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牛祭り


 アルプホルンの三重奏が湖沿いの山に響き渡る。

 崖上の平原の狭い道にはカウベルの音を響かせながら、牛を連れた人々が列を成して移動を始めていた。

 牛飼い達は自慢の牛を引き連れ、牛祭りの会場へと集まって来ていた。

 目指す場所はアルプホルンの鳴る辺りの、国境近くの広いアルプだった。

 ウーリとニートヴァルデンの国境地帯で行われる牛祭りは、周辺領の牛飼い達が牛を闘わせ、最強の牛を決めるものだ。

 元々はニートヴァルデンとオプヴァルデンが共同してハシュリ谷の国境付近で行われていたが、オプヴァルデンがハプスブルク家に取り込まれた今、それはやりにくくなり、ウーリとの共同で開催するようになっていた。

 牛飼い達にとって牛祭りの闘牛は晴れの舞台であり、最大のフェスティバルでもある。

 牧夫達は遠くからも集まり、シュッペル家ももちろん自慢の牛を引き連れてこの闘牛に参加していた。

 アフラは今日も自慢の祭りの衣装を着て上機嫌に野道を歩いていた。


「大っきいー!」


 アフラが前を歩く牛を見て感嘆の声を上げた。マリウスも「大きい!」と相槌を打っている。


「お父さん。あの牛は私達のホルストより大きいわ。頭や首まで丸々太っちゃって。あんなのに勝てるかしら?」


 そう言うアフラは大きな牛の背に置いた鞄を支えながら歩いている。因みにその鞄はアフラが背負う分の食糧だ。ブルクハルトは一際大きなホルストの手綱を引き、鼻面を撫でながら言った。


