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受け継いだ聖業


 クヌフウタはその間、休憩もそこそこにカリーナの手伝いをした。

 先ずは自分とイサベラの服を水場で手洗いをして、テラスに置いてある物干しに乾かした。次にはさっき洗った羊毛をテラスの日の当たる場所に干し、そのついでに乾いた羊毛を空いた籠に取り込んだ。

 傍で洗濯物を取り込んでいて、感心したカリーナが言った。


「あなたはとても働き者ですね」


「いえ。皆様ほどではありません」


「修道女にしておくのは勿体ないくらいだわ」


「私にはこれしか無かったのです」


 日の当たるテラスには丸太を切って作った椅子が幾つか置いてあり、洗濯かごを置いた二人はそこへ座った。

 切り口がゴツゴツしているので、少し座り心地は良くない。


「貴女はどうして修道女になったのですか? 綺麗だし、頭もいいし、よく見れば年もエルハルトとそんなに違わなそうなのに」


「ええ……」


「そんな希望一杯の頃に修道女になるなんて、何か理由があるのではなくて?」


 するとクヌフウタは言いにくそうにした。


「少し、複雑な事情があるのです……」


 話しの途中でブルクハルトとエルハルトが休憩にやって来て、その話しを小耳に挟んだエルハルトが言った。


「母さん。無理に言わせちゃいけないよ」


「シスター。言いたくない事は言わなくていいですからな」


 そうブルクハルトが声を掛けるが、クヌフウタはもう言おうとしていた。


「構いませんわ。私には亡くなった婚約者がいたのです」


「これは、聞いてはいけない事だったかしら」


 そう言うカリーナにクヌフウタは首を振った。


「いいえ。でも、その婚約は極めて政略的なものでしたから……。本当の理由はそれを断るために修道院に入った振りをしたんです。でもそれも、振りでしたから、一番の理由はやはり家の事情です。帝国アハト罪ってご存知ですか?」


「アハト? 八つ?」


 皆首を傾げたので、ブルクハルトが咳払いをして言った。


「判事でもある私の出番のようだ。その一族の領土を誰もが略奪許可になるっていう非道い刑罰の事ですな?」


「はい。私は修道院に入ることで、その結婚を拒みました。その事もあって両家の対立は深まり、私の家は帝国アハト罪に問われました」


「まさか! じゃあ少し前の戦争の関係で?」


 クヌフウタは小さく頷いた。


「私達家族はどこへ逃げても追い掛けられ、行く所行く所が戦場になってしまいました。婚約者の家は敵方になり、家領は暴徒に奪われ、何処にもいられなくなりました。知った家に隠れ潜んでも、次々にそこが戦場になったのです」


 クヌフウタはボヘミアの戦争で命からがら逃げ惑った事を思い出した。その途端、その顔は悲痛に歪み、そして両手で顔を覆った。


「私のせいです……」


 そしてそのまま話しは止まってしまった。精神的に大きな傷を負っているようだ。


「シスター、ここは大丈夫ですよ。何かあったらここへ逃げて来ればいい。ウーリならそんな無法は絶対させない」


 エルハルトが動揺しつつ、そう声を掛けた。


「ありがとうございます。ここは皆さん優しい方ばかりですね」


 クヌフウタは涙を拭ってそう言った。


「しかし、そんな無法があったなんて! 非道いにも程を越えている!」


 エルハルトはその過去の話にさえ悔しそうに言った。

 カリーナはいたたまれない気持ちになって言った。


「お可哀想に……。ご家族はご無事でしたの?」


「家族は逃亡の中で散り散りになり、父はその戦争で戦死してしまいました……弟は捕虜になり、ついこの間、その罪が赦免されました。母と小さかった妹は廷臣に匿われて、逃げ伸びました」


「まあ……お辛かったしょう」


「それでも、救いはあるものです。私には修道院で施療院を開いていた叔母がいました。私は叔母の修道院へ匿って貰って、そこで叔母と共に戦災に遭った人の救護や病人のお世話を手伝って過ごしていたのです。そこには戦災を逃れ、救いを求めてやって来る沢山の人で溢れていました。私の医療の心得はそこで学んだのです」


「まあ! とても偉いのね」


「いいえ。私にはそうして修道女になるしかありませんでしたし、それによって私が救われたのです。感謝よりありません」


「立派な叔母様なのね」


「ええ。聖女の再来だと皆に慕われていたものです。でもその叔母も少し前に……病気で亡くなってしまいました」


「まあ!」


「私はご覧の通りまだ未熟者ですが、その後継者に指名されました。その聖業を継いで行かねばなりません」


「そんなにお若いのに? 修道院の院長さん?」


「正式にはローマの外れにあるアッシジの修道院に行って、承認を受けてからです。徒歩で巡礼をしながら、そこへ向かう旅をしているのです」


「そうでしたか。ローマまで」


「はい。ただ、フランチェスコ会は私財を持ってはいけません。旅の間もお金を持てません」


「無一文でそんな長旅を?」


「はい。ですので馬車にも乗れません」


「……そんな無茶な!」


 エルハルトは目を見張って驚いた。


「私達はお金のやり取りを禁じられています。全ては寄付で賄うのです。教会にもたくさんの人がいますが、全ての人が寄付で生きられるようにする事は、とても大変なことです」


