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村の噂


 ブルクハルトは教会の前で荷馬車を止めた。今日はアッティングハウゼンの家で今後の算段を話し合って来た帰りだった。そこでは大きな進展を得た。ラッペルスヴィル家のエリーザベト女伯とホーンベルク伯を引き合わせる見通しが立ったのだ。あとは当人同士が厭と言わない限りは成婚に至ると思われた。

 上機嫌に村の広場を歩くブルクハルトは、村人の奇異な目に晒された。ブルクハルトが訝りながら、教会の門へと歩いて行くと、その途中で長老格のヘンゼルに呼び止められた。


「おう。ブルクハルト」


「なんだい、ヘンゼル爺さん」


「やっぱり裏で何か企んでるんだろう」


「また人聞きの悪い。どうしてそんなことを言い出すんです?」


「お前の家にハプスブルクが来たそうじゃないか」


「ハプスブルクが俺の家に? またとんでもない言いがかりだな」


「ハプスブルクと密談でもして来たのか」


「なんだってそんな言いがかりばかり! 俺はなあ。今日もアルトドルフのアッティングハウゼンさんのところで今後の算段だ。病気の娘も放って置いて、村の為に奔走してるんだぞ!」


 ブルクハルトはヘンゼルに掴み掛かったが、周りにいた村人が止めに入り、途中で踵を返して言った。


「呆れる。嘘もまあほどほどだ」


「お前んとこの下働きが言ってたんだ。嘘じゃないだろうよ」


「そんなことが在るわけがないだろう?」


「まあ出かけてちゃあ知らんのじゃろう。くれぐれも貴族の犬にゃあなるんじゃないぞ」


「ならんよ。断じて」


「俺たちが知りたいのは、お前さんに裏がありそうだからじゃよ。本当に裏が無いんだな?」


「裏か……まあ、後のお楽しみはあるな」


「ほら。何か隠してるだろう。みんなに言ってやれよ」


「今言ったら水の泡になる。だからまだ言えんが村には良いことだ。後の楽しみにしておいてくれ」


「そういうのが怪しいんだ!」


 村人はその大声にざわめいた。


「ヘンゼル爺さん頼むよ。事を荒立てないでくれ。今は信頼して貰うしかない。頼む」


 ブルクハルトはそう言って教会へ入って行った。そして証書の進捗状況を神父と話し合うのだった。

 その間中、村の広場は何やら噂話の声で賑やかだった。


「ありゃあ良からぬ噂をしているな」


 ブルクハルトは気が滅入るばかりだった。

 この頃、広場に接している自由市場では、アルノルトが氷を探していた。そこには簡単なテントと木箱で出来た店が並び、あちこちからやって来た行商の人々が商売をしていた。モランの店先でアルノルトは話しかけた。


