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帝国代官領


 ヴァルターはビュルグレン村まで田舎道を登ってやってきた。そして村長の家に行き、アルトドルフの広場の騒動を伝えた。


「とうとうハプスブルクが乗り出して来たか!」


「五日後にアルトドルフで発表があるそうです」


「こうしてはいられない。ブルクハルト……いや」


 村長はブルクハルトのところへ行こうとしたが、立ち止まって今度は教会の方へ行こうとし、また考えては違う道へ行こうとした。


「村長! 落ち着いて。まずは落ち着いてどこへ行くか決めましょう」


「これが落ち着いていられるか! うーん。まずはそこのヘンゼルのところへ行く」


 年に似合わぬ早歩きで出て行く村長をヴァルターは追いかけた。

 ヘンゼルは村長の家の近くに住み、村一番の長老で、村長にとって一番の相談相手と言えた。

 ヘンゼルは家の軒先の椅子に座っていて、こちらに声をかけてきた。


「やあ。村長。慌ててどうしたんだね」


 村長はヘンゼルにアルトドルフからの急報を告げた。

 ヘンゼルは沈痛な面持ちでそれを聞いた。


「ハプスブルクがそんなことを言い出しおったか……」


「そんな借金の分担金がまだあったなんて知っておったか?」


「ああ、前村長だった親父がよく勘定しながら、土地の分担金が大変だと言っておった。しかしウーリが分担した分は確かもう払い切ったと聞いたがのう」


 ヴァルターが身を乗り出して聞いた。


「何か証明出来るようなものは残ってないんですか?」


「元々前の王の借金だからこちらに借用書は無い。借金を残した前王も死んだんじゃあ、もう内容を覚えている者もおらんだろうしのう。そんな昔のことを持ち出してくるとは、ハプスブルクも本気なんじゃのう」


「教会へ行ってみよう。何か残っているかも知れない」


 村長はヘンゼルも連れて教会へと向かった。

 教会へ着くと神父を呼び出し、掲示板のことを告げた。


「それは大変なことになりました。ですが村長、お二人にはくれぐれも事を荒立てないよう慎重にお願い致しますよ」


「ところで神父、立て札に書かれていた分担金のことだが、昔、王に納めていた分担金についての文書は残っていないか」


「調べてみましょう」


 神父は書庫へ行って古い文書を探してみたが、それらしいものは無かった。


「あいにく教会関係の文書しか残っていないようです。代々続いている管区長のところになら、そうした文書があるかも知れません」


「ブルクハルトの所か」


「ええ」


 ヘンゼルは難色を示した。


「あいつはハプスブルクと通じているかも知れんからな」


 村長はそれを諫めて言った。


「そう言うな。あいつは村の為に良くやってくれているじゃないか」


「下働きから聞いたが、あいつのところにハプスブルクの馬車が止まったのは本当らしい」


「そうだったか。しかし、奴のことだ。何かの交渉に動いているのかも知れないぞ。それだけで裏切り者扱いしてちゃあ、この後団結して乗り切れまい。この機会だ。お前さんも一緒に来てその件を聞いてみるがいいさ」


