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急変


 アルノルトはイサベラから貰った篭を持ってアフラの寝室へやって来た。アフラはまだ眠ったままだった。アフラの横の布団では、マリウスが看病に疲れて寝ていた。


「アフラ。イサベラさんがお見舞いに来たよ」


 アルノルトは篭をその場で開けて見せ、さもアフラが起きて聞いているかのように話しかけた。


「また篭一杯に果物くれたよ。リンゴにミカンにメロン。タルトも入ってる。やっぱりお金持ちだよなあ。イサベラお嬢さんは」


 アルノルトはタルトを取り出して、アフラの目の前に近付けた。


「どうだ。いい匂いだろ」


「アル兄ちゃん……何してるの」


 声を聞いてマリウスが目を覚ました。


「マリウス。起こして悪いな。お見舞いを貰ったからアフラに見せてたんだ。早く起きなきゃおみやげ食っちゃうぞ。ほーら」


 アルノルトがさらにタルトを近付けると、アフラは僅かな反応を見せ、静かに目を開けた。


「アフラ!」


「お姉ちゃん!」


 アフラは息も掠れ掠れに言った。


「……タルト?」


「ああ!」


「イサベラさん……来たの?」


「うん? ああ! お見舞いはまた篭一杯のフルーツバスケットだ。このタルトも入ってた。食べるか?」


 アフラは笑顔を見せた。


「うん……あーん」


 アルノルトはタルトをアフラの口に運び、アフラはそれを僅かにひと齧りして首を横に振った。


「おいし……もっと食べたいけど……うまく食べられない……」


「そうか……大丈夫だ。もう少しの辛抱だ」


 アルノルトの励ましの言葉にアフラは小さく頷いた。


「マリウス。お母さんを呼んできてくれ」


「わかった!」


 マリウスは台所へと走っていった。

 アフラは苦しげに言った。


「頭が痛い……苦しい……」


「大丈夫か?」


「息が苦しいの……とても……」


「今、母さんが来るからな」


 アフラは苦しそうに息をして、その目は虚ろに宙を彷徨った。


「大きなお花の中で……回ってるみたい」


「大きな花?」


「目を閉じると、赤いお花の中みたい……」


「それは……幻覚?」


 アフラは体を起こそうとしたが、何故かうまく体が動かなかった。


「体がうまく動かない……私……死んじゃうのかな」


 アルノルトは言葉が継げなかった。


「お父さん……お母さん……」


 アフラは涙を流していた。

 アルノルトはアフラの頭を撫でて言った。


「大丈夫だよアフラ。高熱のせいだ。もうすぐ特効薬が届くんだ」


「特効薬?」


「そうさ。だから苦しいのもそれまでの辛抱だ」


 アフラはそれを聞いて安心して頷いた。


「うん……私、すごい汗かいちゃった」


 アルノルトは額の汗を拭いてやった。汗の噴き出た首の辺りも拭いてやる。


「これは着替えた方がいいな」


「目にも汗……」


「馬鹿」


 アルノルトは少し笑って目の涙も拭いてやった。


「あとねえ……」


「何だ?」


「背中が痒いの……」


「急にわがままだなあ。自分で掻く方が早いだろう」


「体が……変なの……うまく動かない……」


 言いながらアフラは背を向けようとしてもがいた。その手は震え、思うように力が入らないようだった。

 そこへカリーナとマリウスがやって来た。


「アフラ? 目が覚めたの?」


「うん……」


 カリーナは少し涙を浮かべて言った。


「良かった……昨日の薬は良かったみたいね」


「お母さん……体がうまく動かないわ」


「体が?」


「背中が……掻けないの」


 痛ましくなったアルノルトは、布団を捲り、動こうとするアフラの体を横向きにして、当てずっぽうに背中を掻いてやった。


「痒いのはこの辺か?」


「もう少し下……」


「本当に汗びっしょりだな」


「もっと下……」


「ここか?」


「少し横……」


「ここだな」


「もう少し上……」


「判らないよ。じゃあこれでどうだ」


 アルノルトは、おしぼりを取って首から手を入れてアフラの背中を拭いた。

 次に下の方からとシュミーズを捲ると、アフラのお尻が丸見えになっていた。この時代シュミーズという下着があればあまりパンツを穿く習慣が無い。少し目のやり場に困っているアルノルトにカリーナが言った。


