不老不死たちの過去 1
映画館は、街の中心から少し外れた場所にあった。
今の街には、昔のような道路はない。
建物は地面から離れて浮かび、空中を走る乗り物が静かな音を立てて行き交っている。遠くには、昔なら山だった場所をくり抜いて造られた巨大な居住区が見える。
彼は、その景色を見ながら歩いていた。
同じ背丈。
同じ髪。
同じ目。
同じ声。
ただ、歩き方だけが少し違った。
「……」
彼は、昔の自分を見つめた。
その男は道を歩きながら、何かを見ていた。
花屋だった。
小さな店の前に、鉢植えが並んでいる。
映像の中の彼が立ち止まる。
店員と話している。
音声も記憶に残っていた。
『これ、まだありますか』
『ありますよ』
『じゃあ、これください』
彼はスクリーンを見ながら眉を寄せた。
何を買ったのか、思い出せない。
映像の中では、彼は花を一つ買っている。
白い花だった。
店を出る。
そして、少し歩いたところで、一人の女性と会った。
『遅い』
『ごめん』
『また道、間違えた?』
『今日は間違えてない』
『じゃあ何してたの』
『花を買ってた』
『花?』
女性が笑う。
映像の中の彼も笑った。
彼は、映画館の椅子に座ったまま、その二人を見ていた。
女性の顔を見ても、名前が出てこなかった。
何度か考えた。
けれど、思い出せない。
女性は昔の彼の隣を歩いている。
何か話している。
昔の彼は何度も笑っている。
けれど、その会話の意味が、今の彼にはよく分からなかった。
音だけは覚えている。
映像も残っている。
なのに、その時間を生きていた感覚だけがない。
しばらくして、映像が切り替わった。
夜だった。
小さな部屋。
昔の彼と、さっきの女性が座っている。
テーブルの上に食事がある。
『明日、仕事?』
『うん』
『じゃあ早く寝れば』
『まだいい』
『明日起きられなくなるよ』
『大丈夫』
そんな会話をしている。
今なら何でもない会話だった。
それなのに、彼は画面から目を離せなかった。
その部屋はもうない。
この女性も、もういない。
そして、あの頃の世界もない。
彼は、女性の横顔を見つめた。
「……誰だったんだろう」
声が出た。
もちろん、スクリーンの中の二人には届かない。
昔の彼は、女性の言葉に笑っている。
今の彼には、その笑いの理由さえ分からない。
映像はさらに進んだ。
季節が変わった。
雪が降っている。
雨の日がある。
夏の夜。
春の朝。
同じ二人が何度も映る。
ある日、三人になった。
小さな子供が映っていた。
昔の彼は、その子供を抱き上げている。
彼はスクリーンを見た。
少し長く見た。
そして、やっと思い出した。
「……ああ」
小さく声が漏れた。
子供の名前を思い出した。
けれど、その名前を口にすることはなかった。
映像の中の彼は、子供を抱いたまま笑っている。
今の彼も同じ顔をしている。
何千年経っても、顔は変わっていない。
だから余計に不思議だった。
画面にいる自分も自分。
椅子に座っている自分も自分。
顔だけを見れば、同じ人間だった。
けれど、その間には、数え切れないほどの年月がある。
何人もの人間を見送った。
何度も街が変わった。
国がなくなった。
言葉が変わった。
建物がなくなった。
海岸線さえ変わった。
何度も新しい生活を始めた。
何度も昔の生活を置いてきた。
それでも顔だけは変わらなかった。
映像の中の彼が、子供を抱いて歩いている。
その後ろから女性がついてくる。
昔の彼が振り返る。
『早く来て』
女性が言う。
『待って』
昔の彼が答える。
そして三人で歩いていく。
映像がそこで止まった。
スクリーンが暗くなる。
しばらく何も映らない。
彼は椅子に座ったまま動かなかった。
もっと見れば、続きがある。
この記憶の先にも、さらに何年分もの記憶がある。
女性との生活も。
子供との時間も。
その後の人生も。
きっと残っている。
けれど彼は、上映を続けなかった。
「今日は、ここまででいいです」
誰もいない部屋に向かって言った。
照明がついた。
彼は立ち上がった。
スクリーンには、もう何も映っていない。
映画館を出る。
外は昼だった。
空中を乗り物が走っている。
遠くの建物から光の広告が流れている。
彼はしばらく立ち止まった。
ふと、さっき見た花屋の場所を思い出そうとした。
けれど、もう分からない。
そもそも、あの街が今どこにあったのかも分からない。
ただ、白い花だけは覚えていた。
彼は歩き出した。
何千年も前とは違う街を。




