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ノイハプスブルク城


 メッケンの森からルーツェルン湖を見下ろすように、小さな山上に聳えるノイハプスブルク城。ルードルフ・フォン・ハプスブルクがこの城に帰還するのは久しぶりの事だった。

 振り返れば、ルードルフ一世は神聖ローマ帝国の王の座に就く前から戦続きだった。

 断絶したキーブルク家の遺領を巡って、サヴォイアとの抗争が続いていたし、居城のあるアールガウと旧領アルザスを塞ぐ要衝のバーゼルを手中にするため、包囲戦を起こしてもいた。その戦いの最中に、突然に皇帝に指名され、何の冗談だと聞き返した事は世間にも知られている。

 そうして即位をすると、それに反対した大国のボヘミア王オタカル二世との戦争が始まる事になった。

 もともとアルザス一州と小さな飛び地の小領主に過ぎないハプスブルク家が王に選ばれたのは、神聖ローマ帝国に長らく王の空位が続き、教皇派と、それを囲い込むフランスとブルグントが権威を増大する中、対抗していた皇統派としては取り急ぎでも神聖ローマ帝国を統合に導く王の存在が必要とされていたからであった。

 選帝候と呼ばれる五人の貴族と二人の司教は、教皇との対立が少なく、前王家からゲルトルートが嫁いでいた小領主のハプスブルク伯を選んだ。

 すると当時東欧を縦断する最大の領土圏を持ち、自ら王に選ばれると自認していたボヘミア王オタカル二世は、ハプスブルクを貧乏王だと軽んじて叛意を表し、圧倒的に不利な戦争が起こった。この戦争には伏兵の奇襲を以て勝利したものの、その出費はとてつもなく大きく、戦乱に国土は荒れ、天候による飢饉も起こり、常に財政難に見舞われていた。

 国情の不安定さのためか、先王と教皇派の対立のためか、ルードルフ王はローマ教皇よりの戴冠もまだ得られていなかった。

 教皇からの戴冠がなければ、正式には皇帝を名乗る事が出来ず、単にドイツ王ということになってしまう。教皇よりの戴冠と、その箔付けのための王領の拡大は、王家のためにも、神聖ローマ帝国の安定維持のためにも火急の課題だった。

 最近のルードルフ王はオーストリーの平定を済ませ、オーストリーを王領に組み入れることを得て、まだ十三歳の息子のルードルフ二世をオーストリー公に任じた。

 そしてそのすぐ後には、バーゼルとブルグント圏を支配下に入れるべく、ポラントリュイ包囲戦へ打って出、ルノー卿の降伏を得た。それより以前からバーゼルにはちゃくちゃくと工作者を送り込んで多数派工作をし、息の掛かった司教を就任させていた。ルノー卿はそれを糾弾し、その不正を審問していた張本人だった。

 この降伏はブルグント公国の援軍が無い事で決定的となったが、その理由の一つがブルグント公女であるイサベラの身柄を確保した事であったと言って良い。

 王軍は次には再びサヴォイア領にも進軍した。サヴォイアの保護国であるベルンやムルテン周辺のブルグント同盟都市へも進軍し、城を包囲して長期戦になるのを見届けて、ノイハプスブルク城へと帰って来たのだった。

 そんな中で届いたのは、ゲスレルがもたらしたウーリの動向だった。


「王陛下。ウーリの住民への説明をして参りました」


「うむ。首尾良くいったか」


「彼らの流儀に合わせ、青空会議をして詳細に話し合いをしたのですが、守護権、抵当権は無効だと証文を挙げて反証するものがあり……ウーリは特許状を盾にして、帝国代官領に入ることを拒んでいます」


「しっかり説明したのであろうな。その者の名は?」


「それは分かりません」


「分からないでは話が進まぬではないか!」


「申し訳ございません……」


 そこへ王の横から王子のアルプレヒトが出てきて言った。


「その男の名はブルクハルト・シュッペル。ビュルグレン村の管区長です。その家に多くの証文が残っていたようです」


「アルプレヒト。そなたはまた町へ出て調べておったのか」


「はい。これも、王家の努めです」


「そなたの抜け目無さには参ったわ。で、その男は何と申しておる?」


 ゲスレルは答えた。


「守護権については、ウーリは聖母聖堂に土地を預けているだけで、引き上げればその領地権の殆どは無効であり、納税義務はないと。また、抵当権については分担金を支払い済みの上、先王の負債は王陛下自身の継承となり、借金は完済していると申しており、抵当権に由来する管理権や代官の権利などは自治権によって多数決で決定し、却下だと主張しております」


