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約束の場所


 荷馬車に揺られ、ビュルグレン村の広場に着いたアルノルトとシスター一行は、サビーネの家に羊毛の入った篭を持って入って行った。


「サビーネ婆さん。羊毛持ってきたよ」


 サビーネは奥で羊毛を紡いでいて、その手を止めて言った。


「ああ。アルノルトかい。ありがとよ。手伝いに行けば良かったのだけど悪いね」


「ああ、いいよ。人はいっぱい居たから。採りたての羊毛ここへ置いとくよ」


「ああ。ありがとよ。ところでその人逹は?」


「ああ、えーと、ちょっと遠方の修道院のシスターさんだよ。クヌフウタさんとアニエスさん」


「お邪魔致します」


「アニエスです」


 二人は丁寧に礼をしたが、サビーネは訝しげな目を向けた。


「修道服を着てないシスターなんているのかい?」


「ああ。成り行きで牧場を手伝って貰って、修道服を汚しちゃったんだ。遠くて馬車が無いと帰れないんだって。この辺にずっと止まってる馬車とか無かったかな?」


「馬車ねえ。今日は確かによく馬車が通るが……」


 アルノルトはイサベラを振り返って言った。


「もしかして、この辺をうろうろして探しながら待ってるのかも知れない」


 イサベラも目に希望を灯して頷いた。


「ええ。きっとそうだと思います」


「サビーネ婆さん。しばらくここでこの人逹を待たせてあげてもいいかい? 少ししたら馬車が来るかも知れないんだ」


「そりゃまあ構わないよ。じゃあ、そこの窓際の編み物の椅子にでも座って広場を見てるといいよ」


 窓際には背もたれの大きい椅子があり、小さなテーブルもある。窓は幾分大き目で、そこに座っていても外が見えそうだ。


「ここならよく見えます。クヌフウタさん」


 イサベラはそう言ってクヌフウタを振り返る。


「アニエスはここで馬車を見ていて貰えますか? 私は教会と少し相談して来ます。シュッペルさんから沢山ご寄付を戴けると言うので取り次いでいただくのです」


「はい。ではここにいます」


「少ししたら戻ります」


 クヌフウタはサビーネにも目礼をしてから、家を出て行った。

 彼女が広場を歩いて行くのをイサベラは窓から見送った。


「どうぞ気兼ねせず、座って」


 サビーネが椅子を勧めると、イサベラはゆっくりと座った。


「お心遣いありがとう御座います」


「いいえ。ゆっくりして行ってね」


 サビーネは言ってから気が付いた。イサベラはまるで最高級の椅子のように恭しく椅子に座ったことを。


「なんだか村娘風の方がらしくていいね。お姫様にしてはオテンバおっと……」


 アルノルトは危ないところで口を止めた。

 イサベラはアルノルトを覗き込むように少し怒ったフリをしている。

 アルノルトは少し居心地が悪くなり、思い出したように言った。


「サビーネ婆さん。何か買ってくる物はないかい? 頼まれた買い物があるからついでに行って来るよ」


「そうだねえ。じゃあパンを一斤買って来てくれるか」


「わかったよ。じゃあちょっと行ってくる」


 アルノルトは足早に家を出て行った。

 残されたイサベラは外を眺めながら、馬車をしきりに探していた。

 そこへサビーネがジュースを入れて持って行った。


「お口に合うかどうか判らないが、この辺りで採れる山葡萄のジュースさ。飲んで行っておくれ」


「まあ、ありがとうございます。いただきます」


 イサベラは山の作業の後でちょうど喉が渇いていたので、一気に飲み干すような勢いで飲んでしまった。もちろん途中ではしたないと止めたが、甘酸っぱささが口中に広がり、目をしばたかせた。


