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マリウスの初仕事

 

 次の日、アフラはまた高い熱を出した。ブルクハルトはアルトドルフへ医者を呼びに行き、アフラを診てもらった。

 やって来た医者はこの前ゼンメルを診た若い医者で、聖ラザロ修道院の医者だった。獣医も兼ねているようだ。

 アフラは服を脱ぐ診断を嫌がったが、父親と医者に説得されて渋々服を捲り、診察を受けた。その脇腹には化膿して変色した傷跡があった。


「この怪我は! 意外に深くて化膿している。熱は怪我から病原が入ったんだろう」


 戸口に隠れていたブルクハルトが入って来て言った。


「怪我? 怪我したのか?」


 アフラは言いたくなさげな口調で言った。


「昨日、タロスに角で突かれて……お腹のところ怪我したの」


「どうして言わないんだ! タロスめ、肉にしてやる!」


 アフラは急に起き上がって言った。


「そう言うから言わなかったの! 肉になんてしないで! お願い……」


 アフラが泣き出したのでブルクハルトはオロオロし、


「判った。判ったから」とアフラを宥めた。


「イタタ……」


 脇腹を痛がってアフラはまた横になった。

 医者はアフラの怪我の手当てをしたが、ここには消毒というものが無い。薬草を染み込ませた布を当てて包帯を巻くのみだった。

 藁を届ける役目のアフラが寝込んでしまったので、代わりにマリウスが届ける事になった。

 初めての独りの仕事だったので、カリーナは心配そうに言った。


「道は大丈夫?」


「大丈夫だよ。昨日お姉ちゃんと行ったもの。でも牛はちょっと怖いな」


 ブルクハルトは小さな馬を一頭連れて来た。


「ポニーで行くんだ。昨日は牛なんか連れて行ってアフラを怪我させたからな」


「ポニーなら仲良しだから大丈夫だよ。ねーポニー」


 ポニーというのは小さな馬の事だが、マリウスは名前だと思い違いをしているようだ。

 ブルクハルトは祭りの時にミルクの野外販売に使っていた赤い飾り台車を引き出して来て、小さな馬車に仕立てた。そしてミルク樽が前後に二つ入る程の荷台に藁を積んだ。


「これなら大丈夫だろう」


「カッコいいね。これ、僕の馬車にしていい?」


「ああ。しばらくはマリウスのだ」


「ワァーイ!」


「でもあちこち弱いから人が乗っちゃダメだぞ」


 マリウスは地べたにしゃがみこんで落胆した。


「何だ……乗れないのか……」


「そんなに悄気る事か!」


「乗れない馬車なんて、馬のオモチャだよ」


「じゃあ後で補強して乗れるようにしてやるから、しばらくは我慢するんだ」


「やった! ありがとうお父さん!」


「まあまだお前が一人で馬車に乗るのも少し危ないだろう。さあ、この手綱を引いてごらん」


 マリウスが手綱を引くとポニーは大人しく随いてくる。


「可愛いね。随いて来る」


「大丈夫そうだ。じゃあ今日は頼んだぞ」


「うん! 行って来るよ」


 空元気で言ったマリウスは、仔馬を引いて歩き出した。マリウスが仕事を任されるのも、一人で遠出することも初めてだったので、心なしか不安が胸に渦巻いている。

 牧場沿いの長い坂道を下り、ビュルグレン村の広場前に着くと、その一角では子供達が遊んでいた。


「マリウスが来た!」


 五人の少年少女がたちまちマリウスを取り囲んだ。

 一人はやんちゃ坊主のジルだ。


「マリウス、仔馬を連れてどこへ行くんだ?」


 村娘のソフィアは馬を撫でながら言った。


「かわいい馬車ね。赤くて小さくて。カワイイ」


 マリウスは照れて赤くなった。


