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不老不死たちの過去  作者: San


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10/15

不老不死たちの過去 10

その日、彼が選んだ記憶は、かなり古いものだった。


 古いという言葉では足りないくらいだった。


 記憶の一覧には、日付が残っている。


 けれど、その数字を見ても何も思い出せない。


 場所の名前もない。


 誰といたのかも分からない。


 ただ、島。


 それだけが記録されていた。


 彼は少し迷ってから、その記憶を選んだ。


 椅子に座る。


 スクリーンが暗くなる。


 やがて、波の音が聞こえてきた。


 映像が明るくなる。


 海だった。


 青い海。


 小さな島。


 島の中央には森があり、海岸には白い砂が広がっている。


 今の彼には見覚えがなかった。


 ここがどこなのかも分からない。


 けれど、映像の中には彼自身がいた。


 昔の彼だった。


 今と同じ顔。


 同じ身体。


 服だけが違う。


 粗い布の服を着て、裸足で砂浜を歩いている。


 彼は島の奥へ進んでいった。


 森に入る。


 木々の間を抜ける。


 しばらくすると、小さな集落の跡のような場所に出た。


 家がいくつかある。


 けれど、どれも古い。


 人の姿はない。


 彼はその中を歩いていく。


 そして、一軒の家の前で立ち止まった。


 そこに女性がいた。


 若い女性だった。


 彼女もまた、彼とは違う顔をしていた。


 髪は長く、黒に近い色をしている。


 簡素な服を着ている。


 彼女は彼を見ると、立ち上がった。


 そして、口を開いた。


「――ラ・エシェン、トゥラ・メイ?」


 彼は答えた。


「――メイ・ラ。セナ・オル・ティア。」


 現在の彼は、スクリーンを見ながら眉を寄せた。


 何を言っている。


 そう思った。


 知らない言葉だった。


 聞いたこともない。


 けれど、映像の中の自分は普通に話している。


 女性も続けた。


「――アラ・ネイ・ソル?」


「――ソル・ネイ。アラ・ミレ。」


 二人は会話を続ける。


 彼は黙ってスクリーンを見ていた。


 意味が分からない。


 翻訳されるわけでもない。


 字幕もない。


 それなのに、映像の中の自分は困っていない。


 女性の言葉を聞いて、少し笑っている。


 女性も笑っている。


 何を話しているのか。


 今の彼には分からない。


 しばらくして、映像の中の彼が女性の隣に座った。


 女性が何かを話す。


 彼は黙って聞いている。


 時々、短く返事をする。


「――エナ。」


「――エナ。」


 同じ言葉を二人が使った。


 彼はそれを聞いて、少し不思議な気持ちになった。


 意味が分からない。


 けれど、どこか懐かしい。


 音だけは知っている。


 遠い昔に聞いたことがある。


 そんな感覚だった。


 映像の中では、時間が流れていく。


 二人は島を歩く。


 海岸に座る。


 森の中で木の実を拾う。


 火を起こす。


 食事をする。


 女性が何か話し、彼が答える。


 また女性が話す。


 彼が笑う。


 その繰り返しだった。


 不老不死の彼にとっても、その女性は特別だったらしい。


 けれど、どういう関係だったのかは分からない。


 恋人だったのか。


 友人だったのか。


 ただの旅の途中で出会った人だったのか。


 今の彼には判断できない。


 ある日。


 二人は海岸にいた。


 女性は海を見ていた。


 しばらくして、彼女が言った。


「――ネイ・アラ・シェル。」


 映像の中の彼が答える。


「――シェル。」


 女性は少し笑った。


 それから、海の向こうを指差した。


「――トゥラ・エン。トゥラ・エン・ラ。」


 彼は頷いた。


「――分かってる。」


 その言葉だけ、彼は日本語で言った。


 現在の彼は、そこで少し驚いた。


 昔の自分が日本語を話した。


 どうして。


 そう思った。


 けれど、映像の女性は日本語を使わない。


 彼女はずっと、自分たちの言葉だけを話している。


 彼はまた彼女の言葉に返事をする。


 それは、今の彼には意味のない音だった。


 けれど、昔の彼には意味があった。


 完全に理解していた。


 言葉だけではない。


 冗談を言えば笑った。