「氷はあるかい? 妹が高熱で大変なんです」


「あのアフラが? あいにくだが売れる氷はもう無いな。でも村長さんやヘンゼルさんの家の貯蔵庫ならあるだろうよ」


「ありがとう。行ってみるよ」


「ヘンゼルさんならあそこを歩いてるよ。ヘンゼルさん!」


 モランが呼びかけると、ヘンゼルが「なんじゃ」とやってきた。


「この子が氷を探してるんだ。家にありますか?」


「ああ。あるとも、貯蔵用のがな」


 アルノルトは顔に光輝を見せて言った。


「ヘンゼルさん。妹が病気で高熱を出してるんです。氷を分けて貰えませんか」


「ああ」


 そう言って、ヘンゼルは荷馬車を顎で指した。一緒に乗れと言うことと見て取ったアルノルトはそこへ乗った。


「モラン。お代はまだツケといてくれ」


「まだですかー。支払いはお早めにー」


 荷馬車を出しながらヘンゼルが言った。


「父親はブラブラほっつき歩いてるというのに、子供は妹のために偉いものだ……どれくらいいる?」


「出来るだけ多く欲しいんです。この革袋一杯くらい」


 その羊の革で出来た袋は一抱えくらいはある。


「そりゃあ無理だ。家の氷が無くなっちまう」


「すぐに山から取って来てお返ししますから、出来るだけお願いします」


「ならまあ、いいが……あとは村長のとこにも貯蔵庫があるから寄っていくとしよう」


「ありがとう」


 アルノルトはこうしてヘンゼルと村長の家を回り、皮袋をほぼ一杯にすることが出来た。


 エルハルトが牧場の仕事を終えて帰ってくると、家の中はひっそりと静まり返っている。この時間にはいつも台所にいる母の姿も無かった。


「ただいま。母さん?」


 エルハルトは階段を昇り、アフラの部屋へ行ってみた。

 そこにはシーツを二人で上げたり下げたりしているサビーネとカリーナの姿があった。サビーネがエルハルトに気付いて言った。


「エルハルト。良いところに来た。年寄りにゃあ辛い作業だよ。代わっとくれ」


「代わってくれって、一体何やってるんだい?」


「こうしてアフラを扇いでいればいいのさ」


「どれくらいこうしてるの?」


「そうさのう。昼くらいからだったか」


「そんなに? もうすぐ夕方だよ」


「大変! まだ晩ご飯の支度をしてなかったわ」


 カリーナが慌てて部屋を出ようとしたとたん、目が眩んでその場にしゃがみ込んだ。


「母さん! 大丈夫?」


 助け起こすエルハルトに、カリーナは言った。


「大丈夫。アフラが引き付けを起こしたんだよ。今は少しでも熱を下げないといけないんだ」


「ロクに寝ないで無理してたらお母さんも体を壊すよ。ここは僕がやるから。横になって休んでてくれよ」


「いいの。食事の支度もあるし」


「食事くらい遅れても平気さ。とにかく今は休んでて」


 サビーネは静かに言った。


「そうだね。少し休まないとダメだ。疲れていたらそう言ってくれないと。もう一人病人を作ってしまうところだったよ………。カリーナ、無理をさせて済まなかったね」


「私なら大丈夫です。眠れないくらいはどうってことありませんわ。お義母さんこそ大丈夫ですか?」


「私も腰が疲れたよ。エルハルト、しばらく代わって扇いでいておくれ。私ら年寄りは休憩にするよ。さあカリーナ」


 サビーネは頷くカリーナの肩を支えて歩き出した。歩いてみると、その足取りはとても辛そうで、カリーナはエルハルトとサビーネに支えられながら歩いた。


「何。今日の料理くらいは私がしてあげるさ、それまで休んでな」


「まあ。そんなこと」


「いいんだよ。たまには私も料理を作ってあげる人がいないと、腕が鈍るんだよ」


 エルハルトは歩き出した二人を見送りながら言った。


「しかし婆さんは、母さんより元気だねえ。元気過ぎるよ」


「まあ元気さで言ったらお前達にゃあ負けない。年期が入ってるからね」


「違いない!」


 エルハルトは笑いながらシーツを両手に広げた。


 しばらくすると、アルノルトが袋に一杯の氷を持って戻った。


「ふう。重かったよ。あれ? 今日はお婆ちゃんが夕食を?」


「おかえり。待ってな。腕によりをかけて作ってあげるからね」


「氷取って来たよ。ヘンゼルさんと村長さんが有りったけくれたけど足りるかな」


「十分だ。よく取ってきてくれたねアルノルト。ところでマリウスは?」


「家に帰ってないの?」


「お前の後を追って行ったよ」


「山道はあいつには大変だから、すぐに家に帰したんだ」


「どうしたんだろうね。マリウスは」


「そういえば、表に樽が出してあったけど、サビーネ婆さんがやったの?」


「いや。誰もそんな暇は無かったはずだよ。もしかしたら!」


 その時、表で水を零すような音が聞こえた。


「マリウスだ!」


 アルノルトは玄関を開けて庭先を見た。するとマリウスが倒れてバケツを一つひっくり返していた。もう一つ手には水が入ったバケツを大切そうに持っている。


「マリウス。何してる」


「ちょっと躓いちゃった」


 そう言うと、マリウスはバケツに残った水を大樽になみなみと注ぎ込んだ。


「こんなに水を汲んでどうするんだ?」


「へへへ。シェッヘン川の水は雪解け水で冷たいでしょ。だからいっぱい汲んで来たんだ」


 アルノルトはその大樽の中の水を触ってみた。


「マリウス。残念だが水は置いておくとだんだん温くなるんだ」


「これだけいっぱいあれば大丈夫でしょう?」


「確かに今はまだいくらか冷たい。でも少しすれば普通の水になってしまうよ」


「ええー。せっかく川まで行って汲んできたのに」


 サビーネも表へ出て来てそれを聞いていた。


「マリウス。これはご苦労なことだね」


「おばあちゃん。雪解け水なら十分冷たいよね?」


 サビーネは雪解け水に手を入れて言った。


「これは冷たいねえ。うん。この冷たさは保たないが、今のうちなら……これは使えるねえ」


「ほらあ」


 得意げに言うマリウスにアルノルトが聞いた。


「どうやって使う?」


「え? どうやるの?」


「荒療治になるが、やってみるかい?」


「うん!」


 サビーネは二人にその水を風呂用の桶に運ばせた。大分水が溜まってくる頃合いを見計らって、サビーネはアフラの部屋へ向かった。そこでシーツを広げてアフラを扇いでいたエルハルトに声を掛けた。