「いいでしょ。僕の馬車さ」


 ソフィアの妹のポリーが言った。


「いいわねー。今度乗せてー」


「まだ乗っちゃダメなんだ。もう少し補強してからね」


 ジルはキョロキョロとその会話を追って聞いていた。


「おい! 先に俺の質問に答えろよ!」


 ジルが怒って言ったので、マリウスは渋々言った。


「これから国境まで行くんだ。この藁を届けるお使いなんだ」


 それを聞いて、ジルは荷台に乗っていた藁束を持ち上げて、いきなり地面に投げ散らかした。

 呆然とするマリウスだったが、ソフィアが言った。


「何するのよジル! 小さな子が村の仕事をしてるのに!」


「前にこいつに同じ事をされたのさ。おかえしだ!」


「今する事じゃないわ。拾いなさいよ!」


「やーだね。マリウス。お前が拾わなきゃな」


 ジルはそう言って逃げ出した。二人の男子がそれを追い、ソフィアとポリーが残った。

 マリウスは仕方なく地面に散った藁を拾った。

 ソフィアとポリーもそれを拾うのを手伝った。


「非道いわね。気を悪くしないでね」


「いいんだ。前にジルが引いてた馬車に飛び乗って、荷物の藁を崩しちゃったんだ。もっと大きな山だったから僕も酷いことしちゃった」


「まあ。そうだったの?」


「でも事故じゃない。わざわざ仕返しするような事じゃないわ」


 三人だと藁はあっという間に積み終わった。


「ありがとう。お礼にいつか馬車に乗せてあげるよ」


 ポリーはマリウスに詰め寄るように言った。


「いつ? それはいつ?」


「お父さんが乗るのは補強してからだって。でもいつも忙しいから次の日曜日とかじゃないかな?」


「今乗せてよ」


「ポリーなら軽いから大丈夫かな。ちょっとだけ試してみようか」


「うん!」


 ポリーは馬車の荷台の藁を寄せ、椅子のようにして座った。少し動かしてみるが、馬車の挙動は全く問題無さそうだった。


「大丈夫だね。乗り心地はどう?」


「とてもいい乗り心地。これなら国境まで乗って行けそうよ。一緒に連れてってよマリウス」


「うん、いいよ! じゃあ行くよ」


「じゃあ行ってきます。お姉ちゃんはお留守番ね」


「えっ行くの? 気を付けてね……」


 心配そうに見つめるソフィアに、ポリーとマリウスは何度も手を振って広場から去って行った。

 

 道に迷う事もなく、国境の小屋にマリウスが着いた頃にはもう日が高くなっていた。

 アフラの診察で出発が遅くなり、加えてマリウスとポリーでしょっちゅう道草をしていたのでは仕方が無い。


「誰かいますかー?」


「いますかー?」


 マリウス、そしてポリーが垂れ布を捲り、小屋に入ってみると、そこには牛以外は誰もいなかった。


「わあ。大きな牛!」


「でしょう? シスターはもう行っちゃったのかな。もうお昼だし仕方ないね」


 一つため息を吐いてから、マリウスは藁を小屋に運び込んだ。ポリーも少しだけそれを手伝った。

 牛の傍には緑の草があり、小屋の中は綺麗に整っていたので、イサベラやエンゲルベルクの修道女達はもう世話をした後のようだった。

 しかし桶には水が少ししか入っていなかった。


「こうやって草を食べさせるんだ」


 マリウスは手に藁を持ち、牛に食べさせてやった。

 ポリーもそれを真似て食べさせた。


「食べてる食べてる。大きくてもかわいい〜」


「そうやっていっぱい食べさせててよ。僕は水を汲んで来る」


 マリウスがそう言って桶を持って外へ出て歩き出し、崖道を降りて行くと、俄かに雨が降って来た。それはやがて激しい雨になった。マリウスは桶を頭に被り、道を返して小屋の方へと走り戻った。