「あれは何処のだ? 確かにウチより大きいな。でも大きいだけじゃ強さは判らんさ。闘牛は逃げた方が負け。闘争心と度胸比べだ。ホルストはきっとやってくれるさ」


 しかし後ろから牛を追って歩いている子供達は、父の勝利への希望を一言のうちに伏してしまう。


「ホルストは大人しいよ」


 エルハルトがそう言うと、隣を歩いているアルノルトが言った。


「そうだね。ホルストが闘ってるのって見たことないよ?」


 ブルクハルトは一度のけぞってから、姿勢を立て直した。


「まあ普段は大人しい……けどもな」


 マリウスが小さく言った。


「闘争心じゃあ負けるかもね」


 一気にブルクハルトが気落ちしたようだったので、後ろに続いていたカリーナは一言付け足した。


「でも物怖じしないわね」


「そうだ。強いから物怖じしないんだ。なあ」


 ブルクハルトは無理矢理にそう片付けて、ホルストの首を叩いた。

 牛祭りの会場となる広いアルプに着くと、斜面の多い草原は牛また牛で犇めいている。

 絶えずどこかで牛の鳴く声がし、早くも奮り立って暴れる牛などもいて少々騒がしい。

 この広いアルプの片隅には縦横に丸太で囲った柵があって、その中が闘牛場となり、外側は観客席となっていた。

 多くの屋台も出ていて、一角では人と人との格闘であるシュビンゲンが行われたり、カーニバル特有のダンス等も行われている。

 シュッペル家の一同がビュルグレン村から来た人々と共に今日の場所を確保していると、一人の紳士がやって来て被っていた帽子を取り、ブルクハルトに声を掛けた。


「シュッペルさんではないですか。今年の調子は如何ですかな?」


「ああ、オイデスリートさん。やっぱり今年も来てましたな!」


「勿論ですとも。この祭りに名誉を懸けてますからな」


 それはニートヴァルデンのアーマンであるロドルフ・オイデスリートであった。


「じゃあ、あの大きな牛はオイデスリートさんの牛かい?」


「いや、あれは山の上のエンゲルベルク修道院の牛でね」


「その向こうの一団も育ちがいいようだ」


「向こうはハシュリ谷から来たブリーンツ伯のですな。ウーリの修道院でも守護者をしてますから」


「ゼードルフの聖ラザロ修道会の? と言う事はウーリの牛かな?」


 オイデスリートは頷いた。


「ええ。聖ラザロ修道院はこの辺りまで放牧しているでしょう。言わば地元ですな。栄養がいいのか育ちは良いようですな。うちのも負けてませんよ。あの辺りです」


 そこには大きな牛が並んでいる。


「ほう。いい牛だ。ウンテルヴァルデンは強豪揃いだな」


「ウチには去年優勝のイアソンがいますしな。まあ、今年もウチが取らせてもらいますよ」


「いやいや。そう簡単には譲れんよ。こちらも善戦させてもらう」


 二人は笑いながらも火花を散らすかのように睨み合っている。


「熱くなるにはまだ早いよお二人さん」


 そこへ涼やかにやってきたのはシュウィーツのシュタウファッハだ。

 後ろにはもう一人、若い牧夫が従っている。


「ゲスト参加のシュタウファッハも来ていたか! 遙々シュウィーツからようこそだな」


 ブルクハルトはシュタウファッハに手を振った。

 シュウィーツの参加は今年が初めてで、ブルクハルトから誘ったものだった。


「いやいやシュウィーツは遠い。不公平だな。ここに来るので牛が疲れてしまう」


「確か湖の対岸から船で来たんじゃ無かったか。歩く距離は一番少ないだろうよ」


「ばれていたか」


 オイデスリートは目を丸くして言った。


「いやいやシュタウファッハ殿こそ策士ですな。まんまと油断するところだった」


「牛も船酔いするのだ。疲れてるのは嘘ではない。牛の様子はどうかなフンネン」


 フンネンと言われた牧夫は若く、エルハルトより少し大きいくらいの年に見える。


「そうですね。牛が船に揺られるなんてことはそうそう無いですから、あの通りぐったりしてますよ」


 牧夫の後ろの牛達は、確かに座り込んでぐったりしている。


「ほら見ろ。人をウソツキのように言ってはいけない」


「いやいやこれは悪かった」


 オイデスリートが頭を掻くと、三人は笑った。シュタウファッハが言った。


「まあ最後に闘うのは我々でなく牛同士だ。恨みっこ無しでいこう」


「勿論だ」


 オイデスリートとシュタウファッハは握手を交わした。ブルクハルトもそこに手を重ねる。


「こちらもお手柔らかにな」


「仲が宜しいようですね」


 凜とした声で和やかにそこへ入って来たのはエリーザベトだった。隣にはルーディックがいる。


「エリーゼ様! いらしていたのですか」


「はい。シュタウファッハさんにお誘いいただきまして」


「紹介しましょう。こちらはニートヴァルデンのアーマン、オイデスリートです」


「まあ。お会い出来て光栄です。私はエリーザベト・フォン・ホーンベルク=ラッペルスヴィル。そして夫のルーディックです」


「ルーディックです。お見知りおきを」


 ルーディックは細い手を差し伸べ、大柄なオイデスリートと握手をした。


「いやあ、お噂は伺っていましたよ。ロドルフ・オイデスリートです。遠方からご足労いただき恐れ入ります」


「いいえ。シュタウファッハさんと対岸から一緒に船に乗せてもらいましたから、お陰様で驚く程あっと言う間に着きましたわ」


「それは良うご座いました」


 そう言ってからオイデスリートとブルクハルトはシュタウファッハを見た。


「シュタウファッハ。すぐ着いたと仰っているぞ」


「今日は風が良かったようだ」


「惚けおって!」


 ブルクハルトはシュタウファッハを軽く叩いた。

 エリーザベトは何故か急に仲が悪くなったので目を白黒させている。


「私、何か悪い事を申しましたかしら?」


 ルーディックは苦笑いをするより無かった。

 そこへ三台の馬車が到着した。降りてきたのは貴族風の男と、貴婦人達だ。


「おいでなすった」


「あれが例のラザロ修道院の守護者か」


「はい。ブリーンツ伯です。オプヴァルデンの奥から続くハシュリ谷の領主ですね。ああ、隣にラウフェンブルク公も! あれが我が領主です」


「領主……か。非道い事をされてはいないか?」


「ラウフェンブルグ伯は司教を出す家柄でもありますからそんな事はありません。まあニートヴァルデンは自治州ですからね。自治を尊重してくれます。しかし……同じハプスブルク一族でも本家のいるオプヴァルデンの方は大いに違います。領地も守護権も本家のものとなって、王城が出来てしまいましたからな」


