泣くなら私の胸で
気分ではない。気分ではないけれど風呂には入らねばならない。
普段はお湯になるまで待つけれど、今日だけは水からシャワーを浴びた。
頭、顔、首、肩……冷水がしみるのを静かに感じながら、その刺激が薄れていくのをじっと待っている。
冷水が心地よく感じられたころ、熱心に湯を焚いていた給湯器の仕事がついに実り、水道管からシャワーヘッドに到達。だんだんと高くなる水温に不快感を覚え、ふいに笑ってしまう。
一般に悪いとされる状態や望ましくない状態から、本来好ましい状態や理想的な状態に引き上げられるとき、実は悪い状態へのある種の固執が生まれるのかもしれないな。
しかしながらその固執は一瞬にして崩れ去り、当人が思い込むよりあっけらかんとしたものだろう。
つまり何が言いたいか。「やっぱお湯最高だわ。」
こうしたくだらない思考は、脳のリフレッシュだと考えているし、そのような効果を感じ取ることができている。
とはいえ現状の最優先事項は四季のことである。
風呂は音が反射して外の様子が分からないから、彼女が今どうしているかもわからない。
もしかしたら風呂に入った音を聞いて部屋から出てきているかもしれない。
他人の、特にこうしたマイナス方面に思える感情に対して邪推を図ることはあまり好ましくはないと思う一方で、同じ屋根の下暮らす人間であり恋人同士なのだから、やはり考える必要はあるし、考えたいと思う。その原因が私である可能性も大いにある。
とめどない思考を氾濫させながらも身体は洗い進めてゆく。
しかし、心当たりがない____。
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風呂上り、濡れ髪のままだらだらする派もいるだろうが、私はさっさと乾かしてしまうのが好きだ。
時がたつほど自然乾燥という悪魔の囁きが近づいてきて、ドライヤーを握る生気を奪われることを知っている。
だから、さっさと乾かす。
洗面所から出てきて自室に戻ろうとしたとき、廊下のお盆が消えていることに気づく。
辺りを見回すと、キッチンの乾燥棚にはさっき洗ったばかりに見える水滴の残る食器が並べられていた。
食べてくれた。
その事実が目の前にあるだけで、先ほどのシャワーで消し去った筈の涙がさらり零れる。
スマホに通知、「ごめんね」の一文字。
その扉の向こうから聞こえるすすり泣き。
「四季、入るよ。」
ひとりにして?ふざけるな。誰と住んでると思ってるんだ。友達であり恋人だろう。
私が部屋で泣く恋人を放っておける人間だと思っているのか?
怒りか悲しみか、ごちゃごちゃの感情に任せて扉を開く。
ベッドの上で座り込んで俯く彼女。
「ごめんね、ごめんね」
うわごとのように繰り返される言葉。
何に対して謝っているのか、そもそもこれは謝罪なのか、すべてが不明瞭なまま発せられる言葉。だだしそれなりの何かがあったことだけはわかる。
静かにそばへ寄って抱きしめる。
冷たく暗い感情に浸された彼女にいきなり人間の体温を浴びせて、彼女はどう思うのか。
離れようとしてよじられたその身を離すまいと抱き留めてしばらくしていると動きが大人しくなる。
「どうしたの。」
「もみじのせいじゃない。」
私がどうのこうのと聞いていないのにそう返すということは、この原因は私なのか。
「さいきん、わたしにあんまり構ってくれなくなった。」
……あー
「でも、引っ越す前と比べたらずっと長い時間一緒に居るから、もみじが悪いんじゃないの。」
だから、どうにもならない気持ちを溜め込んで、それが急にあふれてしまったのだと。
確かに引っ越してからの方が一緒に居る時間は長いけれど、その分自室などで別々に居る時間が際立って寂しくなってしまったのかもしれない。
性格の問題か、私はそのようなことが気になる事もなくここまで来れてしまっていた。
「ごめんね。ごめん。」
頭を撫でながら、静かにつぶやく。
彼女の気持ちを思えば、実態として増えた接触時間に対して心の距離が離れたように感じられることはあくまで本人の問題であって、それは私にどうこうする事ではないと思えてしまったからこそ吐き出せ
なかったのだろう。でも。
「でも、でもね。私あなたの恋人なの。」
「寂しかったら伝えて欲しいし、泣くなら私の胸で泣いてよ……」
彼女が涙で濡らしたのは彼女の膝だった。私の胸ではなかった。そのことが何故だか悔しく、悲しく、虚しく。
ふたりでわんわん泣いて。
その日から同じ布団で眠るようになった。
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朝起きると布団を奪い取られているのはご愛敬。