「雨だ! 大丈夫?」


「雨漏りする〜」


 ポリーが見上げる屋根からは、雨漏りが始まっていた。マリウスは慌てて雨漏りの場所に桶を置いて防いだ。


「水が溜まってちょうどいいや」


 が、すぐに雨漏りの場所は幾つも増えて行き、手に負えない数になった。


「アーン。服が濡れちゃう」


「これはダメだー」


 マリウスは垂れ布を捲って小屋の屋根を見た。そしてある事を思い付いた。

 マリウスは入り口に垂らしてある布を持ち、十分に腰を落としてから力一杯上に投げた。布は屋根の上まで飛び、屋根の上にくしゃくしゃになって落ちた。


「おしい!」


 布は四枚掛けられていて、マリウスはそれを一つまた一つと上に投げて行く。だんだんコツが分かって、四つ目の布は綺麗に屋根を覆った。


「よし!」


 マリウスが中へ入って確かめてみると、布が被さった所は雨漏りがしなくなっていた。


「いいぞ。ここに来るといいよ」


 ポリーがその場所へ行くと確かに雨漏りが無かった。


「ここは大丈夫みたい。ありがとうマリウス」


 その場に座って微笑むポリーにマリウスは照れて笑い返した。二人は並んでそこへ座った。

 外の雨は緩むこと無く降り続いた。


 シュッペル家では夕方になって、放牧に行っていたエルハルトとアルノルトが帰って来た。二人とも激しい雨に降られてびしょ濡れだった。


「ただいま」


「おかえり。雨で大変だったわね」


「もうびしょびしょだよ」


 カリーナはタオルを二人に渡した。


「早く拭いて着替えて。今日はアフラがまた熱を出したのよ。怪我が元らしいのだけど」


「えっ。じゃあ牛の藁は届けられなかったの?」


「代わりにマリウスが届けたわ」


「大丈夫かな。この雨で」


「そう言えばまだ帰って来ないの。雨具も持ってなかったし、ちょっと心配ねえ」


 そこへドアの開いていた入り口から、フード付きの外套を着た女の子が家に飛び込んで来た。アルノルトは驚いて飛び退りながら言った。


「ソフィアじゃないか。どうしたの?」


「こんにちは。うちのポリーは来てませんか?」


 カリーナが言った。


「妹さん? 来てないけど……」


「マリウスと一緒に馬車で行ってしまったまま帰って来ないんです!」


「まあ! 大変!」


 エルハルトが言った。


「この雨だ。何処かで雨宿りしてるんじゃ無いかな」


 ソフィアは雨除けの外套を抱えて言った。


「そう思ってあの子の外套を持って探してたの。でも近くにはいなかったわ」


「この雨はしばらく続きそうだ。もう少ししたら日が落ちてしまうし。心配だな」


「この雨の中、何処にいるのかしら……」


 カリーナも心配顔だ。

 アルノルトは玄関へ歩き出し、空を見上げてから振り返って言った。


「馬車を出そう。国境までの道を辿れば殆んど一本道だから、多分途中で会えるよ」


「ありがとう!」


 アルノルトは納屋へ行き、荷馬車の用意をしようとしたが、あいにくブルクハルトが使っていて、そこには無かった。そこへエルハルトが外套を持って来た。


「これを着て行け。馬車が無いな」


「馬に乗って行くさ」


 アルノルトは外套を着込み、馬に乗った。鞍が無いので乗るのに手間取り、エルハルトが支えた。


「大丈夫か? 急ぐよりも、気を付けてな」


 玄関先で待っていたソフィアは驚いて言った。


「アルノルトが馬に乗ってる! 乗れるの?」


「上手くは無いけど乗れるさ。乗って行くかい? ソフィア」


「馬車は?」


「あいにく無かったんだ」


「乗せて!」


 再びフードを被ったソフィアはアルノルトの手に捕まって馬に乗り、アルノルトの背中にしがみついた。


「怖いわ」


「しっかり捕まってね」


 ソフィアが脇腹の布をギュッと持ったので、アルノルトはくすぐったいのを堪えて緩やかに馬を発した。二人乗りだったので馬の足はいつもよりゆっくりだ。それでも馬の足だと歩くより遥かに早い。家はあっという間に小さくなり、村の広場が見えて来た。