「あら、はしたない。私がやるわ」


 カリーナはアフラに布団を掛けてやり、アフラの背の痒いあたりを強く拭いてやった。


「いいきもち……」


 アフラは気持ちよさげに目を閉じた。そして段々眠りに落ちていく。でもアフラは眠ったら、またいつ起きるか判らない。アルノルトはアフラの肩を揺すった。


「まだ寝るなよ。アフラ!」


「う…ん……」


「汗だくだから、着替えるんだろ」


「……」


 しかしアフラは次第に眠りに落ちていく。とっさにアルノルトは言った。


「アフラ、おしりが見えてるぞ」


「……ヤッ……」


 アフラは声に反応して体をよじろうとした。しかし体が思うように動かず、心中で何かと闘っているように悶えた。

 アフラの手足は不自然に震え出した。


「どうしたの? アフラ?」


 カリーナがその手を握ると、アフラの体に思いがけない力が入って体が反り返った。


「アルノルト! 手を持って!」


「どうしたんだ!」


 アフラの手足は不自然な形で硬直し、アフラの目は裏返って白目を見せている。カリーナの手はアフラに強く握られ、解こうとしても取れなかった。


「引き付けを起こしたみたい。しっかり押さえて!」


 アルノルトはアフラの腕を押さえ、カリーナはようやくにして握られた手を解いた。


「お姉ちゃんしっかり!」


 マリウスもアフラの足を押さえた。


「凄い力だ」


 その力はカリーナとアルノルトの二人掛かりでも押し返すほどで、マリウスは部屋の隅に弾き飛ばされた。


「マリウス!」


 そのアルノルトの声をきっかけに、引き付けは次第に収まり、アフラは何か言おうとして、気を失ったように眠った。


「アフラ! アフラしっかり!」


「収まったみたいだ……母さん。今のは? 僕が変なこと言ったせい?」


「これは引き付けよ……小さい子には時々あることよ。熱が頭に来ているせいね。しっかり冷やしておかないとね」


 カリーナはそう言って氷嚢をアフラの頭に乗せ直した。


「母さん……アフラは大丈夫だよね……体が動かないって言ってたし、今の引き付けも普通じゃなかった」


「大丈夫よ。眠りの森からの薬を飲めば、きっと良くなるわ。きっと……」


 カリーナは自分に言い聞かせるように言った。しかし、その手は震えていた。この一日でアフラの病は体の自由を奪う程に進み、その上、この発作は予断を許さない状況だった。


「一刻も早く、薬が欲しいわ……」


「薬が来るのにはまだ四日あるよ」


「そう……もっと早く来ないかしら」


「山の向こうから運んで来るんだ。仕方ないよ。今は、エドフィーユさんに貰った熱冷ましを飲ませておこう」


「そうね……ところでマリウスは?」


「マリウス?」


 振り返ると、マリウスはそこにもういなかった。


 マリウスはサビーネの家へ続く道を必死に走っていた。道沿いの木の柵の下を潜り、広い牧場へ出て一直線に走った。走り疲れてきた頃、柵の向こうに藁を積んだ荷車が同じ方向に道を下っていた。マリウスは柵の上によじ登り、その荷車の藁の山に飛び乗った。すると藁の山が次第に崩れ、マリウスは藁の束ごと下に落ちてしまった。