「甘くておいしいです」


「それは良かった。ところであなたはどこかのお姫様だね?」


 イサベラはどうして判ったのだろうと思いながら言った。


「あっ。私は貴族の出で、修道院に最近入ったんです」


「そうかいそうかい。じゃあ向かいの教会と関係ある方かい?」


「ええ。一度聖歌隊のお手伝いに来たことがあるんですよ」


「これからどこまで帰るんだい?」


「それがエンゲルベルクの方なのです」


「エンゲルベルクって言ったらあの山の向こう側じゃないか。今からじゃあ日が落ちてしまうねえ」


「ええ。それでアルノルトさんがお気遣い下さいまして、馬車で送って頂いたのです」


「そうかいそうかい。あなたはとても正直そうな方だから言うけども、貴族の出だということは、この辺では言わない方がいいねえ」


「はい。アルノルトさんにもそう言われました」


「それにあなた、馬車でよく来ているでしょう? 村の人に見つかって一騒ぎ起こるといけない。気取られないようにね」


 イサベラは驚きを隠せずに言った。


「それをご存じでしたか! この村にはそんなに貴族への反感があるのですか?」


「今まではそうでもなかったが、今はちょっとした事件の最中だからね」


「この村を王家が狙ってるという話なら誤解だと思います」


「あなた、知ってるの?」


「ええ。老王様はそんな横暴な事をする方では無いと思うのです。信義を第一に重んじるお方ですから」


「そう……そうだといいのだけれど」


 サビーネはアニエスをしばらくじっと見ていた。それは少し驚いた顔から、こんな人もいるんだという笑顔に変わった。


「ふふふ。若い人っていいねえ。信じることにも力がある」


「力?」


「ああ。年を取ると悪知恵が付いて信じる力が無くなって来るのさ。それでいらぬ諍いも増える。不信があってはお互いとも反目してしまうばかり。それは庶民だろうと、王侯貴族だろうと同じ事。そんな老人ではなく、これからはあなたのような若者が国を引っ張って欲しいものだわ」


「買いかぶりです。そのようなことは……」


「手前味噌ながらうちの孫、あのアルノルトを見ててもね、そう思うのよ。何かこう、見えない約束の地を、最善の場所を肌で感じ取って、そしてそれを信じる力がある。行動それ自体は小さな事に見えてもね、その信じる力が人の進む力になるのよ」


 イサベラはその言葉には思い当たる事があった。忘れられない出来事が。


「仰る通りだと思います。アルノルトさんは見えない何かをいつも見てるようですわ。ただ、聖書を学ぶ者としてお尋ねしますが、約束の地って、エルサレムにあると言われてる?」


「ふふ。そうじゃないさ。そしたら約束の地はほんの少しの人しか住めないじゃないか。あれだけ何度も十字軍を送っても争いと憎しみが増えるだけ。それじゃあ約束の地は手に入らないさ。本当の約束の地はね、聖書でも言い表せないし、目にも見えない。ここにあるのさ」とサビーネは胸に手を当てた。


「生まれて来るものに生きて行く場所があるってことさ。そこで精一杯生きるって事が約束なのさ」


 イサベラは恥じた。愚かな質問をしてしまったと。そして思った。このお婆さんやアルノルトが見ているという見えない約束の地、それは即ちこの村の事なのだろうと。そして自分もそう生きれたならと。


