201と302
秋ヶ瀬もみじ、大学1年生。
過去のこと、未来のこと、漠然とした不安の中で新生活を迎えていた。
そんな彼女の前に現れたのは……
---09:00 自宅マンション---
窓から吹き込む強風に目が覚める。目元がごわごわしてぎこちない瞬き。
ああ、昨晩泣いたんだっけ。
何か考えて、疲れて、眠る。そういう事が多くて、起きてしまえば忘れてしまうような大した内容ではないのだけれど、何か悲しいことを考えていた。
時計は9時を示す。
えっと、なんだっけ……
ああ、ゴミ出しがあったな。
のそのそと起き上がって、冷蔵庫に貼り付けたゴミ収集表を指でなぞる。
燃えるゴミは9時までに出してください、か。
どうせ時間通りに来ないし間に合うだろう。
ゴミ箱からビニール袋を引きずりだして、縛りながら玄関へ歩く。
玄関に置いた鏡に映った顔、割とくっきりと涙の跡が残っている。
まあいいや、ゴミ出しに行くだけ。
マンションの廊下は静寂に包まれていて、時折ワイドショーが漏れ聞こえてくる。
小学生の頃、風邪をひいて学校を休んだ時のことを思い出した。
のすたるじーってやつだな、これが。
と、ゴミ捨て場の方から物音がする。
あれ?回収来ちゃった?いけない、いっそげ~っ!!!
階段を駆け足で1階へ。
どうやら回収ではなかったようだ。その代わり……
「あれ?秋ヶ瀬……さん?」
音の主は昨日の女子。確か柳瀬とか言ったっけ?
昨日はスーパーに寄って帰ったから、家が同じだと気が付かなかった。
同じマンションだったの、埼玉出身って言うからてっきり実家通学かと……
大学近いし便利だよね、ここ。
当たり障りのない会話をしながら思う。同じマンションに顔見知りが居るという安心感と、裏返しの面倒くささ。この人と仲良くなることを義務付けられてしまったような……
「今日は大学無くて暇だねえ、でも明日から講義漬けかあ……」
「しばらくは1限からフルコマですもんね」
「そうなんだよねえ~、学生の本分は勉強っつったって、面倒なモンは面倒だわ」
「ですよねえ~」
「……」
「……」
気まずい。
「あ、そうだ。秋ヶ瀬さん今日暇?お茶しない?」
「へ?」
唐突な提案に気の抜けた返事。嫌そうな顔しちゃったかな、それならば申し訳ない。
残念、顔に出ていたらしい。
私の内心を察してか、ばつの悪そうな顔をしてこう続けた。
「あの、昨日のリベンジ?みたいな。あまり話できなかったし。さ」
昨日の親睦会、柳瀬さんが男子から質問攻めされていたのを思い出した。
ぜんぜん盛り上がらんかったなあ……そりゃそうだ。
そんなことを考えていたらちょっと不憫に思えてきて。なんだか上から目線に見えるけど、なんとなく仲良くなれそうな気がした。
「うん、わかった。行こうよ。」
今日は丸1日空いているし、どうせならお店とか見て回ろうか。
そういうことになって、10時にロビー集合と約束して解散した。
柳瀬さんは私のひとつ上、3階に住んでいると分かった。
エレベーターに乗る彼女と別れて階段を登る。
誘われた時は、二度寝しようかなとかそんなことを考えていて嫌そうな顔を見せてしまったけれど、エレベーターホールで別れてから、今になってなんだか嬉しくなってきた。全然嫌じゃないな。
階段を上がるごとに心拍数が上がっていく。頬が緩む。
大学で初めての友達が出来そうだ。
……しかも美人。
自室に戻ると急いで身支度を済ませる。
あまり凝った服とかおしゃれなモノ持っていないから、こういう時に困るけど、まあいいでしょう。
それにしてもニヤニヤが止まらん。童貞男子でももうちょっとキリっとした顔できるぞ。
そうこうしているうちに約束まであと5分。集合場所に向かっておこう。
自室を施錠して足取り軽く1階へ。
階段を下りていくと、既に彼女が待っていた。
おまたせ、待った?
