが、つい最近遠出の仕事で大変な怪我をして、再び熱がぶり返してしまったのです。つい昨日までは部屋で寝ていたのです」


「怪我をしたのか!」


 王子は明らかにアフラを案じている。確信を得たソフィアはなるだけ正直に答えようと思った。


「牛に角で脇腹を突かれたのです、かなりの深い傷だったのに仕事があって無理をしたそうです。雨にも打たれたので悪化して熱を出したのです」


「非道い家だな。その怪我は治ったのか」


「いいえ。まだです。村にはいい医者もいませんから薬を塗って包帯を巻いておくくらいしか出来ません。化膿して治りが遅いのです」


「そんな体でここまで来たというのか」


「両親は反対していたのですが、送り迎えの馬車に紛れ込んでどうしても行きたいと無理を言いまして」


 ソフィアはほぼ共犯者だったので頭を掻くよりなかった。


「どうやらまた医者を手配せねばならないようだ」


 王子はドア前に控えていた従者に医者を呼ぶように言った。ソフィアはありがたいような、引き止めたいような背反する想いになって取り敢えず礼をした。


「娘よ、もう検分は十分だろう。アフラを呼んで来るがいい」


 ソフィアはここで困ってしまった。アフラを医者に見てもらう事には同意したい。でもアフラが戻れば、王子の心次第で連れて行かれるかもしれない。


「王子様、申し訳ありません。それはもう出来ないのです」


「何故だ」


「おそらくは、すでにアフラは帰途に着いておりますので」


「なんだと。そなたは余を謀ったのか!」


「これもアフラを守るためです」


 王子は近衛騎士を呼び、ソフィアを後手に捕まえさせてから苦々しく言った。


「余を謀った罰を与えねばならん。せいぜい利用させてもらう。一緒に連れて行ってアフラを探し出すんだ」


 騎士がソフィアを後ろ手に掴んだまま控の間を出た時、ちょうど中庭沿いの回廊を巡ってやって来たエリーザベトとルーディックに出くわした。後方には勿論アルノルトも続いてやって来ている。

 ソフィアはアルノルトに救援を求める視線を送って来る。アルノルトは目で頷いて用心深く身構えた。すぐにも飛びかかる体制だ。


「何をしているのです?」


 エリーザベトが鋭く言ったので、アルノルトは勢い半歩出て蹌踉けて止まった。


「この人は今日の私の介添え役ですよ」


 エリーザベトに強く言われた近衛騎士は、答え辛そうに鍵のかかる部屋を貸して欲しいと願い出た。


「ここは城では無く教会です。私事でそのような事をする部屋の提供は出来ません。それに私の介添えが一体何の罪を犯したというのでしょう」


「王子を謀ったのだそうで」


「拘束する程の事ですか? ここでは守護権者である私共でお預かりするという事にしてもらえませんか」


「そうです。ここで起こった事は当方で対応するのが道理です」


 と、ルーディックも同調する。若くてもラッペルスヴィル家の新当主がそう言えば、ここでは従わざるを得ない。


「良いでしょう。王子よりご用命があればお引き渡し下さい」


 騎士が差し出したソフィアを受け取るように、エリーザベトはそっと肩を抱き、アルノルトの方へ連れて行った。ソフィアは苦し紛れの笑顔を見せる。

 アルノルトが「もう大丈夫だ」と言って並んで歩くと、ソフィアは涙が溢れて前が見えなくなって、もう真っ直ぐ歩く事が出来なくなり、アルノルトの肩に顔を埋めた。

 アルノルトはそのまま肩を貸しつつ歩いた。


「良かった」


 エリーザベトはソフィアを強く抱いて歩いた。


「エリーゼ様、ソフィアを助けてくれてありがとう」


「こちらでもあなたは騎士のようですね。ルーディックにも学び多くて良かったこと。時にはこう言う戦い方もあるのです。覚えておきなさい」


 ソフィアは少し気を取り直してからポツリと話し出した。


「最後に怒らせちゃった……。でも王子様はね、アフラを心配してくれてたみたい。怪我の心配もしてくれて、言ったらすぐお医者様を呼んでくれて、それはもう有難過ぎるくらい」


「有難迷惑というくらいだな」


「それね。でも、迷惑を顧みないくらいに、アフラが好きなのよきっと」


「止めてくれよ。考えたくも無い」


 アルノルトは顔色を変えていたので、ソフィアはもう言わなかった。

 そのまま中庭沿いの回廊を巡って、新郎新婦の控の間へと戻った所でアルノルトが見回すと、さっきの騎士が中庭の構造物の物陰に隠れて尾行して来ているのが見えた。

 素早く部屋の中に入り、ドアを閉める。部屋には既に借金取り達の姿は無かった。


「さっきの人が中庭から見ていた」


 ドアの覗き窓を見ているアルノルトにソフィアが言った。


「アフラを私と一緒に探すよう言われていたから、きっと泳がせて尾行して見つけ出すつもりね」


「流石近衛騎士は老獪だな。どこからか逃げられないかな」


「隠し通路があるよ。こっちだ」


 ルーディックがそう言って部屋の奥の飾り祭壇を横へ擦らすと、そこが扉になっていた。その背後には細い通路が続いている。


「ここから礼拝堂に続いてる。礼拝堂の出口から出られるよ」


 アルノルトは足取りの危ういソフィアの手を取ってそこへ入って行った。


「ルーディック、ありがとう。エリーゼ様、僕らは厄介事が起こらないうちに今すぐ村へ帰ります。ウーリに帰れば王子も手が届かないですから。もし父さんやウーリの人達に聞かれたら、独力で帰ったと伝えて下さい」