「早いわ! もう村が見えて来た」


 アルノルト達の馬は村の広場へ入って行った。モランが店から声を掛けた。


「こんな雨の中、馬で相乗りして何処行くんだい?」


「モラン。弟が帰って来ないんだ。仔馬の馬車が通らなかったかい? この子の妹のポリーも一緒なんだ」


「いやーずっとここにいたけど見てないな」


「じゃあ、まだ村にも戻ってないって事だね」


「まあ、そうなるな」


「ありがとう」


 モランは片手を上げて二人を見送り、店の片付けに移った。

 アルノルトはソフィアに言った。


「まだ村に帰っていないようだと。まだ遠くにいるんだ。僕が探して来るから、そこで降りて家で待っててもいいよ」


「私、行くわ」


「あちこち探してるとかなり遅くなるかもしれない」


「いいわ。あの子を早く見つけてあげたいの」


「分かった」


 アルノルトは手綱を緩やかに降り、アルトドルフへの道へと馬を発した。馬の歩みはさっきよりゆっくりだ。


「もっとスピード出ないの? アルノルト」


「二人乗りだからゆっくり歩いてるんだ。ソフィアが振り落とされるといけないからね」


「大丈夫よ。しっかり捕まってれば」


 ソフィアはアルノルトのお腹あたりに腕を回し、ギュッと抱き付くような格好になった。

 アルノルトはちょっと照れながら言った。


「じゃあ少し跳ばすよ。しっかり捕まってて」


「もう捕まってまーす」


「ハイア!」


 アルノルトは手綱を振り、馬を叩いた。馬は走り出し、見る見る速度を上げた。


「キャ〜早い! 早い!」


「もう少し遅くする?」


「いえ。もっと早くして!」


「えーっ! これ以上はダメだよ!」


「ケチッ」


「ケチじゃないよ。危ないんだ」


 二人を乗せた馬は長い坂道を下って、あっという間にアルトドルフの町に入った。

 町には人通りが多いので、そこではさすがに馬の足は落とさざるを得ない。

 二人は通り沿いの家々の軒先を探したが、マリウスとポリーらしい姿はどこにも見当たらなかった。

 