「アフラを運ぶよ」


「何処へだい?」


「風呂場まで運んでおくれ」


 エルハルトはアフラを抱え上げ、着替えを持ったサビーネの先導で風呂場へと向かった。

 それを見たマリウスが言った。


「お姉ちゃんを冷たいお風呂に入れるんだね」


「そうだよ。よくわかったね」


 風呂場を見渡して「アフラを何処へ降ろそう?」とエルハルトが尋ねた。足場は石組みでごつごつしている。


「この上に降ろしとくれ」


 サビーネは洗濯籠を裏に向けて幾つか並べた。

 エルハルトはアフラをその上に横たわらせ、頭を手で支えた。

 やって来たアルノルトがサビーネに言った。


「じゃあ氷も風呂場でいいね」


 アルノルトは革袋に入った氷を風呂場へ届けた。


「助かるよアルノルト」


 マリウスが一桶の水を汲んできて言った。


「これで最後。お風呂するにはちょっと少ないみたいだ」


「ありがとう。まあ水を足してなんとかなるだろう。あとは女同士でやるよ。カリーナ。ちょっとカリーナを呼んできておくれ」


 マリウスはカリーナの休んでいる居間へ母を呼びに行った。


「お母さーん」


 マリウスに呼ばれてカリーナは、風呂場に顔を出した。


「一体どうしたんです?」


「もう大丈夫かい? 今日は大変だったが、一日あれだけやってもアフラの熱が下がらなかった。今は一刻も早くアフラの熱を下げないと、頭が熱でやられてしまう。そうなっては遅い。判るね」


 カリーナは涙を溜めて頷いた。


「マリウスが川の雪解け水をたんまりと汲んで来てくれた。ここに氷もある。これでアフラを氷風呂に入れるんだ」


「はい!」


 サビーネとカリーナは、二人でアフラの服を脱がせ、雪解け水の入った桶に入れてやった。平たく四角い大きな桶は体を伸ばすと足と頭が出る。そうしてから氷をその水に浮かべた。


「この氷はアルノルトが村中回って集めて来てくれた。エルハルトもここまで運んでくれた。みんなで力を出し合ってやることは、きっと効くものさ。ここには皆の祈りが集まっているからね」