「そうさのう。そうしてみるか」


 村長はヴァルターとヘンゼルを連れ立って、ブルクハルトのいる牧場へと向かった。

 ブルクハルトの家に向かう道すがら、道から外れた草原を歩く老婆の姿が見えた。


「あれはサビーネじゃないか。おーい」


 サビーネは村長を振り返り手を振った。


「やっぱりサビーネじゃないか。そんなところで何してるんだ」


「孫にこの方が近道だと教わってねえ。道は悪いが確かに近道なようだよ」


「儂等もブルクハルトのところへ行くところだ。一緒に行こう」


「そう。じゃあこっちに来るがいいよ」


 村長達は道を隔てている柵を恐る恐る越え、サビーネのところへ坂を登って来た。

 村長はサビーネに言った。


「年寄りにはこの道はきついよ」


「柵を越えるのもな」


 ヘンゼルとヴァルターは肩で息をして村長の後に付いて来た。


「なんだい。大の男がそろって情けないね。私がこんなピンピンしてるってのに」


 村長はサビーネとヘンゼルを見比べて笑った。


「違いない。それはそうと、ブルクハルトのところへハプスブルクの馬車が来たって聞いたが知ってるかい?」


「ああ。聞いてるよ。なんでも白亜の豪華馬車だったらしいよ」


 ヘンゼルは呆れたように言った。


「ハ! ブルクハルトはいつの間にハプスブルクのご用聞きになったのかのう」


「それは違うよ。孫に聞いたんだが馬車に乗っていたのはブルグント公爵の娘さんだそうだ」


「そらみろ、どうして貴族の娘なんかがここへ来るんだ?」


「なんでもアフラの見舞いだとか。良くこの辺には来るらしいよ。それでアフラとは顔見知りになったらしい。でも家の人で門前払いにしたらしいよ」


「出任せじゃないだろうな」


 サビーネはヘンゼルの眼前に迫って言った。


「ヘンゼル! 何の理由でそんなにうちの子を疑うんだい? 村の為に毎日あんなに駆けずり回ってるってのに。だいたいね。ハプスブルクの王族が公用でここに来るんなら馬車一つだけで来るわけはないよ。しかも門前払いにしたんだろ? それなのに村のリーダーを疑うなんて。批判ばかりして村の団結を乱してるのはそっちなんじゃないかい? うちの孫に嘘は無いよ。家には病み上がりの子がいるんだ。疑うんならここで帰っておくれ!」


「まあまあ。サビーネ。ヘンゼルも村を心配するあまりのことだ。本気でブルクハルトが裏切るとは思っていないさ」


「あいつが……ハプスブルクの犬になられちゃ困る。それだけさ」


「そんなのなるはずがないだろう! でなきゃあんな酷い病気のアフラを置いて毎日忙しく出て行くもんかね!」


 村長は朗らかに笑った。


「サビーネが言うと説得力があるのう。ヘンゼル。これにはお前さんの疑い深さも折れたろう」


 ヘンゼルが急にしおらしくなって言った。


「ああ。変に疑ってすまん」


「ブルクハルトに用事ってそのことだったのかい?」


 村長が首を振って言った。


「ああ。いやいや、そうじゃない。実はこの人が知らせてくれたんだが」


 村長がヴァルターを差すと、サビーネはその顔を見て首を傾げた。


「ヴァルターさん? 一体どうしたんだい」


 ヴァルターは遠慮がちに口を開いた。


「アルトドルフで騒動が持ち上がってな。ハプスブルクがウーリに帝国代官を置く発表をしに広場に来るらしい。それをブルクハルトに伝えに行くところさ」


「そんな大変なことになってるのかい?」

 

 サビーネは目を丸くするよりない。

 村長が首を振って言った。


「残念ながらのう。ブルクハルトが血相を変えて走り回っていたのがよく判ったよ」


「あの子がアフラを放って歩き回るわけね。今日は共同牧場にいるって言ってたけど」


 サビーネの手が差したシュッペル家の牧場小屋の方へと一同は足を向けた。




「カリーナ。いるかい?」


 サビーネの声でカリーナが玄関へ出て行くと、サビーネが老人達を連れてぞろぞろと家に入って来た。


「お義母さん。どうしたんです?」


「ブルクハルトはいるかい?」


「今牛舎の方です。呼んで来ますね」


 ヴァルターは手紙を渡して言った。 


「そうだ。ついでに駅舎に届いていた手紙を持って来たのさ」


「ありがとうございます。では客間でお待ち下さい」


 カリーナはお客の案内をしてからブルクハルトを呼びに出て行った。

 サビーネと村長もそれを追って出て行った。

 アフラとマリウスは二階にいて、それを覗いて「やっぱり大騒ぎだ」と頷き合った。

 ブルクハルトは牛舎の小屋の手直しの点検をしていた。点検というのは簡単そうだが、アーマンは管理する仕事なので、実際の補修は誰かに依頼する事が殆どで、多くの仕事は点検調査から導かれる再設計で、それは実に重要な仕事でもある。