 その頃、マリウスとポリーはまだ国境の牛小屋にいた。


「寒くなって来ちゃった」


 薄着だったポリーはしきりにそう言って体をさすっている。


「雨、止まないね。そろそろ帰らないと日が沈んで来ちゃう」


 マリウスは空を見上げて溜息を吐いた。

 マリウス一人だったら雨の中でも行くのだが、寒がっているポリーを降り頻る雨の中に出す訳にはいかなかった。


「雨避けマント持って来れば良かった」


 マリウスは牛の体を撫でながら言った。


「牛の体は少し暖かいね」


 マリウスはそう言って寝そべっている牛の背に凭れかかった。


「ポリーもこっちおいでよ」


 ポリーはマリウスの隣に座り、牛に背を当てた。


「背中があったかいわ」


「でしょう?」


 二人は牛の大きな背中に凭れてしばらく暖を取っていた。が、急に牛がモゾモゾと動き出した。二人はその場を飛び退いた。


「立たないで!」


 牛は立ち上がろうと踏ん張るが、右前脚がロープで体に結び付けられているのでバランスを崩して膝を着く。


「あっ。危ない! ダメだよ」


 牛は体制を整えてから、勢いを付けて立ち上がった。体に巻き付いたロープで右前脚は吊られたまま、三本足で巨体を持ち上げたのだ。

 ポリーが驚きを込めて言った。


「立ったら大きいわ」


「ゼンメル。座ってないとだめだ。足がもっと悪くなるんだ」


 マリウスはそう言って足を摩るが、牛はそっぽを向いて草を食んでいる。

 クスッと笑ったポリーは、楚々とゼンメルの前に立って言った。


「ゼンメル頼むわ。また背中を貸して。お前の背中はあったかいの」


 牛はそれを聞いて動きを止め、やがて俄かに座った。


「聞いてくれたみたい」


「ポリー! 凄いや!」


「いい子ね」


 ポリーはゼンメルの頭を撫で、再びその体に凭れて座った。ポリーがその隣を叩くので、マリウスもその隣に並んで座った。

 ポリーは許可を得たからか、さっきよりも深く座り、半分寝そべるような姿勢だった。

 そうしているうちに次第に外は暗くなり、灯りの無い小屋の中も当然暗くなって来る。

 マリウスは壁の丸太の隙間から外を覗きながら言った。


「とうとう日が沈んじゃった。雨は止まないね」


 ポリーは泣き出しそうな声で言った。


「お腹減った。お姉ちゃん迎えに来てくれないかな」


「こんな所までかい? 無理だと思うよ。兄貴達ならともかく」


 するとポリーは本当に泣き出してしまった。


「どうしたの?」


「帰りたいよ〜。お姉ちゃん。置いて来てゴメンなさい〜」


「連れて来ちゃって僕もゴメンよ」


 マリウスは気不味くなって、丸太の隙間から外を見た。


「あれ? 馬が来たよ」


 すると外から声が聞こえて来た。


「ポリー。いる?」


「お姉ちゃんの声だ!」


 ポリーは飛び起きて外へ出て行った。


「ポリー!」


 ソフィアは馬を飛び降りた。


「お姉ちゃん!」


 ポリーは駈けて行き、二人は馬の下で抱き合い、そして涙した。


「これを着て。外套持って来たの」


 ポリーは急いで外套を着込んで言った。


「ありがとう! 寒かったの!」


 ソフィアはポリーのフードを直しながら言った。


「濡れなかった?」


「大丈夫! 寒くてずっとここにいたの。牛の背中も暖かかったし」


「そう。良かった」


 遅れてマリウスが出て来ると、馬の上からアルノルトが言った。


「いたなマリウス! 外套だ」


 投げられた外套をマリウスは受け取って言った。


「アル兄なら来てくれると思ってたよ」


「生言うな」


 マリウスは外套を濡れないように小屋の軒下に戻って着込んだ。


「じゃあ、馬に乗って行くかい。君ら二人とも軽いから乗れるよ」


「うん! 馬に乗りたいわ!」


 ソフィアはポリーの足を抱えて馬に乗せ、ポリーはアルノルトの後ろに乗った。ソフィアはその後ろに乗り込んだ。

 アルノルトはマリウスに言った。


「マリウスはそのポニーで帰って来るんだ。先に二人は送って帰るよ」


「え〜っ。僕は一人?」


「その馬車に乗ってくればいいだろう。馬足はそこまで変わらないさ」


「お父さんがこの馬車は乗っちゃダメだって」


「そうなのか? ならポニーに乗ればいいさ」


「そうか。その手があった!」


「暗くなる前に行くぞ!」


 アルノルトは馬を出した。三人乗りだったのでその馬足は遅かったが、鞍の無いポニーに乗るのに手間取ったマリウスは、気が付けば一人置き去りにされてしまっていた。


「待って〜」


 日が落ちて暗くなって来る中、マリウスは一人馬に任せて道を進んで行った。その途中、ランプを灯して歩いている人が見えた。後ろ姿だったが、マリウスには判った。それは昨日の牛飼いの大男だった。