「むう。小賢しいな。やはり王領下となることを拒否しているという事だな」


「いかがいたしましょう?」


 少し考えて、ルードルフ王が口を開いた。


「実はラッペルスヴィル女伯はホーンベルク伯の猶子を婿養子にしたようでな。権利の回復を願い出て来た。あのホーンベルク家なら縁戚でもあるし、旧領主に戻る形であれば穏当だ。民心も収まろう」


 アルプレヒトが驚いたように言った。


「アインジーデルン修道院からは守護権者をザンクト=ガレン修道院の指名者に任じて欲しいと要望が来ていましたが」


「修道院の要望は尊重せねばならんな。ならば、双方で争わせてから上手く言って取り上げるとしよう。守護権とは領主権に匹敵するからな。ウーリには帝国代官領の面目は外さぬことだ。後で回収出来るようにのう」


「賢明なるご采配です。しかし民衆を煽動する輩を放っておいて宜しいものでしょうか」


「ならば有効な権利を行使するか。言うことを聞く管区長を用意すれば良いのじゃ」


「さすがは王陛下。しかし、このことは青空会議として聞いて決定を行いましたので領民全体に周知されている事です。自治の州ですので一人変えるのみでは収まらぬかと存じます」


 王子のアルプレヒトが進んで言った。


「確かにその者は町民の信任も厚く、反感をさらに煽る結果となりましょう。ただでさえ民衆は王家に反発している状況です。それに足る面目が無いことには反乱になりかねません。ただでさえオーストリアの統治も落ち着かず、さらにはサヴォイアとブルグント都市同盟との係争中……不安定な事態は教皇派に付け入られる恐れが」


 老王はアルプレヒトと目で頷き合った。


「そうじゃのう。今事を荒立てるとまずい。泳がせて周囲を洗い、面目を見つけるのだ」


「は!」


「シュウィーツの方はどうじゃ」


 ゲスレルが答えた。


「シュウィーツにも徒党を組んで反抗をしているシュタウファッハという管区長がおり、ひどく難航しているのです」


「では、そちらもその線で行くかのう」


「仰せのままに」


「やれやれ、円満にわが領となったのはオプヴァルデンのみか。隣のニートヴァルデンに逃げ延びる者も多かったという事だが、こちらはラウフェンブルク家が噛んでいるから手を控えざるを得まい。オーストリーも戦勝で割譲は早かったが、平定には相当苦労をしたしのう」


 アルプレヒトは王に囁いた。


「オーストリーの領土は反乱の分子もおりますし、未だ不安定です。しかし、良いのですか? 年少のルーが公位では反乱の理由を与えるようなもの」


「反乱が起こるなら早いうちの方が収め易いのだ。ルーも次代の王として鍛えねばならんしのう」


「それは深謀遠慮、私には考えも及びませんでした」


 アルプレヒトは少し苦い顔をした。次代の王という言葉に。


「しかしオーストリーは二世に任そうと思っていたが、まだ荷が重いか」


「城内は常に不穏です。その為かルーと来たら領民との友好を称して外に出て遊んでばかりおります」


「そうか。ハルトマンを亡くして、二世に後継を譲るしか無い所なのだが、まだどうもいかん。アルプレヒト、いざとなればお主に預けるからのう」


「ありがとう御座います」


「ウルゼレン一州はもう任せてあるな。あそこは峠しかないが、イタリアと接する国境の最大の難所だ。高い通行税を取れよう」


「有難き次第です」


 アルプレヒトは狡猾で有能ながら、オーストリーでは補佐役、領としては辺境の小領地しか与えられていない。

 働き盛りの長男であるのに、この遇は不自然極まりない。

 弟のルードルフ二世はまだ十三歳で遊んでばかりだというのに、オーストリー公の地位を与えられ、後継の地位さえ決まりつつある。

 この格差は普通なら理解し難いものがある。アルプレヒトには生母が違うのではという噂が根強かった。

 アルプレヒトは言った。


「ラウフェンブルク一派も新たにキーブルク家を起こすことになり、旧領を要求して来ております。加えて周辺国を取り込み派閥を作っているようです。これも危険な徴候です」

 

