追跡行
集合場所になっていた馬車の所にはアフラとマリウス、ジェミ逹が待っていた。
アフラは手を振って言った。
「あー。やっと来た。アニエスさん、ユッテさん。何かあった?」
「焚き火が倒れたの。怖かったわ」
「イサベラがあそこで転けるから大事になったのよ」
「あら、悪いのは私?」
不服げに言うイサベラの声に一同は笑った。
不意にアフラのお腹が鳴った。
「お腹が……。私そう言えば何も食べてないんだもの」
「お部屋にまだお料理が沢山残っているわ。皆さんで少し寄っていらして」
一行は再びユッテのホテルへと向かった。
道中もイサベラとユッテが焚き火が倒れた顛末をアフラに語って聞かせ、話は弾んだ。
ホテルの前に着くと予想通り護衛がいたが、その隣には豪華な衣裳の宮廷貴族が加わっていた。
その三人が顔色を変えて駆け寄って来た。
ユッテはまた護衛を付けずに出てうるさく言われるかとうんざり顔をした。
しかし、宮廷貴族達はユッテを素通りし、イサベラを取り囲んだ。
「貴女様はブルゴーニュ公女イサベラ様でございますね?」
宮廷貴族にじろりと顔を覗かれ、イサベラは顔色を青くした。
「ええ。そうです」
「ご同行願います」
ユッテは即座に言った。
「駄目よ! まだパーティーがあるの。後にして」
「そういう事ですの。あっ」
護衛達は無言でイサベラの腕を掴んだ。
護衛のもう一人がその向こうの腕を掴み、そのままイサベラを連れて行こうとする。
「どこへ連れて行くの! 誰の命令よ」
ユッテは護衛を止めて言った。
「王命です。お聞き分け下さい」
「まさか!」
ユッテは追う足を止めて項垂れるのみだった。
イサベラはホテル玄関口のロータリーに止めてある馬車へと連れて行かれた。
「待て!」
アルノルトがその馬車との間に立ち塞がった。
「行かせないわ」
アフラもアルノルトの隣に割り込んで両手を広げた。するとマリウスやジェミもその間に加わった。
「何で連れてくの!」
護衛達は狼狽えて言った。
「道を空けろ!」
「イヤだ!」
「空けろって言ってるだろう。この土民ども!」
護衛はアルノルトとアフラを掌で突き倒した。
子供逹は煽りを食ってぶつかり合って転がった。
「聞き捨てならないな」
エルハルトが後ろから護衛二人の襟を掴んでいた。
そして引っ張り上げ、同時に半ば持ち上げた。
首が吊られたような格好になり、護衛は悶えた。
「ここは自治の国、ウーリだ。余所者が来て非道を行えば排除する約定だ」
エルハルトは振り向こうとあがく護衛二人の頭と頭をぶつけた。
護衛逹は昏倒して地に転がった。
自由になったイサベラは、倒れたアフラとアルノルトに駆け寄って、助け起こした。
玄関にいた宮廷服の貴族がサーベルを抜いた。
「蛮勇は為にならんぞ。暴徒は斬っても良いのでな」
エルハルトの動きが止まった。倒れていた護衛は立ち上がり、同じくサーベルを抜いた。
エルハルトもサーベルには敵わない。お手上げのポーズだ。
「兄貴!」
アルノルトが駆け寄ると、サーベルはアルノルトに向いた。イサベラが叫んだ。
「行きます!」
全員の動きが止まった。
「私は行きます。剣を収めて。迷惑を顧みず……ごめんなさい」
後半の言葉は誰に言ったのだろう。歩いて来たイサベラは貴族の前まで進み出た。ユッテがその隣に立って言った。
「あなた、私の友達に剣を向けるの?」
ユッテに凄まれて貴族達は慌ててサーベルを鞘に収めた。
「私も一緒に行くわ!」
ユッテがそう言うと、恭しく馬車の扉を開け、案内に立った。
「どうぞお乗り下さい」
イサベラは言われるままに馬車に乗った。続いてその隣にユッテも乗り込む。
「待って!」
アフラが声を上げたが、ユッテは諭すように「大丈夫よ」と返した。
