↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不老不死たちの過去  作者: San


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/15

不老不死たちの過去 8

映画館に入る前から、彼は一人の女性のことを思い出していた。


 何かきっかけがあったわけではない。


 受付の前を通り過ぎたとき、壁に映っていた古い映像を見た。


 それだけだった。


 映像の中に、昔の街が映っていた。


 今とは違う建物。


 今とは違う車。


 今とは違う服。


 それを見た瞬間、なぜか彼女のことを思い出した。


 昔、好きだった不老不死の女性。


 名前は、今でも覚えている。


 顔も覚えている。


 声も覚えている。


 ただ、彼女と何を話したのかは、あまり覚えていなかった。


 そもそも、あまり話したことがない。


 同じ場所にいることはあった。


 隣に座ったこともある。


 一緒に歩いたこともある。


 同じ景色を見たこともある。


 けれど、長い会話をした記憶はほとんどない。


 それでも、あのころの彼は彼女のことが好きだった。


 なぜだったのか。


 今となっては、よく分からない。


 彼は一つの部屋に入った。


 昔の記憶を選ぶ。


 日付を確認する。


 かなり古い。


 まだ街の形が今とは大きく違っていなかったころ。


 彼は席に座った。


 スクリーンが暗くなる。


 しばらくして、映像が始まった。


 最初に映ったのは、駅だった。


 昔の駅。


 今より看板が少ない。


 人の服も違う。


 その中を、若いころの彼が歩いていた。


 今と同じ顔だった。


 不老不死なのだから、顔そのものは変わらない。


 けれど、雰囲気が違った。


 髪型。


 服装。


 歩き方。


 周囲を見る目。


 今の彼ならしないような歩き方をしていた。


 そして、駅の柱の近くに彼女がいた。


 彼はスクリーンを見たまま、少しだけ姿勢を正した。


 彼女も、今と同じ顔だった。


 髪の長さだけが違う。


 今の彼女がどんな髪型をしているのか、彼は知らない。


 長い間、会っていないからだ。


 映像の中の彼女は、一人で立っていた。


 本を読んでいた。


 彼は少し離れた場所から彼女を見ている。


 話しかけない。


 彼女も彼に気づいていない。


 しばらくすると、彼女が顔を上げた。


 目が合う。


 彼女が小さく会釈した。


 彼も会釈を返した。


 それだけだった。


 映像の中の彼は、そのあと彼女の近くまで歩いていった。


「今日はどこへ?」


 彼女が聞いた。


「まだ決めてない」


「そう」


「そっちは?」


「私も」


 そこで会話が終わった。


 二人は並んで歩き始めた。


 駅を出る。


 大通りを歩く。


 彼女が右へ曲がる。


 彼もついていく。


 しばらく歩いてから、彼女が言った。


「こっちでいい?」


「うん」


 それだけ。


 また沈黙する。


 彼はスクリーンを見ながら思った。


 こんなに話していなかったのか。


 今の自分なら、もっと何か話そうとする。


 当時の自分は、彼女の隣を歩くだけで満足していた。


 彼女が何かを見るために立ち止まれば、彼も立ち止まった。


 彼女が歩けば、彼も歩いた。


 彼女が店に入れば、一緒に入った。


 それだけだった。


 ある店で、彼女が小さな菓子を買った。


「食べる?」


「いいの?」


「うん」


 彼は一つ受け取った。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 それから二人は店の外で菓子を食べた。


 味について話すこともなかった。


 おいしいとも言わない。


 まずいとも言わない。


 ただ食べていた。


 しばらくして、彼女が空を見上げた。


「今日は晴れてるね」


「そうだね」


 また、それだけだった。


 映像を見ながら、彼は少し笑った。


 あのころの自分は、本当に彼女と話さなかった。


 それなのに、彼女のことが好きだった。


 なぜ好きだったのか。


 彼は思い出そうとした。


 顔が好きだったのか。


 それもあるかもしれない。


 歩き方が好きだったのか。


 声だったのか。


 静かなところだったのか。


 それとも、ただ一緒にいる時間が好きだったのか。


 分からない。


 映像の中では、二人が歩いている。


 夕方になっていた。


 彼女が言った。


「じゃあ、また」


「うん」


 彼女は手を振らなかった。


 彼も振らなかった。


 ただ別々の方向へ歩いていく。


 それだけだった。


 映画はそこで終わらなかった。


 別の日。


 また二人が会っている。


 別の日には、同じベンチに座っている。


 別の日には、店の前で立っている。


 別の日には、何も話さずに歩いている。


 何度も同じような場面が続く。


 大きな出来事はない。


 喧嘩もない。


 告白もない。


 恋人になったわけでもない。


 それでも当時の彼は、彼女を好きだった。


 それだけは確かだった。


 そして、ある日を境に会わなくなった。


 理由は映像の中でもはっきりしなかった。


 彼女が遠くへ行った。


 彼も別の場所へ行った。


 それだけだった。


 不老不死の人間にとって、別れるというのはそういうことだった。


 死別ではない。


 誰かが死ぬわけではない。


 ただ、生活する場所が少しずつ離れていく。


 連絡をしなくなる。


 何十年か経つ。


 何百年か経つ。


 そして、気づけば会わなくなる。


 映画が終わった。


 スクリーンが暗くなる。


 彼はしばらく座っていた。


 昔の彼女が、まだそこにいるような気がした。


 もちろん、いない。


 彼女も生きている。


 不老不死なのだから、どこかにいるはずだった。


 けれど、会わなくなって長い。


 彼女が今どこに住んでいるのかも知らない。


 何をしているのかも知らない。


 どんな服を着ているのか。


 髪がどうなっているのか。


 どんな考え方をしているのか。


 何が好きなのか。


 もう分からない。


 彼自身も変わった。


 昔好きだったものを、今では好きではない。


 昔嫌いだったものを、今では気にしない。


 話し方も変わった。


 考え方も変わった。


 昔の自分が見たら、今の自分を知らない人だと思うかもしれない。


 きっと彼女も同じだった。


 昔の彼女と、今の彼女は違う。


 同じ顔をしているだけだ。


 だから、


 自分が昔好きだった彼女は、今もいるのだろうか。


 彼はそう思った。


 もちろん、いる。


 同じ顔をして、どこかで生きている。


 けれど、あのころ彼が好きだった彼女と同じなのかと言われれば、分からない。


 そして、自分自身も同じではない。


 だから、


 あのころ好きだったという気持ちが、今の自分の中に残っているのかも分からなかった。


 彼は立ち上がった。


 部屋を出る。


 廊下を歩く。


 昔の記憶を上映する部屋が並んでいる。


 彼女の記憶を、もう一度見ようとは思わなかった。


 あのころの自分が、彼女を好きだった。


 それだけは確かだった。


 なぜ好きだったのかは、もう分からない。


 今でも好きなのかも分からない。


 たぶん、彼女に会えば分かるのかもしれない。


 けれど、会ってしまえば、


 昔好きだった彼女と、


 今の彼女が、


 同じ人なのかどうか、


 もっと分からなくなる気もした。


 彼は映画館を出た。


 外は明るかった。


 人が歩いている。


 誰かが笑っている。


 誰かが電話をしている。


 彼はその中を歩いた。


 昔の彼女と同じ顔をした人が、どこかにいる。


 そう思いながらも、探そうとはしなかった。


 ただ歩いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。