「はい」


 カリーナは胸に十字を切り、祈るようにアフラの頭に氷水を掛けて流した。それはちょうど、牧師が赤ん坊に洗礼をする時の仕草に似ていた。


「アフラの洗礼の時を思い出しますわ」


「そうね。あの時はアフラが嫌がって大変だったわ。今日は良い子ねえ。あなたの洗礼をとても大人しく受けているわ」


「嫌ですわ。お義母さんたら」


 しばらくの間それを続けていると、アフラの唇の色が紫色になってきた。


「水が冷たすぎて、体を悪くしないかしら」


「今は体が熱すぎるんだ。心配は要らない」


 サビーネはアフラの額を手で触ってみて言った。


「でも大分熱が引いてきたようだよ」


「ああ神様! 良かった!」


 サビーネとカリーナは冷えた手を握り合って喜んだ。


「きっと普段の行いが良かったのさ」


「いいえ。そんな。今日は私休んでしまいましたもの。夕食のお料理をお義母さんに任せてしまって本当にすみませんでした」


「あ! スープを煮ているんだった! もう焦げているかねえ」


 サビーネは慌てて台所へ向かった。



 ブルクハルトがとても疲れた顔で家に帰って来た。自治の領邦であるウーリで、管区長は人望が第一の職と言っていい。それがあらぬ噂でかなり揺らいでいるのを肌で感じた。

 居間へ入ると子供達も疲れた顔で食卓を囲んでいた。


「ただいま。どうしたんだ。みんなそんな疲れた顔して。夕飯はまだなのか?」


 エルハルトが台所を顎で指して答えた。


「サビーネ婆さんが料理に失敗したって。夕飯は遅くなるそうだよ」


 台所からは少し焦げた匂いが漂って来ている


「珍しいこともあるもんだ。サビーネ母さんがウチで料理するなんて」


「お母さんが倒れかかったんだ。ここの所寝てなかったみたいだからね。今も部屋で休んでるんだ」


「それは心配だな。お前達、お母さんばかりに苦労かけるんじゃないぞ。マリウスも自分の事は自分でするんだぞ」


 マリウスは眠たそうに言った。


「今日は僕、頑張ったよ。だからお腹が空いたよ」


 隣にいたアルノルトがマリウスの肩を叩いて言った。


「そうだな。アフラの熱が引いたのはお前の頑張りのお陰だ。よく頑張ったマリウス」


 ブルクハルトは喜んで言った。


「アフラの熱が引いたのか? それは良かった」


 アルノルトは真顔になって答えた。


「良くないよ! アフラは今日ひきつけを起こして大変だったんだ。今はサビーネ婆さんの処置で、熱が引いてるだけだ」


「処置って?」


 アルノルトに代わってエルハルトが言った。


「アフラを氷風呂に入れたんだ。体温はかなり低くなって、さっき上へ運んで来たばかりだ」


「氷風呂か。よくそんな氷があったな」


 マリウスが自分を指差して言った。


「僕が川から雪解け水を汲んで来たんだよ。氷はアル兄ちゃんが村から集めてきた」


「そうかそうか。二人のお陰でアフラは良くなったか。良かったことだ」


「氷風呂に入れて熱はなんとかなったけど……治ったわけじゃない。アフラの病気はそんな生やさしくないんだ!」


 アルノルトの悲痛な声に、サビーネが台所から顔を出した。


「ブルクハルト。アフラを放っておいてお前はどこをぶらついてるのさ。みんな頑張ってるのにお前だけ留守じゃあ、アルノルトに言われても仕方ないだろう」


 ブルクハルトは母にそう言われてしょげ返った。


「アフラを見て来てやりな。今日見られなかった分ね」


「ああ。そうさせて貰うとしよう」


 ブルクハルトは階段を登ってアフラの部屋へ向かった。

 エルハルトは言った。


「薬が届くには五日かかるって言ってたから、あと四日だな」


「四日じゃあ遅い……一刻も早く薬が欲しいよ……」


 エルハルトがアルノルトの肩を叩いて言った。


「さっきからどうしたんだ。お前らしくないぞアルノルト」


「あんなアフラを見たら……兄さんだって落ち着いてられないさ」


 エルハルトは静かに言った。


「そんなに気に病んでも良いことはないさ。明日は放牧の時に羊に積んで、氷を山ほど持ってきてやろう? いくら心配しても出来る事なんて限られてるさ」


「うん。そうだね。けど、どうやって羊に積もうか。羊も冷たがるよ」


「考えがある」


 しばらくしてサビーネが料理を運んで入ってきた。全員待ってましたとばかりに喝采を送ったが、サビーネが食卓に伸びるマリウスの手を払って言った。


「だめだよ。みんなでお祈りしてから! ブルクハルト。夕食が出来たよ!」


 ブルクハルトは階段を下りてきて言った。


「母さんの料理とは久しぶりだねえ」


 カリーナも出てきて言った。


「あなた、おかえりなさい。村の人の様子はどう?」


「そう。それだ。村でひと騒ぎあったんだ。家にハプスブルクが来たとか言ってな。そんなこと在るわけ無いのにな」


 カリーナは料理を並べながら言った。


「そうねえ。でも外が騒がしいと思ったら、変な馬車が来ていたわ。白くて大きいのが。お前達は知らない?」


 言われたエルハルトとアルノルトは顔を見合わせた。


「知っているのか!」


 ブルクハルトがエルハルトに詰め寄ると、言いにくそうに言った。


「アルノルトが……知ってるよ」


「アルノルト。何があった?」


 アルノルトは上目遣いに父を見て、しばらく何も言わずにいた。


「言うんだ! アルノルト!」


「前にアフラが言っていたイサベラさんだよ」


 エルハルトが追補するように言った。


「ハプスブルクの娘だ」


 ブルクハルトは真っ青になって頭を抱えた。


「何てことだ!」


「でも、もう来ないでくれって言って帰って貰ったんだ。彼女はアフラのお見舞いに来ただけで、悪気は何も無いんだ」


「村の人が何て言ってるか判るか?」


 アルノルトは首を振った。


「判らん。そうだ。もはや判らん」


 そう言うと、ブルクハルトは料理も食べず部屋へ引っ込み、そのまま寝込んでしまった。

 アルノルトもその日は食べ物が喉を通らず、夕食の殆どを残した。


「悪かったねえ。今日は料理を焦がしてしまって」


 多く残った料理を見て、サビーネはしきりに謝りながら帰って行った。



ブルクハルトは村のために頑張っていたのに、かわいそうなことになってしまいました。

噂って、時にこういう事がありますよね。


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