「なんと大変な……元手が無いとやっていけないでしょう。命の危険すらある……」


 ブルクハルトは考え込んだ。


「施療院は無料ですが、その分寄付が入ります。しかし薬は高価で、寄付くらいでは間に合いません。手仕事や写本をしても、とても間に合いません。そもそも食糧不足で食べるにも皆が困っている有様です」


 クヌフウタはここにはいない誰かに問いかけるように、空に向かって言った。


「こんな小さな私に、教会を支えていく事が出来るのでしょうか……」


 クヌフウタは涙ながらに悲嘆にくれた。

 カリーナはその肩にそっと手を置いて言った。 


「立派な叔母様が貴女を信じたのでしょう? 貴女も自分を、まず自分から信じてあげなきゃ。貴女なら大丈夫。とても立派だわ」


「ありがとうございます」


 クヌフウタは礼を言いながら、大粒の涙を零した。

 その姿にエルハルトは思わず涙が滲み、後を向いてしまった。

 すると後ではブルクハルトも貰い泣きしている。


「何でも言って下さい! 何でも支援させて戴きます!」


 クヌフウタの手を握り、ブルクハルトはそう言った。


「ありがとうございます。では早速ですが……逗留する修道院にシーツと毛布、食器類も少ないのです。カップや薬缶、鍋もあるといいですね」


 クヌフウタは次々と大量の日用品を要望した。その品目の多さにブルクハルトは途中で覚えられなくなり、顔色を変えてメモを取りに走る程だった。

 クヌフウタはそうした寄付を取り付ける遊説をしながら、ローマとフランチェスコ会の本拠のあるアッシジを巡礼する途上にあった。しかし、お金を全く持たない身では、アルプスの山を越えられずにいたのだった。



 角笛の音が牧場に響く。それを鳴らしているのはエルハルトだ。その音を聴いて、牛逹、そして羊達は家畜小屋へと帰って行く。


「あっいけない。そろそろ帰らなきゃ」


 アフラはその音を聞き、両手いっぱいの花を抱えて帰り道に着いた。羊逹の方が足が速く、それを追い掛けるような格好だ。アフラとイサベラが家に着いた頃には、もう日が傾いて来ていた。