 オイデスリートは貴族の一団へと歩いて行った。


「もうオプヴァルデンは自治州とは言えんな」


 シュタウファッハが呟くように言い、ブルクハルトは頷いた。


「我々も他人事では無いな」


 ハプスブルク家はニートヴァルデンやシュウィーツにも領地を購入し、領地を持つ修道院の守護権を手に入れつつあった。

 オイデスリートに声を掛けて来たのはブリーンツ伯だった。まだ若いが恰幅がいい。


「お集まりのようだね」


 オイデスリートは貴族達を迎えるのも手慣れた様子で言った。


「これはこれはブリーンツ伯。遠いところをようこそ御参加下さいました」


「ああ。聖ラザロ修道院の土地でいい牛が育ってな。グリムガルドというのだ」


「グリムガルド、強そうな名前ですな。うちのイアソンも負けませんよ」


「去年優勝した牛か。手加減してくれよ」


 その後からさらに別の声がかかった。


「勝負事に手加減はありませんぞ。イアソンは私の領の牛、恨みっこなしでお願い致します」


「これは、エーバーハルト卿」


 一際豪華な服装をしたラウフェンブルク家の一団が歩いて来た。先頭に立つのは当主であるエーバーハルトだ。

 その半歩後方には夫人のアンナ女伯がいた。旧名家キーブルク家の継承者でもある。

 その後ろには少年が二人と少女が二人いて、あちこちを見ながら遅れて歩いて来る。

 オイデスリートは恭しく駆け寄った。


「お出向きいただきまして光栄の至りです。今年も強豪が揃っております。お楽しみ下さい」


「今年の調子はどうだね。オイデスリートよ」


「はい。もちろん今年も優勝を期して、磨きに磨きを掛けております」


「期待しているぞ」


「アンナ様もご機嫌麗しく」


 オイデスリートはそう言って、改めてアンナの方へ礼を取った。

 アンナの生まれのキーブルク家はこの湖周辺を領した大領主で。この時既にキーブルク家の男系は断絶し、それを辛くも継承したアンナとエーバーハルトの結婚によって、ラウフェンブルク家がこれらの土地を継承し、この夫妻には正統な継承者として再び復興が成った——はずだった。

 その領地はしかし、ハプスブルク王の手管で本家への売却を迫られ、その主要を占める領地を譲る事になってしまっていた。


「応援していますよ」


「はっ。必ずご期待に沿います。お楽しみ下さいますよう」


 オイデスリートはアンナに最敬礼で答える。オイデスリート家はラウフェンブルク家に仕える地方貴族とも言える家柄だ。周辺にはそういう家が多く、そのまとめ役ともなっている。

 エリーザベトとルーディックもエーバーハルト夫妻に挨拶をしにやって来た。隣り合う領主同士、お互いに顔は見知っている。


「久しくお会いしませんでしたね。こちらは我が夫となりましたルーディックです。既に入籍を致しまして姓はホーンベルク=ラッペルスヴィルとなるのですが、少し長いので、夫はホーンベルクをまだ継承していないわけですし、基本はラッペルスヴィル伯として、あとはその時時に名乗ろうかと思っております。以後宜しくお願い致します」


 エーバーハルトはホーンベルク家とは遠い親戚になり、近所付き合いもあるので、ルーディックを知っていた。


「それはおめでとう。ルーディックは親戚のようなもの。フラウ・エリーザベト、こちらこそ宜しくお願い致しますよ」


 エーバーハルトはエリーザベトと握手をした。

 アンナも続いて握手をして言った。


「おめでとう。お隣同士、また仲良く出来そうで嬉しいわ。新郎とも仲良く出来るといいわね」


「こちらこそ。よろしくお引き立てを」


 ルーディックはアンナと握手をしながら、後ろに歩いて来た年の近い少年を気にしている。


「ああ、こちらは兄の遺児なのですが、ルードルフ三世です。ルーディックとは年も近そうだし、仲良くしてやってくれると嬉しい」


 エーバーハルトが手を向けた後方にいたのは夫妻の甥であるルードルフ三世だった。背格好はルーディックより少し小さいくらいだ。


「こんにちは。ルードルフ様」

 

 エリーザベトがスカートを摘まんで小さく礼を取ると、ルードルフ三世は片膝を曲げて礼を返した。


「ご機嫌麗しゅう、フラウ・エリーザベト」


 その高潔でつぶらな瞳はさながら夢見がちな少年そのものだ。彼の父はラウフェンブルク伯を継いだ当主で大領地を持っていたが、ボヘミアとの戦争で没していた。当時ハプスブルク家とラウフェンブルク家は城を壊し合って争ったほど仲が悪く、激戦地に送られていた疑いが無いとは言えない。