ううん、今来たところ。
鉄板を通り越してアルミホイルみたくぺらっぺらになった台詞。
「って、デートかよ」
「デートかもしれないねえ」
「ふふ、まっさか~」
「じゃ、行こうよ」
相変わらずまぶしい微笑み。
マジとんでもねえ美人やなあ……おっそろしいわあ。
心の中でつぶやきつつ、彼女の横に並んでロビーを出る。
「一旦八王子まで出ようか」
「そうだねえ、この辺何もないし」
なんとなく彼女の方がこの辺りの地理に詳しそうな気がして、任せることにした。
駅に向かっててくてく歩いてゆく。柳瀬が口を開いた。
「この辺り、あるのはスーパーくらい?」
「んー、喫茶店もあるな?」
「いやいや、もうあれは半分黒歴史でしょ」
「全然面白くなかったし、ありゃないわ」
「んだよね」
「喫茶店に罪が無いのはそれはそう、かな」
「じゃあまた行こうかね?記憶の上書き」
「え、またあの男たちと?」
「まさか、二人で」
「それならよし」
「何様よ」腰をどついてやった。
「ははは」
その勢いのままちょっと駆けていく彼女。くるりと振り返ってきて……
「ぼーりょくはんたーい」
満面の笑みでおどける彼女。
思わず目を逸らしてしまった。あまりにまぶしすぎる。
「ん?どうした?」不思議がる声。
「日差しがまぶしくてね」極めてクールに言い訳をキメた。ふふん。
「太陽、反対側だよ?」
あっ……
春風がふわりと二人の間を抜けていく。
髪の毛を抑えながら目を細める彼女。
昨日の連中には一生見せることのない姿かな、そんなことを思った。
---10:30 八王子駅---
電車に乗って2駅で八王子につく。JRのターミナル駅で、東京で一番西端の都市でもある。
朝ごはん食べた?おなかすいたしモーニング食べようよ。
彼女は電車を降りると迷いなく歩いて行く。
改札を抜けて北口方面。空中デッキを商店街へ。
何かお店知ってるのかな。「この辺土地勘あるんだ、すごいねえ。」
「いや、」え?あまりに自信満々にずかずか歩いて行くから知っているものだとばかり。
「なーんも分からん!歩いてりゃなんかあるでしょ~!多分。」そうか……。
任せっきりにしていたことをちょっと反省しつつ、その場で調べてみる。
もう少し歩くと11時までモーニングを出す店があるようだ。
「結果的にはこっちで合っていたということですな、はははっ」自慢げに笑う。
昨日は「クールっぽいなあ」とか思っていたけれど、案外そうでもないな?
少し歩いて目的の喫茶店に着く。
外装が古めかしい、歴史が長いのかもしれない。
ツタが覆う窓の隙間から、いくつか席が空いているのが見える。
「空いてそうだね」「うん、よかった」
店内へ。ドア鈴の音がかわいらしく響く。
丁度窓際のテーブルが空いていた。
メニューをさっと眺めて「私は決めた!」と彼女。
「柳瀬さんは決断が早いねえ」
「でしょ?昔からそうなんだよね。」
「ご飯屋でもすぐに決められるタイプ?」
「そりゃもう、メニュー1周眺めたら一発。」
「かっこいいですなあ……。あ、私も決めた。」
店員さん、すみませ~ん。
お待たせしました~注文どうぞ~
「モーニングBセット、アメリカンで。」
秋ヶ瀬さんは?
「あ、私はモーニングAセット、ブレンドで。」
以上でよろしいですか。はい、少々お待ちくださいませ。
柳瀬さんはBセットですかあ、朝からがっつり行くんだね。
そう!私けっこう食べる方なの~
Aセットはジャムトーストとコーヒーのセット。BセットはAに加えてゆで卵とヨーグルトとサラダが付くから中々のボリュームがありそうだ。
なんだか意外だった。こういう美人さんって食べないイメージだし。
ねえ、
「?」
「秋ヶ瀬さんのこと呼び捨てにしてもいい?」
おお……
「同い年だよね?学年も同じだし、私のことも呼び捨てでいいからさ。」
私、こういうイベントが好きだ。人間関係最初の殻を破る瞬間っていうのかな?
初対面とかはしんどいけど、こういうピンポイントのイベントは好きだ。
「うん、わかった。柳瀬。」
「ありがと、秋ヶ瀬。」
目が合う。ふたりしてニヤついてしまった。ふふっ。
それがおかしくて、更に口角が上がる。
見つめ合って、いつまでもうふふと笑っているふたり。傍から見ればカップルか。
空気がやけに甘い。
それは、いつの間にか届いたジャムトーストのものではない気がした。
「これってデート?」この空気に耐えられず茶化してみる。
「まさか」
「空気感がデートのそれだよ」
へえ、そうなんだあ、なんて小さくつぶやく声。
「じゃあ、どっちが彼氏?」へ?