すぐ扉は閉められ、勢い良く馬車が発した。
「イサベラさん! イサベラさんが連れてかれる!」
アフラが数歩行っては帰りしているうちに馬車は速度を上げて去って行く。
「くっ!」
ここでアルノルトは誓いを思い出した。イサベラに守ると言った誓いを。
不意に全身に力が溢れた。
俄然足は馬車を追って走り出す。
「アルノルト! もうやめとけ!」
エルハルトの声にアルノルトは一瞬止まり、振り返ったが、その目の決意は固い。
再び全速力で走り出した。
「しょうがないな」
エルハルトもそれを追って走った。
アルノルトの足は速い。
下りの坂道の石畳を大股で踏み超えて、道に突き出た石を避け、看板を避け、走り、跳び、走り、その町並みの向こうに見える馬車を追いかける。
馬車は次第に近付いて、アルノルトが手を伸ばせば——手に触れた。
しかし掴む所が無く、アルノルトはそこに手を突いたまま走るより無かった。
その音に馬車の後部の小窓を開けて顔を出したイサベラは驚いた。
「あっ」
アルノルトは目で合図し、前を指差した。イサベラはそっと体を引いた。
それは気が付かないフリをしてという意味だと何故か判った。
後から走って追い付いて来たエルハルトが声を掛けた。
「肩を貸せ!」
アルノルトは頷き、馬車に両手を突いた。
エルハルトは跳んだ。
アルノルトの肩に足を掛け、窓に足を掛け、車体を駆け上がったエルハルトは馬車の屋根にしがみついた。
屋根の音に気が付いた御者は速度を速めた。
そのまま広場に出るとまだ人が多くいて、暴走する馬車は危うく人を轢きそうになりながら蛇行し、エルハルトはその揺れで振り落とされ、身を丸くして転がった。
「イテテ」
「大丈夫? 兄さん!」
アルノルトが駆け寄って見れば、あちこち擦りむいている。
広場ではルーディックとブルクハルト、そして細身の騎士が話し込んでいた。
「エルハルト!」
ブルクハルトはエルハルトを助け起こした。
「一体どうしたんだ!」
アルノルトは今あった事を話そうとしたが、のど元で止め、ただ去って行く馬車を指差した。
その馬車の窓からは、イサベラが顔を覗かせていた。
「連れ去られたんだ! ルーディック! 馬車を出せないか」
走り去って行く馬車を見て、ルーディックは跳ね上がった。
「いいとも。僕も行く。ピエールさん馬車をお借し願えますか」
「ああ! 私が御す。乗るがいい!」
ピエールが焼け焦げた馬車に乗って手綱を取ると、ルーディック、そしてアルノルトが飛び乗り、すぐ鞭を入れて馬車を発した。
「兄さんを頼むよ!」
残されたブルクハルトはエルハルトを介抱しながら、右往左往するのみだった。
「馬車に姫が乗っていた。追うんだろう?」
ルーディックには迷いが無い。
「ああ、そうだ。もっと跳ばしてくれ」
そう急かすアルノルトにピエールが言った。
「何があった」
「王家の手下に連れて行かれた」
「王家? そりゃあまずいな」
「身のためにならなければ引き返すかい?」
「私は見過ごせない」
「ルーディックはどうだい?」
「君は、黙って見過ごしたのか?」
「いや。だから追って来たんだ」
「じゃあ、僕も追わなきゃイーブンにならない」
三人は不敵な笑みを交わした。
「ハイヤッ!」
馬車は速度を増し、しばらく行くと湖沿いの道に出た。
湖畔の草の生い茂る山道に、先行する馬車が見えた。
「あれだ」
ピエールが御する馬車は跳ぶように走り、すぐその馬車に追い付いた。後に付いた馬車の小窓にはユッテが顔を覗かせ、続いてイサベラが見えた。
「どうする?」
「横に付けてくれ!」
ピエールはその馬車の横に出て併走した。
山道なので揺れは相当激しい。
アルノルトは馬車に向かって叫んだ。