 ルーディックはエリーザベトが紹介しようとする手を止めた。


「僕らはもう見知ってますから。ルードルフ、この方と僕は結婚するんだ。あ、籍の関係ではもうしたことになってるそうだ。よろしくね」


「結婚……。それはすごく早い結婚だね。でも綺麗な人だ」


「まあ、お上手! 遠慮無く遊びに来て下さいね」


 エリーザベトは恥ずかしげに笑顔を向けた。

 エーバーハルトはさらに子供を呼んだ。

 

「向こうには我が子ハルトマンと賓客がおります。ハルトマン、ご挨拶なさい」


 呼ばれたハルトマンは駆け足でやって来た。マリウスくらいの年だろう。


「こんにちは!」


「あと、賓客が向こうにおりますが、お忍びという事ですので今日は構わないで欲しいとの事です」

 

 そこには町娘の服を着た二人の少女がはしゃぎ回っている。

 よく見ればそれは町娘に扮したユッテとイサベラだった。

 ユッテの鮮やかな青のコットは町娘でも金持ちしか着ないであろう派手な柄だ。

 イサベラの服装は見たことのあるものだった。黒のベストのようなコルセと呼ばれる服と、内にはミルク色のコットに、オリーブブラウンの長いスカート。元はアフラの服だったものだ。