「どっちがいいの?」目を細め、両手で持ったコーヒーカップを目線まで上げてこちらを眺めてくる。
「……」
思わぬカウンター。おいおい……
「彼女……」
一応私なりに誠実に答えたつもりだ。さあ、どう来る。
細めていた目が元に戻って、マグカップが机にコトンと置かれる。
「秋ヶ瀬って、かわいいね。」
顔面は真っ赤に違いない。
そうわかるほどには火照っていた。
私のリアクションが予想を越していたらしい。ごめんねごめんねとまくし立てる。
「ふふっ、ごめんごめん。からかったみたいになっちゃった。」
「恋人ごっこみたいだよね、ああいうの。」
……ちょっと楽しいね、だなんて、小さな声がマグカップに落ちた。
---17:00 最寄駅---
あの後、喫茶店で昼過ぎまでおしゃべりした。
学科のこと、高校の頃のこと、これからのこと、話す内容は尽きなかった。
駅前ビルの服屋をうろついて、気が付けば夕方。
「そろそろ帰ろうか。」そうだね、明日も朝早いし。
大学生にしては健全な時間に家路につく。
まだ高校生が抜けてないんだな、なんて会話をした。
1年も経てば、17時なんて朝も同然なのだろうか。
「そこまで昼夜逆転したら単位ヤバいって~」
意外に冷静なツッコミを受け、「17時なんて昼も同然!」と差し替えておいた。
お互いスーパーなどに用事は無かったから、駅から直接マンションに向かう。
夕陽が背中を照らす。目の前に伸びる影。
「こんなに身長高くてスタイルよかったらなあ~」
「柳瀬は今のままで十分かわいいし美人じゃん。」
小さく、でも力強い声が口から流れ出た。
隣の影が後ろに流れていく。それに気づいて慌てて足を止めた。
女子同士の「かわいい(キャピ)」は挨拶みたいなものだけど、
今の熱のこもり方は挨拶のそれではなかった。変なこと言っちゃったかな。
後ろに振り向く。
柔らかな表情の柳瀬が夕陽に照らされていた。
「秋ヶ瀬ってさ、」息を吞む。
「なんか」何!?
「いいよね……」??????
首に手を当てて、少し傾げて「うふふ」と微笑むのが見えた。
うーん、とりあえず悪い方向には転がっていない……な???
「ありがとね、そう言ってくれるの嬉しいよ。」柳瀬の台詞にほっと胸をなでおろす。
全身の力が抜けてしまいそうだ。
「柳瀬はかわいいよ、本当に。」ダメ押しでもう一度。
「秋ヶ瀬も、ね。」お返しのつもりか何なのか、わからないけど。
「ありがと」
マンションのロビーで「明日、一緒に大学行こうよ。」そう約束した。
「また明日」
エレベーターと階段、それぞれの住処に帰ってゆく。
---20:30 自宅マンション---
いや待てなんだあの、この、その、えっと、あれはデートではないのか!?!?!?!?
「どっちが彼氏?」とかなんだよもう!!!
私は私で「柳瀬はかわいい、美人」とか言っちゃうし???
いやいやいやいやいや時を巻き戻したいあんな会話した相手と大学でどんな顔で会えば良いの!?!?!?!?
はあ。
柳瀬と別れてから、掃除とか洗濯とか夕食の支度なんかで、できるだけ頭から離すようにしていた。
が、とうとうやることが無くなった。布団に潜り込んだ瞬間一気に今日の出来事が思い出されて……
「ん~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!」
悶絶していた。控えめに言って悶絶である。
お友達だから、あれはただの「遊び」。
でも会話の節々に熱がこもっていて、男女ならあれは絶対「デート」とラベリングされるに違いない。
柳瀬もデートっぽさを楽しんでいるような節があったし。
喫茶店でのあの目線、あれはなんだったのかな???
うーん、どっちなんだろう。遊びかデートか。
わからないな。
でも一つ確かなこと。
柳瀬は私の大切な人になった。
柳瀬、今日は誘ってくれてありがとう。結局今日はお礼言えなかったから、明日伝えるね。
おやすみ。