 ちょうど作業が済んだ頃、カリーナに呼ばれた。


「お父さん」


 呼ばれて行ってみると、カリーナの後からサビーネと村長も続いて牛舎に入って来る。


「ブルクハルト! いるかい?」


「母さん。村長も! 揃ってお出ましでどうしたんです」


「いやいや大問題だよ。ハプスブルクの件でね。ちょっといいかね」


「客間にお客様が待ってるの」


 ブルクハルトが客間にやって来ると、深刻そうな顔でそこに座って待っているヘンゼルとヴァルターを見て顔面蒼白になった。


「もしやあのことを……」


「もう心当たりが?」とヴァルターは目を丸くする。


「ハプスブルクが来たことなら、勝手に来たんだ。わしゃあ知らん。わしゃあ知らんぞ!」


 ヘンゼルとヴァルターは顔を見合わせた。そしてヘンゼルはぶっきらぼうに言った。


「それはサビーネにもう聞いたさ。そんなことより大変なんじゃ。この人がアルトドルフから知らせてくれてのう、アルトドルフの広場で大騒動になっているそうだ」


 ヴァルターは頷いて言った。


「大騒ぎする程大変なんで。広場に立て札が立てられていて、それによると五日後ハプスブルクの官吏が来て、ウーリを帝国代官領にして代理執政官を置く発表をするようなことが書いてあるんでさ」


「何! それは本当か!」


「嘘でこんな所まで来ませんって。とりあえず急いで皆に知らせようと動いてるのさ」


「しかし、我々には前王から貰った自治の特許状がある。王とは言え今更撤回なんてことは出来ないだろう」


 そう訝しむブルクハルトに村長は言った。


「それがのう、ハプスブルクは昔の王の借金の抵当権を持ち出して来た」


「抵当権?」


「そうじゃ。先王はハプスブルクにたいそうな借金があってな。抵当としてこのウーリを入れていたらしいのじゃ。その借金をどうやら残したまま死んだらしいが、詳しくは誰も知らんのじゃ」


「そんな誰も知らないような昔のことを持ち出して来たのか。儂等は知らんと突っぱねればいいんじゃないか?」


「しかしこのヘンゼルが、前の村長が分担金を納めていたことを覚えておってのう」


「それでヘンゼルさんが……てっきりまた言いがかりを付けに来たと思ったよ」


「わしゃそんな強情っぱりじゃないわい。今はそんな場合じゃない。お主のところに爺さんの代の税の帳簿が残ってないか? 儂の親父と一緒に税を集めて教会に納めていたはずなんじゃ」


 ブルクハルトは少し考えて言った。


「この家が出来たのは親父の代だから、爺さんの頃はここではなく、今の母さんの家に住んでいた。あそこの公邸の奥には古文書が置いてあったはずだ」


 村長達は顔を見合わせて言った。


「やれやれ。じゃあとんぼ返りか……」


 ブルクハルトは席を立って言った。


「馬車を出すよ。急ごう」


 ブルクハルトの馬車に揺られ、村長達一行は元来た道を折り返した。

 教会の近くにあるサビーネの家までは下り道、行きに比べればあっという間のことだった。

 サビーネの家は二棟に分かれていて、一棟は城壁のような石積みの四角い建物だ。その建物はブルクハルトが父から継いだ公務の場所でもある。

 一行を招き入れたブルクハルトは、早速資料室を開けて古文書を探した。


「村長、これを見てくれ」


 ブルクハルトは一つの紙を開いて言った。


「これは先王フリードリヒ二世の代理として王子ハインリヒ七世が発行した特許状の写しだ。特許状にはしっかりとこう書いてある。『これによって諸君らをハプスブルク伯ルードルフの占有より買い戻し、解放した。今後は授与によってであれ、担保としてであれ、諸君らを手放すことをせず、永久に我々帝国の奉仕のために保持し、保護することを約束するものである——』ハプスブルク伯ルードルフよりの解放、こう約束されている」