 二人とも前鍔の長い白い帽子を風に飛ばされないように手で押さえ、顔を半分隠している。

 二人はあちこちを指差しながら辺り一円の風景を見回している。その後を数人の護衛のような男達が追従していた。

 エルハルトはその声のする方を見ていて、「アッ」と唸った。アフラの服を着た姿を見て、すぐにイサベラを見つけたのだ。


「無事だったか……」


 思わず呟いて、エルハルトは振り返った。

 すぐ後ろにはアルノルトとアフラがいた。

 エルハルトは親指で後方を指し、満面の笑みで頷いた。


「何が無事なんだい?」


「どうしたの兄さん? なんだか変」


 アルノルトやアフラでは牛より目線が低いため、エルハルトと違ってその向こう側は見えない。


「一緒について来い。静かにな」


 エルハルトは頭の端で方向を指してから、姿勢を低くして歩いた。そして丸太を打ち込んだ柵を背にして座り込んだ。アフラは兄を追って来て訊ねた。


「どうしたの?」


「まずは、騒がないこと。いいな?」


「うん」


「そこに乗って向こうを見て」


 エルハルトが顎で差すので、アフラは柵に半分登って顔を出し、その方向を見た。


「あれは! イサベ……」


 エルハルトに肩を掴み下ろされたので、アフラは途中で言葉を止めた。


「良かった……」


 すぐ走って行こうとするアフラを、スカートを掴んでアルノルトは止めた。


「ヤッだ! アル兄!」


「シッ。目立っちゃいけない。変な噂が立つだろう」


 エルハルトは目で頷いた。


「そうだ。それに護衛がいる。あの様子じゃあまだ捕まっているのかもしれない」


「本当だ。以前の奴?」


「ああ。前にいた羽根帽子だ」


 アフラは半ベソで兄にしがみついた。


「エルハルト兄さん! どうすればいい?」


「考えがある。牛を動かす。その陰に隠れて近付くんだ。そして静かにあの子達を牛に隠してここまで連れて帰るんだ。奴ら護衛は俺に任せろ」


「うん!」


 エルハルトは口笛を吹き、牛追いの鞭を鳴らし、周囲の牛を追い立てて歩かせた。


「おいどうした?」


 牛が列を成して歩き出すと、牛飼い達は慌ててその牛を追った。

 アルノルトは牛の手綱を引きつつその陰に隠れるように静かに歩いた。

 アフラもその背に隠れているが、チラチラと前を見ようと顔を出すのでその姿は見え隠れして、ある意味目立っている。


「あれ……」


「どうしたのユッテ」


 ユッテはやって来る牛の真ん中を指差して満面の笑顔を向けた。

 よく見るとその牛の足の隙間には見覚えのある足が見えていた。

 ユッテとイサベラが表情を輝かせた。

 二人がその牛の方へと歩いて行くと、やって来た群れに周囲を囲まれ、牛を避けている内に方向を見失った。

 近付いて来た牛がくるっと向きを変え、そこにはアルノルトとアフラが顔を出した。

 二人はユッテとイサベラの前に進み出た。


「ようこそ。ウーリランドへ」


 アルノルト は胸に手を当て、わざと大仰に貴族風の挨拶をする。


「ようこそ。牛祭りへ」


 アフラもスカートを摘まんで続いて真似をするが、少し涙声だった。

 イサベラも再会の喜びに、目に涙を浮かべていた。


「わあ!」


 ユッテはもう小さく喜びの声を上げている。

 アフラは口に人差し指を立てた。


「シーッ。牛に隠れながら歩きます」


「さあこっちに隠れて。静かにね」


 アルノルトはそう言ってイサベラの手を取って牛の陰に入れる。


「こっちよ」


 アフラはユッテの手を引いて別の牛の陰に入れ、一緒に歩いた。

 護衛達は二人の令嬢を見失って右往左往し、牛の下へ屈み込んだ。すると牛の向こうに幾つも人の足が見える。


「あそこだ」 

 護衛達はその方向へと走り始めた。


「まずい。もう見つかった。逃げよう」


 アルノルトは牛の間を伝って走り出した。その手はイサベラの手を引いている。イサベラはアフラの手を取り、アフラはユッテの手を取って、一列になって走った。

 しかし、護衛達の足は早い。すぐに牛の群れを回り込み、その姿を捕らえる場所まで走って来た。


「いたぞ。待て!」


 そこへエルハルトが割って入って、いきなり大声で叫んだ。


「人攫いがいるぞ! こいつらだ!」


 エルハルトのその声で、牛を捕まえて戻ろうとしていた牛飼い達は周囲を囲むように集まって来た。


「人攫いだって?」


「ああ。お前は前の春祭りで女の子を攫ったろう」


 羽根帽子を付けた貴族が横柄な態度で言った。


「誰かと思えば前の小童か。変な言い掛かりをするんじゃない」


「オレは女の子が攫われて行くのをこの目で見て、暴走する馬車を追って行って馬車に掴まった。その中にいたのは確かに此奴等だ」


「あの時の暴走馬車か!」


「オレも見てたよ!」


「何者だ!」


 牛飼い達が護衛達を囲むように集まって来た。


「何を言ってる。事実無根の言い掛かりだ!」


「今も誰か追い掛けていた! 未遂も罪だからな!」


 エルハルトが凄むと村人達は腕を組んで大勢集まって来た。


「いや……待て。話せば判る」


「ハプスブルクの家来だろう!」


「そ、そうだ! 王家の命だ!」


「何! ハプスブルクだって?」


 村人の表情はさらに敵意に満ちて険悪になる。


「王の犬か…」


 鞭を持っているエルハルトはそれを構えて護衛を威嚇した。


「誰であろうと、女の子を攫うとは見過ごせない大罪だ。裁判権のある父のラントアーマンもそこにいる。この場で裁判にかけよう! この邦では青空裁判が正式な決定だ!」


 指を差されたブルクハルトは人が集まっているので何事かと歩いて来ていた。

 護衛達は追い詰められ、片手は剣に置かれた。


「待て! これには訳が!」


「ここは自治の国ウーリだ! 当然、罪人を裁く権利がある。少し向こうの丘からならばニートヴァルデンの国境で、我が州の裁判権からは外れるがな」


「丘?」


「ここから見えるだろう。あの丘の尾根の向こうだ」


 それを聞いたとたん、護衛は剣を抜いた。

 村人逹が驚いて下がった隙を見て、護衛達は走り出した。その丘の向こうへと。


「待て、人攫い!」


 それを村人はすぐ追おうとする。

 しかし、エルハルトはそれを止めた。

 そして一つ石を拾って投げ、それは足に命中した。

 それは飛び上がる程に痛かったようだ。

 他の村人が続いて石を投げると、護衛の貴族はびっこを引いて必死に逃げ、尾根に辿り着いた。


「国外追放完了だ。国境から向こうでせいぜい見てるがいい。こっちへ入ったら捕まえてやるからな!」


「覚えてろ!」


「これは痛快だ!」


 遠くから悔しがる護衛達の姿に村人逹は笑った。

 それからまた石を放ったので、護衛達はさらに遠くまで逃げて行った。


 牛の陰を伝って手を繋いで走って来たアルノルトとイサベラ、そしてアフラとユッテは、元の柵の陰まで来たところで後ろを振り返った。するとちょうど護衛逹が逃げて行くのが見えた。