 ルードルフ王は唸った。


「アンナとエーバーハルトの奴め、育ててやった恩を忘れおって。しかし国内でもまだ反乱しかねん諸侯があちこちにおるので安心出来ぬのう。王とは因果なものだ。ささいな事で内戦をし、その領を攻め取っているのじゃからな。願わくばウーリやオーストリーでまた内乱となる事は避けたいものだ」


 そこへユッテが入って来た。


「おかえりなさいませ!」


 ルードルフ王は途端に好々爺の顔になった。


「おおユーディッタか」


 それを見てゲスレルは「ではこれにて」と言って退室して行った。

 アルプレヒトはユッテに勝手に入るなという目を向けている。


「御父上様、ご機嫌斜めですの?」


「いやいや、そんな事はないぞ。そなたに御父上様と呼ばれるのは久しぶりじゃ」


「よかった。ご無事に戻られて私は嬉しいです」


 ユッテは少しスカートを持ち上げて言った。


「ありがとう。ユッテの顔が見れて私も嬉しいよ」


「御父上様、一つお願いがあるのです」


「何なりと申すが良い」


「イサベラをもう自由にしてあげて」


 イサベラはノイハプスブルク城の一室に軟禁状態だった。

 イサベラが捕らえられた事が影響し、ブルグント国境の都市、ポラントリュイに籠城していたルノー・フォン・モンペルガルドは降伏し、すでに戦争は終結を見せていた。サヴォイア周辺領への包囲戦は尚も続いていたが、イサベラを軟禁している理由はもう少ない。


「イサベラ王女はもう閉じ込めてはおらんぞ。大事な人質……いや、大事な賓客としてだな、警護を厚くしているのじゃ」


「ホント? じゃあもう入り口で護衛達に止められる謂われは無いのね?」


「そうだな。もう自由放免でいいだろう。どうだアルプレヒト」


「……ユッテに甘いのは判っています。いいでしょう。しかし間違いがあってはならぬ故、護衛の言う事は聞くのだぞ」


「はい! ありがとうお兄様」


「護衛には言っておく」


 アルプレヒトは忙しなさそうに向きを変え、退室して行った。

 ユッテは父の近くにさらに寄り、見上げるように言った。


「御父上様。もう一つお願いがあるの」


「まだあるのか」


「ウーリの自治州を私は気に入りました。今度お祭りがあるの。また行って来てもいい?」


「ウーリへか! しかしどうしてウーリなのじゃ。あそこは少し不穏な分子がおると今話しておったと言うに」


「私はあの高原の牧場が大好きなの。景色は天国のように綺麗で、羊達もかわいいし、人々も親切だし、自治の在り方も素晴らしいわ。お母様もあそこに行った事があって、良い場所だったと言っていたの」


「そうか。ゲルトルートも確かにそうだったな……。そんなにお気に入りか。では、ウーリを王領にした後に城を建ててやろう」


「本当? うーん、でもダメです!」


「ダメとは何故じゃ」


「そんなことしたらあの自治州の良さが無くなってしまいます。春のお祭りでは皆が集まって本当に楽しそうでしたわ。そのままのウーリが良いのです」


「なるほど。もちろん自治州には前王の特許がある。それは儂も尊重しておるぞ」


「自治だからこそ皆が楽しい場所が出来たのです。それを壊してはあちこちで怒る人が出て来るのは道理でしょう? 一度は石を投げられたりして、だんだんそこへ入るのも心安く無くなって来てるんです」


「そうか。そなたにも一理あるわい。実際にその場所へ行って様子を見てくることも役に立つものだな」


「そうでしょう? だからまた行かせて」


 老王は首を振りかけたが、しばらく考えてから言った。 


「……判った。可愛い子には旅をさせよと言う。見聞を広めるのも王家の努めと言うものだろう。名前は出さないよう行って存分に見てくるが良い。そして、ウーリの事を後で儂にも教えておくれ」