「うむ。そうじゃ。特許は王との約束じゃて」


 ヴァルターはそれを見て言った。


「しかしさ、今は『我々帝国の奉仕のため』というのはハプスブルク王家になるんじゃないですかのう?」


「うむむ? そうなるのか?」


「だから王位が安定した今になって手を出して来たんじゃろう……」


 村長が腕を組んで考え込むと、ヴァルターも言った。


「だとすると『永遠に我々帝国の奉仕のために、保持し、保護する』と書かれているから、向こうに有利にもなる可能性がありまさあね」


「この特許状は自治の権利と共に、王の権利も立証されてしまう書き方だったと言うわけだ。この文書では決め手にはならないな。じゃあ、こっちを見てくれ」


 ブルクハルトは紙の束を一つ開いて言った。


「爺さんの代で納めた毎年の税の帳簿だ。ここに分担金とある。やはり毎年分担金が納められていたようだ」


「そうか。やっぱりあったか!」


「しかし、これではどれくらい借金があって、どれくらい帳消しになったのか……皆目見当が付かん」


 ヘンゼルは昔を思い返すように言った。


「いつかワシの親父はなあ、分担金はもう全て払ったと大喜びしておった。それを聞いた村人も借金は帳消しだと思っておった」


「それが実は先王には残っていたと……」


 ヘンゼルは頷きつつ言った。


「そうだ。王のところの借用証書を見ないことには、その額がどれくらいかは判らん……王も代わったことだし借用証書もハプスブルク本人のところじゃあ信じられたものではないがのう」


 ブルクハルトは神妙な顔つきで考え込んで言った。


「待てよ。借用証書は王宮か……。それだ!」


 ブルクハルトがヘンゼルを指差したので、その先を追った村長はヘンゼルと顔を突き合わせた。ヘンゼルはさも判らない風に言った。


「それって何じゃい?」


「ヘンゼルさんは今良いことを言ってくれた! これなら対抗出来るぞ!」


「一体どうするんだい?」


「前の王の借金なら、今の王に返す義務があるだろう! その証拠に借用証書はここでなく、王のところだ! 我々が返す道理は無いんだ!」


 村長とヘンゼルは考えあぐねていたので、ヴァルターが言った。


「今の王ってのはハプスブルクという事か!」


「そうだ! そうだとも!」


「こりゃあたまげた。王が王自身に返すというわけだ」


「そうだ!」


 村長は膝を打って言った。


「それは道理じゃ!」


 ヘンゼルもこれには相好を崩して手を差し伸べた。


「さすがは村を守る管区長だ!」


 ブルクハルトは笑って、ヘンゼルと握手をした。


「ようやく判ってくれたようだ。私こそは村の守護者だ」


 村長はブルクハルトの肩を叩いて言った。


「こういうことには智恵が回るのう。ブルクハルトは」


 ブルクハルトは少しはにかんでから言った。


「こうしてはいられない。アッティングハウゼンさんのところへ行ってこの話を詰めておくとしよう」


 ヴァルターが「いるところに案内するさ」と言って頷いた。

 一行は再び馬車に乗り込み、アルトドルフへ向かった。

 アッティングハウゼンのいるアルトドルフの駅舎に入ると既に多くの人が集まっており、対策を話し合っていた。

 そこへ割って入ったブルクハルトは善後策を発表した。その話が賞賛を以て受け入れられたことは言うまでも無い。



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