「おじさん。こんばんは」


 牛飼いはランプを持ち上げて振り返り、マリウスの顔を覗き込み言った。


「お前は誰だい」


「昨日の赤い頭巾の弟だよ」


「ああ、赤頭巾娘のか。そう言えばどうした? 今日はお姉ちゃんはいないのか」


「お姉ちゃんは熱を出してしまったんだ。だから僕が国境まで藁を届けたんだよ」


「国境って、あの小屋へ行ってきたのかい? エサをあげる人に祝福をっていう」


「そうだよ」


「どっから来たんだい?」


「ビュルグレン村だよ」


「そんな所から藁を持って来てるのか? 大変だね」


「この馬車があればへっちゃらさ」


「そうかそうか。ハッハッハ。そう言えば昨日預かった藁があるんだが、持って行くかい?」


「もう今日の分は届けたんだ。道ももう暗いから早めに帰りたいんだ」


「そうかそうか。遠くから来るのも難儀だろう。その藁はおじさんが明日、国境の小屋まで届けておいてやろうか」


 マリウスの顔はとたんに輝きを見せた。


「本当?」


「ああ。何なら毎日儂が届けてやろう。ここからならすぐ傍だからな」


「おじさん見かけに寄らず優しいね。ありがとう」


「見かけに寄らずは無いだろう。見かけもこんな優しそうだろう」


「うん。そ、そうだね」


「じゃあもっと優しい所を見せてやろう。この灯りを持って行け」


「えっ。おじさんの道が真っ暗になってしまうよ」


「儂は近いからいいんだ。お前はまだまだ遠いだろう」


「ありがとう。おじさんは絶対優しい人だ」


「そうだろうそうだろう。じゃあな坊主」


 牛飼いは馬車の欄干にランプを掛け、手を振って徐ろに道を外れて草地を歩いて行った。家がもう近いようだ。


「ありがとう。牛にエサを頼むよ。絶対毎日だよ」


「ああ、毎日な。大丈夫だ」


 マリウスは牛飼いを見送ってから、馬車を再び出発させた。


 アルノルトはいち早くソフィアとポリーをビュルグレン村の家に送り届けた。


「さあ、着いたよ」


「お陰様で早く帰れたわ。ありがとう。アルノルト」


「ありがとう」


 ソフィアとポリーはお礼を言ったが、アルノルトは二人に謝った。


「ごめん。ウチの弟が遠くまで連れて行ってしまって」


「いいえ。ポリーの方がせがんで乗せてもらったの。マリウスが悪いんじゃ無いのよ」


「そうだったの?」


「うん。だから、怒らないであげてね」


「ああ」


 二人は家の玄関を開け、母親に出迎えられ家に入って行った。

 一安心するとマリウスが心配になって来た。

 アルノルトは馬を返し、アルトドルフ方向へ向かう下りの坂道を駈けて行った。

 山の斜面に沿って出来た牧草地沿いの道をしばらく行くと、ランプの灯りが見えた。近付いて行くとそれはマリウスの馬車だった。


「マリウス!」


「お兄ちゃん!」


 アルノルトはマリウスの横に並んで馬を歩ませた。


「どうしたんだ、そのランプ」


「近所のおじさんがくれた」


「近所の?」


「うん! 優しい人で、明日からは藁を国境の小屋まで届けてくれるって。しかも毎日!」


「そんな人がいたのか」


「優しいでしょう?」


「ちょっと怪しいな」


「どうしてさ」


「牛を盗もうとして探っているのかも」


「ランプをくれたんだ。優しい人だよ。顔は怖いけど」


「そうか……怖いのか。まあ明日行けば判るだろう」


「うーんと、お兄ちゃんが行くの?」


「お前が行くに決まってるじゃないか」


「えーっ。せっかく届けてくれるのにー」


「牛の世話をしないといけないだろう。シスターも来る事だし、行って来るんだ。いい馬車が出来たんだろ。ランプも返して来い」


「ちぇっ。でもそうだね。帰りはポニーに乗れて楽チンだったよ」


 二人の兄弟は馬を並べて話しながら家に帰って行った。

 


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