 二人が家に入るとアルノルトにすれ違い、イサベラにアルノルトが言った。


「山の日が沈むのは早いんだよ。そろそろ帰らなきゃ帰る途中で日が落ちるかもね。どこまで帰るんだい?」


 アルノルトは心配になってイサベラに聞いた。すると彼女は少し狼狽して言った。


「エンゲルベルクまで帰らないといけないの。買い出しの馬車と約束をしていたのだけど、待ってくれているかしら……」


「エンゲルベルクって言ったらあの山の反対側まで回って行くから、馬車道だと道のりはかなりあるね。歩いて行くルートもあるけど、かなりの登山道だよ」


 アフラは家を指差して言った。


「家に泊まって行けばいいわ」


「でも、門限があって……騒ぎになるわ」


 イサベラは逡巡した。それが想像できないほどの大事になりそうだとアルノルトは気が付いた。


「これから馬車で村のお婆さんのところに羊毛を少し届けるんだ。教会がすぐそこだから一緒に乗って行って、そこで帰る方法を相談してみるといい」


「ありがとう。私、そうしてみます」


「じゃあ、すぐ支度出来るかい」


「ええ」


「私も行く」


 アフラは不安そうな顔で言った。


「馬車はもう三人で定員オーバーだ。病み上がりだし、家で大人しくしてろ」


「けちーっ!」


 アルノルトは客間へ行き、両親とクヌフウタに声を掛けた。


「そろそろお嬢さんはお帰りの時間だそうだよ」


 イサベラも後に続いて言った。


「クヌフウタさん、そろそろ帰りましょう。もう門限に間に合いません」 


「ええ。そうですね。つい長居をしてご迷惑をお掛けしてしまいました」


「いえいえ。こちらこそ感動的なお話しを聞かせていただきました。また、いつでも来て下さいね」


 アルノルトはそんなカリーナに言った。


「サビーネ婆さんに届けるついでもあるから、シスターを送って来るよ」


「そうね。じゃあそのついでに買い物もお願い。夕食には帰って来てね」


「あ、うん」


 クヌフウタは窓に干していた修道服を手に取った。まだかなり湿気っている。


「着替えがまだ乾かないようね」


 カリーナが修道服を見て言う。クヌフウタは仕方無そうに笑った。


「多少生乾きでもそのまま着て帰ります」


「山はまだ寒いんですよ。風邪をひいてしまいます。お洋服は差し上げますから、着て行って下さい」


「まあ、お母さん。いいのですか?」


「ささやかなご寄付だと思って下さい。とてもお似合いですし」


「感謝致します。本日は大変お世話になりました」


「こちらこそお手伝い頂いて、ありがとうございました。アフラを診て戴いた事も感謝の想いで一杯です」


 クヌフウタとイサベラの帰り支度は干していた修道服を畳んで鞄に入れるくらいで済んだ。

 アルノルトは家畜小屋に馬を引き出しに行きながら、エルハルトの方に顔を出して言った。


「ちょっと送って来るよ。兄さん、後はよろしく頼むよ」


「ああ。やっておくさ。マリウスもいるしな」


 エルハルトはマリウスの肩を叩いた。


「僕何するのー?」


「羊を小屋に入れるぞ」


 そう言ってエルハルトとマリウスは牧羊犬のベルを連れて牧場へと出て行った。

 荷馬車を引き出して来たアルノルトは、玄関口からイサベラ逹を急かした。


「シスターさん方。準備はいい?」


「皆様、大変お世話になりました。ご寄付もお約束いただき、感謝致します。今日はこれにて失礼致します」


 家の戸口で礼を述べるイサベラに、送りに出たカリーナが言った。


「こちらこそ手伝って頂いてありがとうございます」


 アフラが駆け寄って来て、イサベラに不安そうに言う。


「また来てね」


 イサベラは頷いて手を差し出した。

 アフラはその手を取り、静かに握手をした。

 荷馬車の真ん中には御者であるアルノルトが陣取っていたので、イサベラはその右手側に乗り、左手側にクヌフウタが乗った。二人とも目の覚めるような金髪で村娘の服装なので、ぱっと明るく花が咲いたようだ。


「わあ。アル兄さん、両手に花ね」


 アフラの声に照れを隠すように、アルノルトは一鞭入れて馬車を出した。


「皆さんさようなら!」


 クヌフウタは大きく手を振った。イサベラもそれに習い、見えなくなるまで手を振っていた。


「今日のことは、心に栄養を貰ったよう……どんな言葉でも相応しく無いと思えるくらい」


 イサベラはシスター風の口調をもう止めてしまったように、そう呟いた。


「そうね。私も栄養を戴いたようです」


 クヌフウタもそれに深く頷いた。

 アルノルトは二人を見比べ、その栄養というのを想像してみたが無理というものだった。アルノルトにとってはいつもの風景なのだから。


「それよりお嬢さん。家は遠いんだろ。ちゃんと帰れるのかい?」


「馬車はエンゲルベルクでこの近くに用事があるっていう人に広場まで乗せて貰ったの。戻る約束の時間はもう過ぎてしまったけど、きっと広場へ戻って来てくれると思うの」


「ちょうどお婆さんの家は広場が見えるくらい近くだ。寄ったついでにそこで待っているといいよ。外で待っていられるご身分では無いだろ?」


 ご身分と言う言葉には少し皮肉を混ぜている。しかし、イサベラは一向に気にした風もなくニコリと笑った。


「そうさせていただくわ。お心遣いありがとう」


 言葉にしてイサベラは思った。アルノルトの心遣いはとても自然でいて最善のところがある。迷う事がなくて心地が良い。イサベラを取り巻く世界では、上下関係が間に入っているので心遣いはとても窮屈なものになる。かと言って身一つになって見れば、身の回りのことすら一人で出来ない事がここ最近の修道院の生活で判った。何かとクヌフウタを頼りっぱなしだった。


「本当に私、一人では何も出来ないわ。今日のことはあなたのおかげね」


「僕は何もしてないよ。喩えるなら……そうだな。広い野や山のおかげかも知れない」


「野や山の?」


「ここにいるとちゃんと考えて生きないといけないし、それに、野に出れば暗い考えなんて何処かへ行ってしまうだろう?」


「ホント! 本当にそうね」


 イサベラはもう一度遠くなってしまった共同牧場の方を振り返った。するとそこにはアフラとカリーナがまだ見送っていた。イサベラが手を振るとアフラは遠くからも大きく手を振り返している。

 そしてイサベラは心に焼き付けるように、そのアルプの野の風景を長い間見ていた。



この小説の登場人物は実在の人物が多いのですが、クヌフウタもかつて実在した人物です。クンフタやクニグンダとも書かれますが、地元モラヴィア語で発音される音はクヌフウタが一番近いです。この方は時々夢に現れます。この特別なる名前も夢で教えてくれました。

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