「とても賢明なこと。承りましたわ」


「エリーザベト様、助けて頂いてありがとうございました」


 ソフィアがお礼を言うと、エリーザベトはテーブルから何か持って来て言った。


「こちらこそソフィアには助かりました。これを持って行って」


 エリーザベト渡した包みには分厚い銀貨が六枚もある。


「頂けません。こんなには……」


「介添えのお礼と、遠方の方にはお車代を渡す事になってるの。お二人の分帰り賃もかかるしょう?」


「エリーザベト様……」


 ソフィアは涙ながらに礼をした。アルノルトもさっきの両替商のやり取りを知っていたので、自然に深く頭が下がった。窓には茜色の夕日が差して来て、見送る夫婦に優しい祝福を零しているようだった。ルーディックが別れを惜しんで言った。


「次はいつ会えるだろうね。幸運を祈る」


「大変な日だったのに、助けてくれて本当にありがとう」


 アルノルトはルーディックと、そしてエリーザベトと握手をしてお別れをし、扉を閉めてもらった。

 アルノルトとソフィアは薄暗い通路を歩いて行き、礼拝堂の祭壇横へ出た。隠し戸を開けて出て行くと目の前で祈っていた修道士達を驚かせたが、時にある事のようで、気に留めずすぐにお勤めに戻る。

 そして礼拝堂でソフィアを待たせ、アルノルトは一人馬を取りに行った。馬の繋いである所はアフラの隠れている馬車からそう離れていない。アルノルトが馬車の近くを通りかかると付近を見張っているような人がいたので馬車には目もくれず、馬一頭だけを引き出した。そしてすかさず馬に乗って礼拝堂へ回った。後ろから追い掛けて来る人影があったので、アルノルトはさらに馬を走らせた。

 礼拝堂の玄関前に出て待っていたソフィアに手を差し伸べて、出合いの勢いでアルノルトの後ろに乗せ上げると、間髪を置かずに別方面の門へ馬を走らせる。

 後ろからは「待て」と声が追いかけて来る。アルノルトはさらに早く馬を走らせた。


「まだ追い掛けて来てる?」


「もう。諦めたみたい」


「どうやら撒けたようだ」


 そう言った頃には馬は正門を飛び出し、人通りの多いチューリヒの大通りを馬車に混じって歩いていた。


「アフラは? 他の人達もまだ残ってるんじゃ」


「そっちは父さんが何とかするってさ。アフラは馬車に隠れていたんだ。でも周囲に人がいて、もう今にも見つかりそうだったな。本当ならアフラも連れて行きたかったけど……」


「それにしても、甲斐がないわ。アフラは捕まっても医者に診てもらえるし、割といい人そうであの分なら割と大事にしてくれそうだったし、大丈夫そうだった」


「じゃあ心配して損した? でも、ソフィアは捕まって危険だったじゃないか」


「そうね。謀った罰を与えなければって王子に言われて、少し怖かったわ」


「とんだ罪を被らせてしまったな。今や君が一番逃げなきゃいけないなんてな。妹の為にごめん」


「ううん。私の方こそご免なさい」


 ソフィアはそう言ってアルノルトの背に頭を凭せかける。


「どうして謝るの?」


「私のせいだわ。大事なパーティーを抜けさせてしまって」


「そんな、謝る事じゃないよ。元はと言えばアフラを帰らせようと言ったのは僕なんだし」


「私が変に入れ替わらなきゃ良かった」


「そんなことないよ。皆んなあの行動には感心してたよ」


「そもそも私なんかが来てはいけなかったの。王侯貴族がいるような所に」


「それを言い出したら僕やアフラだってそうさ。ソフィアにはエリーゼ様が感謝してたよ。助かったってね」


「あんな方々と親密だなんて、もう住む世界が違うと思った」


「僕らなんて大した事ないし、何もしてないよ。ソフィアは一番の功労者だったよ。エリーゼ様も感謝してた。来た意味はそれぞれにあったさ」


「ありがとう。でも、ごめんなさいと言わせて」


 そう言ってソフィアは泣いているようだった。

 アルノルトは騎乗のまま通り沿いに居並ぶ行商からランプを買って、二人で騎乗したままチューリヒの城門を出た。その向こうには夕焼け空の田園風景が広がり、遠くまで続く湖沿いの道が続いていた。

 軽やかな馬の歩は、進むにつれて遅くなって行った。


「もうすぐ暗くなって、馬足も遅くなる。ゆっくり行ったら多分真夜中過ぎ頃に村に着けると思うけど、その前に馬が疲れるだろうね。まあ何処かで泊まるお金もあるし、安くていい宿があれば泊まろう」


「このまま夢心地の余韻のまま、馬に揺られているのも悪く無いわ」


 二人を乗せる馬の歩は、軽いステップを踏むように軽快に田園の道を行く。

 湖の道沿いの平坦な道は、日が落ちて少しずつ暗くなって行った。



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