不老不死たちの過去 5
その日の記憶は、部屋ではなく、文字から始まった。
スクリーンに、古い携帯端末の画面が映る。
現在では、ほとんど誰も使わない形の端末だった。
その画面に、昔の自分の名前が表示されている。
そして、その少し下に、一人の女性の名前があった。
彼女は、その名前を見た瞬間に思い出した。
「ああ」と、声が漏れた。
その人は、昔の自分にとって叔母のような存在だった。
本当の親戚ではない。
血も繋がっていない。
住んでいる町も違った。
それでも、なぜか時々連絡を取る人だった。
女性は、自分よりずっと年上に見えた。
もちろん、彼女も不老不死だった。
昔の映像の中でも、現在と同じ顔をしている。
ただ、当時の自分から見ると、その女性には妙な安心感があった。
何かを聞けば、必ず落ち着いて答えてくれる。
怒ることもほとんどない。
そして、とにかく言葉が丁寧だった。
映像の中で、昔の自分がメッセージを送る。
『お久しぶりです。お元気でしょうか』
少しして、返信が届く。
『ご無沙汰しております。おかげさまで、こちらは変わりなく過ごしております。そちらはいかがでしょうか』
昔の自分は、その文章を見て笑っている。
『こちらも元気です』
『それは何よりでございます』
そこで会話が終わる。
彼女はスクリーンを見ながら、少し首を傾げた。
「こんなに丁寧だったっけ」
次の場面。
数週間後。
昔の自分から、またメッセージが届く。
『先日はありがとうございました』
『とんでもございません。こちらこそ、お話できて嬉しゅうございました』
『また時間があるときに話してください』
『私でよろしければ、いつでもお付き合いいたします』
それだけ。
また会話が終わる。
その女性とは、別々の町に住んでいた。
だから、毎日のように顔を合わせるわけではない。
何ヶ月も連絡しないこともあった。
半年ほど、何もやり取りしないこともあった。
それでも、突然どちらかから連絡が来る。
『お変わりございませんか』
『はい。そちらはいかがでしょうか』
『こちらも元気にしております』
それだけで終わる日もあった。
けれど、ある日の記憶では、少し長く続いていた。
『最近、こちらの町では新しい橋ができました』
『それは素敵ですね』
『以前お話しした川のところです』
『ああ、あちらでございますか。以前のお話を覚えていてくださったのですね』
『覚えています』
『ありがとうございます。なんだか嬉しゅうございます』
昔の自分は、その文章を読んでしばらく画面を眺めていた。
そして、
『今度、そちらの町にも行ってみたいです』
と送る。
返信は少し遅れて届いた。
『ぜひお越しくださいませ』
『案内してくれますか?』
『もちろんでございます。ただ、私も詳しいわけではございませんので、あまり期待はなさらないでくださいませ』
昔の自分が笑う。
画面の向こうの女性も、きっと笑っていたのだろう。
映像には顔が映らない。
文字だけが残っている。
その女性は、時々昔の話をした。
ある日、こんなメッセージが届いた。
『今日は少し昔のことを思い出しました』
『何ですか?』
『昔、私がまだ若かった頃に、よく行っていた喫茶店がございました』
『喫茶店ですか』
『はい。小さな店でございました』
『今もありますか?』
少し時間が空く。
『もうございません』
昔の自分は、そこで返事をしなかった。
女性から、続けてメッセージが届いた。
『ですが、なくなったことを寂しいとは、あまり思っておりません』
『そうなんですか?』
『はい』
『どうして?』
『その店があった時間は、確かに私の中に残っておりますので』
彼女はスクリーンを見つめた。
その女性は、そういうことを時々言った。
大げさではない。
説教でもない。
ただ、何かを思い出したときに、静かに言葉にする。
『昔のことを思い出すのは、不思議なものでございますね』
『どうしてですか?』
『その頃は、それがいつまでも続くように思っておりました』
昔の自分から返信が届く。
『今は違いますか?』
『今は、続くもののほうが少ないと知っております』
しばらくして、女性からもう一通。
『ですが、それを悪いことだとは思っておりません』
そこで映像が止まった。
彼女はスクリーンを見たまま動かなかった。
この会話を、昔の自分はどう受け取ったのだろう。
今の彼女には分からない。
ただ、その女性の言葉だけは覚えている。
映像が再び動く。
何年か後。
またLINEが届く。
『ご無沙汰しております』
『大変ご無沙汰しております』
『お元気でしょうか』
『はい。そちらもお元気でしょうか』
『おかげさまで、変わりなく過ごしております』
また、それだけだった。
数ヶ月後。
女性から届く。
『先日、以前お話ししていた町へ行ってまいりました』
『どうでした?』
『随分と変わっておりました』
『昔と違いましたか?』
『はい。ですが、昔と同じ場所も少し残っておりました』
『何が残っていました?』
『坂道でございます』
昔の自分が笑う。
『坂道ですか』
『はい。建物は変わっておりましたが、坂だけはございました』
『それは面白いですね』
『ええ。少し嬉しゅうございました』
それが最後のやり取りだった。
少なくとも、この記憶の中では。
彼女はスクリーンを見つめる。
女性の顔は映らない。
ただ、古いメッセージだけが並んでいる。
その後、その女性とどうなったのか。
現在の彼女は知っている。
女性はまだ生きている。
ただし、もう何百年も会っていない。
今も別々の町に住んでいる。
たまに連絡を取ることもある。
そして、今でも言葉遣いは丁寧だ。
何百年経っても。
『お元気でしょうか』
『はい。そちらはいかがでしょうか』
昔とほとんど変わらない。
映画の中では、昔の二人が文字を送り合っている。
現在の彼女は、それを見ている。
昔の自分は、その女性を叔母のように思っていた。
けれど、今となっては「叔母」という言葉さえ少し違う気がする。
親戚ではない。
友人とも少し違う。
師匠でもない。
ただ、別々の町で生きていて、たまに丁寧な言葉を送り合う人。
それだけだった。
それだけだったから、長く続いたのかもしれない。
スクリーンが暗くなる。
映画は終わった。
彼女は席を立つ。
部屋を出る前に、一度だけ暗いスクリーンを振り返った。
昔の自分も。
あの女性も。
今と同じ顔をしている。
何百年経っても、顔は変わらない。
変わったのは、二人が生きている時間のほうだった。
彼女は映画館を出た。
外では、新しい時代の街が動いていた。
そして彼女は、ふと思った。
今日、あの人に連絡してみようか。
そう思った。
けれど、すぐには端末を取り出さなかった。
昔から、二人はそうだった。
何ヶ月も連絡しない。
何年も会わない。
それでも、次に届く言葉はきっと、
『ご無沙汰しております。お元気でしょうか』
なのだろう。
彼女はそのことを考えながら、ゆっくり歩いていった。




