不老不死たちの過去 2
記憶上映室は、以前より少し混んでいた。
入口には何人かの不老不死が並んでいる。
誰も急いでいない。
急ぐ必要がないからだ。
彼女は受付で名前を告げた。
「今日は、どの時代を?」
「一番古いものを」
「かなり古いですよ」
「大丈夫です」
受付の女性は端末を操作した。
「それでは、こちらへ」
彼女は一人用の部屋に入った。
椅子に座る。
照明が消える。
スクリーンが白くなる。
そして、昔の自分が映った。
「……」
彼女は少しだけ目を細めた。
そこに立っていたのは、今の自分と同じ顔だった。
顔だけなら、見間違えることはない。
目も、鼻も、口も同じ。
不老不死だから、歳を取っていない。
数千年前の自分も、今の自分と同じ顔をしている。
けれど――髪は違った。
昔の自分は、黒髪だった。
肩より少し長く、後ろでまとめている。
現在の彼女は髪を短くしている。
服装も違う。
立ち方も違う。
昔の自分は、歩くときに少し前のめりになる癖があった。
そして、よく笑っていた。
今の彼女は、スクリーンの中の自分を見ながら思った。
こんなに笑う人だっただろうか。
映像の中の彼女が、誰かと話している。
『ねえ、それ本当に必要?』
『必要だよ』
『絶対?』
『絶対』
『じゃあ持って帰れば』
『重い』
二人で笑う。
彼女は黙って見ていた。
声も違う。
今より高い。
言葉の選び方も違う。
今なら使わないような言葉を、昔の自分は平気で使っている。
それだけではなかった。
考え方まで違っていた。
映像の中の彼女は、何かを選ぶとき、いつも人のことを先に考えている。
誰かが寒そうにしていれば、自分の上着を貸す。
誰かが困っていれば、すぐに手を出す。
食べ物が一つしかなければ、自分は後回しにする。
彼女はそれを見て、少しだけ首を傾けた。
「……私、こんなだった?」
もちろん返事はない。
映像の中の自分は、そんなことなど知らずに歩いている。
ある店に入った。
小さな店だった。
店員と話して、何かを買う。
買ったものを袋に入れてもらい、店を出る。
その袋を、昔の彼女は大事そうに抱えていた。
現在の彼女は、何を買ったのかすぐには思い出せなかった。
映像を見続ける。
しばらくして、その中身が分かった。
小さな時計だった。
古い機械式の時計。
昔の彼女は、それを何度も眺めていた。
『これ、ずっと使うから』
誰かにそう言っている。
『壊れたら?』
『直す』
『直せなかったら?』
『直せる人を探す』
昔の彼女は笑った。
『捨てないよ』
彼女はスクリーンを見つめた。
今の彼女なら、そんな時計は買わない。
時間ならどこにでも表示される。
腕につける必要もない。
それに、壊れたものを無理に直そうとも思わない。
必要がなくなれば、新しいものに替える。
いつからそうなったのかは分からない。
長く生きすぎたせいで、昔の考え方が少しずつ消えていった。
映像の中の彼女は、時計を腕につけている。
何度も時間を確認する。
誰かを待っているらしい。
夕方になった。
空が赤くなる。
彼女は駅の前で立っている。
今はもう存在しない駅だった。
人々が行き交っている。
普通の人間たちだった。
誰も不老不死ではない。
彼女は、その人々を見ていた。
その頃は、死ぬことが当たり前だった。
映像の中の彼女には、それが当たり前だった。
だから、誰かが「また明日」と言えば、明日が来ることを疑っていない。
誰かが「また来年」と言えば、来年も会えると思っている。
今の彼女には、その感覚が分からない。
何千年もの間に、「また」という言葉の意味が変わってしまった。
映像の中で、待っていた人物がやって来た。
昔の彼女が笑う。
『遅い』
『ごめん』
『待ったよ』
『どのくらい?』
『三十分』
『じゃあ、怒ってる?』
『少し』
また笑う。
今の彼女は、その二人を見ていた。
名前は覚えている。
顔も覚えている。
声も覚えている。
なのに、当時の自分が何を考えていたのかは、もう分からない。
あの人を大切にしていた。
それだけは分かる。
でも、なぜ大切だったのか。
どんなところが好きだったのか。
どんな未来を想像していたのか。
もう思い出せない。
映像の中の自分が、突然カメラの方向を向いた。
もちろん、カメラなどない。
これは記憶だからだ。
そのとき自分が見ていた方向が、映像になっている。
昔の彼女が笑う。
その顔は、今の自分とまったく同じだった。
彼女はスクリーンに映る顔を見つめた。
「……同じ顔なのに」
声が小さくなる。
「知らない人みたい」
昔の自分は、時計を大切にしている。
人との約束を大切にしている。
誰かのために時間を使うことを嬉しそうにしている。
今の自分は、もうそうではない。
時計を失くしても困らない。
約束の日を何十年先に延ばされても、気にしない。
誰かと別れても、いつかまた会えると思っている。
昔の自分が大切にしていたものは、長い時間の中で少しずつ手から落ちていった。
その代わりに、別のものを大切にするようになった。
それもまた、いつか変わるのだろう。
彼女はそう思った。
そして、ふと気づいた。
スクリーンの中の自分は、今の自分よりずっと不器用だった。
すぐ怒る。
すぐ笑う。
人を信じる。
物を大切にする。
明日のことを気にする。
失うことを知らない。
彼女はしばらく黙っていた。
やがて映像が終わる。
スクリーンが暗くなる。
昔の自分は消えた。
彼女は立ち上がった。
鏡のようになった黒いスクリーンに、自分の顔が映っている。
短い髪。
今の服。
今の表情。
さっきまで見ていた昔の自分と同じ顔。
彼女はその顔をしばらく見た。
「……髪、長かったんだね」
誰に言うでもなく呟いた。
そして映画館を出た。
外では、今の世界の人々が歩いている。
空には巨大な建物が浮かんでいる。
昔の駅はない。
昔の店もない。
昔の時計もない。
けれど、彼女の顔だけは変わらない。
彼女は歩きながら、自分の髪を一度だけ触った。
それから、もう振り返らなかった。