 困っていると分かった。


 何かを頼まれれば動いた。


 彼女が黙っていても、何を言いたいのか分かっていた。


 それが不思議だった。


 スクリーンの中の自分は、当たり前のように彼女と話している。


 今の自分は、その言葉を一つも理解できない。


 やがて、映像の中の彼女が立ち上がった。


 家の中へ入る。


 少しして、古い布を持って戻ってきた。


 布には、いくつかの模様が描かれていた。


 彼女はそれを彼に見せる。


「――エラ・ミン。サラ・エラ。」


 彼は布を受け取る。


 指で模様をなぞる。


「――きれいだ。」


 日本語で呟く。


 女性は意味が分からない。


 けれど、彼の表情を見て笑った。


 そして、また自分たちの言葉で何かを話した。


 今度は少し長かった。


 彼は黙って聞いている。


 やがて頷いた。


 彼女も頷いた。


 それだけだった。


 映画はさらに続いた。


 日が沈む。


 夜になる。


 二人は火のそばに座っている。


 女性が話す。


 彼が聞く。


 女性がまた話す。


 彼は笑う。


 何を言っているのか。


 今の彼には分からない。


 それでも、昔の自分がその言葉を聞いていたことだけは分かる。


 何度も。


 何度も。


 長い時間をかけて。


 その言葉を覚えたのだろう。


 けれど、その言葉を使う人はもういない。


 女性は、その種族の最後の一人だった。


 それは、映像の中の会話からではなく、記憶に残った情報として彼には分かっていた。


 島には、彼女以外に誰もいない。


 村にも誰もいない。


 墓もある。


 壊れた家もある。


 古い道具も残っている。


 そして彼女だけが生きている。


 最後の一人として。


 ある夕方。


 女性は海岸に立っていた。


 彼も隣にいる。


 女性が海を見ながら、何かを言った。


「――ラ・セイナ……エル・ナ。」


 彼は黙って聞いていた。


 女性はもう一度言う。


「――ラ・セイナ。」


 彼は少し笑った。


「うん。」


 女性は彼の顔を見る。


 そして、最後に長い言葉を話した。


「――アエラ・トゥン……メイ・ソラ・ネイ。ラ・エシェン……」


 映像の中の彼は、黙って聞いている。


 そして、ゆっくり頷いた。


「――分かった。」


 そのあと、二人はしばらく海を見ていた。


 何も話さない。


 波だけが聞こえる。


 夕方の海が暗くなっていく。


 映像はそこで終わった。


 スクリーンが暗くなる。


 部屋が静かになる。


 彼はしばらく座っていた。


 さっきまで聞こえていた言葉が、頭の中に残っている。


 ラ・エシェン。


 トゥラ・メイ。


 セイナ。


 どれも意味が分からない。


 彼は記憶を探した。


 思い出そうとする。


 あの女性が何を言っていたのか。


 最後に何を伝えたのか。


 なぜ自分が島にいたのか。


 あの種族がどんな人たちだったのか。


 何も出てこない。


 ただ、音だけが残っている。


 意味を失った音。


 昔は分かっていたはずの言葉。


 彼はふと、自分があの女性の言葉を話していたことを思い出した。


 映像の中では、あまりにも自然だった。


 まるでずっと昔から使っていた言葉のように。


 実際、そうだったのだろう。


 けれど今の彼は、その言葉を一つも話せない。


 彼は口の中で、さっき聞いた言葉を小さく繰り返した。


「……ラ・セイナ。」


 意味は分からない。


 誰に向けた言葉だったのかも分からない。


 それでも、声に出した瞬間だけ、何かを知っていたような気がした。


 けれど、それもすぐに消えた。


 彼は席を立った。


 部屋を出る。


 廊下を歩く。


 何千年も生きている。


 いくつもの国を見た。


 いくつもの言葉を覚えた。


 いくつもの言葉を忘れた。


 その中には、あの島の言葉もあった。


 最後の一人だった女性と話すために覚えた言葉。


 彼女が死んだあと、誰も使わなくなった言葉。


 そして今では、自分さえ使えない。


 映画館を出る。


 外の風が吹いている。


 彼は歩きながら、もう一度だけ呟いた。


「ラ・セイナ。」


 やはり意味は分からなかった。


 それでも、その言葉だけは妙に口に馴染んだ。


 遠い島で、最後の一人の女性が話していた声だけが、意味を失ったまま残っていた。

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