「誰か降って来たと思ったら、マリウスか! 藁をどうしてくれるんだ!」


 腹立ち紛れに言ったのは、荷車を曳いていたジルだった。ジルはマリウスの三歳上の少年だった。


「ごめん! 急いでるんだ!」


 マリウスが走り出そうとすると、一緒にいた二人の仲間がその道を遮った。


「待てよ。ごめんだけで済むかよ」


「ごめんよ。ホントに急ぐんだ」


 マリウスは慌てて荷車の上に乗り、元来た牧場の方へと柵を跳び越えた。


「あっ待て!」


 ジル達三人はマリウスを追って柵を越えた。そして走って逃げるマリウスを追いかけた。マリウスは必死に走ったが、体格のいいジルにすぐに追い付かれ、後ろ首を掴まれた。


「よーし。観念しろ!」


 後ろ首を掴む手を払いながら、マリウスは方向を急旋回して走った。

 その勢いでジルは前に倒れ込んだ。ジルは水溜まりに転び、泥だらけになった。マリウスはその隙に柵へ走ってその間を潜り抜けた。


「あーあ」


 倒れたジルが起き上がった頃には、もうマリウスの姿は何処にも見えなかった。

 マリウスは下り坂の草場を背中で滑り降り、民家の影で座り込んで息を吐いた。後ろを向いて誰も追ってこない事を確かめると、そこからは歩いてサビーネの家へ向かった。


「おばあちゃーん!」


 玄関を入るなり、マリウスは大声を上げた。


「マリウスかい?」


 サビーネは玄関先へ出て来て、マリウスを迎えた。


「どうしたんだい? 朝からそんな息を切らせて」


 マリウスは息も絶え絶えに言った。


「お姉ちゃんが!」


「アフラがどうかしたのかい?」


「お姉ちゃんが……目を覚ましたんだ!」


「それは良かったねえ」


「それが良くないの。もう僕を蹴っ飛ばしてふっとばして大変なんだ」


「お前、アフラに何か悪い事したろう?」


「違う! そうじゃないよ。お姉ちゃんが白目になってひっくり返ったんだ」


「引き付けを起こしたんだ! そうだね?」


「僕よくわからないけどそんなの。怖かったよ。お姉ちゃんが、悪魔みたいな顔になって、すごい力だったんだ。あんなのお姉ちゃんの力じゃない。きっと悪魔が憑り移ってるんだ!」


「マリウス! そんなこと絶対に他で言うものじゃないよ。判ったね」


「でも……おばあちゃん。お姉ちゃんは大丈夫なの? 助けてくれる?」


「じきに特別な薬が来る。その薬を飲めば治るさ、きっと。どれ。心配だから、すぐ見に行くとするかね」


 サビーネは、すばやく出かける支度をして、玄関を出た。振り返るとマリウスが付いて来ていなかった。


「マリウス!」


 サビーネが玄関を見ると、マリウスが、開けたドアの後ろに隠れていた。


「どうしたんだい? 行くよ」


「僕怖いんだ。おばあちゃんひとりで行って来てよ」


「何言ってるんだいこの子は。あんなに気勢よく呼びに来たのは、お前じゃないか!」


「僕、しばらくここにいちゃいけない?」


「ここに一人いても、仕方ないだろうに。急ぐんだろ?」


「わかったよ。行くよ」


 サビーネとマリウスは家を出て、村の広場を横切り、牧場への登りの道を歩いた。


「こっちだよ。おばあちゃん」


 マリウスは柵の壊れたところを見付けて、手を引いてサビーネを呼んだ。


「こっちが近道なんだ」


「そうかい。だけど道が悪そうだね。どっこいしょっと」


 柵を跨いだサビーネは、マリウスに手を引かれて広い牧場を歩いたが、何故かマリウスは方向を大きく逸れていく。


「マリウス。こっちは少し遠回りだろうよ」


「いいんだ。こっちの方が」


「そうかねえ。あっちに見えるのがお前の家じゃないのかい?」


「いいの。いいの」


 そう言い合っていると、遠くの方でマリウスを呼ぶ声がする。ジル達三人組が、マリウスを見付け、柵を乗り越えて走ってきた。


「マリウス! 婆さんのお出迎えか!」


「さっきのこと覚えてるよなあ?」


 ジルの膝にはさっき転んだ時の泥がたっぷり付いていた。

 マリウスはサビーネを先に通らせ、間に立ちはだかって言った。


「今は急いでるんだ。相手をしている時間は無いよ」


「マリウス。俺たちにあんなことしておいて、それはないだろう?」


「だって、どうってことない。藁が落ちたって、病気に比べればどうってことない!」


「こいつおばあちゃんといるから、とたんに強くなってやがる」


 ジルたち三人は、悪ぶった笑いを浮かべた。


「お前達!」


 サビーネはマリウスを押しのけて言った。


「病人の家へ行くところだから、諍いには後にしな」


「俺達は、そこのマリウスに用があるだけだぜ」


「マリウスが、何をしたんだい?」


「荷車に、急に飛び乗って来たもんだから、積んだ藁が崩れたのさ」


「なんだそんなことかい。マリウス。それは謝らなきゃねえ」


「ごめんなさい! お姉ちゃんが病気で苦しんで暴れてるから急いでたんだ」


 マリウスは頭を下げて謝った。


「まあ、小さい子供のすることさ。許してやっておくれ。それじゃあもう行くよ」


「藁を積み直すのに、今までかかってたんだ。それにこの泥さ。そう簡単に許せねえ。腹が収まらねえよ」


「お前達。お前達をお産の時、取り上げたのはこの私だよ。お前は難産で、ひと晩かかっても産まれなくてよぉ、大変だったわ。大変だからこそ産まれた時は可愛くて、尊く思えてねえ。それがなんだい! 藁を積み直した? それに一晩かかるのかい! そんなことで病人の為に走って来たこの子をどうかしようなんて! そんな曲がった根性の奴なんて、取り上げるんじゃなかったよ!」