「流石エルハルト兄さんだ! 護衛は逃げてった」


「ああ! ありがとう! ありがとう」


 イサベラは大きく息を吐いて、アルノルトの手を両手で握りしめ、礼を言った。


「良かったあ!」


 アフラはそう言ってアルノルトとイサベラに横から飛び付いた。そしてキャッキャと跳ねながら手を繋ぎ、ステップを踏んで回った。イサベラはその喜びのダンスに付き合って回っている。


「ランタッタ♪ ランタッタ♪」


 アフラが遠くから聞こえる民族音楽を口ずさんで踊るので、三人でワルツを踊るかのようだ。


「おいおい喜び過ぎだろう」


「自由よイサベラ!」


 そこへユッテも飛び付いて来たので、イサベラはバランスを失い倒れそうになる。

 アルノルトはとっさにイサベラを庇って自ら体を入れ替え、積まれた藁へと引っ張り返し、そこへ倒れてユッテとイサベラの下敷きになった。


「重っ!」


 三人は藁まみれで笑った。

 アフラはイサベラの手を握って言った。


「ああ! アニエスさん。無事だったのね!」


「はい。心配をかけましたね」


「ユッテさんも! また会えて嬉しいです」


「わたしもよ」


 その喜び合う姿は村人から見ると、遠方の旧友に再会したように見えた。

 ただ、カリーナを除いては。


「シスターさんにもお休みは必要ですものね。楽しんで行って下さいな」


 アニエスを知るカリーナはそう声を掛けた。


「ありがとう御座います」


 アルノルトはしばらくお腹を押さえて呻いていたが、誰も気が付かないので諦めて立ち上がった。


「今日はシスター姿じゃないみたいだね」


「今日はエンゲルベルク代表として……」


「君が代表?」


「修道院長は生活規則に厳格な方なので参加者出来る人がいなくて、来ているのがたまたま私だけなの」


「そっちの子も偉い領主様なんだろ?」


 イサベラはアルノルトの耳に口を近付けた。


「何を?」


 アルノルトは少し赤くなってそれを制した。


「内緒の話なの。絶対内緒よ」


「うん?」


 イサベラはアルノルトの耳元で囁いた。

(あの方はユッテ・フォン・ハプスブルク、老王様の末娘です。私の学友を装っているの)

