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不老不死たちの過去  作者: San


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9/15

不老不死たちの過去 9

その記憶を選んだのは、なんとなくだった。


 映画館の受付で、彼は長いあいだ記憶の一覧を眺めていた。


 何千年。


 何万年。


 もっと古いものもある。


 長く生きていると、記憶は増えていく。


 けれど、すべてを覚えていられるわけではない。


 忘れてしまうこともある。


 特に、あまりに古い記憶はそうだった。


 自分のものなのに、自分のものではないような記憶。


 映像を見れば、自分がそこにいることだけは分かる。


 けれど、なぜそこにいたのか。


 どこへ向かっていたのか。


 何を考えていたのか。


 何をしたかったのか。


 そういうことが、もう残っていない。


 彼はその中から、一つを選んだ。


 日付も分からない。


 場所も分からない。


 ただ、記憶の中に残っている映像だった。


 席に座る。


 スクリーンが暗くなる。


 しばらくして、雨の音が聞こえた。


 最初は小さかった。


 やがて大きくなる。


 ざあざあと、絶え間なく降っている。


 画面が明るくなる。


 森だった。


 木々が密集している。


 空は暗い。


 昼なのか、夕方なのかも分からない。


 雨が激しく降っている。


 葉に当たる雨。


 枝から落ちる雨。


 地面に溜まった水。


 どこを見ても濡れている。


 その森の中を、一人の人間が歩いていた。


 彼だった。


 今と同じ顔。


 けれど、今の彼には、その姿に覚えがなかった。


 大きな黒い雨服を着ている。


 頭にも黒いフードをかぶっている。


 服は雨を弾いていたが、肩や腕には水が流れている。


 長い棒のようなものを手にしている。


 何に使うものなのかは分からない。


 過去の彼は、何も言わず歩いていた。


 木の根を避ける。


 ぬかるんだ場所を踏む。


 枝を手で押しのける。


 また歩く。


 ただ、それだけだった。


 彼はスクリーンを見つめた。


 どこへ行くんだ。


 そう思った。


 けれど、過去の自分は答えない。


 当然だった。


 これは記憶だからだ。


 記憶の中の人間は、今の自分の声を聞いていない。


 雨が強くなる。


 画面の中で、黒い雨服の男が歩き続ける。


 道らしい道はない。


 森の中に細い跡があるだけだった。


 昔の彼は、それを迷わず進んでいる。


 右へ。


 左へ。


 また右へ。


 立ち止まらない。


 何かを探しているようにも見えた。


 何かから逃げているようにも見えた。


 けれど、表情からは何も読み取れない。


 フードの影で顔が暗い。


 ただ前を見ている。


 彼は記憶を見ながら、自分自身に問いかけていた。


 何をしている?


 どこへ行く?


 誰かに会いに行くのか?


 何かを取りに行くのか?


 何かから逃げているのか?


 答えは出ない。


 記憶を見ている本人にも分からない。


 あまりにも古い。


 そのころの自分が何を考えていたのか、もう思い出せない。


 森の中で、過去の彼が一度だけ立ち止まった。


 前を見る。


 そこには大きな木があった。


 根元に黒い穴のようなものが見える。


 彼はそこへ近づいた。


 しかし、中には入らない。


 少し眺めてから、また歩き始めた。


 彼はそれを見ていた。


 あの穴を知っている気がする。


 そう思った。


 けれど、何なのか分からない。


 昔の自分なら知っていたのだろう。


 今は知らない。


 森はさらに深くなる。


 木が大きくなる。


 雨で遠くが見えない。


 ときどき風が吹く。


 枝が揺れる。


 葉が大きく音を立てる。


 黒い雨服の男は、そんな中を歩いている。


 転ばない。


 急がない。


 疲れている様子もない。


 ただ、一定の速さで歩く。


 何時間見ていても、同じことを続けていそうだった。


 彼はふと思った。


 もしかすると、このあと何かが起こるのかもしれない。


 誰かが現れる。


 建物が出てくる。


 森の外へ出る。


 何か大切なことを思い出す。


 そう思って見続けた。


 けれど、何も起こらなかった。


 過去の彼は歩き続ける。


 雨は降り続ける。


 森は続いている。


 しばらくして、過去の彼が小さな川を渡った。


 水はかなり増えている。


 靴が水に沈む。


 それでも彼は進む。


 向こう岸に上がる。


 服についた水を払うこともしない。


 また歩く。


 また木々の間へ入っていく。


 スクリーンの中では、時間の流れさえ曖昧だった。


 雨が降り続けているせいで、朝なのか昼なのか夜なのか分からない。


 ただ暗い。


 そして、濡れている。


 彼は椅子に座ったまま、昔の自分を見ていた。


 不思議な気持ちだった。


 あの人は自分だ。


 間違いなく自分だ。


 顔も同じ。


 身体も同じ。


 不老不死なのだから、何千年経っても変わらない。


 それなのに、知らない人を見ているようだった。


 何を考えているのか分からない。


 何をしに行くのか分からない。


 なぜ、あんな雨の日に森を歩いていたのかも分からない。


 ただ歩いている。


 それだけだった。


 映像はまだ続いていた。


 やがて、森の木々が少しずつ減っていく。


 遠くに何かが見えた。


 建物のようにも見える。


 過去の彼はそちらへ向かう。


 彼はスクリーンを見つめた。


 何だったのだろう。


 そう思った。


 けれど、その直前で映像が途切れた。


 暗くなる。


 雨の音だけが残る。


 そして、それも消えた。


 部屋が静かになる。


 彼はしばらく動かなかった。


 記憶の最後に何があったのか。


 分からない。


 あの建物が何だったのか。


 分からない。


 あの森がどこだったのか。


 分からない。


 なぜ雨の中を歩いていたのかも。


 分からない。


 彼は目を閉じた。


 思い出そうとした。


 けれど、何も出てこなかった。


 何千年も生きてきた。


 それだけ長く生きていれば、忘れることもある。


 大切だったことだけが残るとは限らない。


 大切だったのかどうかすら分からないこともある。


 彼は立ち上がった。


 部屋を出る。


 廊下を歩く。


 別の部屋から、誰かの記憶の音が聞こえてくる。


 笑い声。


 街の音。


 昔の音楽。


 誰かの声。


 彼はそれらを聞きながら歩いた。


 そして、ふと自分の服を見た。


 今は黒い雨服ではない。


 普通の服を着ている。


 当然だった。


 外は雨ではない。


 それでも彼は、さっきの森のことを考えていた。


 黒い雨服。


 激しい雨。


 暗い森。


 その中を歩く自分。


 どこへ向かっていたのか。


 最後まで分からなかった。


 けれど、もしかすると――


 あのころの自分にとっては、それが分かっていたのかもしれない。


 今の自分が忘れてしまっただけで。


 彼は映画館の出口を開けた。


 外の空気が入ってくる。


 彼は一度だけ空を見上げた。


 雨は降っていなかった。


 そのまま歩き出した。



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