 ジルはそう言われると返す言葉もなく、困ったように手を上げた。


「サビーネ婆さんには敵わねえや。アフラが病気なんだろ? 今回は病人を助けた事にしとくよ」


「そうかい。じゃあ急がせて貰うよ。やっぱり私の取り上げた子だ。助け合う村の良い子だ」


 サビーネはジルの頭をくしゃくしゃに撫でた。


「止せよ。急いでるんだろう?」


「あたしゃあね、お前達がどう育つだろうと、我が子のように思って見てるよ。覚えておくんだよ」


「敵わねえなあ。サビーネ婆さんには」


 サビーネはマリウスの背を叩き、歩き出した。


「ほら行くよ」


 しばらく歩いてマリウスが、嘆息の声をあげた。


「おばあちゃんってすごいや」


「何にも凄いことなんかない。村の人は大抵私が取り上げるからね。皆私の子供みたいなものね」


「やっぱり、すごいや!」


「大した事じゃ無い。ああは言ったが、私は手伝うだけで、別に大した事しなくても子供は天の授かり物で自然に生まれて来るものよ。たまに難産があるが、そう言う時は手助けてしてやるのさ。ジルの時は難産だったね」


「僕が生まれる時も、おばあちゃんが取り上げたの?」


「もちろん。アフラもお兄ちゃん達もだよ。お父さんは私が産んだから、取り上げられなかったねえ」


「おばあちゃんはお医者さんみたいだ。お医者さんとは違うの?」


「お医者さんは、病気のことだけ考えていればお金がもらえる。でもあたしゃあ病気だけじゃない。村の人のことなら何でも考えるのさ。問題事や、性格や、暮らしぶりもね。病気もそのうちの一つね。長年見ていれば詳しくなって、村の皆にも頼られるようになったよ。でも私が何でも知ってるなんて思っちゃいない。昔から伝わる方法を教えるだけさ。お医者さんでないと出来ないことも多いわ。だから私はお医者さんというわけではないんだよ」


「でもお姉ちゃんの病気は、おばあちゃんにしか判らなかったよ」


「あの熱病は山の辺りにしかないから、そこらのお医者さんに判るもんかね。長年ここに住んでいるからこそ判ることもあるもんだよ。年の功というものだね」


「おばあちゃんは、お姉ちゃんを治してくれる?」


「あたしゃあ手助けをするだけだ。今回は山の薬が頼りだしねえ。でも薬が届けば、きっと治ると信じているわ」


「早く届くといいのに。その薬」


 サビーネは小さく笑顔を向け、マリウスの後ろ髪を撫でた。


「大丈夫。あなたの叔父さんが届けてくれるわ」


「おじさんって?」


「おじさんは叔父さんよ」


 サビーネは、意味ありげに笑って見せるだけだった。

 サビーネとマリウスが家に着くと、早速アフラの様子を見に行った。カリーナとアルノルトは、エドフィーユに貰った花を煎じて、アフラに少しずつ飲ませているところだった。

 サビーネは薬を飲んで眠るアフラの熱を診て言った。


「すごい熱だ。このままだと大変だよ。すぐに熱を冷やすんだ」


「でももう氷がなくなってしまって……」


「氷は村に行けば溜めてる家があるさ。アルノルト、ちょっと頼んで分けて貰って来ておくれ」


「うん。判った」


 サビーネはアルノルトに氷を取りに行かせると、自身は濡れたおしぼりでアフラの体を拭いて、ハンカチで扇ぎ、何かを探した。


「ああこれがいい。これを持って扇いでおくれ」


 サビーネが取り上げたのは、薬草を乗せていた盆で、カリーナは盆を持ってサビーネが拭いたところを扇いだ。


「汗が出るのは良いことさ。熱と体の毒が出ていくからね。汗をためないようにしながらこうして扇いでやるんだよ。それが今のアフラには一番の薬さ」


「はい」


 カリーナは必死にアフラを扇ぎ続けた。

 しばらくしてサビーネも手が開くと、ハンカチを両手で広げてアフラを扇いだ。しばらくの間そうしていると、ずっと看病であまり寝ていなかったカリーナは、少し目眩を覚えた。


「お義母さん。いつまでやるんでしょう。私は少しくたびれましたわ」


 サビーネはアフラの額に手をやって言った。


「熱が少し下がるまで頑張るんだよ」


「そうですね」


 しかし、アフラの熱はその後も一向に下がらず、二人の熱病との格闘は、そのまま夕方まで続いた。



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