「開けるよ!」
アルノルトは立ち上がり、併走する馬車の扉を開けた。
イサベラの顔は驚きと当惑が入り交じっている。
ユッテは笑って席を立ち、イサベラを窓際へ立たせた。
「こっちへ!」
手を伸ばすアルノルトを見て、イサベラは逡巡した。
全速力で走る馬車の危険は以前のことで知っている。それは身を竦ませるに足る記憶だった。
「駄目! 帰って!」
イサベラは激しく言って、一筋の涙をこぼした。
そして身を乗り出して手を伸ばすと、自ら扉を閉めてしまった。
ルーディックとアルノルトは顔を見合わすより無かった。
不意に鞭が鳴った。
前席のドアが開き、護衛が激しく何度も振るう鞭はアルノルトとルーディック、ピエールを叩き、次には馬を叩いた。
高く嘶いた馬は足を乱し、道を外れ、やがて止まってしまった。
「くそ! 馬をやられた!」
三人は取り残され、馬車は走り去って行った。
「痛ッ、腕もやられた」
ピエールの腕には血が滲んでいた。アルノルトが近付いて言った。
「大丈夫かい?」
「ああ。姫に嫌われたようだな」
「多分違う。僕逹の為に行ったんだ。奴らは危険だったから」
ルーディックが赤くなった腕を擦って言った。
「確かに危険だ。イツツッ」
アルノルトもあちこち鞭で打たれていたが、ただ呻くように言った。
「守れなかった……誓ったばかりだって言うのに……」
「そうか。とすると僕もそうじゃないか」
「ああ。情け無いな」
「言ってくれる。じゃあ、もう一度追おうか?」
「イサベラお嬢様は帰れと言った。帰ろう」
三人は元来た道を帰るより無かった。
アルノルト逹を乗せた馬車がアルトドルフ市街の手前まで帰ってくると、広場の入り口で兄妹達が待っているのが遠目に見えた。
エルハルトが大きく長い手を振って、大声で言った。
「おーい。大丈夫か!」
アフラとマリウスも手を振って叫ぶ。
「アル兄ちゃーん!」
「大丈夫だ!」
アルノルトは手を大きく振り返して叫んだ。
ルーディックは言った。
「ご兄妹かい?」
「ああそうだ。じゃあ僕はここで降りるよ」
広場に入るとピエールは馬車を止め、目で頷くと、アルノルトは馬車を降りた。
兄妹達がアルノルトを取り囲んだ。エルハルトはその服のとある箇所を摘まんだ。アルノルトの服は所々が破れていた。
「怪我はないか?」
「イサベラさんは?」
駆け寄って来たアフラがそう聞くと、アルノルトは鎮痛そうに首を振った。
言葉は無かったが、その悲痛さは伝わった。
「彼女は高貴な方だから、きっと丁重に扱われる。乱暴な扱いは受けないよ。大丈夫さ」
馬車からそう言ったルーディックの言葉に一同は少し希望を持ち直した。
アルノルトは努めて明るく言った。
「紹介するよ。こちらはピエールさん。そして隣はルーディック。エリーゼ様の新しいご主人だ。ラッペルスヴィル家を継ぐ事になると言えば判るかな」
「えええ?! そんなご領主様とお友達なの?」
アフラは驚いて目を丸くした。エルハルトも裏切り者を見るような目でアルノルトを睨んでいる。
ルーディックは笑って馬車の席から立ち上がって言った。
「アルノルトとはすっかりお友達さ。ルーディック・フォン・ホーンベルクです。よろしくお見知りおきを」
「こちらこそよろしく」
「馬車をありがとうピエールさん。ルーディック。また村へ来てくれよ」
アルノルトは手を差し出した。ルーディックは嬉しそうな顔になって手を握り返した。
「また来る。僕はここへ来て、掛け替えのないものを幾つも得た気がする。では皆さんお元気で」
ルーディックがそう言うと、ピエールは馬を発した。
そしてシュッペル家の一同は帰途についた。
村への道中、祭りの後だというのに皆押し黙って、まるでお通夜のようだった。