「はい喜んで。御父上様」


「しかし、ウーリでは不穏な動きが有るのは聞いたな。くれぐれも身の安全を考えるのだぞ。危険は自らの判断で避けるようにな」


「はい御父上様。ありがとう御座います」


「若い頃は儂もあちこちを旅したものだ。ローマはもちろん、イスパニアからエルサレムまでな」


「まあ。エルサレムにまで行かれたことが?」


「前王のフリードリヒ二世は交渉のみでエルサレムを勝ち取られたお方じゃ。その時にお供をしたのがこの私だ」


「まあ素敵。御父上様は大変ご健脚でいらしたのね」


「若い頃はそりゃあ健脚だったわい」


「今もそのお年で戦場へ行かれる程ご健脚ですものね」


「時に危険なところを歩むのも国を護る者の努めだろう。だが内乱とは悲しいことだ。誰をも信用出来なくなる。儂はユーディッタには安全な所にいて欲しいと思うあまり、まともに外にも出してやれなかったようだ。ゲルトルートに先立たれてからは、ユーディッタには寂しい想いばかりさせている。我が本意ではない。許してくれ」


「いいえ。今はイサベラがいるもの。寂しくなんてないわ。そうだ。イサベラも一緒にウーリに行ってもいい?」


「イサベラ王女もか! 城の中で遊びなさい。城の外は駄目だ」


「さっきは自由にしてくれるって! それにブルグント名家のお姫様に悪い事したら未来の私逹がその国に恨まれて戦争になるんだから。イサベラは大の仲良しなの。ウーリの人とも仲良くなったの。仲良しで歩むならば戦争にならないわ。お願い」


「うむむ」


 ユッテの捲し立てる言葉に、老王は頭を抱え、降参を宣言した。


「負けたわい。未来を担うのはそなたらだユーディッタ。そのやり方も良かろう」


「やったあ!」


 ユッテが諸手を挙げて喜ぶと、老王は不本意ながらも顔を綻ばせた。


「そう言えばイサベラ嬢はルードルフ二世との婚約には至らなかったようだな。惜しい事だのう。決まっていれば此度の乱戦にも納まりが着いたろうに。アネシュカ嬢との婚約が先日内定したところだ」


「兄様が悪いんです。かくれんぼして見合いの権利を決めるなんて言い出すから」


「うむ。親同士で勝手に結婚相手を決められるより、かくれんぼでもして偶然出会ったような形を作りたかったんだろうのう」


「意外! 兄様はロマンチストなのね。でも、元は敵だったアネシュカがお義姉様なんて嫌よ。イサベラがお義姉様なら良かったのに!」


「そうかそうか。しかし政略結婚は王道の常だ。相手はボヘミア王の忘れ形見だ。オーストリーの平和裏の統合のためにはそれも良かろう。以前に婚約披露を済ませておるしのう」


「私も……私も同じなの?」


「そうだな。ユッテの場合、同じとは言わん。オタカルの息子との婚約も戦争前に決めていた事だが、プシェミスル家の帝国アハト罪で一度はご破算になった。誰かさんに言われてつい先日にその罪は赦免したのだがな。プシェミスル家との婚儀ではルードルフ2世とアネシュカ嬢の婚約が決まっておるし、ユッテ、お前はまだ他の者に嫁いでも良いのだ。もっともその前に婚儀を決めてしまうかも知れんがな」


「じゃあ私、城の中に閉じ籠もらず、もっと多くの殿方に会わなければいけませんわ」


「これからはもっと外に出すように言っておこう。大いに旅をして広く交誼を持つがいい。広い人脈こそがいずれそなたを助けるであろう」


「ありがとう御座います。御父上様。後でお土産話してあげる」


 老王は髭を撫でて笑った。

 それは孫を愛でる好々爺のような顔だったが、内心ではどこに嫁にやると一番いいかを考えていた。


すでにお気付きとは思いますが、かなり史実に沿って、史実であろうという仮定を補完して物語は進んでいます。時々長めに歴史の話が入りますが、イントロのようなものなので、知らなくていいという方は飛ばしてもあまり影響はありません。あしからず。因みにその歴史のくだりは日本の書籍にはなかなか無い情報を立体的に短く述べてありますですハイ。

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