 それを聞いたアルノルトは言った。


「それは秘密にしておいてくれ。アフラにもな」


「驚かないの?」


「そんな事だと思ったよ」


「そうなの?」


「でも、それがバレたら村八分にされるって知ってるだろ?」


 アルノルトに睨まれたユッテは、それを聞いて気まずそうに肩を竦ませた。

 アフラは言った。


「今日はお祭りだし、王侯貴族、自由民。色々な人が来るわ?」


「それも一理ある。こうなったらとにかく村人にバレない事だ。ちょっと考えよう」


 そう言ってアルノルトは腕を組んで考えている。

 そうしていると、エルハルトがやって来た。


「アルノルト。牛を戻すぞ。手伝え」


「あ、エルハルト兄さんだ。流石だったね。こちらはアニエスさん。いつぞやのシスターさんだよ」


「ああ、シスターさん。ご無事で良かった」


「お兄様。お助け頂いてありがとうございました」


「当然の事をしただけです。目の前で攫われて、皆で心配していたんです」


「それであちらは獅子の籠の主……」


「あっ。ハプ……こっちがそうなのか?」


「末娘だそうだよ……」


「まずいな……」


 そう言って視線をユッテに投げると、彼女は少しご機嫌ナナメそうに睨み返している。

 エルハルトは言った。


「兄のエルハルトです。ユッテさんでいいのかな?」


「はい……ユッテと申します。改めて宜しくお願い致しますわ」


 ユッテはスカートの裾を大きく広げて足を半歩下がって屈め、あからさまに貴族風の挨拶をした。

 エルハルトはそれを見てアルノルトの耳元で小声で言った。


「これは相当困るな」


「うん。でもお祭りの日は王侯貴族も来るもんだよ。お忍びの平服だし、バレないで穏便に過ごす方法は無いかな」


「こういうのはどうだ」


 エルハルトはアルノルトに耳打ちした。

 そこへ、向こうからやって来たのはルーディックだった。後にはラウフェンブルク家の子息がついて来ていた。


「やあやあ、皆さんお揃いで。ご機嫌麗しゅう我が姫君」


「待て、ルーディック!」


 アルノルトはその挨拶の手を掴んで止め、顔を近付けて小声で言った。


「ダメなんだ! ルーディック! お忍びなんだ。お忍び。解るか?」


「そ、そうか。これはすまなかった。彼を紹介しようかと思って」


「それもダメだ。だが一応内緒で聞かせてくれ」


 ルーディックはアルノルトの耳元で言った。


「ラウフェンブルク=ハプスブルク伯の遺児、ルードルフ三世、そして、同家のハルトマンだ」


「またハプ……。ちょっと待って。頼むから待って!」


 アルノルトは今度はエルハルトへと耳打ちをしながら互いに相談をした。

 アフラが呆れて言った。


「もう何? さっきから内緒話ばっかりして!」


 エルハルトはユッテとイサベラに向き直って話を切り出した。


「君とアニエスさん。二人に話というか提案があるんだ」


「何でしょう?」


「条件付きで、今日一日、アフラと一緒にいてやってくれないか」


 ユッテはその提案に耳を疑った。さっき言っていた事とは真逆だったのだから。


「いいんですの?」


 アフラなどは既に小躍りしている。

 ユッテはスカートを摘んで言った。


「はい。喜んで…」


「それは待った! ただし、条件がある」


「何でしょう?」


「今日はウチの村に立ち寄った自由民として参加して欲しい。その貴族風の言葉遣いや儀礼は抜きだ。もちろんこちらも礼儀も敬語も抜きだ。バレたら大変な騒動になるのは判るね」


 イサベラとユッテは顔を見合わせて笑っている。


「構いませんわ」


「あと! もう一つある」


「まだあるんですの?」


「今日は貴族と話しをしてはダメだ。そこの来客もお断りする。貴族側の席に行くのもダメだ。その場合は即座に断交する」


 イサベラが当惑顔で言った。


「そんな……挨拶があるんです」


 横からアルノルトが言った。


「一日挨拶しないくらい影響ないだろう。こっちは変な噂が立ったら村八分だからな。それくらいさせてもらわなきゃ割が合わない。そちらは挨拶しないくらいで何かされるのか」


 イサベラとユッテは頷き合い、ユッテが言った。


「承知しましたわ」


 エルハルトはまだ頭を振った。


「その言葉遣いじゃダメだ」


「判りました……」


「まだダメだな。村人の言葉でないと」


「判ったわ! これでいいでしょ!」


 エルハルトは言葉に力を抜いて笑顔になって言った。


「そうそう。その調子なら宜しく頼むよ」


 イサベラとユッテは揃って溜息を吐いた。そして後、満面の笑みになった。アフラはその笑顔に連られるように二人の手をとって笑い合った。望外の、いや、望んで止まなかった願いが叶えられたようでもあったのだ。

 反面、三人のご令息は下を向き、所帯無さげに行ったり来たりしている。

 アルノルトはそんなルーディックを捕まえて言った。


「というわけなんだ。ルーディック」


「ここまで来て、話す事も出来ないって事?」


「残念だったね」


 アルノルトは小さく手を振った。


「それはないよー」


 ユッテが通りすがりざま囁き声で言った。


「あっち行ってて……」


 そしてすぐさま口を閉じて後を向いた。ハルトマンやルードルフとユッテとは親戚に当たるので当然顔見知りだ。年も近いので仲はいい方だ。

 ハルトマンは何か言いたげな目で少し歩み寄ったので、ユッテは目を合わさないようにして、何度も手を払った。ハルトマンは少し傷付いたのかションボリしている。

 アルノルトが苦笑いをした。


「危ない。早々に終了する所だった……。まあ君だって平服で、同じ条件ならいいよ」


「無理だ! エリーザベトは礼儀に厳しいったら無いんだ。ずっと向こうで見てるよ!」


「ご苦労な事だね。では、残念だが、お引き取り願おう」


 アルノルトが貴族風に礼をして送り出すと、ルーディックとルードルフ、ハルトマンの三人は悲しい顔を向けながら去って行った。


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