「感銘しましたわ。聖書を学ぶ身の私が、逆に大事なことを教わったようです」


「こうしてすぐに分かり合えるのも若い人の特権だね。年寄りはあれはどうだこれはダメだと口うるさくてダメねえ」


「いえ、そんなことは……」


「不信ばかり育てても詮無しだろうに」


 何か老人達に苦労でもしている風な口ぶりに、イサベラは少し笑った。


 しばらくすると、長いパンを抱えたアルノルトが帰って来た。


「ああアルノルト。おかえり」


「ただいま。これ買ってきたよ」とアルノルトはパンをサビーネに渡す。


「ありがとうね。シスターとお話で盛り上がっていたところさ」


 サビーネとイサベラは目で肯き合って笑っている。


「何か内緒話? 馬車はまだ来てないみたいだね」


 聞かれたイサベラは首を竦めた。


「ええ。でももうじき来ると思うわ」


「そろそろ太陽が山に隠れて来た。馬車はもう行ってしまったんじゃないかい? 教会を頼ってみる方がいいかも知れない。泊まる場所くらいはあるだろう」


「ええ……でも……」


 イサベラはひどく狼狽した。今は修道院に身を隠している身。イサベラが一日不明になれば、捜索願いが出て、居場所が王家に知れてしまうかもしれない。


「クヌフウタさんが教会に聞いてくれているかも知れませんわ」


 アルノルトはその表情に、やはり大事になりそうだと悟った。


「大丈夫かなあ」


 そう言っていると、黒の修道服に着替えたクヌフウタが和やかな笑顔で帰って来た。


「只今戻りました」


「もうお着替えになって。この服は?」


「教会にあった古着を一つ戴きました」


「クヌフウタさん、ズルい」


「フランチェスコ派はご寄付戴いたもので生活しなければなりません。これも神の賜物です」


 着替えた服を胸に抱えつつ、クヌフウタは十字を切り、そして続けた。


「馬車はまだのようですね」


 イサベラが椅子から窓を見てから言った。


「まだ、姿は見えません。何か良い知らせが?」


「実は今し方、教会の方からご紹介を戴きました。この隣の村にラッペルスヴィル伯の別邸があって、エリーザベト様がご在宅だそうです。私は彼女を頼ってみようと思うのです。貴女もそうする?」


「私は……」


「エリーザベト様は幾つもの修道院の守護権を持って、支えて来られた方だそうです。一度お会いしておくのもいいわ」


 しかし、現在修道院に身を隠しているイサベラの立場と賓客のクヌフウタの立場は違っていた。


「どちらかが修道院に帰らなければ騒ぎになります。私は今日中に着くものならば、努力してみます」


「そう言われてみればそうですね。では別行動にしましょうか」


 アルノルトはそれを聞いていて、考えながら言った。


「アニエスお嬢さん。馬車が来ないんだったら、一緒に泊めて貰う方がいい」


「私は……帰らなければ。騒ぎになると困るのです」


「今日中にエンゲルベルクに帰ろうって言うなら、今すぐ出ないと無理だ」


「なら私、歩きます。アルトドルフにまで出れば辻馬車も御座いますし」


「わかった。それならやっぱり僕が馬車で送ろう」


「そんな。私の身勝手で悪いわ」


「ラッペルスヴィルの別邸はここから脇道を回って、馬車で行けばすぐだよ。まずクヌフウタさんを送って、そして別邸からアルトドルフはほんの一足だ。そこでまた考えればいい。夜になっては危険だし、出るなら少しでも早い方がいい。馬車がこっちに向かっているなら途中ですれ違えるかも知れないし」


「でも……あなたの帰りが遅くなってしまうわ」


「これは僕の意志だよ。お嬢さんの意志はノー? それともイエス?」


 顔に光輝を見せたイサベラへ、アルノルトは手を差し出した。イサベラは頬に少し恥じらいを見せながらその手を取って立ち上がった。


「じゃあクヌフウタさんも。別邸へは僕がお送りしましょう」


 アルノルトがクヌフウタにも恭しく手を差し出すと、クヌフウタはその手を取って、


「ご親切、感謝します」と礼を言った。

 アルノルトは案内するように、出口の方を差し示し、二人を先導して歩いた。


「サビーネ婆さんちょっと出てくるよ」とアルノルトは戸口で一声を掛けて行く。


「ああ。あんまり遅くなるようだと注意するんだよ」


 サビーネは戸口に迎えに出て来た。


「わかってるさ。さあ乗って」


 イサベラはサビーネの前で礼を言った。


「お婆様。美味しいジュースをごちそうさまでした」


「大変お世話になりました」


 クヌフウタもそこに並んでお礼を言った。

 三人が馬車に乗って去って行くと、サビーネはそれを戸口で見送って呟いた。


「若い人はいいねえ」



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